母の面会⑬&退院は月曜日

2024年05月31日 21時48分30秒 | 介護

 4時半、目が覚めた時にはまだ雨は降っていませんでしたが、用意している間に降り始めました。

そこで諦めて家の中でごそごそ。

お散歩に行かないと結構朝の時間があっていろいろ捗りました。

朝食の準備も7時前には余裕で終わってしまいましたので、今日は朝ドラをBS(7時15分~)でゆっくり座って観ることが出来ました。

 

 

 

 今日の果物

ゴミ出しの時

  

バラもガーデニアも香ります

今は赤い「サムライ」とこのマゼンタ色の「シェヘラザード」が綺麗です。

 

紫陽花が少し濃くなってきたような・・・

 

午前中は今日もレポート作成の準備だけして、読書三昧。

数冊同時進行で読んでいます。

そして、いつものように母の面会へ。

今日の母も何とも言えない表情で大きく右に傾いて黄昏ていました

が、お食事は結構食べてくれて主食8割、副食8割。

よくがんばって食べてくれました。

 

今日は昨日のブログでもご紹介したカルロ・アクティスCarlo Acutisの話をしたりしつつ、「とりなしをお願いしてみよう」と提案

 そこへ、クリニックのケアマネさんがいらして「退院することを今、知った」と。

「ケアマネの私が知らないなんてどういうこと

しかも、「入院しているから日曜日からのショートに他の人を入れてしまったのでお部屋がない」と言われました。

私こそどういうことでした。

皆が知っているのに・・・

すると「誰がそんなことを言ったの」と言われて「ドクターに聞きます」と言われて行ってしまわれました。

誰がって、ドクターと相談して決まり、毎日面会の行き帰りに訪問看護ステーションや訪問リハ、ソーシャルワーカーさんのおられる場所を通るので日々情報交換しているわけで・・・

当然病棟の看護師さん方も当然ご存じですし。

母のケアマネさんにもドクターとお話をした後すぐに連絡し、ケアマネさんはソーシャルワーカーさんやヘルパーさんなどへ連絡済み。

困ってケアマネさんに連絡しましたら「え~、何、それ~」

帰りにクリニックのケアマネさんとお話ししようと思いお探ししつつ帰りましたが見つかりませんでした。

訪問スタッフも「おかしいねぇ」「こっちのミスだからこちらで何とかします」

そう言われて、家に帰りましたが、母のケアマネさんからお電話があり「今、クリニックのケアマネさんから電話があったのだけど、月曜日の退院は決まっていないと言われたわ」

益々、

母のケアマネさんは「とにかく、もうひとつのショート先に空きがあるかどうか聞いてみます」と言われ、確認して下さいました。

私は私で、母のケアマネさんに頼まれてクリニックのケアマネさんにお電話しました。

するともう帰られたそうで・・・

この状態で土日を挟み、月曜日からのことが決まっていないなんておかしい

ソーシャルワーカーさんも席空きでしたので、訪問看護ステーションに電話を回してもらい、今の状況を説明しました。

ほどなくドクターから直々にお電話がありました。

「ごめんねぇ。私が悪いのよ」

そんなわけないのに、このドクター、元介護士さんだったせいかスタッフを守る思いがとっても強いと常々感じています。

娘もこのドクターと話した後、第一声が「びっくりしたわぁ~。こんなドクターの下で働けるスタッフは幸せだと思った」でした。

ドクター曰く、「やはりもうショートはいっぱい、お部屋もいっぱいなので、今のお部屋で医療入院続行しか手がない」ようでした。

そこで、もうひとつのショート先が受け入れOKのことを話しました。

ドクターのお話では月曜日の朝の点滴で医療処置は終わりで、その後退院OKの状態は変わらないので、私がもうひとつのショート先へ連れて行くことになりました。

このままこのクリニックでショートに繋げられたら、リハビリも出来て良かったですし、リハのスタッフもその方が絶対にいいと言われていたのですが、仕方がないです。

人間のすることなので、ヒューマンエラーはどうしても起こるのは当たり前ですが、今回、このクリニックのケアマネさんが他のスタッフが言われているように「最初から2週間くらいの入院ということはわかっていたのだから、確認をしてショートを組むべきだった」ということがひとつ。

カルテには書いてあるのですからなぜそれを見られなかったのかです。

(お休みだったようですが、それならなおのこと)

そして、もうひとつは不思議なのは今日なぜ何も言われないで黙って帰られたのかです。

これが私には本当に不思議なのですが、医療入院続行と思って帰られたのでしょう。

そうならば、必要のない高い室料差額が発生することをドクターも訪問看護師さんも気にされているのに気が付かれないのかなと思います。

 その後、担当の訪問看護師さんとお電話でお話しました。

「話は聞きました。本当に申し訳なかったです」と謝られていましたが、ドクターが悪いのでも看護師さんが悪いのでもないですし、怒ってもいませんが、ただケアマネさんはちょっと不思議です。

月曜日に母が退院すること、そして、別のショートに移動することを又初めてそこで知って驚かれるのかなぁ。。。と思うと気の毒な気持ちになってきます

多分そこで又、「なぜ私だけが知らないの」になってしまうのではないかと。。。

何だか憂鬱になりそうでしたが、お花を見ながら気分転換

 

雨と紫陽花って本当によく似合います。

 

 雨は午後から止んで、曇りからお天気も回復して、青空も少し見られました。

リサイクルのごみを捨てがてらお買い物へ。

教会の紫陽花です。

 

アナベルもかわいいのですが、

 

この金平糖のような紫陽花の蕾が本当にかわいい

以下10枚、同じ紫陽花ですが何とも多彩

 

 

  

金平糖の色が青色や紫色。

 

でも、咲くと紫からピンクに近い色になります。

 

ゆうちょに行くとご近所に初めて見るバラが

 

長い塀に沿ってかわいらしく咲いていました。

空は青空に

 

 母は明日、月曜日のことを話すと喜ぶかな。

本当は家に連れて帰ってあげて、食事をさせて夕方にショートに送るとか出来たらいいのですが、ヘルパーさんも来られない日ですし、一人で降ろしてお部屋に入れて、又、連れて行くのは私の車には車椅子ごと乗れないですし、ひとりではとても無理。

病院から出られるだけでも気分的に違えばいいのですが。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと346日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.5.31

 

禅語日めくりカレンダー

 

「歩歩是道場」

一歩一歩の歩みこそが、
人生の道場。

━━━━━━━━━━━━━━
横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)
〇『人生を照らす禅語日めくりカレンダー
「日日是好日」』より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

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世界最後の魔術師ニュートンと錬金術


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こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、錬金術師の部屋の再現、ニュートンの蔵書・肖像画、賢者の石であるとされることのある辰砂の写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125182&c=3304&d=ed84

(アイザック・ニュートンと錬金術と賢者の石|最後の魔術師と呼ばれた理由も解説)

━…………………━

早いもので、明日から6月ですね。東京板橋では、クチナシやアジサイの花が開いています。

いかがお過ごしでしょうか。



今回は、科学者ニュートンと錬金術の関わりを話題にしたいと思います。


◆ アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートン(Isaac Newton)は、17世紀の中頃にイングランドで生まれた科学者です。

数学(微積分学)と物理学(古典力学)の基礎を作った人で、「近代科学の祖」と呼ばれることがあります。


科学に対する功績があまりにも大きいことから、ニュートンのことを現代風の科学者だと思い浮かべる人は少なくありません。

しかし彼の残した文書から見ると、必ずしもそうではないことが分かります。


少し以前(2016年)のことになりますが、ニュートンが残していたノートの中に、ジョージ・スターキーという錬金術師の文章の書き写しと、自分の行なった錬金術の実験のメモが発見されたというニュースが報じられました。

その書き写しは、「賢者の石」の原料となる「哲学者の水銀」の作り方を暗号で示したものだったとのことです。



余談ですが、同じ年にX(ツイッター)上でこんなできごとがありました。

「#ブロック覚悟でいう」というハッシュタグをきっかけに、科学雑誌『ニュートン』の公式アカウントが、ともすれば怪しい話題が多い学研の雑誌『ムー』に対して、「ムーの中の人は、どこまで信じて原稿を書いているんですか(・・?」という、なかなか挑戦的なツイートをしたのです。


これに対する、月刊ムーの切り返しは素晴しいものでした。

「はい、ニュートンは錬金術師で、オカルティストだと信じております」。

座布団一枚という感じで、思わず爆笑してしまいました。


(写真:バラ十字古代エジプト博物館に再現された錬金術師の実験室(その1))


◆ 幼少期と青年期

アイザック・ニュートンは、ケンブリッジの数十キロ北にあるウルスソープという町で、1642年のクリスマスに生まれました。

もっとも、それは当時イギリスで使われていた旧い暦(ユリウス暦)での話で、すでにヨーロッパ大陸で採用されていた現代の暦(グレゴリオ暦)では、1643年の1月4日になります。


彼の幼年期は、あまり恵まれたものではなかったようです。

農園を経営していた父は彼が産まれる3ヵ月前に亡くなっています

そして、実母はアイザックが3歳のときに再婚して彼から離れ、彼は祖母の手で育てられるようになります。



アイザックは体が小さく内向的な子供でした。

農園を継がせようとしていた実母の反対があったにもかかわらず、親類が学問の才能に気づき、中等学校に入れます。

いじめにも遭っていたようで、その一人に喧嘩で勝ったことがきっかけで自分に自信を持ち、首席でこの学校を卒業したと言われています。

そして、18歳のときには名門のケンブリッジ大学に入学しました



家はそれほど貧しくはなかったのですが、実母の反対のため仕送りは少なく、大学では半免費生という立場で、給仕や雑用をしながら勉強をします。

大学生活の初めの頃のこの立場はニュートンにとって、かなり自尊心を傷つけられる状況だったようです。


そのため、自費で学費を払う学生たちとはあまり親しく付き合うことはなく、孤独な学生生活を送っていました。



この当時、主に大学で教えられていたのは、スコラ哲学という、キリスト教の教義を支えていたアリストテレスの哲学でした。

ニュートンは、それよりも、新しい天文学や数学や、フランスの哲学者デカルトの著作に興味を持ち、熱心に学んでいました。

また、先ほど話題になった錬金術や、旧約聖書、黙示録、神秘学の研究もしていました。


◆ ニュートンの驚異の2年

ニュートンが大学に入学して5年後のことですが、イギリスでペストがはやります。

大学は1665年の夏から2年間閉鎖され、ニュートンは生家のあるウルスソープに戻ります。

そして、この休暇の間に、万有引力と二項定理を発見し、微分積分学の基礎を作りました。

人類の物理学と数学に信じられないほどの発展をもたらしたこの期間は「ニュートンの驚異の2年」と呼ばれています。



ちなみにウルスソープのニュートンの生家には、今でもリンゴの木があるそうですが、リンゴの実が落ちるのを見て彼が万有引力を発見したというのは、本当かどうか分からないということです。

しかし、生家の庭のリンゴの木を見ながら、彼が思索にふけったのは確かだそうです。



ニュートンは、26歳のときに指導教官のアイザック・バロ博士から、数学分野のルーカス教授職という地位を譲り受けます。

この地位には、その後も人類史を代表する科学者が就任しています

「車椅子の天才科学者」として有名な理論物理学者のスティーブン・ホーキング(1942-2018)も1980年から2009年までこの職を務めていました。

ちなみにホーキングの遺灰は、ロンドンのウェストミンスター寺院で、ニュートンとダーウィンのお墓の間に収められているそうです


(写真:ニュートンの肖像画、1689年)


◆ 古代哲学から近代科学へ

ニュートンの業績の中で、最も有名なのは万有引力の発見でしょう

地上の物体に重力が働くことは古くから知られていましたが、アリストテレスの古代哲学では、地上の運動と天空の運動は異なる法則に支配されていると考えられていました。



一方、ニュートンが熱心に研究していた哲学者デカルトは、同じ運動の法則が全宇宙のすべてを支配していると考えていました。


そして、地上に働いている重力と同じ力が、太陽系の惑星にも働いていて、その力が距離の二乗に反比例すると仮定すると、ケプラーが自身の観測の結果から得た、惑星の運動に見られる法則が、正確に説明できるということを発見します。



リンゴの実も、月も惑星も、デカルトの言ったように同じ運動の法則に支配されていたわけです。

デカルトの哲学には、バラ十字会が大きな影響を与えていますので、近代物理学の進歩にも、バラ十字会が一役を果たしていると考えることができます。


参考記事:『バラ十字会の歴史(その9)『哲学者たちとバラ十字』第一部(前半)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125183&c=3304&d=ed84



ニュートンは、これらのことを『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)という本にまとめ、43歳のときに出版します。

この本の題名は、デカルトの『哲学原理』を強く意識して付けられています。

そして、「私が研究するのは、哲学の中でも自然についての哲学であり、それは数学という言葉を使って表わされる」という彼の考え方を表わしています。


(写真:ニュートン自身が所有していた『自然哲学の数学的諸原理』(第二版)、彼自身による修正が書き込まれている。ケンブリッジ・トリニティーカレッジ・レン図書館所蔵)


◆ 最後の魔術師

ニュートンは、日常でも研究活動でも、細かい文章やメモを残す習慣があったそうです。

84歳のときに亡くなりますが、自然科学についての文書よりも、錬金術、旧約聖書、黙示録、神秘学に関する文書の方が、はるかに多く残されていました。



ニュートンには子供がいなかったので、彼の文書を相続したのは甥や姪の方々ですが、彼らはニュートンの名声に傷がつくことを恐れ、自然科学以外の文書を公表することを控えます。

しかし、それらの文書が、さまざまな人の手によって明らかにされ、ニュートンの実像が明らかになっています。



たとえば1936年には経済学で有名なジョン・メイナード・ケインズが、競売にかけられたニュートンの手書きの原稿を大量に落札し、後にこの文書をもとに『人間ニュートン』という論文を書きました。

この論文でケインズは「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師である」と述べています。


◆ ニュートンと錬金術と賢者の石

ニュートンほど聡明な人が、なぜ、錬金術のような疑似科学に夢中になっていたのだろうかという疑問が出されることがあります。

しかし、錬金術とは何かを正しくとらえるならば、ニュートンの行なっていたことの一貫性が見えてきます。



一般に錬金術とは、鉛や錫や銅のような卑金属から純金を作り出そうとして失敗した、初期の化学だと考えられています。

錬金術の研究が、化学の基礎になったという点には間違いはないのですが、錬金術師たちが目的としていたことが、大金持ちになろうとか純金を作ることだけと考えるならば、それは事実からかなり離れています。



中世では科学が、分野ごとに別々になってはいなかったということを考慮する必要があります。

物理学のような自然科学も、文学などの人文科学も、より良く生きる方法を見つけようとする哲学も同じ人が同時に研究しており、物質を研究することも人の体を治療することも、自身の内面を進歩させることも、異なる別々のことだとはあまり意識されていなかったのです。


そのため、錬金術師たちが作ろうとしていた「賢者の石」は卑金属を純金に変えるばかりでなく、延命の作用を持つとされ、またその研究を進めることにより、人は賢者(哲学者)になれるとされていました。


別の言い方をすれば、錬金術とは変化の背後にある原理、つまり、この世の根本にある原理を知ろうとする努力でした。



ちなみにニュートンの遺髪からは、賢者の石の成分のひとつであるとされることのある水銀が検出されているそうです。



参考記事:『賢者の石とは?それは実在したか|錬金術とニコラス・フラメル』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125184&c=3304&d=ed84



(写真:賢者の石だとされることがある辰砂(硫化水銀の鉱物))


◆ 存在の神秘と神殿の研究

私たちは誰もが、生きていて、幸せに感じられることや、そうでないこと、満たされた思いや、満たされない思いを経験します。

そして、限りある時間を意識したとき、自分の魂に導かれるように、いつか、いわゆる「存在の神秘」という問題に突きあたるのではないでしょうか。



それは、この世界には何か隠されたところがある。この世界についての常識的な見方には、どこか分からないけれど、何か根本的に間違っている部分がある。そして、この秘密をほんの少しでも解き明かしたい。そうしなければ、生きていても仕方がないのではないかとさえ感じる思いです。



父を見たことがなく実母の愛を十分に感じる機会も得られなかったニュートンは、大学に入学した当時、孤独な学生時代を送ります。

さらにペストの流行を身近に体験して、人の限りある運命を実感します。


このような状況にある鋭い感受性を持つ若者には当然のことに思えますが、若いニュートンもまた、「存在の神秘」という問題に突きあたったのではないでしょうか。



そして、この神秘を解き明かす鍵だとニュートンが考えたのは、当時の宗教や文化のことを考えれば当然、「神」と「神の性質」のことだったと思われます。


その証拠に、ニュートンは太古の神殿について深く研究しています

神それ自体は研究することができないけれども、太古の神殿には、古代人の英知によって神の性質が現れていると考えたのです。



参考記事:『アイザック・ニュートンと太古の神殿』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125185&c=3304&d=ed84



さらにニュートンにとって自然界は、神が作りだした最も素晴しい作品であり、神の性質が反映されているものでした。


ニュートンが自然科学を研究した動機は、ここにあると思われます

ですから、彼がそれと同時に、錬金術や聖書や古代哲学を研究したのは、ごく自然なことです。物理学者としてのニュートンと、錬金術師としてのニュートンは表裏一体です。


(写真:バラ十字古代エジプト博物館に再現された錬金術師の実験室(その2))


ニュートンは晩年に、次の言葉を残しています。

「私は、浜辺で遊んでいる少年のようなものだ。普段あまり見たことがないほど、すべすべとした小石や、きれいな貝殻を、折々に見つけて心を楽しませているが、その一方で目の前には、真理の大海が発見されることなく広がっている。」



いかがでしたでしょうか。

今回の記事に、少しでもあなたの興味を引くところがあったとしたら、とても嬉しく思います。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



では、今日はこのあたりで。


また、お付き合いください(^^)/~


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■ 編集後記

アジサイが雨に濡れています。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1125186&c=3304&d=ed84

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母の面会⑫&【福者カルロ・アクティス(Carlo Acutis)】

2024年05月30日 21時50分00秒 | 精神世界

 梅雨入りは遅れるそうですが、何だか梅雨のようなお天気です。

今日は晴れ予報だったと思いますが、曇ってムシムシ。

午後から段々と暗くなってきていて、日付が変わる頃に雨が降り始めるようです。

そのせいか今日は何だか身体が重いです。

 

 

 

 

今日の果物

思わぬところからカラーが育っています。

 

ローズマリー

腐葉土をたくさん入れましたが、土がまだ粘っこいので土を換えた方が良さそうです。

柏葉紫陽花、満開です。

 

北角の紫陽花も咲いていますが、色がとっても淡い。

モミジアオイは順調です。

夏には花を咲かせてくれそうです。

 

東の紫陽花も色がとっても淡いです。

土の関係

 

 

 

朝陽が温室を温め、その横の部屋なので一気に咲きました。

午前中は溜まっていた読書をしました。

後で・・・と思っていたら読書の時間がなくなってしまいますので、今日は先に読書タイム。

そして、面会へ。

食堂は一気に増えて、6人もいらしてびっくり

母は今日はしっかり覚醒していて👀目もぱっちり。

私を見ると嬉しそうでした。

前の入口から入れなかったので後ろに廻ると目で追っていました

食欲はまずまずあって、主食3割、副食7割食べてくれました。

 

母は今日退院出来ると思っていたようでした

まだ昨日リハが始まったばかりですし、点滴も月曜日まで続きますので、かわいそうですが無理をして帰ってもっとかわいそうなことになってはいけませんのでもう少しの辛抱です。

母は「退屈なのでクイズを持って来て」と言いました。

朝日新聞の土曜日版のクイズです。

今日は朝からラウンジにいたようでした。

「マイデスク」がセットされていました

帰りにまだそこに居ると言いましたので、「じゃあ、帰るね」と言うと不調になっていましたので、泣くような声を出しました

クリニックの紫陽花

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、午後からFacebookを見ていたところ、美しい少年の遺体の写真や映像が多く紹介されていましたので、この少年は誰なのか気になって調べてみました。

この少年の名前はカルロ・アクティス(Carlo Acutis、1991年5月3日 - 2006年10月12日)

カトリック教会の福者(聖人の前の段階)で、ミレニアル世代(1980~90年代生まれ)で初の聖人として列聖されるようです。

2006年、白血病のため15歳で死去。

 

 

ご興味のおありの方はどうぞ。

【福者カルロ・アクティス】御聖体のサイバー使徒

 

 

なかなか聖人として列聖されるには厳しい審査や科学的に証明することの出来ない奇跡がそのそとりなしによって起こらないと難しいのですが、日本人に馴染の深い聖人と言えば、フランシスコ・ザビエルや教皇ヨハネ・パウロ、そしてマザー・テレサでしょうか。

聖人になる前の段階の福者では高山右近がそうだった気がします。

聖人のみならず「奇跡」や「聖地」と認められるのもなかなか厳しく、世界中で起こっているマリア出現も認められているのはルルドやポルトガルのファチマなどごくわずかです。

時々、遺体の腐らない聖人が(これはどこの宗教でもあるのではないかと思いますが…宗教でなくても)おられます。

なかでもルルドでマリア様の出現を受けた聖ベルナデッタはとても有名です。

まるでこの少年のように眠っているかのようです。

以前、パーキンソン病の権威でいらっしゃるドクターに「世界中で誰も治った人はいないのですか」と診察の時に母と伺ったことがありました。

するとドクター曰く「1人だけいる。世界でたった1人だけ。その人はルルドに巡礼して完全に治った。しかし、私は元々その人はパーキンソン病ではなかったのではないかと思っているけどね」

世界には時に摩訶不思議なことがあるものです。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと347日・°*

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.30

 

ポジティブ思考~中村天風の言葉~

 

どんなことがあっても、
私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、
雀躍(こおどり)だと、勇ましく、
溌剌と人生の一切に勇往邁進しよう。
━━━━━━━━━━━━━━
中村天風(天風会創始者)
〇月刊『致知』1997年9月号「事上磨錬」より
━━━━━━━━━━━━━━

●心を積極的観念で満たし、
人生を好転させていく
独自の方法を説いた哲人・中村天風。
その教えはいまも経営者やアスリートなど、
分野を問わず多くの人に
影響を与え続けています。

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母の面会⑪&退院日決定&ガーデニング

2024年05月29日 22時00分00秒 | 介護

 雨上がりの朝、空も空気も澄んでいて爽やかでした。

数日振りにお散歩へ。

 

いつもとは反対廻りに。

 

 

 

このガーデニアが早く見たかったのです。

我が家のガーデニアがもう咲いていますので、ここもきっと咲いていると思いましたがまだでした。

 

我が家のレモンはナメクジが食べてしまいましたが、こちらの柑橘類(大きなおみかんです)は毎年順調に育っています。

 

教会の紫陽花

 

 

 

この金平糖のような紫陽花がかわいくって

 

 

 

 めちゃくちゃかわいい

公園を抜けて

ママ友ガーデンへ

この頃になると陽射しが眩しく暑くもなって来ましたので、日陰が心地よかったです。

 

 

 

バラが終わり、次はユリ

 

 

我が家のお花

 

 

ガーデニアが最初は一重に見えます。

「シェヘラザード」と「ステファニー・ドゥ・モナコ」だけが咲いています。

 

今朝の果物

 

雨だったせいか、なかなか開かなかったカサブランカが咲きました。

これから当分、午前中は神秘学のレポート提出に追われそう。

その後、11時半過ぎたらおもむろに準備して、母の面会へ。

食堂に直行。

すでに介護士さんがお薬を混ぜて下さっていました。

なぜかショート利用者が少なそう。

ですから、急に介護士さん、手持無沙汰に

 

母は行った時には難しい顔をしていましたが、段々と目が開いてきました。

主食5割、副食7割、食べました。

途中から介護士さんが左サイドからスプーンを。

そのスピードの速いこと。

母が「速いんよぉ」と言っていましたが、本当に速い

味わう間も飲み込む間もなさそうなくらい矢継ぎ早やでした~

昨日は1人、今日は2人しか利用者さんがいなくて、しかも自分で食べられる方々でした。

ですから、今日は2人も介護士さんが母の元へ~。

こういう時には私が居なくても食べさせてもらえそうな。。。

母の目は段々と開いてきました。

食後、母はお手洗いに連れて行って頂き、私は洗濯物を持ってお部屋に。

 

今週のテーマカラーは黄色かな

 

  

午前中がお花の日だったようです。

綺麗に生け替えられていました。

 

母のお部屋の前でドクターとバッタリ。

退院について伺ってみたところ、月曜日まで点滴があるそうなので、その後、ショートに切り替えようかと言われました。

そして、いつものように木曜日まで滞在して帰宅。

あともう1週間です。

 

 

 

3時頃から畑仕事ガーデニングをしました。

玉葱を掘って、その後に茄子を植えました。

日照時間のせいか、肥料不足か大きくなっていませんでした。

 

葱もパセリも切りました。

(収穫)

半分、差し上げた後

葱とパセリは立派に育っていました。

葉物野菜には合っているのかな

茄子

 

キャベツの後ろに茄子を植えました。

 

それから、🍋レモンの木を鉢に植え替えました。

今年はもう実をナメクジに食べられてしまい全くありませんので来年に期待します。

きゅうりがいつの間にか何本も~

 

 

トマトもいつの間にか実が生っていました。

 

かぼちゃ

 

娘婿から預かったローズマリーも植え替えました。

土がかちこちでした。

 

八重のジャスミン

今日の頂き物

お手製🍓いちごアイスクリーム

🍓いちごジャムをトッピング。

濃厚でなかなか美味しかったです

暑い作業の後には最高でした~

 

 

 

 夜、お婿ちゃんがWhatsAppからお花の水墨画を送ってきました。

私は以前のメッセージにまだ返信をしていませんでした

この絵もですが、通りで「Take it」と書かれて多くの人が置いていたりもらったりしているそうです。

お婿ちゃん曰く、これは中国人が描いたか日本人が描いたかと・・・。

自分はgaijinだからわからないと言っていましたが、娘もわからないそうで

娘が母はプロだからと言ったそうですが、私も正直わかりませんでした。

ただ、署名や落款から見ると日本のものではないように思いました。

蘭の花を色の付いた水墨画で描いてありとても綺麗でした。

「誰が描いたにしても素敵だよ~」と送りました。

「だよ~」等とは英語ですから言えませんが

We love you

知ってるよ~。

Love you more

 

 

 

 

今日もいい一日でした

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと348日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.5.29

 

理路整然としているだけでは……

 

言っていることは立派だし、
理路整然としているけど、
行動しないというのはダメですね。
そういう人は
失敗もない代わりに成功もない。
地に足をつけて、
自分の経験や体験を積んで
人生を歩んでいくことが
一番大事だと思います。
━━━━━━━━━━━━━━
中島伸子
(井村屋グループ会長CEO)
○月刊『致知』2024年6月号
特集「希望は失望に終わらず」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●表紙並びにトップインタビューを
飾っていただいたのは
井村屋グループ会長CEOの中島伸子さん。
4月4日(木)、期首の慌ただしい最中にも拘らず、
三重県津市の本社を訪ねると、
中島さんは笑顔で私たちを迎えてくださいました。
2時間に及ぶ取材を通して、
アルバイト出身から初の女性経営者となった所以や
人間的魅力、同社が約130年発展し続けてきた
要諦を感じ取ることができました。

編集長取材手記はこちら

 

コメント (2)
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大雨&母の面会⑩

2024年05月28日 21時55分00秒 | 介護

 昨夜から土砂降りの雨が降り続け、一時警戒レベル3でした。

夕方になってピークは過ぎて注意レベルになりましたが、まだ今夜は降るのかも。

岡山市で128.5mm降ったようです。

5月の24時間の雨量としては気象台始まって以来とか。

気温は予報に反して18℃のように低くはならず23.1℃。

 

 

 

 

 今日の果物

昨日作った🍓いちごアイスクリーム。

今日は寒いので食べていません。

ジャムはちょっと甘かったかなと思いましたが、冷めるとちょうどいい感じになりました。

  

今日は頂いたお野菜であれこれ作りました。

私はなすがとても好きなのですが、その原点は母の母、つまり私の祖母に遡る気がします。

田舎に帰るとなすのお漬物を美味しくて・・・

母もよくこの味噌煮を作ってくれていました。

雨音を聴きながらお香を焚いて、今日も神秘学のお勉強をしました。

正式にお勉強を始めて2016年からですからもう長いですが、今回又一区切りが付き、レポート提出があります。

強制では全くないので出さなくてもいいのですが、自分の勉強の為に毎回書いています。

忘れていることも多いので見直して良かった~と毎回思います

そして、お昼前にいつものように母の面会に行きました。

駐車場でばったりリハの方に会い、廊下で訪問看護師さんにお会いしましたのでそれぞれしばし立ち話。

木曜日あたりの退院は難しいのかな~。

 2階に着いて、お熱を測りノートに書いて後、通っていた看護師さんに来た旨を伝えました。

すでに受付から電話をしてもらっていますが、このルーティンが必要です。

12時を少し過ぎてしまったので、母は今日も食堂かどうかお聞きしたところ「調子が良ければ起きているかもしれないし、そうでないと寝ているかも」と言われ、

一応、食堂が近いので食堂に行ってみると居ました。

看護師さんがちょうど食べさせようとして下さっていましたが、母はいつものように何とも言えない難しい表情

この顔は食欲なしの顔でもあります

 

看護師さんと代わって食べさせ始めましたが今日は主食①、副食②。

今日の検査結果ではもう腎盂腎炎は治っているそうです。

にもかかわらず、この不調。

口に入れるそばからこぼしていきます。

これはパーキンソン病のせいだと思います。

昨日のように「一口食べたら元気になるよー」と言ったりしていましたが、ここのところ今まで以上にどのようにこういう状態の母に声を掛けたらいいのか(励ましたらいいのか安心させたらいいのか等など)考え続けてきました。

「斎藤一人さんが今朝のお話で『一日に10回、私は元気になります(元気ですだったかも)』と言ったら本当に元気になると言っていたよ」と言って唱えたりしましたが。。。

母に人生の後悔はないそうなので、では、この世でのしたいこと あるいはあちらの世への希望

わかりませんでしたが、私の知っている多分こうだろうという話を又しました。

母は99歳ですから、あの世では多分〇〇年くらい過ごしたりお勉強したりもして云々。

浦島太郎のお話も示唆に富んでいます。

かぐや姫も。

昔話やわらべ歌(鶴と亀が滑ったとか)にはあの世や真理を垣間見ることの出来る内容が盛り込むり込まれていたりするらしいのでそのような話をしつつ、スプーンを口へ。

昔、「チベット死者の書」なども読んだことがありますが、死んでみて無なら何もわからなくなるだけですし、無ではなかったらきっとびっくり仰天することがいろいろあるのではないかと思います

介護士さんが「いつもありがとうございます。助かります。お母さんも喜ばれていると思いますよ。今日はお風呂にも入りましたし、朝からずっと車椅子なので疲れているのだと思います」

早々にお部屋に帰ることになりました。

お部屋に帰る前に必ず普通のお手洗いに連れて行って下さいます。

その後母もちゃんと手を出して洗っていました。

しっかり立ててもいるようです。

今日は少し早い1時間で病院を後にしました。

 

 

明日は一日中晴れだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと349日・°*

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.28

 

「今日の花を摘むように、今を生きなさい」

 

「今日の花を摘むように、今を生きなさい」
という教えがありますが、
人生は突き詰めると、
「いま、この時を生きていくことだ」というのが、
89年間生きてきた僕の人生観です。
━━━━━━━━━━━━━━
佐治晴夫(理学博士)
○月刊『致知』2024年6月号
特集「希望は失望に終わらず」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●理学博士の佐治晴夫氏は、
長年宇宙の摂理を探究する中で、
宇宙生成法則が生き方の法則と
不思議なほど一致しているという結論を得ました。
人生で直面する様々な困難や試練も
その法則を知ることで解決の糸口が見えてくるといいます。

シスターとして信仰の一道を歩み、
多くの人たちを幸せに導いてきた
文学博士の鈴木秀子氏と共に
失望を希望に変えていく道について
語り合っていただきました。

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ペインクリニック⑯&リハ⑮&母の面会⑨

2024年05月27日 22時00分00秒 | 医療、病気

 夜中から雨が降り始めたようです。

一日中降るのかと思っていましたが、止んだかと思うとムシムシ。

ついには太陽も顔を出しましたが、今夜から又本格的に、今度は明日一日中降るようです。

今朝はお散歩に行かないで、バラ十字会のお勉強をしました。

 

 

 

 今日の果物

ペインクリニックに行くために朝8時15分に家を出ました。

今日は17番。

リハが先にあり、終わって受付に行くとあと診察まで3~40分と言われましたので、外出しないで待つことにしました。

今日もヒアルロン酸注をしました。

手指の痛み止めは今使っているクリームがあればそれで十分と言われましたが・・・

他には飲み薬か湿布での対応になると言われました。

(もっと痛ければブロック注射)

そう言えば、Mgのハンドクリームが効いているのかバスソルトなのかわかりませんが、痛みが減っている気がするのは気のせい

脚や膝は相変わらずですが、それでも以前に比べたら良くはなっています。

ドクターが最後はセルフコントロールだと言われました。

(これは先週)

終わって会計を待っている時、お隣の年配の方が「どこがお悪いの」と声をかけて来られしばし、おしゃべり

その方はオイル(何オイルだったか忘れましたが)で朝晩膝周辺や手をマッサージしているとお聞きして、「それはいいかも」と思いました。

エドガー・ケイシーが「ピーナッツオイルで1週間に1回マッサージすると関節炎を恐れることはない」と言ったのは予防ですから、すでに痛いならもっと塗ったらいいかも。。。潤滑油と一緒です。

今日は診察後時間があればお花の苗を買って帰りたいと思いましたが、そんな時間はありませんでした。

昨日「もしかしたら12時に間に合わないかも」と母の食事介助についてお願いして帰っていましたが、12時ちょうどにクリニックに着きました。

間に合った~

今日のお食事

 

母は難しい顔をして不調そうでした。

数口で「欲しくない」と言いましたが、又、昨日と同じように「一口食べるごとに健康になる~」と言いつつ食べさせました。

主食2割、副食7割

今日も又食堂でしたが、食後お部屋で寝たいと言い、介護士さんが連れて帰って下さいました。

そして、お手洗いに連れて行って下さって「少し休んでね」

寝そうな感じでしたので「じゃあ、帰るね」と言うと3日振りに「帰らないで」

「じゃあ、もう少し居ようね」

その後「クリーム」と言いましたので顔にクリームを付けると「1個、持って帰って」

ないと言いましたから2つ目を持って行っていましたので、2個あるのが気になっていたようです。

その後、「ありがとう、さようなら」と言ったような・・・

「え さようなら」と何回か聞き返しました。

しんどくてもう死にそうな気がするようです。

かなりしんどいのだろうなと思いつつも「家で死にたいといつも言っていたじゃない。出来れば孫に脈を取ってもらいながら。あれはどうなったの

黙っていました。

しばらく居て、寝入りそうでしたので「又、明日来るから寝てね」と頭や手に触れて帰りました。

下で管理栄養士さんに会いましたので、お話すると「気弱になっていますね~。10割食べられている日もあるのですが。。。もうムース食は難しいと思います」

本当に今の状態で長く生きることは相当苦しいのではないかと思えます。

 

 

アナベルのピンクがかわいい

 

 

 

 

あっという間に紫陽花ワールドです。

 

 

 

 

帰りに教会に寄りました。

ここもあっという間に紫陽花が咲き誇っていました。

 

 

かわゆい

 

 

我が家

 

振り向くと、何と今年初のガーデニアが咲いていました~

 

 

きゅうりは3本。

でも、1本は黄色くなって枯れそう。

 

 

 

 

 やっと生クリームを買いましたので、いちごアイスクリームを作りました。

「今日の果物」用に少し残しました。

作り方は様々、材料も様々ありますが、今回はジャムも食べたかったので、まずジャムを作って残りをアイスクリームにすることにしました。

 

お砂糖は粗糖。

レモンを少し多めに絞りました。

 

プレザーブスタイルにしました。

 

瓶詰

 

これに生クリームを泡立てヨーグルトを入れました。

明日には固まっていると思います。

その後、大山の水が来たり、眼科にも行きました。

トライアルを入れて1週間。

いまいちハードの時ほど見えません。

ハードの使い捨て(フォーシーズン)がいいなと思っていましたが、取り扱いがないので仕方がありません。

目に違和感がないのはやはりソフト。

なるべく裸眼で過ごしたいので、2weekにしました。

でも、誰も教えて下さらないので知らなかったのですが・・・って常識過ぎて言われなかったのかも。

使い捨てでもワンデーでない限り洗浄が必要なのですね

スタッフさん曰く「それで見えにくかったのではないですか 誰も説明しませんでした

ハードと違って入れにくいことこの上なし。

洗うのも怖そう。。。

慣れるしかなさそうです。

 

 

 

 

 

 今日の最高気温は29.4℃、最低気温は19.4℃。

明日は警報級の雨がお昼頃降るそうで、不要不急の外出はしないように天気予報で言っていました。

最高気温も18℃予報で寒そうです。

母の面会以外はお籠りします

 

 

 

 Mgのソルト風呂に入って90分後でなくても十分眠い。。。

今日はヒアルロン酸注をしましたのでお風呂に入れません。

もう即行寝たい。

でも、まだすることが残っています。

雷が鳴っていて、すでに大雨が降っています。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと350日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.27

 

大災害との闘い 我が社はこう立ち直った

 

能登の皆さんは、
なぜ自分たちばかり
こんな酷い目に遭うのだろうと、
天を恨みたくなる気持ちを
抱いていらっしゃるかもしれません。
でも後々、
あの大変な出来事があったおかげで
いまがあると思える日が必ず来る。
私は自分の体験を踏まえて
そう信じています。
━━━━━━━━━━━━━━
佐々木孝寿(ヤマサコウショウ社長)
○月刊『致知』2024年6月号
特集「希望は失望に終わらず」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●東日本大震災で被災された
ヤマサコウショウ社長の佐々木孝寿さんと、
熊本地震で被災された
阿蘇立野病院理事長の上村晋一さん。
共に失意のどん底から立ち直り、
見事に組織を再生された
お二人の体験談には心を打たれるものがあります。

この対談が、年初に発生した
能登半島地震の被災者の方々に
希望をもたらすことを願うばかりです。

【大災害との闘い】我が社はこうして立ち直った
内容はこちらから

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母の面会⑧&フジ子・ヘミング~雨だれのプレリュード

2024年05月26日 21時34分45秒 | 介護

 今日も陽射しは強かったですが風は爽やか。

揺れるカーテンと風鈴の音色が一層爽やかさを増してくれていましたが、夕方になって「瀬戸の夕凪」

風が少し止まりました。

明日、明後日は久々に雨が降るので嬉しいです。

 今朝はいつものように目は覚めましたが、ベッドでゴロゴロ。

その後、パン屋さん経由紫陽花ウオッティングに行ってきました。

 

ここはけやき通りに沿ってある紫陽花エリア

 

毎年この時期には何度か見に行きます。

特に雨の日はしっとりとして風情があってとってもいい感じです

 

 

 

この花は何

Google先生はセージとかサルビアとか教えてくれますが、でも、違うような気がするのですが、先生

 

 

 

このけやき通りは一年中楽しませてくれます。

 

やっぱり「ガウディの小径」と思ってしまいます

 

 

 

涼しげな緑の風に吹かれて帰りました。

 

我が家のバラの2番花がそろそろ咲き始めました。

 

「ラ・マリエ」と「シェヘラザード」

 

「ステファニー・ドゥ・モナコ」

 

南天の花がきれいに咲いています。

 

今年初の八重のガーデニア~

 

 昨日頂いた🍓いちごでいちごミルクを作りました。

 

コンパクトなこのミキサーが母の食事でも大活躍。

2つのボトルと蓋が付いていてとっても便利。

ガラスのボトルで作りたかったのですが、先日母がクリニックで割った後もうひとつも持って行きました。

 

パン屋さんにはフォカッチャもクロワッサンサンドも無くなっていましたので、ベーグルサンドにしました。

 いつものように12時前に母の面会へ。

ラウンジに着くと、母は今日は食堂に出ているとのこと。

もうずっと寝たきりでしたのでこのまま寝たきりになるのではないかと思っていましたが大丈夫そう。

昨日、会ったリハの方も「今までも大丈夫だったから、大丈夫」と言われていましたが、そうみたい。

行った時母の表情は目をつむって難しい顔でした。

食事も「欲しくない」。

でも、食べないと元気になれないと励まし、一口ごとに「一口ごとに元気になります。ありがとう」等などあれこれ言葉を変えて言いながら食べさせたところ、主食7、副食8。

(最初の介護士さんは主食5と言われましたが私もそうかなと思いました)

 

今日も「ぶたムース」はタンパク質なので、がんばって食べるように言い完食。

白桃缶も食べました。

食堂には3人。

本来なら母も今日からここでショート開始。

食事中に介護士さんが鯉のぼりから紫陽花に替えられました。

 

母のお部屋は昨日の午後から262号室へ。

もう救急ではない為

 

お部屋の大きさは変わらなような・・・

5月24日の「夕食」のおしながき

「朝食」も「夕食」も見ることはないですが、母がアメを置いていました。

食後、ラウンジへ。

皆さんお部屋にいらしたので、ここでしばらく(10分位)母と過ごしました。

 

「大谷選手は日本で

「お~いお茶」のことを言っているようでした。

この頃にはお目々パッチリ

最近ではなかなか見られなくなった表情です。

クリニックのバラと紫陽花の饗宴

 

 

 

 

今日の果物

 「魂のピアニスト、逝く  フジコ・ヘミング その壮絶な人生」を観ながら・・・

 

 

私がマジョルカ島へ行ったのはショパンを追ってではなく、リャドを追ってでしたが、ここの修道院の思い出は恥ずかしながら知らないでこの島へ行っただけに、強烈でした。

ショパンが過ごした部屋、弾いていたピアノ。

そして、ジョルジュサンドを想って作曲した曲。

フジ子・ヘミング~雨だれのプレリュード

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと351日・°*

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.26

【取材手記】強制収容所でしたためられた妻宛の手紙

君を幸福にしてやるために
生れ代ったように立派な夫になるために、
帰国の日をどれだけ私は待ち焦れてきたことか! 
一目でいい、君に会って
胸一ぱいの感謝の言葉をかけたかった!
━━━━━━━━━━━━━━
山本幡男
(映画『ラーゲリより愛を込めて』モデル)
○月刊『致知』2024年6月号
特集「希望は失望に終わらず」より
━━━━━━━━━━━━━━

●終戦後のシベリアで
過酷なラーゲリ(強制収容所)に抑留されながら、
勉強会や俳句の会を主宰し続け、
不屈の精神を以て
人間らしく生きることに徹した山本幡男。
幡男はなぜ生きる希望を失わなかったのでしょうか――。

『致知』最新6月号では、
その艱難辛苦の人生から見えてくる
希望を失望に終わらせない要諦を、
「山本幡男を顕彰する会」の
岡田昌平会長に繙いていただきました。
今回はその取材秘話を担当編集者が綴ります。

取材手記はこちらから………

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母の面会⑦&お野菜を頂きました

2024年05月25日 21時10分20秒 | 医療、病気

 今日も昨日ほどではありませんでしたが、暑かったです。

昨日同様が風があり、カーテンを揺らし風鈴を鳴らし、涼しさを運んでくれています。

でも、日中はとっても乾燥しました。

肌に違和感を感じて湿度計を見ると何と20%

 

 

 

 

 今朝、NHK「"世界一"のレストラン 食彩の宝石箱」で南フランスのマントンMentonの再放送をしていました。

マントンはイタリアと国境を接していて、北にアルプス、南に地中海。

温暖なところと紹介されて、興味津々。

レモン祭りがあり、聖ミカエルのバジリカもありました。

バラ祭りで有名なグラースにも電車で1時間半。

小さな街ではなさそうですがここ、いいかも。。。理想的

この番組はレストランの紹介でした。

レストラン「ミラズール」はミシュラン三ツ星を獲得し料理専門家が選ぶ世界のベストレストランで1位にも選ばれたそうです。

オーナーシェフのマウロ・コラグレコさんはアルゼンチン出身。

お料理の最初は外のお庭に誘導されて、このようなフラワーボックスに入ったお料理を頂けるそうです

何て素敵

 

アルプスの山々

 

こちらがレストランと地中海

 

 

 

 今日の果物

10時からZoomで栄養学などお勉強、母の面会へ。

お風呂に入れて頂いたようで疲れたのか食事も食べたがりませんでした。

 

でも、何とか昨日くらいの主食1割、副食5割くらいまで何とか

今日は「もう帰るん」とも言わず。

そのまま眠ってしまったようです。

滞在時間は1時間10分。

午後からお部屋移動だそうです。

 

ラウンジのカサブランカがとても良い香り。

 

下に降りると土曜日もかかわらず訪問看護師さん3人とリハの方がいらして、その方々が偶然母のお世話をして下さっているメンバーでが何だか心強く感じました。

 

緑が眩しい

 

帰りに寄ったスーパーで、カサブランカが安かったので買って帰りました。

このセットで350円。

とても良い香りがします

 

 

 

 夕方、剪定をして下さる方が様子見がてら田舎に帰られたということで、わざわざお野菜を持って来て下さいました。

🍓いちごもこんなに沢山。

 

ご近所2軒に差し上げて私も食べましたがまだこんなに。

🍓いちごミルクやジャム、アイスクリームを作ろうかな

 

玉葱は我が家と同じ苗だそうです。

「まだちょっと小さい」と言われていましたが、我が家もまだ小さそうです。

6個ずつ吊るして下さって10個もありました。

 

葉物野菜や玉葱も、柏葉紫陽花と共にご近所にお裾分けしました。

明日は家にも柏葉紫陽花を切って飾ろうと思っています。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと352日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.25

 

エジソンが苦しい時に口にした言葉

 

意気消沈している暇はない。
━━━━━━━━━━━━━━
エジソン(発明家)
○月刊『致知』2004年7月号
特集「熱意・誠意・創意」より
━━━━━━━━━━━━━━

●67歳で大切な自分の研究施設が
大火に遭った時、
発明王はこう言ってのけたといいます。
「自分はまだ67歳でしかない。
明日からさっそくゼロからやり直すつもりだ。
意気消沈している暇はない」。
苦しい時、心を鼓舞される言葉です。

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母の面会⑥&お弁当を頂きました♪

2024年05月24日 20時31分30秒 | 医療、病気

 今日は暑かったです~

でも、予報を聞いて覚悟していたほどではなかったような。。。

お昼頃の外出時、外気温は30~31℃でしたが、今日の岡山市の最高気温は29.5℃、最低気温は16.3℃でした。

岡山市は今年一番の暑さとはなりませんでしたが、岡山県の中央から県北にかけてが今日は気温が高くて軒並み30℃を超えて、32.2℃という地域もありました。

夕方は窓を閉めるとムシムシ暑くて扇風機を初めて出したくなりましたが、再び窓を開けるとと~ても気持ちの良い風が入って来ました。

カーテンが揺れて外では風鈴もチリンチリン

気持ちい~い

 

 

 

 

でも、朝のお散歩は心地よかったです

 

 

道路上に咲いていたペチュニアにびっくり

ペチュニアも逞しいですね。

教会の紫陽花

 

この金平糖のような紫陽花がかわいい

 

アナベルも

 

普通の紫陽花もあっという間に咲きました。

 

 

これ、お花は南天に似ていますが、葉っぱは違います。

Google先生によりますといろいろ候補がありすぎですが、ネズミモチ

 

センテッドゼラニウムが広がっていました。

とてもいい香りがします。

 

我が家も鉢植えがありましたが、いつの間にか枯れた

 

ザクロのお花の季節なのですね~。

 

そして、まもなく大好きなガーデニアの季節もやってきます。

 

 

お花いっぱいのお庭

 

 

ここの紫陽花は毎年このような色。

毎年楽しみにしています。

 

 

 

ママ友ガーデン

 

ウツギがもう終わりそうです。

 

 

 

 

 

 

ご近所のアパートの角の紫陽花。

ちょっと行きにくい場所のせいか、ちょっと茫々状態。

 

我が家の柏葉紫陽花

切らないとすごいことになりそうなくらい大きくなりました。

 

モミジアオイも順調そう。

我が家のガーデニアも蕾が付いています

 

今、小さなきゅうりが2本生っています。

 

今日の果物

 

 

 

 11時半前、以前お電話があった通りに母の入っている老人クラブの総会のお弁当が届きました。

介護をがんばっているから私の分もと言うことで2つ。

母は家に居ても食べられませんし(入院したこともお話したのですが)、どうしようと思い友人に取りに来ないかと連絡しましたが、我が家と反対方面にいるとのこと。

では、ご近所さんにと思ったりしましたが、老人クラブの方が「明日も食べられるから食べて」

 

後で母のところに行って、このお弁当の写真を見せながら話している時思い付きました。

いなり寿司など冷凍出来るものは冷凍して、母が帰って来てから食べさせよう

病院に着きエレベーターを降りると担当医とばったり。

様子をお聞きすることが出来ました。

「ショートと変わらないよ」

「口についてはねぇ。本当にどうしたものかとずっと考えているのだけれど精神科医に相談してみようかな」

 お部屋に行くと母は珍しくさっぱりとした顔をして調子が良さそうでした。

ちゃんと目も開いていて、口に手が行っていません

髪も綺麗にといてあったのでどなたかがして下さったのかと思いましたが、母は「誰も何もしてくれん。ブラシはどこ

バッグがそばにあったので一応探したのでしょうが、見つけられなかったようです。

綺麗でしたがブラシを出してといてあげました。

その後、いろいろ話をしたのですが「昨日、『ついている』と言ったから調子が良くなったんじゃないの」と言いますと、母はしばし考えていましたが「うん」

今日の昼食

 

欲しくないと言いましたが、励まして大スプーンで5~6回通りくらい食べさせ、「とりムースだけはタンパク質だから全部食べて」

それからお薬をゼリーで食べました。

プレートを下げに来て下さった介護士さんが「わぁ、よく食べてる」とニコニコ。

母曰く「もういらん」と言うとすぐに下げてしまわれるそうです

でも、私は食べさせます

あれこれ言いながら励ましつつ・・・。

でも、今日はそんなに食べませんでした。

「もうしんどい」

口を触りそうになったので、口の周りを拭いて「ばい菌が入って又お熱が出たら嫌でしょ」と言い、ペロペロキャンディーを口に入れました。

母は「もう帰るん」といつものように言いましたが、1時間以上はゆうに過ぎていますし、「又、明日来るから。今は少し寝た方がいいからね」。

納得して「うん」。

廊下でお会いした介護士さんが「ありがとうございました」と言われましたので、

「お世話になりますがよろしくお願いします。少ししんどいようですが、今、飴を舐めさせています」と伝えて帰りました。

 

クリニックもバラから紫陽花へ。

 

 

食べさせながら母に「静かな昼下がりにこうして幸せだねぇ~~~」と言いました。

母は黙っていました。

やはりそれどころではなかったかな。。。

 

 

帰ってお食事をした後暑かったせいかとても疲れて、しばしお昼寝を30分くらい。

少し涼しくなってから、庭に出て肥料をやったり水遣りをしたり。

先日、「バラ園」で頂いた「レオナルド・ダ・ビンチ」

 

ハンギングバスケットを植え替えたりしていたら折れてしまいましたので追加。

空間に小さなお花ですがありますとほっとしますし、とてもかわいい

 

 

 

 

 昨日の「エプソムソルト」は最初の2週間は毎日入れた方がいいそうです。

お風呂後、しっとりしラベンダーの良い香りが充満。

お塩ではないですが、浄化もされたような気さえしました。

香りだけでも気持ちがアップ

寝る時間が予定より遅くなりましたが、痛みが緩和し睡眠の質も良くなればと思います。

マグネシウムにもこういう作用があるようですのでマグバーム (アロマ ラベンダー 国産・100%天然由来成分・無添加・マグネシウムクリーム マグネシウムオイル マッサージオイル MG Balm)というクリームも使っていますが、1週間に1度は関節痛に効果的とエドガー・ケイシーおススメのピーナッツオイルでマッサージもしています。

なかなかすぐに忘れてしまって習慣化しませんが、思い出しては続けています。

睡眠は思っている以上に大切なので、今夜も早めに寝るようにします。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと353日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.24

 

運命から愛される人

 

暗いところばかり見つめている人間は、
暗い運命を招き寄せることになるし、
いつも明るく明るくと考えている人間は、
おそらく運命からも愛され、
明るく幸せな人生を送ることができるだろう。
━━━━━━━━━━━━━━
新井正明(住友生命保険元名誉会長)
○月刊『致知』2006年12月号
特集「自らに勝つ者は強し」より
━━━━━━━━━━━━━━

●住友生命中興の祖と呼ばれる
新井正明氏。
戦地で片脚を失い、
26歳で隻脚の身となりますが、
古典の教えを指針に
自らの運命を切り拓きました。
その氏の言葉であるだけに、
一層重みがあります。

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

『Dr.スランプ』の思い出|漫画家、鳥山明さんを悼む


バラ十字会日本本部AMORC

 

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

 

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1122473&c=3304&d=ed84

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、鳥山明さん、ドラゴンボール、Dr.スランプに関わる写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1122474&c=3304&d=ed84

(漫画家、鳥山明さんを悼む|『Dr.スランプ』の思い出)

━…………………━


東京板橋では、クチナシのつぼみとアジサイの新緑が目立つようになってきました。

もうすぐ梅雨の始まりですね。


いかがお過ごしでしょうか。



山形県に住んでいる、オヤジバンドでの演奏とお祭りが、三度の飯よりも好きだという私の友人から寄稿がありましたのでご紹介します。


▽ ▽ ▽

記事:『漫画家、鳥山明さんを悼む』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦



3月8日、テレビ画面に驚きのニュースが流れました。


漫画家の鳥山明さんが68才で亡くなられたというのです、驚きました。



このニュースはまたたく間に世界中を駆けめぐり、大勢の方々から鳥山明さんの死を悼む声と共に、ドラゴンボールの終焉を惜しむ声が寄せられました。


(写真:ドラゴンボール)



私の場合、いつか『Dr.スランプ』の続編を発表してくれるのでは、と期待していましたので残念でなりません。



『Dr.スランプ』に関しては忘れられない思い出があります。

『Dr.スランプ』のアニメ放映が始まった頃のことです。

その当時まだ幼かった私の娘が、ちょっとでも明るい場所を見るときにも目を細める仕草をするようになったのです。

もしやと思い眼科医を受診したところ「眼鏡使用での視力の矯正が必要です」の診断でした。


さらに、「娘さんの場合は先天的に矯正が必要な状態の目ですね」とも。



びっくりしました。でも普通の眼鏡使用で日常生活は充分に可能とのこと。

加えて「ある程度の年齢に達しましたらコンタクトレンズの使用もどうですか」との説明でした。

少しは安心したものの、親としては不憫でなりませんでした。



ところが気にすることはありませんでした。


娘はときおり、両手を広げて「キーン」と言って走り回り「アラレちゃんと同じだよ~(笑顔)」。


その後は視力に関しては何不自由なく暮らすことができました。



その娘も今は一児の母親となっています。


鳥山明さんには感謝、感謝です。


(写真:『Dr.スランプ』の背表紙)



ところで、鳥山明さんの頭ん中はどの様な造り(失礼)だったんでしょうか?(笑)。


最初のヒット作『Dr.スランプ』の登場人物「則巻千兵衛」、通称「千兵衛さん」と「則巻アラレ」、通称「アラレちゃん」を通じて私なりに考えてみました。



皆さんご存知のことと思われますがアラレちゃんは自称天才科学者の則巻千兵衛が作ったアンドロイドです。

ペンギン村の住民の誰もこのことを知りません。

当人のアラレちゃんも自分がアンドロイドであることを自覚していたのかどうかも不明のままでした(これでよかったですね)。



現代風に解釈するとすれば、無意識の内のAIとの共存?でしょうか。



さて、千兵衛さんはアラレちゃんを首から作り始めるのですが、この時、アラレちゃんは散々しゃべりまくり千兵衛さんを辟易(へきえき)させるのです。

しばらくして完成したボディと合体させると、その時のアラレちゃんの一言が「博士、飛べません!!」。



もちろん、千兵衛さんずっこけます(笑)。


スーパーマンや鉄腕アトムを意識してのギャグだったのでしょうね。これには笑わせてもらいました。



さて、千兵衛さんはと言えば、子供がそのまま大人になった様な人物でした。

もしかして千兵衛さんとは鳥山明さん御自身だったのでは…?


(写真:鳥山明さんの出身地、愛知県清須市(現在)の風景)



こんな二人(?)が住んでいるペンギン村は超個性的な住民ばかりです、

その中でも極め付きの住民は地球征服を目的にしてやって来た宇宙人でしょうね。


乗ってきた宇宙船をガッちゃんに囓(かじ)られてしまい宇宙に帰ることができなくなり、そのままペンギン村で暮らすことになってしまったという設定です。


しかし、それでも地球征服の夢を捨てきれないという(笑)。



どういった生活をすれば、こう言ったアイデアが浮かぶんでしょうか…(笑)。


う~ん。やっぱり鳥山明さんの脳内は凡人には理解できない世界のようです(笑)。


分析しようなどと考えずに気軽に楽しむのが一番のようです。



   そこで、後書きの様なモノです。

結果として思うんです。

鳥山明さんって、千兵衛さんの作ったタイムマシンに乗ってアラレちゃんと一緒に未来の世界から現代の世界にやってきた平和の使者だったのでは…って。


そうだ、きっとそうに違いない(合掌)。


△ △ △


再び本庄です。懐かしい思い出がいくつも蘇ってくる文章でした。


「博士、飛べません!!」のセリフで、アラレちゃんの声をありありと思い起こしました。



下記は山下さんの前回の文章です。

「「名言」それとも「迷言?」- 新しいことを始めるとき」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1122475&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~



【特別なお知らせ】雑誌『バラのこころ』(No.167)が5月27日(月曜日)の午後3時59分まで無料です(電子書籍版のみ)。下記のサイト(Amazon)で入手してください。他のバックナンバーは購入することができます。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1122476&c=3304&d=ed84


記事内容:マヤの神官と創造神イツァムナー/健康の基礎になるもの/懐疑主義とポジティブシンキング/絶対なるものを知ることは可能か/独りでいるということ/密輸人/バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから~男性のシャブティ~



==============

■ 編集後記

近所の植え込みです。ジギタリスのようです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1122477&c=3304&d=ed84

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母の面会⑥

2024年05月23日 20時22分22秒 | 医療、病気

 今日も薄雲がかかり薄日が射すようなお天気。

カンカン照りではなかったのですが、蒸し暑かったです。

でも、天気予報によりますと、最高気温は25.3℃、最低気温は17.1℃。

明日は今年一番の暑さになるそうです

 

 

 

 昨日、夕方のイオンに寄りましたので、割引の果物がたくさんあって、今朝は果物が超~充実、超~豪華

割引品なので早めに食べないと傷みそうなものを今朝食べてしまいました。

 今日の果物

 

どのように盛り付けて、どのように写真を撮ったら美しく美味しそうに見えるのかしらといつも一応、考えています

このバナナ、安かったのですが何だか高級で美味しそうなので買ってみました。

やはり街中のスーパーは品数も豊富で安いのでいいなぁ~と思いました。

行こうと思えば近道を行けば近いのは近いのですが。

 

 

 

 

 母がお食事時間にかかるように来て欲しいと昨日言いましたので、今日の面会も10時をずらして行きました。

コップの中のエンシュアが空でしたので新しいのを開けました。

あとで、お食事を持って来て下さった看護師さんが、栄養士さんが会社に電話して聞いたところ、ストローで飲むと唾液が入って雑菌も入るのでそれで固まるみたいなことを言われたそうです。

ですから、小出しにコップに入れて、缶の残りは冷蔵庫に。

そして、お食事を置かれて「後で又来ます」と言われて出て行かれました。

母曰く「ああ言ってももう絶対に来ない」

看護師さんもお忙しいでしょうから一人には関わっておられないでしょう。

にしても、年を取って自分では何も出来ないということは本当に辛いことに違いありません。

喉が渇いても飲み物が固まっていたり、手が伸ばせなかったり。。。

 母は「もう死ぬ」と又言いました。

ずーっと舌ばかり拭いて同じことばかり考えていたのでは憂鬱にならない方がおかしいです。

口腔ケアをすると落ち着くようですので何度かしました。

痰が少し絡んでいました。

  

母に最近家でYou Tubeで観ていた斎藤一人さんの言葉「ついてる」とか「大丈夫」とか「すべてうまく行く」「幸せ」「嬉しい」等などのプラスの言葉を言っていたら健康になるからと話しつつ、食べさせました。

母も「ついている」と言いながら食べ、主食5割、副食8割食べてくれました。

食後「トイレに行きたい」と言い、介護士さんがお部屋のお手洗いに連れて行って下さいました。

その後、帰ろうとすると「もう帰るん もう少し居て」

もう1時でしたので、1時間15分位経過。

でも、介護士さんは「いつもありがとうございます。助かります」と言って下さり、帰りに寄った訪問看護ステーションの看護師さんも「今、帰り 助かっていると思いますよ」と言われました。

母は私がまだ食事をしていなかったり、母の洗濯物があったりするとすんなり納得してくれます。

今日も最後に「ついてる。ついてる。大丈夫だからね。又、明日来るから」と手をなでなでしたら「うん」と小さく頷きました。

 

外来

今日も苗を売っていました。

赤色のお花もあったようですが、もう売れていました。

 この「初雪草」を2ポット買って帰りました。

 

 

 

 

買って来た「初雪草」

「シェヘラザード」の2番花が咲き始めました。

  

 

 

 

 膝はもちろんですが、リュウマチでもないのに手指やあちらこちらが痛いのに効果的なのはマグネシウムと聞き、Amazonでクリームを買って付けています。

これはお風呂用の「エプソムソルト」。

全身の皮膚から取り入れられます。

以前の血液検査では少しマグネシウムの値が低かったので、多少効果があれば嬉しいです。

これは熟睡にも効果があるようです。

寝る前の90分前にお風呂から出るように逆算してお風呂に入り、寝る時にちょうど深部体温が下がるように入ればより効果的なので、そのようにしたいと思います。

3種類ほど確かありましたが、これはラベンダーの香り。

 

 

 

 

 ご近所

 

 

 

 

 夕方のいつも来て下さっていた時間に、ヘルパーさんがお電話を下さいました。

ひどく心配して下さっていました。

もう高齢なのでずっと病院に付いていないといけないのではないかと思われたようです。

このヘルパーさんは先週の16日に、21歳の息子さんを亡くされたことをお話下さった51歳の男性ヘルパーさんです。

 

母が帰ると哲学的になる?&強風でした

 

 

 

 今日こそは早く寝ます

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと354日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.23

 

金がないから何もできないという人

 

金がないから何もできないという人間は、
金があっても何もできない人間である。
━━━━━━━━━━━━━━
小林一三(阪急グループ創始者)
○月刊『致知』2017年6月号
特集「寧静致遠」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「ないからできない、あればできる」
という凡人の陥りがちな通弊を
大事業家は喝破しています。
ノーベル賞受賞者・大村智氏が
弊社主催の新春特別講演会でこの言葉を紹介され、
多くの人の感動を呼びました。

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母の面会⑤&岡山のソウルフード「えびめし」&私は宇宙人?

2024年05月22日 22時35分30秒 | 医療、病気

 今日は気温も上がらずほっとした一日となりました。

 

 

 朝のお散歩より

 

 

教会にて

 

 

 

気が付きませんでしたが、オリーブの花がこんなに咲いていました。

朝のお散歩は清々しくて気持ちがいいです。

 

ママ友ガーデン

 

 

 

 

ハチがたくさん飛んで来ています。

 

とっても甘~い香りがしますので。

 

ローメンテナンスのお庭、いいですね。

 

一日薄雲がかかっていました。

 

昨日、クリニックで6苗300円で買った苗を植えました。

コキアはポタジェに植えようかと思いましたが、ひとまずプランターに植えてみました。

 

こちらはキャベツ。

そして、かぼちゃです。

 

今日の果物と畑で収穫したレタス

 

 

 

 母の面会に今日はいつもより少し遅い時間帯に行って来ました。

ちょうどお風呂から出たところでした。

喉が渇いたかと思い、エンシュアを飲ませようとしたら又、固まっていました。

一体どういう条件で固まるのかわかりません。

 訪問看護師さんがお昼前に来て下さいました。

「昨日は来られなかったのだけれど」と言われつつ。。。

ありがたいです

しばらくすると昼食が運ばれてきました。

 

お風呂で疲れたのか「もういらん、寝たい」

ラウンジのお花が生け替えられていました。

母がラウンジに車椅子で出られるようになれたらいいのですが。

45分後くらい経過し帰ろうとすると「もう帰るん

「又、明日も来るからね」

 

 

 

 

 午後からは友人と途中のスーパーで待ち合わせてまずはランチに行きました。

岡山のソウルフードの「えびめし」を求めて

ここの「えびめしや」は40年の歴史と書かれてありました。

私達が高校時代によく行っていた「いんでいら」はもう無くなったのかも。

でも、ここの「えびめし」は今までのものより、より元祖に近かったです。

 

お店の外にはすごい車。

中を見るとビジネスマン風の方でいっぱいでびっくりしました。

この友人が頼んだポトフ、150円でした。

 

コールスロードレッシングが付いたこのセットが私達の知る定番

友人曰く、昔はコールスローサラダは真ん中に大きなボールが置いてあって食べ放題だったと。

私、記憶にない

 

味も一番昔よく食べていた「えびめし」に近かったです。

これなら限りなく「えびめし」を食べたがってくれているブロ友さんに紹介出来そうです。

次回はこのお店に決定

牛窓の「キッチン かいぞく」から始まり、高島屋の「せとうち」、そして、ここ。

私はえびめし少な目のエビフライ付きを注文しましたが、ここはビジネスマン向きのようで量が多かったです。

しかも、皆さん、大盛りを注文

 

えびめしのソースの中身が書かれてあるのかと思いましたが違ったような・・・

えびめしは黒くて辛そうに見えますが全然辛くありません。

 

食後、西川を遡って街方面へ。

友人がお仕事のことで相談したいということである場所に行って来ました。

霊視能力のある人なのかどうかはわかりませんが、数秘学やタロットはなさっていました。

それぞれの性格傾向はとても当っていました。

ここは元お隣の奥さんに以前からお聞きしていた場所で、紹介ということで前世(あるいは守護霊)リーディングのサービスがありました。

これはみる人の霊格の高さによって見えるものやレベル(霊界の)が違ってくるそうなので、今までいろいろと言われて面白かったのですが、今回は初めて私は「地球人初めて」と言われました

お勉強の為に渋々自分で決めて地球に来たようですが・・・確かに今生、私は生まれて来たくなくて泣いていたのを瞑想中に思い出したことがあります。

レかセの付く星から来たみたいです。

どこ

でも、こういう星のことには疎いと言われていました。

私はもう肉体を持って生きるのはこりごりなので(今生、あまりに辛かった)解脱したいなどと不届きなことをずっと考えてきましたから、「帰れますか」とお聞きしてみたら「そのようよ」

こういうことって私にはまったくわかりませんが、何だか面白くロマンがあって楽しかったです

つまりこの方に寄りますと、私は宇宙人でした~

とてもじゃないですが、観音様みたいに「何度でも生まれ変わって衆生を救いたい」という境地には私は至れません

まだまだ修行が足りません

ちなみに友人は地球に何度も転生しているようでいくつかカルマがありました。

(私はなかったので、魂が古いか新しいかという話になりました)

これって数秘学でわかるのでしょうか

あとで、友人が「じゃあ、私達がカルマの解消と言って長いことしたのはどういうこと

以前、アガスティアの葉を開けたことがあるのです。

(何でもやっています

 

 

 

 

  イオン

帰りにイオンでお買い物。

岡山のイオンは駅前にあり、駐車料金がいるのです。

ベリベリジュースを飲み、果物をあれこれ買って帰りました。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと355日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.22

 

人生の指針となる尊徳の生き方と訓言

 

大事を成さんと欲する者は、
まず小事を務むべし。
それ小を積めば大となる。
━━━━━━━━━━━━━━
二宮尊徳(江戸時代の農政家)
○月刊『致知』2024年6月号
連載「二宮尊徳 世界に誇るべき偉人の生涯」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「二宮尊徳はどんな人か。
かう聞かれて、尊徳のことを
まるで知らない人が日本人にあったら、
日本人の恥だと思ふ。
それ以上、世界の人が二宮尊徳の名を
まだ十分に知らないのは、
我らの恥だと思ふ。」
――作家・武者小路実篤の言葉です。

白洲次郎、松下幸之助、吉田茂、
小林一三、稲盛和夫……
日本の歴史に名を刻む
数多の偉人の評伝を出版してきた
作家・北康利さんが、いま、
注目する人物。それが二宮尊徳です。

尊徳に深い敬慕を抱く北さんが
丹念に資料を紐解き、
ゆかりの地に足を運んで活写される尊徳の生涯は、
読む人にこれまでにない感動を与え、
大いに生き方の指針となる内容です。

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉+α】2024.5.22

 

世界情勢の緊迫に伴うエネルギー価格や
日用品の高騰、政治・経済リーダーの不祥事など、
私たちを取り巻く環境は日にちに厳しさ、
複雑さを増しています。

困難、複雑な時代の中で、右往左往せず、
自らの道を切り拓いていくためには、
何よりもぶれない中心軸、人間力が必要です。

そこで本日は、皆様の人生、
仕事を切り拓くヒント満載の厳選記事をご紹介します。

 

最悪の時こそ最高である
サイゼリヤ・正垣泰彦会長が語る「エネルギーの法則」


「世界で勝つには非常識を常識にせよ」
バレーボール女子日本代表・眞鍋政義監督が語る、チームづくりの要諦


環境は心の影 理不尽やいじめを受ける中で、「和食の神様」が心がけていたこと

稲盛和夫氏が教える人生百年時代の生き方 魂を磨き続けるシンプルな習慣

居合の道を五十余年 我いまだ熟さず

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母の面会④&コンタクトレンズに年齢制限あり?

2024年05月21日 22時42分07秒 | 医療、病気

 今日は朝から陽射しが強いと感じましたが、最高気温が29.6℃もあったようです。

最低気温も16.9℃とかなり高めでした。

睡眠不足なので、今日こそは早く寝ようと思っています。

お風呂に入って1時間半後に深部体温が下がるようで、それによって眠くなり、眠りも深くなるようです。

ですから、逆算してお風呂に入ればいいわけですね。

良い睡眠の為に夏でもシャワーだけではなくせめて5分でもお風呂に使って身体を温めたり汗をかくことが大切なわけがよくわかりますが、暑い夏にはやはりシャワーだけで済ませたいと毎年思います。

 

 

 

 今日も4時間睡眠でしたが、体内時計を戻すためにお散歩に行き、朝の太陽の陽射しを浴びためウォーキングへ。

今年の梅雨入りは遅くなるようですが、紫陽花は着々と梅雨の時期を迎える準備をしているようです。

教会の庭の紫陽花もはっきりと色付き始めてきました。

 

  

大好きな金平糖のような紫陽花も色付いていました。

 

 

 

 

ママ友ガーデン

 

七色の光が写って綺麗

 

こちらも光が降り注いでいます。

オーヴも

 

 

ジギタリスがお庭を華やかにしています。

 

 

 

 

野ばらとウツギが復活してきたようです。

 

 

けやきって本当に美しい。。。

 

今朝はママ友がいませんでした。

ゴルフかな~

 

我が家の柏葉紫陽花が満開に近づいてきました。

 

 

庭の隅でクリスマスローズがまだ元気です。

 

こちらは八重のジャスミン

今日の果物

水曜日が近づくに従って少なくなっていきます

 

10時、母の面会に行きました。

 

 

オオバオボタ

 

お部屋に入ると母はすぐには私とは認識していなかったようです。

口の中の痰が気になって・・・舌は更に荒れていました・・・それどころではなかったようです。

枕は長細いのを置いて下さっていました。

「キッチンペーパーとクリームを持って来たよ。クリーム、置いていたはずだけどなかった

「クリームはあったから持って帰って」

母が喉が渇いて死ぬように言いますので、エンシュアを飲ませようとすると、エンシュアが又固まっていました。

母の話ですと、夜中から固まり、喉が渇いても飲めなかったそうです。

看護師さんに「お願い」「助けて」と言っても若い看護師さんが「自分でせられ(しなさいの意)」「出来るでしょ」と言われて取り合ってくれないと泣くように言います。

エンシュアはなぜ固まるのかわかりません。

気温か乾燥か。

でも、私の経験ではどうも少しでも他の味のものと混ざると固まるような気がします。

看護師さんもまさかエンシュアが固まっているとは夢にも思われなったのでしょう。

このボトルが置いてあるから喉の渇きについては安心と思われたかも。

このことは知っておいて頂かないと大変なことになりますので、ナースコールを鳴らすと介護士さんが来られました。

そして、びっくり仰天

何度か訪問看護師さんにはお話したことがあります。

毎回ではなく、1週間に1度くらいのペースで固まります。

介護士さんは看護師に言っておきますと言われましたが、一度メーカーに問い合わせをした方がいいかも。

固まるとババロアみたいになりそれはそれでお昼間に食べることは出来ますが、母は何もすることが出来ませんので、喉が渇いたままの状態で気が付いてくれるまで居続けないといけません

 又、エンシュアを入れていたボトルを家から持って行っていましたが、日曜日に母が落として割れてしまいお電話がありました。

「ベッドの下で粉々になっているので捨ててもいいでしょうか」

「もちろんです。お願いします」と言いました。

そして、昨日、今日とこのボトルのスチールか何かで出来たような蓋(それにストローを刺して飲みますが、こぼれないようにしっかり閉まるようになっていて明らかに備品と分かるものなのですが)を探していましたが見つからないので、そのことも介護士さんに伺ってみました。

介護士さんはその時の当直の看護師さんに電話をして聞き、「捨てた」と言われたのでゴミ箱まで探して下さったようでしたが、すでに回収車が来ていたようです。

「すみません。若い看護師が気が付かないようで捨てたようです。」

「そうですか。わかりました」と私。

「捨ててもいいと言われたので全部捨ててもいいと思った」看護師さんと、備品なのでまさか捨てるという選択肢すら思いつかなったので「蓋は捨てないで」と言わなかった私。

以前にも庭師ではない素人の方が剪定をして下さった時、クリスマスロースなどもご存じなくて草と思われのか「抜いてもいいですか」と聞かれたことがありました。

その他にもユリとかも。

剪定後、満開のホトトギスが根こそぎ無くなっていましたので、お聞きしたら「何も言われなかったから抜きました」

まさか満開のホトトギスを抜かれるなんて思いませんでしたし尋ねられもしませんでしたので何も言わなかったのです。

でも、剪定をして下さった方は「切らないように言われなかったから切るものと判断」されたようです。

この時の私のショック。

ホトトギスが~

でも、もちろん怒ったり文句を言ったりはしません。

こういう行き違いって、私の言葉足らずなのかな、やはり。

コミュニケーション能力不足

介護士さんは続けて「私はすべきことはしましたからね、ゴミまで見たし」と言われました。

もちろんですとも。

誰も責めてはいません。

でも、あ~、難しいなぁと思いました。

 母の口の中には痰がありました。

私が居る間に3回ほど口腔ケアをし、「又、明日来るからね」と言いますと「もう死ぬ」と言います。

「死にはしないよ。」と今の状況を説明しましたが「むごい」と一言。

それが最初に書いた、若い看護師さんに言われた「自分で出来るでしょ」

「出来ないから頼んでいるんよ」と母は泣くように言います。

「助けて」と言ってもだめで・・・

母は熱はあってもその他は悪くないですし、大きな声も出ませんし、ものも言えないことが多いので黙っていることが多いせいで、多分緊急性がないということでそのままにされていることが多いのではないかと思えます。

もしのような状況に置かれたらどんなに辛いか。

そして言いました。

なかなか聞きとれないのですが・・・

「お母さんを呼びたいと思う時があるんよ」

「お母さん

「あなたのことよ」

「わかっているよ。電話をして。ここを押すだけでいいから」

あ~、でも無理だろうなあと思いました。

病気でなければ連れて帰りたいところです

年を取って自由が利かなくなると、こういうことも必然的に起こるのです。

帰る前に私が動いたせいでセンサーが作動して、看護師さんが来られました。

今日の日中の担当だと言われました。

エンシュアのこと、痰のことをお願いしました。

そして、母に安心するように言い、病院を後にしました。

そして、「毎日来るから」と。

面会時間は15分とか20分とか書かれてありますが、やはり長くなってしまいます。

 帰りにコンタクトレンズを本格的に注文する為に眼科に寄ろうと思っていましたが睡眠不足も祟って、エネルギー枯渇状態になりましたので一旦家に帰りました。

そして、午後3時からの診察時に行きました。

先日の眼科ではなく、ハードかソフトか目に合ったレンズを処方して下さると書かれてありましたのでそちらに行きました。

ここのところ裸眼で過ごすことも多かったです。

運転時もよく見えました。

少し前に総合病院に電話をした時もかなりよくなっていて、左は0.8と言われました。

でも、今日は夕方近くなったせいか左0.5と右が0.1

4シーズンのハードにしたいと思いましたが、ここの眼科には珍しくハードはあっても使い捨てはありませんでした。

使い捨てはメニコンだけのようです。

ドクターのおススメは年を取ったら入れないのが一番のようですが、ソフトおススメ。

年齢のことをよく言われますが、コンタクトに年齢制限があるのでしょうか

開口一番、看護師さんも「年齢的には入れない方がいい」と言われましたし。

65歳以上はダメとか。

友人達はしていますが。。。

私よりも上の年齢の人も。

白内障については老化なので防ぎようがなく、将来自分が不自由と思うか思わないかで判断したらいいと言われました。

ということで、結局2weekのソフトにしました。

外すことやしないことが多いので。

今日のクリニックはお試しの「トライアル」の料金は要りませんでした。

「普通要らないよ」と友人達は言いますが、前の眼科では1500円だったか要りました。

今回は度数をよく合わせて下さったので良く見えます。

でも、近くは裸眼が一番。

 

 

 

 話が飛んでしましましたが、面会後野菜とお花の苗を売っていましたので買って帰りました。

少し遅いそうですが、かぼちゃとキャベツとコキアを売っていました。

畑が空いているのでダメもとで育ててみることにしました。

 

 

買って帰ったかぼちゃ2苗、キャベツ2苗、コキア2苗。

 

結局、あれこれしていたら又、ブログアップが遅くなってしまいました

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと356日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.21

 

可愛がられる人間になる、頼まれやすい人間になる

 

可愛がられる人間、
頼まれやすい人間になることで、
様々な仕事を経験でき、
上の人に引き上げてもらえる。
これは仕事をする上で、
とても大切なことだと思います。
━━━━━━━━━━━━━━
道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)
○月刊『致知』2024年5月号
特集「倦まず弛まず」より
━━━━━━━━━━━━━━

●和食の神様と称される料理人・
道場六三郎さんは満93歳。
道場さんは若き日の修業時代、
どのような心構えで
仕事に臨んでいたのでしょうか。

『致知』5月号から、
仕事をする上で大切な秘訣が詰まった
道場さんのお話を紹介します。

……………………………………

19歳で東京の店へ修業に行く時、
父親からは「石の上にも3年。
いったん家を出て行ったら、
石にかじりついてでも我慢しろ。
決して音を上げるな」と。
母親からは「人に可愛がってもらいや」と。
この両親の教えを
とにかく素直に実践していましたね。

可愛がってもらうには、
挨拶もできなきゃいけないし、
昔は先輩の靴を揃えたり
磨いたりするのは後輩の仕事でした。

一緒に銭湯へ行けば先輩の背中を流す。
朝は誰よりも早く店に行き、
先輩の白衣と靴を用意しておく。
調理場も常にピカピカにする。
コンロやシンクの汚れは時間が
経つと落とすのが大変なので、
汚れたらすぐ拭く。
ゴミも落ちていたらすぐ拾って捨てる。
どうやったら親父さんや先輩が
喜んでくれるかということを常に考え、
朝から晩まで身を粉にして働きました。

そうすると、
先輩が料理のレシピを見せてくれたり、
新しい仕事を回してくれたりと、
腕をめきめき上達させることができました。
可愛がられる人間、
頼まれやすい人間になることで、
様々な仕事を経験でき、
上の人に引き上げてもらえる。

これは仕事をする上で、
とても大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

致知名言録2024年6月号

 

総リードには
「患難(かんなん)は忍耐を生み、忍耐は錬達を生み、
錬達は希望を生む。

そして希望は失望に終わることはない」

 

という言葉を、平成6年、三浦綾子さんを取材した折に教わった、

とあり、艱難を乗り越え、絶望を希望に変えた三浦綾子さんの姿は

私たちに希望と勇気を与えてくれます。

本日は、6月号の中にある、心に響く名言をご紹介させていただきます。


**************
●佐治晴夫氏(理学博士)
**************
僕は、あなたのこれまでが
あたなのこれからを決めるのではなく、

「あなたのこれからがあなたの
これまでを決める」と表現しています。

これからの歩み方次第で
過去の価値はいかようにも変えられrます。

―P12「希望は失望に終わらず」

 

**************
●中島伸子氏(井村屋グループ会長CEO)
**************
自分の人生のハンドルは自分しか握れない。

目の前に大きい壁が立ち塞がる時は壁に扉の絵を描く。
扉の鍵は自分が持っている。

心の中から鍵を引っ張り出して、扉の鍵を開けていく。

その力強さがあればどんな困難にも
立ち向かうことができる。

―P22「人生のハンドルを握り扉を開けられるのは自分だけ」

 

**************
●吉塚公雄氏(田野畑山地酪農牛乳会長)
**************

夢は実現できるか分からないけど、
精いっぱいを尽くすことはできます。
私も理想を目指す過程で何度も失望を味わいました。
でも私利私欲ではなく、
これが実現したらどんなにか皆が
よくなるだろうという希望を支えに頑張りました。
必ず克服のヒントはあるものです。
そこに向かう自分への信頼、
絶対にやるという信念が大切です

―P38「理想に向かって歩む自分を喜べ」


**************
●鈴木 徹氏(SMBC日興証券㈱所属パラ陸上選手)
**************

僕はいまの人生を心から楽しんでいます。
いろんな辛い出来事がある中でも、
常に少し先に目標や課題を設定することで、
次はどんな成長ができるかな、これから
どんな人生が待っているのかなって、
わくわくして仕方がないんですね。

―P64「挑戦する心が無限の可能性をひらく」

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入院は2週間③&ローズガーデン藤原

2024年05月20日 23時54分30秒 | 医療、病気

 今日は少~し薄雲がかかっていましたがとてもいいお天気でした。

最高気温は27.4℃。

友人と温泉は止めて、ローズガーデンに行って来ました。

 

 

 

 今日の果物

10時前、家を出て面会に行きました。

母はいつものように舌を拭きつつ、もうそのことしか考えられないようです。

母は私が行っても、顔をくしゃとして目をつむって口にばかり集中。

頭は又右に傾いています。

またおむつなどを挟んで頭が落ちないようにしました。

あっと言う間に20分が過ぎて30分が来ましたので帰ろうとしますと「むごいことをする」と言いました。

何にがむごいことか聞くと痰が詰まってもほったらかしだと言いますので、「看護師さんに痰を取ってくれるように頼んでおくから」と言うと頷きました。

ナースステーションに寄って痰のことと枕な何かベッドと母の身体との間に入れて下さるようにお願いしました。

 

 

 

 

教会に寄り帰りました、

 

11時友人がやってきました、

 

今日は岡山市北の方面へ。

素敵なおうどんさんに「連れて行ってくれました。

  

 

 

 

改築にお金をかけている感じ。

調度品も素敵でした。

 

 

広くて・・・

一番奥のお部屋に座りました。

 

天ざるうどん

 

お茶入れも素敵

 

 

 

どこの家具かな。

 

 

 

しめ縄もすごい

 

そしてお目当てのローズガーデンへ。

 

山陽放送で数日前紹介されたそうです。

 

美しい山々の中のローズガーデン

 

 

入口

 

 

 

 

 

 

たくさんのバラ

 

 

100種類170株だそうです。

 

 

 

 

 

 

ご夫婦でなさっていて、ご主人は奥様の名前のついたバラを作られたそうです。

「シャンテロゼミサト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素敵な「ローズガーデン藤原」でした。

帰りに敷島堂へ。

私はわらび餅入り黒糖&胡麻

 

頂いた奥様の名前のバラと「レオナル・ド・ダビンチ」です。

途中で担当のドクターからお電話がありました。

母は又お熱が上がったりし、病名は腎盂腎炎のようです。

入院期間は2週間と言われました。

朝ご飯は食べ、お昼は食べず。

8時頃、スマホから看護婦さんに頼んで電話をしてきました。

キッチンペーパーとクリームがなくなったので持って来てほしいと。

又、ヨーグルトもあと1個になったみたいです。

「明日も10時に行く予定だから」と伝えました。

 

 

 

 

うたた寝していてこんな時間になってしまいました

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと357日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.20

 

本田宗一郎のデザイン論

 

いいものをつくるには
いいものを見ろ

━━━━━━━━━━━━━━
本田宗一郎(本田技研工業創業者)
○月刊『致知』2007年8月号
特集「人は教えによりて人となる」より
━━━━━━━━━━━━━━

ホンダ「シビック」「アコード」
「オデッセイ」などの名車を手掛け、
日本の自動車デザインの
第一人者といわれる岩倉信弥氏。

自他ともに認める
「本田宗一郎に一番叱られた男」が
本田氏から言われたという言葉です。

岩倉氏はいかにして
本田氏から学び、デザインの道を
切り拓いていったのか――。

貴重なインタビュー記事は
ぜひこちらからご覧ください。

「いいものをつくるには、
 いいものを見ろ」本田宗一郎のデザイン論


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母は大丈夫そうです。②

2024年05月19日 22時53分00秒 | 医療、病気

 母が居なくても4時過ぎに目が覚めてしまいました。

いつものように。

今日は雨がもっと降るのかと思っていましたが、ほとんど降りませんでした。

 

 

 今朝の果物

10時から面会が出来ますので、お熱が下がったかだけでも知りたく思い、病院に行きました。

いつものように、外来の受付で病棟に電話をしてもらいOKが出ると2階へ。

そして、検温し名簿を書き、看護師さんに一言伝えてお部屋に行きます。

この時、母の様子や結果についてお聞きしましたが、「今日とは聞いていないから今日の予定はありません」

ドクターは今日と言われましたが、その予定はないと言われました。

様子をお聞きしてもノーコメント。

「医師から伝えます」

それはわかりますが、知りたいのは詳しい検査結果などではなく、熱が下がったのか、今大丈夫なのかそういうことです。

仕方がないのでとにかく母の部屋に行きました。

中のカーテンが開いていて外から母の様子が見えました。

母は又、ベッドの硬い柵の上に頭を置いて、変な顔をしつつ口を触っていました。

急いで中に入り、母に「こんな痛いところに頭を置いてはいけない」と言いましたが、正直どうしてこんな状況で放っておかれるのか理解出来ませんでした。

他に枕も何もないので、おむつにひざ掛けを撒いて頭とベッドの間に入れつつ、母に「お熱は」と聞くと「熱は下がったけどなあ、息が出来なくて苦しい」と言いつつ、キッチンペーパーで舌を触り続けています。

口腔ケアもまだの様子でした。

とにかくこの状況を何とかして頂けないか、頭も気を付けてもらえないかと思っていたら、先程の看護師さんがいらしてドアの外から「面会謝絶」だと言われました。

コロナの検査をもう一回するからと。

そして、癖でいつも柵に頭を置くので頭が痛くなるから云々と話し始めると、そんなことはどうでもいい、コロナの再検査が終わるまで入れないのだから出て下さいと言われました。

そこへ検査の為に別の看護師さんがいらして、母のおむつの件とか入院中のことや持ち物についての確認がありました。

そこでもう1回、頭が痛くなるから何かを挟んでほしい旨、伝えました。

結局、母から聞きましたので熱が下がったことはわかりましたから安心しましたが、熱が下がったことなどは何も言われませんでした。

「医師が電話をしますから、面会はそれまで遠慮して下さい」

いつコロナの再検査の結果がわかるかお聞きしてももう無駄なこと。

母の頭のことをお願いして、とにかくお熱が下がったことはわかったのでひとまず安心と思い、外に出ました。

でも、何か悶々。

今日は昨日とは違って、「落ち着こう、落ち着こう」と思いながらバラの写真を撮りつつ歩きました。

 

 

 

バラ達は本当に綺麗。

 

けやき通り

 

 

写真を撮りながら「そうだ、こういう時こそ訪問看護ステーションにお願いしよう」と思いました。

 

 

 

訪問看護師さんも病棟に看護師さんには遠慮されている風ですが、

 

聞いて下さったりは私よりも確実に出来そうなので、訪問看護師さんを通じてお聞きしようと思いました。

 

 

 

そして、電話をしたら、ちょうど担当の方が出られて、「今、院内にいますよ。昨日はごめんなさいね。大変でしたね。私も気になったのでささっき病棟に行って様子を見てきました。お熱が下がって良かったです。カルテを見ていますが、炎症の数値が高くて・・・」と教えて下さいました。

そうそう、知りたかったのはこれ。

「今、ステーションに居るので来て下さっていいですよ」

 

 

 

