今朝の、沿革で3回目を終わります。10月の1日から、四回にはいります
御神尊様は、托鉢をしながらの修行、舟に乗る直前の、頭陀袋(ずだぶくろ、ぬのぶくろ、肩から斜めにかけられる、)には、71銭しかありませんでした。
楽をするのは行ではないと、托鉢でいただいたお金は、途中で行き会う遍路さんにあげていました。
だから、淡路の渡船場では、舟賃50銭、お菓子代20銭、残り1銭になっていました。
(当時の1銭は、今の30円、大卒初任給90円、今の20万)
舟に乗る前に、20銭でお菓子を買い、子供たちに配るのです。これでひとときの、舟旅がにぎやかになりました。
私が、御神尊様のまねごとで遍路をしたときは、撫養は都会、大きな国道の交差点で、「撫養の石碑」を発見したときは、感動したものです。「御神尊様の上陸地点」
にいる、四国の一歩、ここからの始まりと、しばしたたずんだものです。
西国三十三箇所の道中では、〈心と体の関係、今でいう心身相関〉の病理について、おぼろ気ながら概略をおつかみになられていました。
四国では、核心に迫る、
臨床実験を、自身の信念養成と、人生苦のなかに求めて行かれるのです。
まずは1番札所、霊山寺から打ち始めます。
徳島県には、札所のお寺が23箇寺あります。
11番藤井寺あたりから山路になり、やがて12番焼山寺の難所、別名〈遍路転がし〉にかかります。
この時代は、歩く以外に交通手段はないのです。平地から山の難所で、挫折する遍路がたくさんいました。
現代でも、その当時と変わらず、挫折する人々がいるように聞いています。
(では、10月を楽しみに、)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます