今日も風が強く、一層寒い一日となりました。
一時雪が舞いました。
明日は又一段と寒いようです
今朝の果物
ちょっと今日は地味でした。
柿もいちごも無くなりましたので~
今日のおやつ
ミニチーズとミニヨーグルトと
六花亭のストロベリーチョコレート・ホワイト2個
ホワイトチョコレートはそんなに好きではありませんが、これだけは別。
ドライストロベリーとの相性がとっても美味しいです
庭にポンカンを切って置いてみました。
1時間半後くらいに鳥がやってきましたが、写真を撮ろうとすると逃げていきました。
剪定前はメジロが来ていましたが、今は来ていません。
結局、留守の間についばんだ後が見られ、ポンカンが落ちていました。
午後からお買い物をして母の所へ。
雪が降る少し前の空です。
昨夜、私は7時から母に電話をしても留守電に変わったり、取っても何も言わなかったり。
母は8時から私に電話をかけ続けて、母の声は聞こえず、また、私の声も母には届いておらずの繰り返しで。
9時を過ぎてしまいましたが、気になりますので遠慮しつつも、診療所へ電話をしました。
看護師さんが母のところへ行って下さることになりました。
そして、音量を上げスピーカーにして下さり、やっと話が出来ました。
母は「昔の職場の友人に手紙を書いたので封をして切手を貼って出してほしい」と言いました。
酸素吸入はまだしているようでしたが、食べることはOKなようでした。
早速コーヒーゼリーを食べたと言っていました。
そこで、今日、バナナも必要ではないかと思い、すぐに傷むので1本入りを2本と「あまおう」を買って持って行きました。
1階で看護師さんが降りて来られるのを待っている間、たまたまドクターにお会いしました。
今の母の状態を説明して下さいました。
また、母の気持ちは「施設へとなっている」と言われていました。
「それは私への遠慮でしょうか」と伺うと「それだけじゃなく、こんなに調子が悪いのでは家で娘一人が世話をするのは無理」だし、自分の体調への不安もあるとのことでした。
「今回の誤嚥性肺炎のことで、家ではきっと見つけられなかったと思いますのでやはり、家では無理かなと・・・」と言いますとドクターは「それは施設でも一緒よ。往診か受診しなくてはわからない。」
昨日の老人ホーム紹介のお話もして、紹介された先には先生は来て下さることは可能かどうか伺ってみましたところ、はっきりとは言えないけれどもちょっと遠いしそちら方面には行ったことはない。又、緊急の時に間に合わない等々。
どうも無理なようです。
ドクターは「大切な一生の問題だから、一度家に帰って(退院、または一時退院して)一緒に見に行くなどして納得したところへ決めた方ががいいと思う」と言われました。
施設なら病院から直接行くと言われるものと思っていました。
私は例え施設に決めるにしても家に一度は帰してあげたいけれども、ケアマネさんでさえ反対でしたから。
ましてや、経験のあるママ友や友人も「家に帰したらダメよ」と必ず言います。
・・・と言いますか、その前に母は家に帰って来ることが出来る体調なのか、そういう余力があるのかどうか
私はもうその力がないのかと思っていました。
あとで(夕方)、ソーシャルワーカーのYさんからお電話があり(昨日の老人ホームの話の結果を聞かれたかったようです)話をしたのですが、「そのあたりのことも又ドクターからお話をしてもらいましょう」と言われていました。
電話がなかなか通じないことも相談してみたところ(病棟にかけるばかりするのも申し訳ないので)、病棟の看護師さんに時折気にかけて下さるように頼んで下さるとのことで安心しました。
又、空いているかどうかはわからないそうですが、もっと近くに「サ高住」はいろいろあるそうです。
「ゆっくり決めた方がいい」とやはり言われました。
昨日の方はやたら急がせました。
マンションと同じで条件のいいところはすぐに埋まるので「今日にでも見学に」という感じでした。
その割に「金曜日でお願いします」とお電話した時には、昨日の今日なのに私がどこの誰かわからずとんちんかんなことを言われて でした。
しかも金曜日は施設側がダメな日で、一番早くて来週の木曜日だそうです。
