今日の最低気温は14.2℃。
最高気温は昨日より高くなって26.8℃だったようです。
朝のお散歩に出かけました。
公園のサツキも咲き始めました。
ジャスミンが咲いていました。
我が家の八重のジャスミン、咲いてくれるかな。
教会の門を入ると、すずらんが・・・
あんまりかわいいのでついつい沢山写真を撮ってしまいました。
葉桜が瑞々しい。
家に帰ると「サムライ」(多分)が咲きそうに
今朝の果物
「せとか」も美味しいけれど、この「不知火」も美味しい~
パンジー、ビオラの切り戻しを半分ほどしました。
素敵なアレンジになりました
お散歩の時に、教会でお花の係りの方にお会いしました。
しばし、おしゃべり。
高僧やヨガ行者、聖人の中にはよくおられますが、一般の人の中にもまれに 自分の死に方を意志によって決めて、その通りに亡くなる方がいらっしゃるように思います。
すずらんが可愛らしくて撮ってると、お花の係りの方が母の具合を聞いて下さいましたので、今の状態をお話しすると、実は彼女のお父様が3月の初めにお亡くなりになったということでした。
しかも 彼女の腕の中で。
「それはお幸せな亡くなり方でしたね」って言いますと「そうなんだけれども、本当にびっくりと言おうか・・・」と言われて話し始められました。
確かに ご本人は幸せでもいきなり腕の中で亡くなられたらびっくりされるかなとは思ったのですが、 お父様は 90何歳 かでいらして、お兄様ご夫婦とご一緒に住まれていたようです。
でも、寝たきりとかではなく 癌ではありましたが、お薬を飲みながらタクシーに乗ってお出かけもされたりなさってたようです。
が、亡くなったその日はお兄様から電話があって「今日は調子が悪そうだ」と言われたので、約1時間の道のりを彼女はお兄様の家まで出かけて行ったそうです。
彼女曰く「朝ドラを観た後で」
そして、2階のお父様のお部屋に入ると「起こしてくれ」と言われたのでお父様を起こすと、そのまま 急に重たくなったので、どうしたんだろうと思ってお兄様を呼んだりしたそうです。
その時すでにお亡くなりになっていたそうで、とりあえず どうしたらいいかということで、救急車を呼んだりしたそうですが、心臓マッサージを始められたのでもう止めて頂き、ドクターに死亡診断書を書いて頂かないといけないので、かかりつけ医がいなかったから、癌のお薬をもらっていた大学病院の方へ行ったそうです。
そして CTを撮り脳梗塞とかではなかった為、ガンによる死亡 ということになったそうです。
そこで、彼女は思い出したそうです。
お父様が「死んだ時には癌という病名にするように」と言われていたことを。
それはやはり残された子供たちのために少しでも多くの保険金をと思われていたようですが、まさか本当にそのようになると思わなかったと言われていました。
また、亡くなる 1週間前のこと。
お兄様夫婦が珍しく4日間ほど東京に行くことになり、彼女が4日間お父様のもとに通ったそうです。
「シュウマイ弁当が食べたい」と言われて買って行ったりして、喧嘩をしつつ4日間を過ごしたと話してくれました。
今から考えたらやはり不思議だと言ってました。
やはり、意図した死に方と言うのでしょうか。
意図した通りの死に方をなさったような気がします。
そして、また お父様が亡くなられた日に 前々から施設にいるお母様をよりいい施設に移動させたいと思っていたそうですが、その施設に急に空きが出来、お葬式の次の日にお引越しをなったそうです。
忙しかったそうですけれど、 おかげで お母様の施設がより近くなり 行きやすくなったと言われていました。
やはり 全てお父様が意図的に娘さんの為になさったのではないかなという気がしました。
自分の死に方もですが、 時々 母はどのような死に方、最期を迎えるのだろうと思うことがあります。
もっと具体的に言うならば、母はどのような死に方を選んできたのだろう
どのような死に方を意図しているのだろうということです。
もちろん その通りになるかどうか というのはよく分かりません。
けれども やはり たまに意図した通りの死に方をなさる方がいらっしゃるというのは ホスピスでも感じてきましたし、実際おられるような気がします。
今朝のあさイチのお花(寄せ植え)
やっぱりお花っていいな~と思いつつ・・・
畑に出ると、なんと一気にRちゃんが撒いた種から芽が出ていました
そして、バラが開いていました
なんて綺麗
カメラを持った方がしきりに撮っておられました。
これ、「パパ・メイアン」かどうか自信ない。。。
昨日 蘭ちゃんがお寿司3パックやかきもちを持って来てくれたのですが、やはり 外国人ということで色々とあったようです。
最初、沢庵かと思いました
そして、今日のお昼、再び 「お母さんご飯、食べましたか 」と LINE してきましたので 「まだよ」と送るとお魚の写真を送ってきてくれました。
「これ食べますか」
何とも大きな鯛でした
Rちゃんが「ご飯を食べてから持って行くね」って言ったので「何言ってるの 一緒に食べよう」と誘ったところ 彼女はすぐにお魚を持ってやってきました。
昨日もらったお寿司がまだ残っていましたし それから ベトナムの麺も茹でて、彼女はさっさと タレを作ってくれて デザートも持って来てくれましたので3人で一緒にお昼ご飯を頂きました。
この鯛には香辛料が使ってありました。
黄色い色はカレー粉ではなくターメリック。
1時過ぎ位から2時間位居て、「Rちゃんは帰って寝る」と言って帰っていきました。
(明日は早出)
今日は午後からケアマネさんが来られたり、看護師さんが来られたり(あとで、リハの方も)、一時期 家の中は 人口密度が高かったです
母は午前中調子がいまいちでしたが、午後からRちゃんを中心にエネルギーをもらったのか絶好調になりました。
八重のガーデニア(くちなし)
こちらは確かレモンだったような。。。
お花が咲きそうで嬉しい~
そして、又、バラ達
★致知一日一言【今日の言葉】2023.0421
奇跡を引き起こすもの
奇跡とは人間一人ひとりの
信ずる力、祈りの力、愛の力によって
引き起こされるものです。
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西園寺昌美(五井平和財団会長)
○月刊『致知』2023年5月号
特集「不惜身命 但惜身命」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━
●記事のピックアップはこちら
●五井平和財団会長の西園寺昌美氏は
祈りによる世界平和運動に
長年身を捧げてこられました。
裏千家前家元・千玄室氏との対談では、
ベルリンの壁の前でお祈りをした一か月後、
壁が崩壊したいという興味深いお話も
紹介されています。
★致知出版社の「ご縁メール」
≪人物を生み出す原動力【松下幸之助の志】≫
『致知』5月号(最新号)では、
人づくり、国づくりに、心血を注いだ
二人の傑士にスポットが当てられています。
松下幸之助と吉田松陰。
この二人を結びつけるのは、
ただ一つ、強烈な憂国の情を
抱いていたことに他なりません。
対談では、そんな二人の人物像を
交えつつも、それぞれの抱いた
憂国の情に迫ります。
生きた時代は違えども、
示唆に富んだ対談内容に
心が熱くなります。
取材の様子はこちら
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【上田】
私の話が長くなりましたが、
松下幸之助さんの人づくり、
国づくりについてはどうお考えですか。
【上甲】
いまの話と関連するのですが、
指導者に必要なのは危機感だと思うんです。
松陰先生の時代には、このままでは日本は
欧米列強の植民地にされてしまうという
強烈な危機感がありました。
それが人物を生み出す
大きな原動力になったんですね。
残念ながら太平の世で心配事のない時代には、
なかなか人物は出てこないのでしょう。
戦後の高度経済成長期に皆が
欧米に追いつけ追い越せと外に目を向ける中、
松下幸之助はこのままでは日本はやがて
行き詰まると強烈な危機感を持っていました。
戦後30年にわたる日本の繁栄は、
物理的な豊かさに反比例して
精神的豊かさが失われている。
進学率も上がっているのに
世の中が一向によくならないのは、
根本的に教育のあり方を履き違えているからだ。
また、国家経営の理念が欠如した我が国は、
借金ばかりが溜まって
将来財政が破綻するだろう。
一経営者でありながら、
こうした危機感を募らせていたのです。
このやむにやまれぬ思いが、
84歳の松下幸之助に松下政経塾を
つくらしめたのだと思います。
青年の本質について
『松下幸之助発言集』にはこう書いてあります。
「自分のことだけを考えることに終始せず、
広く社会を見、世界を見るところに
人間の本質、青年の本質がある」と。
明治の志士たちはまさに世界における
日本の現状を憂いて、
皆が日本国のために真剣に議論していた。
果たして今日の青年はいかがかと。
★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)
ニコライ・リョーリフについて
バラ十字会日本本部AMORC
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こんにちは、バラ十字会の本庄です。
いかがお過ごしでしょうか。
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文章を以下に転載していますが、今回は、現地で撮影した絵画の写真、話題に関連する星図などが多数掲載されていますので、できれば下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。
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先々週、ニューヨーク市への出張があり、仕事の合間に市内のニコライ・リョーリフ美術館を見学することができました(ニコライ・リョーリフはドイツ語読みでニコライ・レーリッヒと表記されることもあります)。
以前から私は彼の絵が大好きです。その多くには、何か言葉にすることのできないような静けさが溢れているように感じます。
美術館で、幸せなひとときを過ごすことができました。
写真撮影が許されていたので、皆さんに絵画をいくつかご紹介することができます。
これは『ヒマラヤ』(Himalayas)という油絵です。
「ヒマラヤ」は「雪の住み処」を意味するサンスクリット語だそうですが、この絵を見てある言葉を思い出しました。
ずいぶん昔のことなので、友人と交わした会話なのか本で読んだのかも分からないのですが……
「静かな高地に立って雪を踏みしめ、山並みの、雪に覆われた頂上のひとつが朝一番の光で輝くのを見ると、冬山に登るのが止められなくなるよ」という言葉です。
この絵には『夢の神殿』(Shrine Of Dreams)という題が付けられています。
やはり静かな印象の、しかし奇妙な一枚です。
この絵を見ていると、空間が少し歪んでいるように感じてきます。
題名から推測すると、リョーリフが何度も夢に見た、古代人の神殿の光景なのでしょうか。
リョーリフは真の国際人であり文化人でした。1874年にロシアのサンクトペテルブルグで生まれ、ロシア人の先生に絵画を習い、ウクライナの文学の影響を受け、ロシア考古学協会の講師でした。
また、神智学、神秘学、古代インドのヴェーダンタ哲学、仏教を研究し、妻のエレナ夫人とともに、アグニ・ヨーガ協会を設立しています。
晩年はチベットに住み、そこで生涯を終えています。
この絵は、彼の息子スヴャトスラフ・リョーリフが描いた、リョーリフの肖像画です。
参考記事:『芸術と人間』(スヴャトスラフ・リョーリフ著)
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1040760&c=3304&d=ed84
30歳のころ彼は、ロシア北部の町を旅して、歴史ある遺跡や建物が放置されて、ひどい状態にあるのを目にします。
それを絵に描き、文化財の維持、修復をロシア政府に訴えています。
その後リョーリフは、第一次世界大戦やロシア革命の経験から、建物や芸術作品だけでなく、大学、図書館、コンサートホール、劇場などの場所も保護の対象にするべきであり、戦争から守られるべきだと考えるようになります。
リョーリフは、「平和の旗」と呼ばれるバナーと、後にレーリッヒ条約呼ばれるようになる条文を作成しました。
この写真は美術館の入り口に掲げられている「平和の旗」です。
この条約の定めによれば、「平和の旗」を掲げた施設は、あらゆる戦闘勢力とは中立であり独立していることを意味し、そこを攻撃してはなりません。
