夜が明けるのがすっかり遅くなり寒くもなってきましたので、私の目も段々と覚めなくなりました。
今朝の果物
今朝、いつのように食事をし終ったあとの9時前、往診に来て下さるドクターからお電話があり「大変そうだね。入院する?」
多分、昨日の訪問リハの方が報告して下さったのだと思います。
50分ほどの間に一気に血圧が上がりましたので・・・。
その時、「社会的入院」いう言葉を言われていました。
ですから、医療入院と言うよりもこちらかもと思いますが、それはあとで娘から電話があってから思ったことです。
ドクター曰く「こんなに頻繁に血圧が乱高下して、意識不明にもなるので検査をしたいし、来週だけど専門医の神経内科の先生も来られるから」と。
今日はショートでしたが、母に聞くと入院したいとのこと。
今日でなければ月曜日になると言われました。
土日はドクターがいないので、診察してから入院してほしいからということでした。
月曜日までは私も今朝の母の不調の様子を見て待てないかなと思いました。
ドクターは「何時入院になるか又連絡をする」と言われ一旦電話を切られました。
その後、外来の看護師さんから「11時に来て下さい。医師が診察や検査をしたいと言っていますので」
今日はドクターの外来日です。
9時半にいつもように若いヘルパーさんが来て下さいました。
でも、「更衣は手伝いますが、それ以外ではポータブル以外のことは出来ません。上に聞かないとわかりませんが」
病院です
その後準備して、11時までに病院(正式には今は診療所)に行き、身長、体重、血圧、心電図、CTを撮り受診。
心電図もCTも異常ないようでした。
ドクターは母に入院期間は2週間を予定していると言われました。
思わず母が「長いなあ。。。」
ドクターは「いつどんな時に血圧が上がるのかわからないので1週間はそれをチェックしたいと思っている、そして、神経内科の専門医に診てもらってお薬の調整をするとなるともう1週間必要になると思う。その間、リハビリもしっかりしてもらいたい」と言われました。
ついでに敷居の高い病院ですがこの際なので、私も最近ずっと血圧が高く(170とか~)、脈も速く(130とか~)ドキドキふわふわするので、診察(心電図)をして頂きましたが、私も異常なし。
やはり、私の場合はストレスのようです。
ドクターは私のことも考えて下さって入院を勧めて下さったのだと思います。
尿検査や血液検査は病棟ですることになって、病棟へ。
入院の日だけは再びお熱のチェック後病棟に上がっていいことになっていますが(15分間)、それ以外の面会は出来ないとのこと。
これは母にとっては予想外だったようです。
私はよく友人達から聞いていましたので「やはり、そうか。。。」と思いました。
今、個室しか空いていなくて個室に入りました。
昔、ホスピスだったところです。
荷物を整理したらもう12時半過ぎ。
帰らないといけない時間は過ぎていましたが、「昼食を見届けてから帰っても大丈夫」と言って下さいました。
昼食
欲しくないらしくて、ハンバーグカツ?一切れとお味噌汁と果物だけ食べました。
食後お薬を飲んだのも見届けて帰ろうとしたら、両目に両手を当てて泣く真似をしました。
実際、眼が赤くなっていたので涙が出ていたと思います。
それを見ると後ろ髪をひかれて・・・。
でも、帰らないわけに行かず
エレベーターの方へ歩いて行きました。
ラウンジは陽がいっぱい射して暑いくらいです。
多くの方が出ていらして、新聞を読んだり歓談されたり。
2時からはコーヒータイムもあります。
それは言っていたのですが、皆さんが集まっていらしたので、再び、それを言いに病室に戻りました。
「コーヒータイムの前だけど、皆さんがもう集まっておられるから元気が出たら行くといいよ」
そして、再び、お別れ。
「もしかしたらもう会えないこともありえる」と思うともう一回戻ろうかと悩みましたが、抑えて会計に降りました。
会計で、母の要介護のカードや保険証を返して下さったので、いい口実が出来たとばかりにそれを持ってもう一回病室へ。
今度は母も笑って笑顔に。
「後で会えないけど届ける書類もあるし、新聞と足置きも持って来るから」と言って帰ってきました。
帰りながらうるうるしました。
帰ってからは入院の書類を書いたりしました。
そして、4時前に再び病院へ。
病棟から看護師さんが降りて来られました。
娘(娘は忙しくて出ないことが多いので、婿)と息子にも一応連絡を入れました。
娘は今日は参観日だったようで、すぐに電話がありました。
最初、娘はなぜこんな時期(コロナ)に、しかも入院させたのかと言いました。
私の今まで言っていたこと(家で看取る)に反するのではないかと。
「方向性が間違っていないか」と言いたかったようです。
結局、娘が言いたかったことは私が後悔しないかどうかの一点です。
今回の入院は母のここ最近の希望でした。
入院と小規模多機能と半々使えないかとも言っていました。
娘は「お母さんが後悔しないのならそれでいい。どこで死のうが大きな問題じゃないんだから」とも言っていました。
又、人は必ず死ぬから、腹を括れということも。
娘は職業柄多くの人の死を見てきたので死生観がしっかりしているのではないかと思いましたが「そんなもの、しっかりしている訳ないわ」
それは母のドクターも言われます。
私は病院で母が亡くなっても後悔しないだろうかと考えました。
(もしかしたら会えないまま)
今回、まずは母の希望がありました。
又、私も一人での介護に限界を感じていましたので、休息が必要でした。
考えていたらとめどなく涙が流れましたが、「仕方がないことだった」のです。
でも、娘には言い訳をしているようにしか聞こえなかったようです。
でも、「仕方がなかった」のです。
今日の予定はキャンセルしました。
母と二人で暮らすようになって、こんなに長く離れるのは初めてかと思いましたが、以前、娘がハワイで研修した時に、食事係で3週間一緒に行ったことがありました。
娘は毎朝3時には起きて出勤しなくてはならず、私は2時に起きてお弁当を2食分作っていました。
まずは行ってから食べて、担当医の回診前に患者さんを回診してカルテを書いて、それから外来が始まる前に食べていたのかな?
