
31・4・1、人格と運命
[神のごとく、広くあれ]
自分の狭さは、折にふれ、時にふれては実感するところです。
では、本当に失礼ですが、神さまのふところの広さ、深さとは、どんなところに、見ることができるのでしょうか?
まず人間は
❶人間は、わずかなことで、感情に走る
❷わずかなことに、とらわれる
❸わずかなことで懊悩する
広い心になるように、教えられますが、さて広いとは、どのようなことをいうのでしょうか?
まず、前提として、神は光明です。
そもそも神さまは、『天地を動かすこと』で、『忙しくて、何かに囚われている時間がない』のです。
『神は、うしろを見ず、足踏みをやめ、前に進む』そして、ひたすら『公道を歩み続ける』のです。
なにもかも受け入れ、すべてを洗濯して、『新生命に再生』しながら、『私たちの、良いも、悪いも、引き連れて』『昨日から、今日、明日へと、すすんでいる』のです。
『清濁併せのみ』ながら、『平気で新陳代謝』ができるのです。
私たちも、神に真似して『とんがらず』『許しを覚え』『赦しの中』に、
そして、神が広くあるように、私たちも、『人のために広く努めたい』ものです。
『共に手を取り』幸せの高みにのぼりましょう。
※許し、(外面から)赦し、(内面から)の意味。
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