今日は復活祭です。
ちなみに昨日は花祭りでしたね。
今朝は寒かったです。
最低気温は4℃。
日中も家の中は寒くて、まだガスストーブのお世話になったりしています。
朝一番に庭に出て、お洗濯物を干しながら牡丹の花を眺めました。
二輪目が咲きそうでした。
最初に咲いた牡丹を切りました。
今まで写真では母に見せていましたが、今朝は切って母に見せると「まあ、きれい」
こちらは1週間前の枝の主日の枝。
1年間、家に飾って置いておきます。
母のパーキンソンのお薬が昨日から減って飲む時間も変わっています。
揺れの激しさがなくなるようにとの処方ですが、今朝は珍しく6時半には目を覚ましましたがかなり動いて揺れていました。
日曜日の朝のヘルパーさんは7時半。
しばらく経った時、Rちゃんの大きな車が見えました。
三重県のお友達と一緒にあれこれ持って来てくれました。
まずは生春巻きのセットと焼きビーフン(多分)。
三重のお友達が作ったお野菜。
「このヘルパーさんはベトナム料理が食べたいと言った人ですか」
「違いますよ」
「ヘルパーさんにもこれ、あげて下さい。パクチーはまだあるから又、お母さんには持って来てあげる」
ということで、お葱を半分とパクチーをヘルパーさんに差し上げるとすごく喜んでおられました。
それから、昨日、中国人の友人に会いに尾道方面に行ったお土産も買って来てくれました。
何とまあ、律儀で優しいことか
この三重のお友達は日本に来て5年。
4月の末にはベトナムに帰るそうで、最後に岡山に遊びに来ました。
日本人の家に入ったのは初めてだそうで、Rちゃんが案内してもいいかと言いましたので、もちろんOK
それを考えると Rちゃんが我が家に来ることが出来て嬉しいと言ってましたが、 本当に 交流はまれなことなのかもしれないと思いました。
我が家は教会関係でベトナムの人が来ることもありますが。
彼女はほとんど日本語が話せませんでした。
我が家のお婿ちゃんも日本に来てかれこれ15年以上にはなるのかな
でも、Rちゃんのようには話せません。
多分、書くことはほとんど出来ないと思います。
家庭内が基本英語ですし(あとはイタリア語、スペイン語、日本語)、職場関係も周りが英語を話すのであまり必要に迫られていないのかもしれません。
それにいずれは海外へ行くことは結婚前から娘も望んでおり、実際1月から行きますし。
Rちゃんは日本に来て6年。
もう日本に永住することを決心しているせいか、TVも絶えず日本語を流して勉強しています。
ヘルパーさんが帰られたのち、しばらくして彼女達も嵐のように去っていきました。
今日は瀬戸内海の島(多分、向島)を案内すると言っていました。
朝ご飯も食べないと言うし、コーヒーも淹れたのに飲まないでケーキだけ持って帰りました。
何もあげるものがないので、Rちゃんが気に入っていた牡丹もあげました
お見送りに外に出たら、何と今まで葉陰で見えませんでしたが、「ラマリエ」が咲いていました
今年初めてのバラです。
それから朝食を食べ始めましたが、このベトナム料理、金曜日にいらしたヘルパーさんが喜ばれるに違いないと思いお電話しました。
個人的なお付き合いがダメなところもありますが、オーナーさんもOKの仲。
(金曜日に許可を頂きました)
お昼から彼女はやってきました。
帰ってもおひとりなので「食べて帰るわ~」。
2時間ほどおしゃべりしつつ過ごしました。
彼女は本当に苦労さなっていらしていて、今はヘルパーのお仕事のない時にはご近所のお年寄りや目の見えない人のボランティアを買って出ておられます。
多分、その流れで我が家にも「何か手伝うことがあれば言ってね」なのだと思いますが、Rちゃんといい、本当に感謝です。
「何もお返しが出来ないから洗い物をして帰るわ」と言われて、洗い物をして下さいましたが助かりました~
今日の母は朝から入れ歯が入らず
入れ歯安定剤を使い始めましたが、やっとヘルパーさんのお陰で入ったものの、お昼には安定剤が口の中で溢れてお薬も飲めない状態に。
3ヵ所、安定剤を付けるとお聞きしていたのですが、今朝のヘルパーさんがお母様で経験済みで少し多めに付けて下さいました。
出したり入れたりしたり、私も入れたりするのですが、どうもやはり自分自身でしないと上手くいかないようで
慣れるまでちょっと大変そうです。
朝ご飯、昼ご飯は少な目ながら食べてくれましたが、3時半位から寝始めました。
夜、寝てくれるかどうか。。。
2輪目の牡丹がこんなに咲きました。
今朝はバタバタしていて、果物を食べず。
夜、いちごを食べました。
1年前の昨日のブログ
あれから1年経ったのかと感慨深く思い出します。
「英語の勉強。これからも続けてください。きっとあなたをどこか、思いもよらない場所まで連れていってくれますよ」
英語はなかなか上達しません
★致知一日一言【今日の言葉】
人間の本質、青年の本質
自分のことだけを考えることに終始せず、
広く社会を見、世界を見るところに
