不幸は、心と生活から生まれた自然現象。
ならば、心と生活の建て直しこそ、幸せへの道。
義父は、肺結核で入退院を繰り返しているときにご縁をいただき、「御神尊様と、善隣の道のおかげ」と、光がさしこんだのです。
不幸せにどっぷり、ひたりながらも、「苦しさのなかに、喜びを見いだすことができる」から不思議です。
義母は、早朝から弁当を作り、入院中の叔父に食事を運びました。
私は、従弟妹たちに朝食を用意、学校に送り出し、仕事の毎日でした。
でも、〈御神尊様にみまもられている〉義母も私も、そんななかにあって、幸せいっぱい、元気にあふれ、「留守をよろしくね」「はーい、まかせといて、」言葉がとびかいました。
道にご縁がある前の、あの無口と、笑いのない生活どこに消えたのでしょうか?
〈心が変われば生活が変わる、生活が変われば運命も変わる〉
不幸せは、錆のようなものです。
〈合掌とやります〉で、錆びおとしの行です。
それは、〈苦しきなかに、喜びを見いだす〉
行でもあります。
いかなる苦境も、笑顔でのりきれるのです。
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