天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

4/4 変わる力

2019-04-15 23:29:16 | 運命の認識


31・4・4、即決と生活※
[今変われば、今救ってくださる。それが神のすくいなのです]

神は、明日のあなたを救おうとされているのではなく、今のあなたを救おうとされているのです。
『今変われば、今救ってくださるのが、神のすくい』です。しかし、大半の人が、日常の忙しさに、追われて、家庭、社会で、何かに、囚われ、ひっかかり、感情的になり、自制心を失いかけています。

『いざ、切り替えよう』とおもっても、そうそううまくはいきません。ましてや、相手がいつも顔を合わせている、家族であれば、お互いの短所はミエミエ、何かに気を荒げることがあれば、『気の切り替え、』『伝家の宝刀』も鈍りがちになりますね。

『その気こそ、今変わる力、切り替えの力』ですね。『気』には、『様々な、気があります』が、なかでも、『自分を害し、人を害する気』が1番のくせものです。『その邪気を正気』に、『陰気を陽気』に、『切り替えて』こそ、『今、たすかるのです』

肝心は、『いかに素早くする』かです。『御神尊様は、その場でクルットひとまわりする、速さ』といわれています。
ありがたいことに、『ひと呼吸分、時間の余裕を与えてくれています』辛さ、心配ごと、忘れられないこと、ゆるしたくないこと、陰気な気分は、このような時こそ、やります!を叫び、今を取り戻していただだきたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/3 自在力

2019-04-15 23:14:22 | 人生


31・4・3、健康と人生※
[人と人間とは、別なり]

人としての生き方、人間としての生き方を示しています。
もしもあなたが、健康やしあわせを望むなら、『人で終わることなく、人間として、人間のあいだを、明るく、楽しく自在の力で自ら人生を楽しめ』といわれます。

『人とは、あなたの1人のこと』『人間とは、あなたを含めた世のすべての人々』をいいます。
もしも、あなたが健康や幸せを望むなら、『1人の人間として孤立』『わたしは孤高に生きる、とか、孤独を好む、』などの生き方を変えるべきだしょう。
わたしの10代は、それに憧れて、カッコイイと思いました。しかし人間としては『家族、社会との間柄を良くし、日常生活面を明るく楽しくすること』が、真の人間の生き方に気づきました。

その努力があってこそ、健康と幸な一生をおくることができるのです。さいわいに、『あなたの中には、自在力』があります。これを使い、『異常精神を切り替え、常に正常精神で生きていきさえすればよいこと』になります。

『異常とは、簡単に人と切れて離れる、心の使い方、』『正常とは、人との関係を、明るく楽しく心使い』その間を『揺れ動く、精神、性格を、常に自在に切り替える力』こそ、『日頃の祈り』でしょうね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/2 親の自覚

2019-04-06 23:04:55 | 家庭生活


31・4・2、親子と運命*
[子どもを、よくしょうと、思ったら、親が良くなること]


その対語は[親が間違った生活をしていて、子どもを良くすることはできない]
『良くするとは何か?』でしょうね。

[親の言うことを良く聞く子]になると、親も安心です。
しかし、私たちの子育てを振り返って見ると、小学6年あたりから、ぼちぼち自我が目覚めてきて、親の言うことすることに、疑問を持ち始めますね。

そして、親も批判にさらされることになります。どの親でも、子どもの喜ばしくない言葉や、態度、表情にムッとさせられた経験が、一度や二度はあるはずです。それを、すぐに指摘して、改めさせようとしないことです。[積極的に子どもを笑顔で包み]機嫌を直し、周囲の人たちと語りあっていくよう心がけましょう。親の暖かい姿に接してこそ、はつらつと伸びて行くのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/1 赦し

2019-04-06 15:15:53 | 神と人


31・4・1、人格と運命
[神のごとく、広くあれ]

自分の狭さは、折にふれ、時にふれては実感するところです。
では、本当に失礼ですが、神さまのふところの広さ、深さとは、どんなところに、見ることができるのでしょうか?

まず人間は
❶人間は、わずかなことで、感情に走る
❷わずかなことに、とらわれる
❸わずかなことで懊悩する

広い心になるように、教えられますが、さて広いとは、どのようなことをいうのでしょうか?