そこで、「では、直ぐに行きます」と言うことで行きました。

看護師さんは「今、行って来たのよ。私も気になって。」

「お熱が下がって良かったわ~」

そして、カルテを見ながら数値を教えて下さいました。

私は来ていることは車でわかったそうですが、病棟にもいないからどこにいるのかと思っていらしたようです。

先程の病棟での出来事を全部話しました。

バラで落ち着いていたのに、思いっきり話したものですから血圧があがった気がします

看護師さんは「わかるわ~。私も同じ立場ならそうだから。まず知りたいよね。子供が入院した時子供は自分で話せるから〇〇しなさいよと口で言えるけど、お年がお年だしねぇ」

そして、「これから1件訪問があるけどお昼には帰るから、又、連絡します」と言って下さりやれやれ。

そこへ、以前母が別の総合病院に救急車で搬送され、今後の延命処置などの話があり、母は母で縛られたりミトンをはめられたりして、嫌がって泣いて大変だった時、私の血圧が200まで上がり、ここのクリニックに経過報告に電話をした時に「こっちにおいで。血圧ぐらい測ってあげるから。いつまででも待っているから大丈夫よ」と言って下さった外来と往診の看護師さんがいらっしゃいました。

まだお若いですが、もう無条件のオーラが出ていて、彼女の顔を見ると泣きそうになるのですが、やはり、今日も悲しくもないのに2人の看護師さんに受容してもらえた安心感からか目に水が・・・。

涙ではないのですが、目から水がじわっと~。

いえ、それを人は「涙」と呼ぶのですが、何だか勝手に水が瞳の中にじわっと湧いてきたみたいな・・・

「私もうブラックリストに載っていますよね」と言いました。

「何ですか、それ」と言われるので

「娘がそう言うんです。私なら要注意人物として〇しておくわ」と以前、娘に言われたことがあります。

「娘さん、面白いこと言うね」

うるさい家族だと思われているかもしれませんが、欲しいのはたった一言「お熱、下がりましたからね」

それに99歳までがんばって生きている人を粗末に扱って欲しくないと、自分のことは棚に上げて思うのです。

決して粗末には扱ってはいらっしゃらないこともわかりますし、一人にかかりっきりになれないのもわかりますが、家族はいつも心配しているのです。

 

 その後、予定通り、前のお隣の奥さんとのモーニング会へ行きました。

 

今日は彼女の希望で、シェアしました。

11時前から12時半くらいまでいつものようにおしゃべり。

その後、1時前にお約束通り訪問看護師さんからお電話がありました。

コロナは今日も陰性。

炎症反応の中の細菌性の項目が高いみたいです。

続けて1時過ぎにお約束通り、ドクターからもお電話がありました。

今までの経過と結果を詳しく教えて下さり、「今後のショートとかどうなっている

「夕からお食事も開始になり、お熱も下がったので、退院とか今後のことは明日担当医と相談して決めて下さいね」

夕方、病棟の看護師さんから、母が家から持参したボトルを割ってしまったので廃棄してもいいかということと、又持って来て下さいと電話。

様子を知らせて下さり「ご機嫌いいですよ」

良かった

 

 

 今日はコメダに入る直前にお婿ちゃんから昨日に続いて電話があり、続いてドラッグストアでも電話があり~。

やっと家に帰ってから私からビデオ電話をかけて落ち着いて皆と話しました。

入れ替わり立ち代わり4人と話をしましたので、4時間くらい話したかも。

今の生活や旅の話など本当にいろいろな話をしました。

一番話したのは娘。

最初は母の話をしばらくしました。

確か「プロカルシトニン」の数値が高いと言われたような・・・

その時は覚えていたのですが。

「熱で入院させてくれたの」と驚いていました。

高齢ですし日本ではそうなると思いますが、このような手厚い国はなかなかないようです。

その後は娘の挫折感のような話でした。

やはり英語が出来ても特殊な環境下での英語能力が求められますのでそれは大変だろうと思います。

娘に言いました。

「人生に成功も失敗もないと母は思うよ。あるのは体験だけ。その経験を大切に。誰でもこの経験が出来る訳ではないのだから、大変だと思うけどね。楽しんで」

孫娘は最後にご飯と豚汁と昆布と梅干しを食べているところを見せてくれました

冷蔵庫の中も説明してくれました。

孫息子は恐竜の話オンリー。

この子は日本語がかなり怪しくなっていました。

お婿ちゃんともあれこれ話しましたが、おかしかったのは孫娘がパパに抱っこをせがんで抱っこした時"jealousy"

娘にキスしつつ"jealousy"

はいはい、jealousyよ

面白い子です。

癒し系

話し続ければまだまだ続いたことと思いますが(特に娘と)、4時から私はZoomでカウンセリングのお約束をしていたので切りました。

その後、2時間会話。

今日は一日中しゃべってばかりとなりました。

一日中誰とも話さない日もあると思いますので、こんな日もありです。

とにかく、母のお熱が下がってくれたからこそおしゃべりも楽しく出来ました。

 

 

 

 

朝花開き始めを取れば良かったのですが、時間がなく夕方撮りました。

「サムライ」です。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと358日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.5.19

 

盲目の人間国宝が教える幸せに生きるコツ

 

私はいい人と歩けば祭りだし、
悪い人と一緒だと修行だと
思っていつも歩いてきました。

━━━━━━━━━━━━━━
小林ハル(越後瞽女・人間国宝)
○月刊『致知』2000年4月号
特集「苦難は幸福の門」より
━━━━━━━━━━━━━━

三味線を弾きながら民謡を唄う
盲目の女芸人・瞽女(ごぜ)。

その瞽女として
人間国宝にも選ばれた
小林ハルさんは、
生後100日の時に
両目の視力を失い、
その後幼いうちに
両親を亡くすなど、
様々な困難を経験されたと
いいます。

100歳を迎えた
小林さんが語る
人生を幸せに生きるコツとは――。


* * *


瞽女は目が見えないので、
必ず「手引き」という目の見える人と
組んで旅に出かけます。

いつも気の合う人と
歩ければいいのですが、
そういったことは滅多になく、
あの人と歩いたり、
この人と歩いたりと、
いろいろな人と
組まなければなりません。

だから、瞽女の組み合わせは
一つの修行といってもよいかもしれません。

私はいい人と歩けば祭りだし、
悪い人と一緒だと修行だと
思っていつも歩いてきました。

七十三歳の時、
私は老人ホームに入りました。
このホームに入っている人たちは
ほとんどが目の見える人たちで、
同室になった四人のうち
一人だけ意地悪な人がいました。

その人は私よりも
二つか三つ年下で、
連れ合いを亡くし、
子どもたちがみんな独立して
自分一人になったので
ホームに入ったようです。

入った時からその人は、
私にいろいろな意地悪なことを言いました。

「目が見えなくたって、
ごはんが食べたいんだか」

とか、

誕生会で唄を唄うと

「瞽女だと思っていい気になっている。
目の見えないざまして
いっちょうまえ(一人前)の
気になっている」

と事あるごとに
意地悪なことを言うのです。

家のやっかいになるまいと思って
ここに来ましたが、
ここもまた切ないところだなと思いました。

しかし、年を取って
どこも行くあてがなくて
ここに来たのですから、
諦めるより仕方がありませんでした。

どこへ行っても、
いくつになっても
いろいろな苦労があるものです。
しかし、神仏はすべてお見通しです。

人に言いたいこと、
したいことを
何も考えないでしていると、
必ず天罰があたる。

私は決して無理なことを言ったり、
したりしないですべて
神仏にお任せしてきました。

言いたいことは
いっぱいありましたが、
それを口から外に出してしまえば
必ずバチがあたります。

ホームでこうやって
世話をしてもらうだけでもありがたい。
いくらなんでもこの年になって
外や雨のあたるようなところには
いられないのですから、
ここへ来たらそれが務めだと思って、
そういう人に対してはなおさら
気がねして努めてきました。

考えてみれば、
ホームの組み合わせは
瞽女と同じようなものです。
ホームも組み合わせで
良い人と組めば祭りだし、
悪い人と組めば修行です。

それでも瞽女は短くて一か月、
長旅でも半年もすれば
組み合わせが変わります。

ホームは一度組むと
二年も三年も一緒ですから
辛いところもありますが、
幸い私は三年目から
いい人と同じ部屋になり、
もう姉妹のように
お付き合いさせていただきました。

私は目が見えないので、
どんな目に遭っても、
どんなことがあっても
人には背くまいと
思って生きてきました。

そうやって努めてきたからこそ、
いまはこんなに幸せで
気ままに生きさせて
もらっているのだと思っています。

若い時の苦は楽の種という
言葉がありますが、
百歳になったいま、
そのことをしみじみと
実感しています。

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母が入院しました。①

2024年05月18日 22時23分00秒 | 医療、病気

 今日は暑かったです。

何故か県北は30℃を越えたようですが、岡山市は28.5℃。

最低気温は12.3℃。

そんな中でも母は寒いと言っていました。

 朝の7時にヘルパーさんが来て下さった時にはおでこで測られて36.3℃くらいでしたが、脇下で測るのと随分と差が出ることがありますので、脇下で測り直して頂きました。

36.9℃でした。

その後、パン粥やコーヒーを美味しいと言って食べましたがパン粥は半分くらい。

そして、座ったままうつらうつらするのでベッドに連れていました。

夜中の3時18分、何回か寝言を言ったりしていましたので、睡眠不足かなと思いました。

それからは何も欲しくないと言ってエンシュアだけ。

看護師さんが1時半の予定でしたが、緊急が入り、小一時間遅れて来られました。

いつもの看護師さんはお休みでしたので、(朝、心配してお電話を下さいました)、別の方が来られました。

お熱は最初は37℃台でしたが、徐々に上がって38.0~38.4℃。

今日は暑いのに母はいつものように寒いと言っていましたが、昨日よりは薄着。

看護師さんも迷っておられたようで担当の看護師さんに電話をしたりされていましたが、万が一を考えられて検査をしてもらっていた方がいいということになり、感染症外来へ電話。

車椅子で外まで連れて出て、私の車に乗せました。

クリニックから来るように電話があった後行くわけですが、それでも車の中で待機しないといけないので、介護タクシーより私の車の方がいいと判断されたようです。

母を私の車に乗せることはもうないかもしれないと思っていましたので、行先は病院でしたが、何だか嬉しく思いました。

(いっそ、車椅子が乗るように改造しようかと考えたりもしていますが。)

家を出たのが3時半過ぎでした。

感染症外来に入ったのが4時。

コロナも他の感染症も一応陰性でした。

その後、誤嚥性肺炎や尿路感染症で今まで入院していますので、CTや尿検査、血液検査をしました。

CTも尿検査も異常ありませんでした。

ただ、母の顎はがくがく。

こんなことは初めてなので大丈夫かなと思いました。

又、お腹をドクターに触られると痛がります。

それを2回ドクターにも言いましたが、「便秘ではある」と言われました。

その後、ドクターが「どうされますか 解熱剤をお出ししますから帰られますか それともご心配なら入院されますか

「あ、でも、ちょっと待って。もう1回お熱を腋窩 (えきか)で測ります」

すると39℃に上がっていましたので「入院しましょう」

血液検査結果の詳しい培養等は1週間くらいかかるそうですが、それ以外は明日わかるそうです。

266号室

 

遅くなった時の為に定時のお薬だけは持っていましたが、荷物を取りに帰りました。

6時15分くらいだったと思います。

まだ、外は暑かった。

駐車場に行くまでに歩きながらバラの写真を撮りました。

 

 

 

 

 

前も綺麗でしたが、まだ咲き続けていてとっても綺麗でした。

 

 

 

 

紫陽花も咲き始めていました。

 

 

 

 

帰って準備して家を出たのは7時15分位。

ちょうど夕焼けが綺麗でした。

お部屋に入ると水枕をして下さっていました。

看護師さんがお熱が上がって39.4℃になったと言われていました。

母は病院に着いた時には目がぱっちり開いていましたが、何となくうとうと状態。

「又、明日来るから」と言うと反応はありました。

家に帰ったら8時でした。

病院に居るのでとりあえずは安心です。

でも、一体何の病気

 

 

 

 

 

 今朝のお散歩より

 

 

我が家の🍋レモンも昨年はこんな感じでした。

 

教会

 

金平糖のような紫陽花も咲き始めそう。

 

 

 

 

ママ友ガーデンです。

今日はオープンガーデンのようでバタバタと準備をしていました。

 

 

「又、お茶でも飲んで行って」とママ友。

「母がショートに行ったらお邪魔するわ」と私。

 

 

 

このけやきとウツギと野ばらが美しい

でも、強風でちょっと残念。

 

 

 

別の道を通って帰りましたので、別のお花に出逢えました。

 

 

 

我が家に到着。

 

🍋レモンがナメクジに食べられてしまっていました。

そして、これはアゲハ蝶の幼虫

 

 

モミジアオイが大きくなっています。

 

 

 今朝の母はパン粥とコーヒーとこのムース食も出してみたのですが、一口食べて「こりゃいけん」

美味しくないから食べられないと言いました。

 

 

今日の果物

 

午前中は雲がダイナミックでした。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと359日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.5.18

 

どんな暗い時代も希望を持とう。
どんな時も意気消沈してはならない。

━━━━━━━━━━━━━━
カール・バルト(二十世紀の神学者)
○月刊『致知』2024年6月号
特集「希望は失望に終わらず」総リードより
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉+α】2024.5.18

 

1時間で読めて、一生心に残る本

 

過去を追うな。未来を願うな。
ただ今日成すべきことを熱心になせ

━━━━━━━━━━━━━━
釈迦
最新刊『生き方心得帖(藤尾秀昭・著』より
━━━━━━━━━━━━━━

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母の熱

2024年05月17日 22時07分00秒 | 介護

 今日も快晴でした。

日中は暑くなりましたが、昨日よりは空の蒼さが水色っぽかったように思います。

 

 

 朝のお散歩

朴葉かなと思いますが。。。

 

今、あちらこちらでピンク色のヒルザキツキミソウが咲いていますが、生命力逞しいです。

ブロックの塀の厚さがあるのに長く伸びて咲いていました。

教会のお花

 

アナベルです

 

 

ママ友ガーデン

 

昨日の強風でほたる草が倒れていました。

 

ちょうどママ友が車からお花を降ろしていました。

2時に目が覚めて眠れなかったので4時からお花を買いに行ったそうです

上には上がいて2番手だったそうです。

そこのスーパーのお花コーナーは6時に開いて、買えるそうです。

安いのですごい人のようです。

このフランネルフラワーもなでしこも、ひと苗40円。

10個買ったら400円。

でも、一ケース40個入りを買うと480円だそうです

車の外にもこんなに

「今日、植える」と言いましたので「明日を楽しみしてる~」と言いました

 

一緒にウツギと野ばら(原種だそうです)を眺めたのですが、昨日の風ですごいダメージを受けていました。

 

 

今日の果物

 

朝のお水遣り

 

切り戻しをしたビオラが咲き始めました。

 

何と、きゅうりが生っていました

枯れたと思っていた山椒も

お昼ご飯に又、いなり寿司を作りました。

オリーブオイルが無くなってきましたのでいつものように2Lをネットで購入。

値段が上がる前に買えば良かったのですが、すでに品切れ状態でした。

いつも無農薬のエキストラバージンオイルを選んでいますが、ここのメーカーは初めてです。

どんな味か楽しみ

草っぽい香りのするストロング系が好きかも。

 