この時、母は1人で3週間家に居ました。
(飛行機に乗る直前に携帯が使えないと言ってきて慌てましたが、前のお宅の男の子が助けてくれてほっ)
私が1人で2週間も家に居ることって初めてではないかと思います。
Kちゃんが今日お泊りしてくれる予定で「9時半に行く」と言ってくれているのですが、一度は「もっと大変な時に来てもらうから」ということでラインを入れたのですが「もうそのつもりで用意しているし、寝床の準備とかが大変でないなら行くわ」ということで、予定通りお泊りに来てくれることになりました。
7時頃、母に電話をしたらやっと通じました。
娘もかけたらしく「何を言っているのかわからなかったわ。入れ歯の調子が悪くて入院したと言っていたよ」と笑っていました。
夕食は食べることが出来たようで良かったです。
母も暇でしょうから、新聞だけは毎日託けようかなと思っています。
★致知出版社の「ご縁メール」
(11月27日)
渋沢栄一の玄孫である渋澤 健さん
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【渋澤】
コロナ禍のいまだからこそ紹介したいと思う
渋沢栄一の教えは、『論語と算盤』にある
「大丈夫の試金石」です。
これは逆境に直面した時にどういう
心構えでいるべきかという内容ですけど、
「自然的逆境」と「人為的逆境」を区別して
対応策を講じる必要があると書かれています。
台風や地震などの自然的逆境の場合には、
「足るを知る」「分を守る」ということで、
やるべきことはきちんとやって、
後のことは天命に任せましょうと。
一方、人間関係のもつれなどによる
人為的逆境の場合にはどうすべきか。
「自分からこうしたい、
ああしたいと奮励(ふんれい)さえすれば、
大概はその意のごとくになるものである」
私はこれを「自分は何を成し遂げたいのかという
ベクトルを常に立てておくことが大事だ」と解釈しています。
【田口】
なるほど。
【渋澤】
我われは逆境に直面するとほとんどの場合、
「何ができるか、できないか」
という軸で考えていると思うんです。
だけど、ここで渋沢栄一が言っているのは
「何をやりたいか、やりたくないか」ですよね。
この二つの軸を掛け合わせてみると、
まず「できることでやりたいこと」というのはベストですし、
「できないことでやりたくないこと」っていうのは
捨ててしまってよいのかもしれません。
「できるのにやりたくないこと」
これは例えば、仕事ができるのにやる気のない社員(笑)。
こういう人は改善しなきゃいけないんですけど、
多くの人が陥りがちで一番問題なのは、
「やりたいけどできないこと」です。
できない理由は時間がないから、お金がないから、
経験がないから、いろいろあると思います。
しかし、渋沢栄一はできないからといって
そこで諦めてしまうのではなく、
常に未来志向を抱いて幸福なる運命を
招くべきだと説いているんです。
【田口】
そこが渋沢栄一の凡庸(ぼんよう)ならざるところですよね。
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「大転換期の生き方を渋沢栄一の
訓えに学ぼう」
★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング
(11月27日)
偶然に人生に入ってくる人はいない。その人が--全体の一部として--誰よりもうまくその場所を占めることができるが故に、そこに入ってくるのである。
For, it is not by chance that each entity enters, but that the entity - as a part of the whole - may fill that place which no other soul may fill so well.
(2533-1)