今日は朝の7時以降は曇り午後からが雨予報でした。
ですから、朝早く目が覚めたら、曹源寺のしだれ桜が満開のようでしたので見に行こうと決めていました。
アラームを設定しなくてもやっぱり目が覚める4時半。
起き上がって準備しました。
家を出る頃はまだ真っ暗。
30分で準備して、
家からお寺に着くまで30分と計算していましたが、早朝でしたので、8km弱の道はスムースで15分位で着いてしまいました。
鮭フレークのおにぎりを作って持って行っていましたので、しばし車の中で食べながら待つことに。
すでに1台、来ていました。
ようやく明るくなり始めた時、更に一眼レフを持った人が2人入って行かれました。


静けさの中、ひっそりと凛と立つその姿は神々しいまでに美しかった。
桜は多くを語りませんでしたが、でも、声なき声が聞こえてくるようでした。


すっぽりと
桜の中に入ると
桜と一体化したような気持になりました。



しだれ桜の花は小さ目でこぼれるように咲いていました。
まさに満開。
この日のこの時間が恐らく一番美しい時だったように思います。


なんて美しいのだろう。。。



プロの方々なのか一眼レフを持った方々が数人。
少し後からは女性達も一眼レフを持って来られました。
一眼レフは構えて撮られますし、私が桜の中に入ってちょろちょろしていたら迷惑でしょうから、邪魔にならないようにかなり気を遣いました。




ずーっとこの
桜の花の中に居たかった。


願わくは 花の下にて 春死なんその如月の 望月の頃
(釈迦の入滅日と言われている旧暦二月十五日は太陽暦では三月の中旬頃)
この西行の歌を思い出し、本当に。。。としみじみ思いました。

柳もやさしい萌黄色で流れるように美しい。。。


昨年も同じ日にここへ来ていましたが、今年はまだ全体的に芽吹きが遅いです。


桜のトンネル









この一枚だけスマホですが、スマホの方が鮮やかにくっきり撮れています。


池に映ったこの風景も美しい。。。
一眼レフの方々は主にここからしゃがんで撮影されていました。

着いた時には暗かったので、帰り道を写真を撮りながら。

今年から桜の季節のみ100円の拝観料を200円でお願いしますと書かれてありました。
こうし美しく保つのは大変だと思います。




山門






春夏秋冬、いつ訪れても美しいお寺です。


帰りに教会へ寄って帰りました。



帰っておもむろにせいろ蒸し~
そして、今日の

果物

に久々に🍍パイン登場。

お昼過ぎ、久々に庭師さんがあれこれ持って来て下さいました。
すっかりポットの中で大きくなったという苗。
植えたら即、収穫出来るよと

母にお花も。
そして、球根も。
これもカラカラなので早く植えるようにと。

久々に午後中、ガーデニングを楽しみました。
今日は風向きのせいで山火事の煙の臭いがかなり漂ってきました。

🍋レモンの木
今年こそは生ってほしいです~



雨が降らないのでカラカラでしたが、19時過ぎてやっと恵みの雨が降り始めました。
この雨で山火事が鎮火してくれたらいいのですが。
ストックも次々に咲くタイプと一度きりのとあるようです。


ノースポールが次々咲くのでこの鉢に植え替えました。
右はステップストーンです。
確か4枚ありましたが、割れたりして今はこれのみなので飾っています。

コンクリートの間からこんなにか弱そうなスミレが毎年咲きます。
実は逞しいんですね~

畑に菜の花が1本咲いています。
苗を植えました。
本当にすぐに収穫出来そう

歩き遍路中の友人が今、高知にいます。
高知はよく降っているようです。
竹林寺で大型客船の団体客が数台のバスで来たのですごい人でごった返してしたそうです。
写真を見せてくれましたが、白人の人達の団体でした。
高知だと高知城とどこに行かれるのかな。
ひろめ市場は狭いでしょうし、牧野植物園
意外に足を延ばして馬路村
彼女は今日はあまり歩かず18km、3万歩くらいだったそうです。
ちょうど洗濯中で、「洗濯が終わったら
ビールとししゃもと焼き鳥を食べるのがめっちゃ楽しみ~」と言っていました。
「まるでおやじ」だと自分で言って笑っていましたが、お遍路も中高年男性が一番多いそうです。
これが昨日書いた「足底盤」です。
安定します。