まず、前提として、神は光明です。
そもそも神さまは、『天地を動かすこと』で、『忙しくて、何かに囚われている時間がない』のです。
『神は、うしろを見ず、足踏みをやめ、前に進む』そして、ひたすら『公道を歩み続ける』のです。
なにもかも受け入れ、すべてを洗濯して、『新生命に再生』しながら、『私たちの、良いも、悪いも、引き連れて』『昨日から、今日、明日へと、すすんでいる』のです。
『清濁併せのみ』ながら、『平気で新陳代謝』ができるのです。

私たちも、神に真似して『とんがらず』『許しを覚え』『赦しの中』に、
そして、神が広くあるように、私たちも、『人のために広く努めたい』ものです。
『共に手を取り』幸せの高みにのぼりましょう。
※許し、(外面から)赦し、(内面から)の意味。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/31 心の交流

2019-04-05 22:04:52 | 信仰と生活


31・3・31、感情と生活
[思うもよし、言うもよし、されど、その度を過ぐる事なかれ]
※その度(ど)と読んで下さい。

この道は〈してはいけない〉などと、『戒律』はありません。ただし、神から見て、あまりに天地の道を外れることは『その度をすぐる事なかれ』と禁止しています。これは、心しておきたいですね。

[寒暑(かんしょ)その度を過ぎれば、生きられず。暑からず、寒からず、冷たからずの道を行け。心に水を持て、火を持て、しかしてこれを使え]とも、言われています。

思うにしても、言うにしても『適切な感情のコントロール』を失います。激情に走りすぎたり、冷たくなりすぎて、人様との交流が滞ってしまうということにもなります。

だからと、恐れて口を閉じてしまうのも、生きる意味がありません。『この道は、愛の道、語り合いの道』『無口は不幸を招き』御神尊様が改善を促されるところです。『心の交流を遮断』するは、不幸に直結するからです。

『交流こそ人としての存在』があります。

人間、度こすのは日常的ですね。
『己が心の水と火を使ってコントロール』をすることが肝心です。その水や火は、『祈りであり、道による反省や、切り替え』をさすものです。『考えすぎは、言葉で努力』を『言い過ぎは、相手の言い分』に耳を傾けましょう。

それにより、情の溢れる暖かい交流で、喜びもひとしおになりましょうね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/30 他者中心

2019-04-05 21:49:26 | 信仰


31・3・30、人生と信仰
[生きやすく生きれば、生きて生きられざる事なし]

宗教は〈人間の生き方を教え〉信仰は〈教えられた生き方を堅固に守る〉ところにあります。
信仰は、人間としての生き方を問い、一度きりの人生をより価値あるものにするためです。

『生きやすく生きる』とは、(楽して儲けて、楽しく生きる)ということではりません。
身体に合わない窮屈な服を、ゆったりした服に着替えたように、のびのびした気持ちで、生きるようなものです。

それは、自分で自分を縛っている『執着、囚われ、不必要な自尊心、負けたくないの勝敗感情』などを、『あっさり捨てれば』よいのです。

(自分の欲求を満たす)ためには、負けるわけにはいきません。
だけど『人のために生きる』としたら、どんなに肩の力が抜けて、楽なことでしょう。
『人生とは、なにか?』は、『自己中心から、他者中心の気配り』です。
疑問も、さまざまな悩み事も、『みんなのために生きる、生き方が決まれば』解決の道が開けていくことでしょう。
今あなたは、どんな事柄に心を縛られているのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/28 性癖と改善

2019-04-05 21:42:44 | 運命と性格


31・3・28、
[人には、見たまま聞いたまま、思うままに、生きんとする悪癖あり]

愛嬌のある癖もありますが、誰もが一度は〈早合点、早トチリ、早呑み込み)など、見たまま、聞いたままで決めつけて、失敗した経験があるはずです。

御神尊様は『癖とは、一方的一方通行、自分の事だけ考え、他を考えない』と教えられています。
つまり、『独りよがりで、一方的な独断、偏見を持つことの危うさ』を戒められています。また、見たまま、聞いたまま、思うままに生きる』では、あまりにも、身勝手が過ぎましょう。その結果、不平と対立を生じるばかりです。
そこに、人としての生き方の努力はなく、早晩、壁に突き当たることになります。それを、『人生不可解のナゾ』といわれたものです。

ひとが『人として生きる』ために、『見方、聞き方、思い方』を『信仰によって磨き』互いの心の理解と交流に努め『感謝の生活に生き抜く』ことです。
すなわち『ありがとうの言葉』こそ、悪癖をのりこえる妙法でありましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする