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昨日に続き、旧本部のことです。
かつて御神尊様は、平戸によくいかれてました。
平戸の御行に入る以前のことです。
脊髄カリエスの男性が、噂を聞いて御神尊様を頼ってきたことがありました。
しかし御神尊様は、家の中にあげようとはされませんでした。
毎日お願いにくるのですが、上がれといわれないのです。
とうとう一週間たち、さすがにこの青年も我慢できず、
もう、頼まん、自分でなおす、‼️と、すごい剣幕で玄関をでようとしたとき、
奥の部屋から、気に入った‼️上がってこい。と御神尊様の声がかかりました。
当時は旧態信仰でご祈祷で助けておられました。
青年は、驚きとよろこびのなかに、
その祈りで、背中の病巣の破れ血膿が飛び出し、
近くの店買いに行っても、綿花、ガーゼがたらないほどでした。
元気になったその青年は、小西さんといいました。
やがて朝鮮にわたり、仕事をしていました。
戦争のなかで日本に帰ってきたのですが、
敗戦のどさくさで、いつのまにか御神尊様とのご縁は遠のいていきました。
そして年令をかさねるうちに、また病魔におかされ、血圧のため半身不随となりました。
当時原田の地元では、御神尊様は評判の方でした。
信徒の方とのご縁で原田にやってきたのです。
死に物狂いで受講したのです。
昔は講堂のうしろに布団を敷いて、病人さんは寝ておられました。
小西さんも、そのようにしていました。
やがて、御神尊様がおすがりに現れたとき、鋭いまなざしで受講生を見渡された瞬間❗️
小西きていたかっ!と気合いのような声が飛びました。
すると、講堂のうしろから、よろよろ、と立ち上がった小西さんは、
なんと、半身不随のからだで、御神尊様の前まで自力で歩いたのです。
満場、感動と感激の嵐、
大先生すみません。
小西さんのなかでは、昔の大先生のまま、
ひと声かけられただけで身体に電流がはしり、
脊髄カリエスのあの時代に、タイムスリップしたのでしょう。
平戸は、「心は運命の製造者、生活は運命の製造所の大原理」が発見されたところ、
小西さんの即決から見て、厳しい行と臨床実験のなかで、病苦から解放される真理を確立されるのです。
御神尊様は、その頃のことを思い出しては、「厳しくあたりすまなかった」と涙されておられました。
沿革史上にあらわれた小西さんを知ることは、私の信仰にひかりを与えてくれました。
御神尊様は、「自ら運命を開拓する、強い気力がない者は、たすけようがない」と言われました。
合掌
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