恵みの
雨が降り始めて1時間半。
大きな雨音が聞こえて来始めましたので、結構降っているようです。
今治も岡山も鎮火しますように。
昨年の記事
曹源寺のしだれ桜&桜のはしご
★致知一日一言 【今日の言葉】2025.3.27
人生の宝物
人生は結果だけじゃない、
勝つことも負けることも、
楽しいことも苦しいこともあるけれども、
夢や目標に向かって頑張る過程
そのものが人生の宝物
━━━━━━━━━━━━━━
大山峻護(元総合格闘家)
○月刊『致知』3月号「一心万変に応ず」より
━━━━━━━━━━━━━━
★[ECCJ] 今日(3月27日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
多くを与えられている者には、多くのことが期待され、多くのことが要求される。
To whom much has been given, of them much is expected, much is required.
(1981-1)
★[ECCJメルマガ]自分の「反応」を見つめる
*********************************************************************
■□■ 自分の「反応」を見つめる □■□ 0454号
---------------------------------------------------------------------
先日の雪が嘘のように暖くなり、桜も咲き始めました。
穏やかな陽気に反して、山林火災の被害が増えているようです。
一日も早い鎮火をお祈りしております。
花粉や黄砂の影響が気になりますが、ケイシー療法で腸や背骨を調えて、気持ちの良い季節を楽
しみたいものですね。
さて、このところ、センターでのお問い合わせに、「神の探求」に関するものが続きました。
ケイシーが説いた「神の探求」の修練を行うと、自分の人生を充実して生きられるようになるだ
けでなく、現在のような、先の見えない時代でも心穏やかに過ごせるようになりますから、い
つも皆様に取り組まれることをお勧めしています^^
台湾での移動中、昔よく聴いていた「宇宙の法則」に関する英語の講話を、再び何度も繰り返し
聴いていました。
その内容はとても簡潔で、そのうちの一つは:
「どのような状況であるかは関係なく、
その人がどう反応するかだけが問題だ」
そして
「そのどう反応したかによって、
次に起きる現実が作られる」というものでした。
これは「神の探求」で練習することとピッタリ一致します!
「神の探求」では、自分=エゴがどう反応しているのかをよく観察しなければなりません。
そしてちょっとずつ、本当にちょっとずつ、反応している自分そのものを、神の内に手放してい
きます。
だんだんに自分のクセ(反応)が分かるようになり、練習を続けることで、同じことが起きても
違う反応ができるようになるのです。
簡単そうですが、まさに「言うは易し、行うは難し」です。。。
前述の「宇宙の法則」によると、状況の良し悪しに関係なく、カウントされるのはわたしたちの
「反応だけ」だと言っています。
ですので、状況が悪いように感じられても、そこには神様のお導きが隠れていると信じて、楽観
的に反応するようにします。
結局のところ、どう反応するかを選んでいるのは自分自身なのです。
新たな調和に満ちた選択をすることで、結果も調和したものになるという訳です。
「宇宙の法則」をただ知っただけでは、機械的に反応を抑えるだけになりますが、「神の探求」
には、「神に支え、同胞を愛する」という美しい目的があるので、実践もより豊かで楽しいも
のになります。
わたしたちの反応の中で、一番分かり易いのが怒りです。
「キレる」という言葉は2000年頃からよく使われるようになったそうですが、若者から老人
、中年まで、あらゆる世代が怒りを表し易くなっています。
顔の見えないインターネット上では、さらに酷い言葉が飛び交っています。
キレるまで行かなくても、ムッとすることでさえ、そこにはわたしたちの怒りが表現されていま
す。
わたしも若い頃はもっと怒っていたと思うのですが笑、「神の探求」に取り組むことで鍛えられ
、どのような状況でも冷静な反応、楽観的な反応をすることができるようになりました。
それには、日常の人間関係のあらゆる側面で、自分の反応を注意深く観察することが大切です。
摩擦が起きる出来事は、反応チェックのチャンスになります!
うまく反応できるようになると、トラブルが好転したり、関係が良くなったりと、良い結果が続
いていきます(「宇宙の法則」を痛感します)。
どんな状況でも、自分の反応に責任が持てるようになることは、今後の人生における自信になる
でしょう。
A.R.E.の男性メンバーに与えられたライフ・リーディングはこう述べています:
「汝の友人・知人を教え、鍛錬するときも、単に価値ある者となるためにそうするのではなく、
具体的な何事かに対して、理想に対して、価値ある者となるように教え、鍛錬せよ!
どれほど重い重量を持ち上げられるかということよりも、どれほど多くの都市を倒せるかという
ことよりも、親切を尽くし、柔和であり、忍耐強く、辛抱強くあること、同胞愛を持つことの
方が、はるかに優れたことである。
なぜなら、自分の怒りを抑え、自分の目的をコントロールできる者は、7つの都市を奪う者にす
ら勝るからだ。
そうなのだから、今回の(地球)滞在にて調和と平安を見出そうとするなら、汝の活動をして『
主の法則が常にわが前にあり』のごとくせよ。」(1610-2)
わたしたちの生きる、競走することが正しいと皆が信じる社会においては、信じ難い言葉です。
。。
ですが、怒りではなく親切な反応、同胞愛のための柔和な反応、辛抱づよい反応を持てる人こそ
、権力者にも勝るとリーディングは保証しています!
わたしたちの小さな努力が積み重なって、喜びあふれる社会が作られるのだと思います。
そしてわたしたちの反応が、楽観的で優しいものになればなるほど、宇宙はわたしたちに優しい
ご褒美をもたらしてくれるのです。
(文責:岩隈 幸恵)