それは、赤十字を掲げた病院や人が戦闘から保護されるのと同じで、「平和の旗」は「文化の赤十字」と呼ばれることもあります。
レーリッヒ条約には、最初は北中南米大陸の21の国が調印し、その後にいくつかの国が加わりました。
現在でも文化遺産の保護に関する国際法の形成のために役割を果たし続けています。
世界平和へのこの貢献により、リョーリフは2度ノーベル平和賞の候補に選ばれています。
「平和の旗」の図案では、赤い3つの円が三角形状に配置され、それをひとつの円が囲んでいます。
この象徴は極めて歴史の古いもので、新石器時代のお守りにも描かれているということです。
古代マヤ文明のトウモロコシの神(農耕神かつ創造神)との関連を指摘する人もいます。
この神は、何と呼ばれていたかがいまだに分かっていないのですが、古代マヤ人はオリオン座にある3つの星のことを3つの石が置かれた炉床だと考え、この炉床からトウモロコシの神が出現して宇宙を創造したと考えていました。
下の星図を見てください。
この3つの星とは、オリオン座の外側の四角形のうちの右下のリゲルと、左下のκ(カッパ)星と三つ星の一番左のζ(ゼータ)星です。
この3つはほぼ正三角形に並んでいて、その中心には炉床の火のような赤紫色のオリオン大星雲があります。
リョーリフ自身は、外側の円は文化全体であり、3つの円は芸術、科学、宗教を表すと言っています。
また、外側の円は永遠を表し、3つの円は過去、現在、未来でもあると言っています。
リョーリフは、世界の主要な宗教がすべて東洋からもたらされたと考え、宗教上の偉人をテーマにした「東洋の大旗」という絵画シリーズを描いています。
そこには、仏陀、ムハンマド、キリスト、孔子、モーセ、ラドネジのセルギイ、役小角(えんのおづぬ)などが描かれています。
このシリーズの中心と考えられているのが、「世界の母」という題のこの絵画です。
人類共通の普遍的宗教が成立し、宗教が原因で争うことがなくなるようにというリョーリフの願いが込められているように私には感じられます。
H・スペンサー・ルイスは南フランスの薔薇十字団の活動を受け継ぎ、1915年に当会、バラ十字会AMORCを設立した人物ですが、ニコライ・リョーリフと深い交流がありました。
当会の保管庫には、ニコライ・リョーリフがH・スペンサー・ルイスに贈ったいくつかの宝物と手紙が保管されています。
この写真はそのひとつのチベットの聖遺物箱です。
「チベット、ヒマラヤ」という題のこの絵には、雪に覆われた山と、簡素な寺院のような建物と仏塔が描かれています。
リョーリフの先ほどの手紙には、興味深いことに、彼のチベットの修道場が大白色友愛組織(Great White Brotherhood)の高位の人の庇護のもとにあると書かれています。
また、「シャンバラの最高統治者である聖なるリグデン・ジャルポ(Rigden-Jalpo)」についての言及があります。
ご存じの方もいらっしゃることと思いますが、シャンバラとは11世紀のインドの仏教文献で説かれているチベットの伝説上の理想郷で、そこの住民はすべて悟りに達しているとされます。
リョーリフは、シャンバラについて数多くの発言を行っており、先ほどの絵「チベット、ヒマラヤ」は、彼の想像したこの理想郷が表現されているのかも知れません。
参考記事:『リシ(聖仙)~ヒマラヤ山脈の高みから届く声』(ニコライ・リョーリフ著)
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1040761&c=3304&d=ed84
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
またお付き合いください(^^)/~
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■編集後記
ハナミズキと八重桜が咲いていました。
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1040762&c=3304&d=ed84
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