施設そのものはいいのかもしれませんが、この方に問題ありです。
「今後の為にも見学することはいいことなので行ってみることはいいこと」だとソーシャルワーカーさんが言われましたので、見学には行ってみようと思っています。
話は戻りますが、今日は体を拭いてもらったようで、お洗濯物を持って帰ってきましたが、その時に、母が友人に書いた手紙と、封をして切手を貼って出してほしいというメモ書きと、以下の前の病院の献立表と、これが私の参考になるのではないかと取っておいてくれた旨を書いたメモ書きを受け取りました。
私が管理栄養士だからお勉強になると思ってくれたようです。
診療所からの帰りに、母の手紙を出しにゆうちょへ行きました。
そして、郵便番号が電話番号になっていましたのでそれを直したり、母の携帯や自宅の電話番号を書き加えたりし(母は友人は死んでいるかもしれないと思っていますので、万が一生きていらしたら連絡を下さるかもと思い書きました)、中の紙を綺麗に折りたたんだりしました。
その時に、母の手紙を読んでしまいました。
そこにはお別れが言いたくて手紙を書いていること、「苦しい最後になりそうです」と書かれてありました。
帰りにいつものように教会に寄りました。
涙が溢れてきました。
この雲の中は雪が舞っているのでしょう。
夕方、又何回か電話がありましたので看護師さんが母の部屋に行って下さって母と少し話をするこてが出来ましたが、6時になり夕食が運ばれてきましたので、「7時半頃に又電話をするから」と言って電話を切りました。
(看護師さんのお話では母は受話器を持つのもしんどい状態と言われました)
7時半過ぎ、今度はちゃんと電話が取れて話が出来ました
どういうことでこんな話になったのかは忘れましたが、私は今までも母に折に触れて大雑把に話して来ました。
まず死んだら天井の隅あたりに浮かんで自分の身体や周りの人々を見下ろしていること。
とにかく、光が見えたら光の方に行くこと。
又、お父さん、お母さん、夫、兄弟や友人などがきっと迎えに来てくれること。
それから、守護の天使か誰かそういった人と今世を振り返るという作業があること。
又、次の人生の大まかな計画を立てること。
母は長生きしたので、あちらの世界(本当のふるさとだと強調)に居る年月はあまり長くなく又、この世(地球)に多分生まれてくること。
あちらでは時間と空間がないから、好きな年齢の姿にもなれることとか。
もちろん、学びもあるよ~と。
そうして、人は反省したりしつつ、向上し進化して行き、最後にはもう生まれ変わらなくてもよくなること。
母はいつも「夢みたいなことばかり言う。信じられん」と言います
「でも、100%保証するわ。昔から偉い人達が皆おっしゃっている。私はこんな本ばかり何百冊も読んできたから間違いないと思うよ」と私。
私も死んだことがないですし(忘れている)、確証があるわけではないですが、多分間違いなくこうだろうなって思います。
母は一応クリスチャンですが(父が臨終洗礼を受けましたのでその後に勉強してクリスチャンになりました)、死んだら「無」だと思っていますし「真っ暗」だと思ってもいるようです。
でも、死の覚悟は出来てはいるようで、すごいなと思います。
私は母に希望を持ってもらいたいですし、とにかく死んでからびっくり仰天してパニックになってほしくないので(笑)、母に笑われつつもこんな話をしてきました。
母の次の世はどんな人生にしたいかと聞いたこともあります。
母はもっと勉強をしたかったようですが、戦争があったり、男尊女卑だったりして出来なかったので、次の世では勉強がしたいと言ったことがありました。
で、次々聞いていってみますと、医者かなあとなって、
じゃあ、何科
今度はどんな人と結婚したい
今度は男性に生まれたい
みたいに聞いていって、楽しいひと時を過ごしたこともあります。
でも、最後には言われます。
「おめでたいなあ。夢物語みたいなことばかり言って」
でも、それでもいいのです。
今夜は50分ほどそんな話をして「じゃあ、まあ、信じられないけど、そういうことにしておいて、今日は寝ようか」
・・・ということになりました
少しは元気が出たかしら