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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

5/11 因果は巡る

2019-06-21 17:34:32 | 運命の認識


元年、5・11、性格と信仰※1
[嫉妬は心の敵、虚栄は破滅の基]


若い頃から、『愛情と同情』の違いを見せられてきました。自分がどん底の時には、助けてくれる人に、恩義を深く感じたものです。ところが、こちらが立ち直り生活にゆとりが生まれると、手のひらを返したように、冷たい付き合いに変わることもありました。

のちに道を学び、これを《同情》ということを知りました。《愛情》は、相手が良くなればよくなるほど、偕によろこぶことです。しかしこの心情は、祈りの心で、神の慈悲を受けて、生まれるものです。
おかげで、多くの愛情深き友を、得ることができました。

一方《虚栄』》は、我を忘れて背伸びをし、人を見下し、言葉や態度で、大事な人間関係をそこなうことになります。見せかけで、肝心の相手を思いやる情に欠けてきます。やがて、家族友人さえ失うことになります。

《因果は巡る》という道理があります。『妬(ねた)めば、妬み返され。』『虚栄を張ればぎゃくに、見下され』『相手にしたことは、必ず自分にはねかえる』のです。
これでは、自分を見失った生き方です。

この生き方から、抜け出すには、『まずは、人の幸せを願い、我が身に巡ってきた、幸運を人様のおかげと感謝。人のために力になる』ことです。
そこには、《嫉妬や虚栄》はなく、あるのは《喜びと感謝》のいです。
それが善因となり、身の丈に応じた幸せが巡るのです。


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5/11 因果は巡る

2019-06-21 08:46:22 | 運命の認識


元年、5・11、性格と信仰※1
[嫉妬は心の敵、虚栄は破滅の基]

おはようございます😃
若い頃から、『愛情と同情』の違いを、見せられてきました。自分がどん底の時には、助けてくれる人に、恩義を深く感じたものです。ところが、こちらが立ち直り、生活にゆとりが生まれると、手のひらを返したように、冷たい付き合いに変わることもありました。

のちに、道を学び、同情は相手が良くなることを望まず、むしろ嫉妬に変化するということを知りました。『愛情とは』(相手が良くなればよくなるほど、偕によろこぶこと)です。しかし、『この心情は、祈りの心で、神の慈悲を受けて、生まれる』ものです。おかげで、多くの愛情深き友を、得ることができました。

一方《虚栄》は、我を忘れて背伸びをし、人を見下し、言葉、態度で、大事な人間関係をそこなうことになります。見せかけで、肝心の相手を思いやる情に欠けてきます。やがて、家族友人さえ失うことになります。

この世には《因果は巡る》という道理があります。妬(ねた)めば、妬み返され。虚栄を張ればぎゃくに、見下され、相手にしたことは、必ず自分にはねかえるのです。
これでは、自分を見失った生き方です。

この生き方から抜け出すには、まずは人の幸せを願い、我が身に巡ってきた幸運を、人様のおかげと感謝し、人のために力になることです。
そこには《嫉妬や虚栄》はなく、あるのは《喜びと感謝》のみです。
それが《善因となり、身の丈に応じた幸せ》が巡るのです。


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5/10 人前の祈り

2019-06-21 08:39:19 | 運命と病


元年、5・10、合掌と信仰※2
[人の前の拝みは、不浄を忌まず]

御神尊様の凄さは、20歳から運命の問題に取り組み、修行の結果《不幸病気は人間を離れたところには、、運命を開く道はない》と、悟られたことです。そして《今、ここの時間と場所で、なにを考えて、なにをしているかで、運命は決まる》
つまり《あなたが運命を製造している》ことを、長い臨床実験の末に、発見されました。

今朝は、神の前での精進潔斎(しょうじん、けっさい)。つまり、心身を綺麗にして拝むというのが、古来から求められてきた祈りです。しかし、そのような合掌礼拝からのみ、幸せが生まれるわけではないことを、御神尊様は教えられました。

25歳の青年を、肺結核から助けたとき、『お前の身体は、病から、助かったとはいえ、衰えてしまっている』『今後、3年間、いかなることがあろうとも』『絶対に、怒ってならん』『咎めてはならんぞ』『引っかかってはならんぞ』『約束できるなら、必ず健康体になれる』と、言葉をいただきました。

農家の働き手の青年は、さまざまなかげ口を耳にしながら、御神尊様との約束を、命がけでまもりました。時に、『腹が立つ、咎めそうになる』と、そのまま、畑の中にすわりこんで、『気持ちが、切り替わる』まで、祈り続けました。
その努力のおかげで、立派に健康体をとりもどしました。

つまり、『ご神殿の前だけに、神がいる』わけではありません。『どんな、時間、場所にいても』『どんな格好でいても、人の前の祈りこそ、神に通じる祈り』です。そして、『幸福、健康の生まれどころ』でもあります。
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5/9 忍ぶとは

2019-06-21 08:32:30 | 新陳代謝


元年、5・9、人生と修行※1
[喜ぶべき時は喜べ、忍ぶべき時は忍べ]


ある有名な科学者が、身体不自由でありながら生きてさえいれば、そこには希望があるといわれました。
そのためには、自分自身に進むべき道が見えていると、タイミング良くみきわめられるでしょう。

また、人生は苦楽が、山や谷のようにくりかえすものです。どのような、時に『喜び、忍ぶ』時をよんでいくのでしょうか?ほとんどの方は、喜びも悲しみも押し流されていくだけです。

御神尊様は、次のように徹底することを教えています。
『思えば思うほど、嬉しく喜ばしくかんじることは、いくらでも遠慮なく喜ぶこと』そして、『そのことを思い出して、暗く悩ましく感じることは』『その時の流れに身を任せ、忍耐強くまって忍ぶこと』といわれます。

耐え忍ぶ力は、忘れることと、忘れてはならないことがあります。
まずは、喜ぶ力のもと。それは、感謝の念を忘れないこと。その源泉は祈るこころにあります。
かたや忍ぶ力は、時は刻々と流れて、変化しています。過去が今に影響をあたえるのは、一瞬。
天地自然は、新陳代謝のはたらきがあります。必ず良い方向に行くとの思いで、時の流れに任せ、執着を捨て、希望を持ち続けていくことです。必ず道は開かれます。

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