 

 今日は母が熱が籠ったのかお熱が・・・

看護師さんが来て下さったお昼過ぎに37.7℃⇒37.3℃。

その後リハの方が来て下さった時には37.2℃⇒37.0℃。

でも、その後、やわらかチキンの小さな片を口に入れたせいなのか他の原因なのか咳き込み始めました。

看護師さんが吸引器を持って再び来て下さいました。

お熱は37.6℃⇒37.3℃⇒37.5℃。

「吸引しようか」と母に言われると母は「せんでも良かろう」(しなくてもいいのではないかという意味)

看護師さんが母の言い方に笑われました

夕方ヘルパーさんが5時半の予定でしたが6時過ぎても6時15分になってもいらっしゃらない。

結局、予定表を作られる方が落としていらしたそうです。

1時間遅れで来て下さった時にはまだ看護師さんがいらっしゃいました。

看護師さんは1時間以上居て下さり帰られたのは7時。

お熱以外はすべていいので「籠り熱」だろうと言われましたが、万が一の場合の指示を下さいました。

お熱が38℃出たらカロナール。

酸素の数値が95%切ったら連絡すること。

ヘルパーさんが帰られたのはその後少ししてからでした。

帰られる直前に計って下さったら37.8℃

お熱を測る時に母にもっと脇の奥に入れるように言われたそうです。

「奥」と

「はい」と答えながら苦笑。

9時に私が測った時には37.1℃、Spo2は96%、脈は57。

今日はお薬が遅れていますので、0時当たりに飲ませないといけません。

様子を見ながらしばし待機です。

 

 

 

 

母は今日「あと360日」だと言いちゃんとわかっていますのでびっくりしました

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと360日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.5.17

 

逢うべき人には必ず逢える

 

人間は一生のうち、
逢うべき人には必ず逢える、
しかも一瞬早過ぎず、
一瞬遅すぎない時に──
━━━━━━━━━━━━━━
森信三(哲学者)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━━━━━

●哲学者であり、
「国民教育の師父」と仰がれた
森信三先生の有名な言葉です。
人間のみならず、
本や言葉、出来事……、
あらゆる出逢いは、起こるべき時、
出逢うべきその時に、
寸分違わず訪れるものなのかもしれません。

SNSのシェアボタンから
お知り合いに壁紙を
シェアしていただけたら幸いです。

●森信三先生はこのような人物です

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

マズローと至高体験(人間の欲求の段階)


バラ十字会日本本部AMORC

 

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121522&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、マズローの欲求の5段階説、8段階説、スパイラル・ダイナミクスを示すイラストなどが掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121523&c=3304&d=ed84

(マズローの心理学とは?欲求段階説について簡単に説明)

━…………………━


東京板橋の今週は、まだ梅雨は近くないとは思いますが雨の多い日々でした。

昨日はベランダで育てていた春菊を収穫しました。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、人間の欲求の心理学を話題にしたいと思います。



欲求(needs)は願い、願望、望みなどと、多少ニュアンスの違う言葉に言い換えることができますが、私たちの人生にとってあまりにも重要な要素ではないでしょうか。

自分が何を望むか、周囲の人が何を望んでいるか、自分の身体の状態、環境の4つによって、人生のほとんどが決まっているとさえ言えるのではないでしょうか。



また、現在の世界の状況は、あまり好ましいものではないとお感じになっている方が多いと思いますが、それらは多くの人の、あるいは一部の人の人間的欲求に左右されているとは言えないでしょうか

人間の欲求がこれからどのように変化するかが、これからの世界の動向を左右する最大のファクターではないでしょうか。



個人というレベルで考えても、人生の学習、つまり豊かに幸せに生きるために役立つ学習としても、人間の欲求についての心理学は素晴しいテーマだと思います。


◆ マズローとは

アブラハム・マズロー(1908-1970)はアメリカ合衆国で生まれ活躍した心理学者であり、特に、人間の欲求の階層説(段階説)を唱えたことでよく知られています。

この階層説は、マズローのピラミッド、マズローの法則と呼ばれることもあります。


・ マズローと心理学の動向の変化

心理学者というと皆さんは、誰のことを真っ先に思い浮かべるでしょうか。フロイトでしょうか、ユングでしょうか。それともアドラーでしょうか。


20世紀の初めに、彼らが作り上げた分野は精神分析学と呼ばれます。

この心理学が主に目指していたのは、心に病を抱えている人たちを救うことでした。

人の心には潜在意識という部分があり、行動に大きく影響を与えていることがわかりました。



またこの当時、心理学には別の流れもありました。急速に発達した物理学に影響され実験を重視するようになった心理学で、行動主義、実証主義と呼ばれています。



そしてアブラハム・マズローによって、この2つの心理学に転機がもたらされます。

マズローは、心の病を抱えている人だけでなく、心の健康な人も研究すべきだと考えたのです。

彼の創始した心理学は人間性心理学(ヒューマニスティック心理学)と呼ばれます。

(写真:アブラハム・マズロー)


そして彼は、長く多面的な調査を行なった後に、人は潜在意識に、それほど絶対的に支配されているわけではなく、実験だけでとらえられる存在でもないという結論を出しました。

そして、自由意志を用いて、創造的で幸せな生き方を実現することは、人の誰もが本来持っている能力であると考えました。

人間についての、とても明るい見方だと思います。


・ 『至高体験』についてのマズローの見解

またマズローは、このような自己実現をなし遂げている人の多くが、『至高体験』(Peak Experience)と呼ばれる経験をしたことがあるということも発見します。

世界と自分が一体であることが感じられ、あらゆるものに生命が満ちていて、すべてのものごとに意義が感じられる体験です。



マズローのこの発見から、自己を超越する能力に特に注目する、トランスパーソナル心理学という分野が生まれます。



ところがここで、疑問が生じます。誰もが持っている人の自然な能力によって、自己実現、自己超越をなし遂げることができるのだとしたら、それをなし遂げる人が、世の中でほんの一握りであることはなぜなのでしょうか。

マズローは2つの原因を挙げています。


ひとつは「ヨナ・コンプレックス」と呼ばれます。ヨナは、神の言葉を聞くことができたにも関わらず、臆病さのためにその通りに行動せず、それが原因で魚に飲み込まれたという、聖書の逸話に出てくる人物です。


自己実現を達成すること、天職を見つけること、幸せになること、至高体験を得ることなどを恐れる性質が人間にはあることをマズローは発見し、この性質をヨナ・コンプレックスと名付けました。

これらが実現できる可能性が身近に感じられると、とたんに恐ろしくなって、実現に向かって進むことを止めて逃げてしまうことが、人には往々にしてあります。

(イラスト:至高体験のイメージ)


◆ マズローの心理学

・ 人間欲求の段階説(初期の5段階説)

自己実現、自己超越がそれほど簡単でない第2の理由は、「欲求の段階説」という考え方に関係しています。

マズローの初期の考え方によれば、人の欲求は主に5つの段階に分けることができ、この見方はマズローの法則と呼ばれることもあります。


最も基本的な欲求は「生理的欲求」(physiological needs)です。


食事とか睡眠とかの欲求で、これらをある程度満たすことができて初めて、人には次の「安全の欲求」(safety needs)が生じるようになります。


そして、自分が安全であることをある程度感じることができるようになると、3番目の「社会的欲求と愛・所属の欲求」(belongingness needs)が生じるようになります。



同様にして、4、5番目に生じる欲求は次のようになっています。


4.「承認・自己承認の欲求」(esteem needs, self-esteem needs:他の人から価値ある人だと見なされること、他の人の中で価値ある人であること)


5.「自己実現の欲求」(self-actualization needs:自分の才能や能力を開発し、活用すること。目標を追求すること)

(イラスト:マズローの欲求の段階説(初期、5段階))


・ 人間欲求の8段階説(拡張されたマズローの法則)

1970年にマズローはそれまでの5段階説を拡張して、4番目の「承認・自己承認の欲求」と5番目の「自己実現の欲求」の間に2つの欲求を追加し、また最上位の欲求として「自己超越の欲求」を加えています。


この結果マズローの理論は1~4の段階は以前と同等ですが全体として8段階の理論になっています。


5.「認知の欲求」(cognitive needs:創造性、先見性を発揮すること、好奇心を満たし、ものごとの意味を知ろうとすること)


6.「美的な欲求」(Aesthetic needs:自然の美しさを体験すること、美的な個人としてスタイルを見いだすこと、自分にしっくりとなじむ場所に住むこと)


7.「自己実現の欲求」(self-actualization needs:自分の才能や能力を開発し、活用すること。目標を追求すること)


8.「自己超越の欲求」(self-transcendence needs:子供のような素朴さ、文化の超越、至高体験、他の人を支援することを目的として生きること)



ある個人がどの段階の欲求におおむね満足していて、どの段階の欲求を主に持っているかということは、その個人の心理面での発達のレベルを示しています。

これは8段ある階段のようなもので、飛ばすことなく下から順番にひとつずつ上がっていかなければなりません。

そのため、すべての人が7番目の段階に達しているわけではなく、8番目に達している人は、さらにわずかになります。

(イラスト:マズローの欲求の段階説(拡張版、8段階))

◆ 欲求の段階説の活用例

欲求の段階説は、多くの分野に活用されています。ここでは概略しかご説明できませんが、インターネット上に多くの記事が存在しますので、ご興味のある方は調べてみてください。



・たとえば会社のマネージメントにおいては、報酬、福利厚生、役割分担、業績評価、社員教育のそれぞれについて、欲求の各段階に対してマトリックス状の検討を行うことにより、課題と行動指針を明確にすることができます。


・マーケティングへの応用もよく知られています。ある商品の広告戦略を立案するときに、その商品を購入したいという欲求が、主にどの段階のものであるかを見定め、それを欲求の段階説の解説と比較することによって、その欲求が実際にはどのようなものであるかということについての明確な観念を得ることができます。


・その他にも、学校教育、看護への応用も有名です。これはマズローの研究が人間の行動を単なる環境への反応ととらえるのではなく、人間の欲求の全体に対するアプローチであることに由来しています。

(写真:森の階段を登る子供)


◆ 進化心理学とスパイラル・ダイナミクス

今までのご説明に現れているように、マズローが示した人間の欲求の段階は、人間の内面の進歩としてもとらえることができます。

そして、人間進歩についてのこのような研究は今も続けられています。



アメリカの心理学者ケン・ウィルバーによれば、この進歩は個人が成長とともにたどる内面的な進歩であると同時に、世界の各地で、社会が歴史的にたどってきた進歩でもあると考えることができ、その研究は進化心理学(evolutionary psychology)と呼ばれています。



現代の心理学者は幅広い調査を行い、マズローの理論を精密化して、何が真実や道徳の基準とされたかに特に着目して、人間の心理の歴史的発展について、スパイラル・ダイナミクス(Spiral Dynamics)という分類を作成しました。

ご興味をお持ちの方は、次の記事、特に後編をお読みください。


▼ 参考記事:『胎児と子供は、人類の歴史を繰り返す(前編)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121524&c=3304&d=ed84


▼ 参考記事:『胎児と子供は、人類の歴史を繰り返す(後編)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121525&c=3304&d=ed84

(イラスト:スパイラル・ダイナミクス)

◆ 含まれ超越される

しかし、このことは、心理学を基に作られた差別主義にはあたりません。

ケン・ウィルバーによれば、進歩の段階が次に移行するとき、過去の欲求は新しい欲求に取って替わられるのではなく「含まれ超越される」のだそうです。

つまり食欲や性欲や睡眠欲、安全への欲求は、捨て去られるべき低級な欲求ではなく、たとえば道徳的でありたいというような、それより上のカテゴリーの欲求を支える基礎として働きます。



彼によれば、このことは内面的な進歩だけではなく、あらゆる進歩にあてはまります。

たとえば、宇宙の歴史には、まず原子が現れ、次に原子が結合して分子が現れ、分子の複雑な組み合わせによって細胞が現れ、その組み合わせである、私たちのような多細胞生物が現れました。

多細胞生物には、以前のレベルを「超越」した多様性がありますが、原子や分子や細胞が、多細胞生物より劣っているのではありません。

優劣の問題ではないのです。多細胞生物には、原子や分子や細胞が「含まれ」ていて、それに基礎にして生きることができます。



マズローの欲求の段階説によって、人の内面の発達には社会という要素がとても大切なことがわかります。

生理的な欲求や安全の欲求を満たすためには、何よりも安定した社会環境が必要とされるからです。

貧しい国や紛争地には、安全の欲求どころか、生理的欲求を満たすことも難しい人たちが多くいることでしょう。



先進国に生きている私たちは、内面の進歩にとって、かなり有利な状況にいることになります。ほんとうに幸せなことです。

この幸せが早く世界中に広がることを心から願っています。

そして、私たちのようにこの幸せを手にしている人は、自己超越の段階に早くたどり着く努力を重ねて、その成果を世界の精神面での進歩のためにフィードバックする責任があるのではないかと感じます。


◆ 自己超越の段階にたどり着くための鍵

では私たちが、人間欲求のこの階段を順調に上っていくためにはどうすれば良いのでしょうか。マズローは次のことを勧めています。



1.日常で、時間もプライドも忘れるほど何かに没頭する機会を持つこと


2.人生は選択であり、内面の成長は、どのような選択を行なうかにかかっているということを自覚すること


3.自分の心の内側の声に耳を傾けること


4.他の人からどう思われるかを気にしすぎずに、嫌なものは嫌だとはっきり言うこと


5.仕事に真剣に取り組み、能力をできるだけ発揮すること


6.他の人の欠点ではなく長所を見るように努力すること


7.自分の心理的防衛を発見し、それを捨てるように努力すること


いずれも、実に素晴しいアドバイスですね。一方で、かなり耳が痛いです。



最後の「心理的防衛」は、もしかしたら耳慣れない言葉ではないでしょうか。

大ざっぱに言えば、自分の心を守るために、欲求が自分の中にあることを認めずに潜在意識に押し込めてしまうことです。

心理的防衛には、抑圧、投射、分離など、いろいろな種類があります。

ご興味のある方は、これらの言葉をインターネットで検索すると、有意義な情報がいろいろと得られることと思います。



至高体験を先ほど話題にしました。

マズローが至高体験と呼んだことは、バラ十字会のような神秘学派では神秘体験と呼ばれています。

マズローの研究によれば、聖人君子や歴史上の偉人だけでなく、誰にもこの体験を得る能力があり、それは人の内面の進歩における自然なできごとであり、また、内面の進歩のための起爆剤になると考えられています。



バラ十字会も同じ意見です。

そして、神秘体験を含む内面的な進歩全般のための学習カリキュラムを、世界中の方々にご提供しています。



通信講座の実際のカリキュラム、期間について知りたい方は、こちらのページをご覧ください。

「教材の内容」: https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121526&c=3304&d=ed84



また、初回教材を今すぐ手に入れたいという方は、下記のURLをお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121527&c=3304&d=ed84



最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

では、今日はこのあたりで。


また、お付き合いください(^^)/~


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■ 編集後記

ホオベニエニシダという花のようです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1121528&c=3304&d=ed84

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コメント (2)
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