反省と「老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend」

2024年07月28日 22時31分30秒 | 介護

 毎日、「暑い」と言っていますが、昨夜は夜もエアコンをしていたにもかかわらず暑くて目が覚めました。

お昼はエアコンの部屋から出ると「こんなに暑かったっけ」と思う位1階でも暑いですし、外に出るともう信じられない

お洗濯物を取り込みに出ただけでも長くは外に居られない位暑いです。

夕方の天気予報では「今日は特別暑かった気がする」と思っていても、今日が最高ではなかったです。

今日の最高気温は36.9℃、最低気温は26.7℃でしたが、明日は38℃予報です

それでも朝はまだいいですし、夕方は陽が陰っていて風もあります。

植物も暑いでしょうから、水遣りには時間がかかります。

 

 

 

 朝のお散歩

少しだけ外の空気を吸いに出かけます。

 

 

今日も朝顔がたくさん咲いてくれました。

白色が13輪、水色が7輪、赤(マゼンタ)色が1輪、ピンクが1輪。

 

   

西側の朝顔も12輪咲きました

ここで写真を撮ると蚊にいっぱい刺されます

 

南側の朝顔は4色すべて咲きましたが、西側はまだ1色咲きません。

 

 

 今日の果物

りんごを頂いていたので切りました。

今朝ですいかもパイナップルも終わりました~。

 

 今日の母はパン粥とバナナだけ食べました。

「もういいわ」と言いましたが、ショートに行くと時間も限られていますし食べる量も減りますのでどうしても少しでも食べさせようとしてしまいます。

ですが、首がパーキンソンのせいで右に傾くので、なかなか食べることが出来ません。

気が付いたら声をかけたり、頭を戻します。

曲がったままだとこぼれてしまいますし、飲み込みが悪いと誤嚥にも繋がりますので。

調子が悪いと益々曲がりますので「首をまっすぐ」と言いつつ今朝も食べさせました。

今日はもう全く自分で食べる気持ちなし。

その上、少しでも暑くならないうちにお洗濯も済ませたかったですし、ショートからのお迎えがいつもより早かったですし、とにかく暑いのでついつい心に余裕がなくなっていたと思います。

せかしはしなくても、心のゆとりが無くなってきているのが自分でもわかりました。

ですから、ゆっくりのんびり関わったり、発する言葉にも優しさが欠如。

だからだと思います。

「もう要らない。もう死んでもいい」と母が言いました。

「どうしてそんなことを言うのしんどいから」と聞くと「うん」と頷いてはいましたが、絶対に私が優しくなかったせいだと思います。

母にはすぐに謝って、母のせいではないことと上のような理由でイライラしていたので私が悪かったことを伝えました。

が、母を送りだしたあと、ごめんねという思いと何とも言えない悲しさと言うか切なさが込み上げて来て、しばし泣きました。

自分のことが自分で出来ないこと、人の手を借りないと飲むことも食べるとも出来ない、多分、我慢していること諦めていることはとてつもなく多くあり、絶望や諦観を感じながらひたすら忍耐しているに違いない。

そんな大きな十字架を背負っているのに、私がその十字架を更に重くしてしまったわけです。

常日頃、人は皆大なり小なり苦しみを抱えて生きているものなので、せめて自分の言動で更にそれに上乗せすることだけはしたくないと思って生きていますが、やはり、私の人間的な弱さが現れました。

生きるのに懸命な人に対して。

今日は又、私の戒めとしているあの詩を深く思い起こしました。

 

 

 

老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people that understand my staggering foot and my hand's trembling.

 

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

 

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

 

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

 

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

 

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

 

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

 

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

 

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

 

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

 

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr, Brevian Walsh)

 

 

この詩を読むと又、泣けてきます。

老いの重荷は本当にしんどいに違いありません。

 

 

 

誰に話しても、多分、あなたはがんばっているとか、そんなに悪くないと言ってくれるだろうことはわかります。

もしこれが私の友人の話でも、私は友人を慰めるでしょう。

でも、頭ではわかっていても、この悲しさ、切なさ、罪悪感と言うか「ごめんね」という想いは消えません。

多分、ずっと消えないのかもしれません。

 

 

 

 

 岡山の県北の銘柄「浅間白桃」という白桃を頂きました。

 

冷やして頂きましたが、とってもジューシーで甘かったです。

美味しく頂きました。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと288日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.7.28

 

生涯前進し続けた人の言葉

 

人間いつかは終わりがくる。
前進しながら終わるのだ。
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(祈りの詩人)
○月刊『致知』2024年8月号
特集「さらに前進」より
━━━━━━━━━━━━━━

コメント (4)
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