
2019・元年、6・14、人間と権力
[人間は各々の生きる権利を持って生きている]
人間は、それぞれ『生きる権利』は当然持っています。
それだけではなく、『権利を主張する』うえは、『生きるに重大なる義務』もウラオモテとしてあるわけです。しかしながら、道徳や法律、社会通念として語るなら、専門家の書籍は山のごとしです。
それではなく、『人間は天地のもの』であり、『天地は人間のもの』
『天地の公道』を歩み、『幸せな人生を確実』にするのが目的です。
まずは、『幸せの道を歩む』にあたり、『人間として生きる権利と守る義務』からのぞいてみます。
『生きる手段』として、『動物は弱肉強食、人間は共存共栄』です。そして、仕事について、収入を得ることからです。では果たして、『働くだけ、儲けるだけで、幸せなのか?』『生きていけるのか?』『幸せは、かならずしも、境遇や環境と運命』を左右するもであはりません。
『職、貧富、その人の運命を定められず』『人格の異なるところ』に、運命が異なって生まれてきます。だから、『職業、貧富を言い訳け』にして、『幸せの道を、自ら遠ざけない』ようにしたいものです。ここまででも、『人生を生きる権利』は、ただ、働くだけ食べるだけで、生きるだけでなく、『あくまで生き甲斐ある幸せな生涯』を全うすることです。
『生きる権利』として、親、子、夫、妻の名に恥じないように、『なんの義務があるか』といえば、『いつも明るく、みんなと仲良く、』つまり、『和解和合の生活』です。しかも、維持するために、たとえ、『どんな事情に遭遇する』とも、『とらわれず、悩まず、憎まず』が『人間に課せられた義務』といえましょう。