人間の本質、青年の本質がある。
━━━━━━━━━━━━━━
松下幸之助(松下電器産業創業者)
○月刊『致知』2023年5月号
「不惜身命 但惜身命」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━
●「吉田松陰と松下幸之助」
人づくりと国づくりに心血を注いだ二人の傑士
この記事のピックアップはこちらから
★致知一日一言 【今日の言葉+α】
【追悼】ムツゴロウさん
2023年4月5日、「ムツゴロウさん」の愛称で
お馴染みの作家・畑正憲さんが亡くなられました。
87歳でした。
世界の秘境へ挑み、インドの泥水さえ飲み込んで、
さらに獰猛な巨大動物と触れ合う。
畑正憲さんの人生は、常に死ぬか生きるかの
厳しい戦いと共にあったと言えるでしょう。
生きとし生きるものすべてに惜しみない愛情を注ぎ、
多くの人々に生きる力を与えてくださった畑さんを偲んで、
その独特の生き方の秘訣を語られた
『致知』1992年7月号のインタビューをご紹介します。
─────────────────
私にとってはどうも、裸になって
動物と触れ合って生きるということは、
自分が生きていくための命の栄養、
「命のご飯」の一つのような気がしてならない。
――「命のご飯」ですか。
〈畑〉
そう、体にご飯が必要なように、
命にもご飯が要る、という気がするのです。
だから、命が老いないためにも、
成り上がらないためにも、悲しんだり、悩んだり、
惨めになったりすることは、とても大切だと思う。
とくに日本の都会生活はいま、
どこへ行っても金ピカになってしまった。
大理石で固めた無機質の空間が多くなって、
俗っぽく息づいている人間の命というものが、
だんだん姑息(こそく)になり、
ものの考え方とか感じ方が衰弱してきている。
そうすると、ヤケにいろいろなものが気になって、
批判的になって、小さなことまで人に
押しつけるようになるんです。
例えば、魚を釣るのは非常にかわいそうだとか、
実験動物はかわいそうだ、といっている人がいるが、
命が細くなってそういうことをいい始めている。
切ないことだと思います。
大自然の生命、命というのは哲学とか
思想というものを欲していません。
思想は人間がつくったもので、
共産主義の崩壊したのでわかるように、
ファッションであって、どう見たっていつかは滅びる。
しかし、生命というのは何億年も続いた舞台の中で
生きているものなんです。その舞台がなければ、
何も反応しない、本当に俗な世界です。
――そういう俗な世界に裸で飛び込んで
初めて命の尊さを知るということですか。
〈畑〉
命は太陽の光が必要だったり、
風が必要だったり、風が皮膚にどのくらい当たるかで
反応してしまうのです。
そうした命を持つ生き物とのつながりみたいなものに、
自分の命を置くことに、私はこの上ない興味がある。
――まさに生命に触れておられるんですね。
動物に接している時の先生の表情を見ると、
真心こめて、誠心誠意接しているな、
という感じを受けるのですが、それを厳しく超えている。
〈畑〉
デレッとしていたら、
はねつけられてしまいますからね。
あふれる愛情を持っていても突っかかられて、
ろっ骨を折ったという話もあります。
分析力を持って、相手からの情報とこちらからの情報と
柔軟に受け渡ししながら対応していかなければならない。
片時も油断できないのです。
ちょうど、赤ん坊を母親が育てるときのように、
まだ、抽象能力のない丸裸の頼りないものの要求を素直に聞いて、
そして、満足を与えていくというようなことだろうと思います。
――それにしても、アマゾンの秘境を平気で旅したり、
インドの泥水を飲んだり、獰猛な動物と触れ合ったり、
そういうことができるという基本的な秘訣は何ですか。
〈畑〉
常に気持ちが前向きであるということです。
それが非常に大切です。
ほかにもいろいろな表現があると思います。
「神に感謝する」といってもいい。
私が好きなのは、
「いま、自分がここに生きていることに対して感謝する」
というか、「生きている」という事実に対して、
自分が前向きに喜んでいるということですね。
わざとでもいいから「喜んでいる」ということが秘訣です。
――ああ、「楽」ということがポイントだ、と。
〈畑〉
はい。それでないとやっていけないですね。
アマゾンの奥地で暮らすときでも、
私は日本の食べ物を一切、持っていかない。
当然ながら現地のものしか食べられないわけで、
それを「おいしい」と思って食べる。
一度でも「まずい」と感じたらもう駄目ですね。
下痢はするし、風邪はひく。命を落とす羽目にさえなります。
だから、うそでも、景気づけでもいいから、
「アッ、おいしいではないか、もっと持ってこい!」
と一番先にやる。
そうすると、不思議に病気にならない。
だから、常にあらゆる環境を楽しんでしまうというところに、
私は、人生を生き抜く秘訣があるように思います。