東京から、神戸へ、はやる気持ちを押さえながら、神戸の御姉様のところにおよりになりました。
そして、初めから決めていたように、身の回り品を整え、参拝帳を準備していると、
御姉様が、〈なにをしているの〉と聞かれ、《これがやがて、世の中を救うことになるよ》と答えられました。
様々な用意はとんでもない、決意のあらわれでした。
西国33箇所巡礼。淡路33箇所。四国88箇所、遍路のたび、終わりに九州神社仏閣巡拝の旅のはじまりでした。
行程は決めても、どれぐらいの日程になるのかは、皆目見当のつかない計画でした。
名付けて《民情踏査、孤独の行》の始まりでした。
《1934年昭和9年10月21日*神戸を出発》
亡き、父、道祖様の命日の翌朝はやく、御姉様の家族に見送りをうけながら、はるかに佐賀の地に向かい、合掌礼拝、
《お父さん、お母さん、どうぞ、御守りください》と祈り。
いよいよ、〈生きた人間生活に触れ、貧病争に苦しむ人々に、運命苦から救いあげる道の探求がはじまりました。〉
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