令和2年9月13日
[船は見えても風は見えず]
ドイツの哲学者、ニーチェは19世紀を代表する哲学者です。
晩年は心身を病み、『疲れているときは、反省をしたり、振り返ったり、まして日記を書くものではない』といっています。
疲れきったときの反省は、鬱への落とし穴というわけです。
そこには、運命の実態を知らない苦悩がうかがえます。
船とは体のことであり、体に現れた症状ばかりに囚われるのが人間です。
荒波を見ても原因は不明です。しかし、その原因は風にあるといわれます。
風は目には見えず、波浪に弄ばれる船しかみえません。
凪ぎの海、波静かなりです。運命の激浪も風にありです。
そこで『心は運命の製造者なり』心の風がやまない限り、体に現れた波、すなわち病いも事情もまた解決できないのです。
風が波を起こす、その風とはひとことでいえば、自他対立によって生まれる不平不満にあります。
その人間関係に人の欠点、欠陥が見えてしょうがない人は、嵐の前の静けさに日常的に晒されているということになります。危ない!やります!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます