朝から予想外に良く降っています。
何となく週末になると人の出入りが減るような気がします。
(気のせいみたいです)
午後は母と二人きりでしたので(薬局さんが来られましたが)、いつの間にか30分ほどお昼寝していました。
昨日も0時30分を過ぎてお布団に入りました。
今朝の看護師さんが9時でしたので、気合を入れて寝ようとしましたが、やっぱり無理~~~
今日の果物
寒くなってきたので、フルーツを食べるのも少し冷えるようになりました。
あさイチでバラの寄せ鉢をしていてちらっと観ました。
最初、寄せ植えかと思いましたが、「景気をつくる」というのが素敵
カサブランカが咲き過ぎくらい咲いています。
切るのがもったいないのでこのまま楽しんでいます。
とってもいい香りがします
今日の朝顔
どの朝顔もと~っても小さくなってきました。
西側に2輪、
南側は白色が6輪、他の3色が2輪ずつ咲いていました。
今日はサンダルウッドのお香を焚きました。
昨年のブログを読んでいたらホトトギスが咲いていましたので、今朝、東のお庭に見に行くと咲いていました。
その後、雨が本降りになりましたので倒れてしまっていました。
今日の往診予定時間は11時から12時の間でした。
ドクターがいらしたのが11時20分頃だったと思います。
一昨日いらした時に2023.2024.2025年のカレンダーを頂いたのですが、看護師さん達も楽しみにしておられるようです。
4歳年下の障害(自閉症)を持つ弟さん作成のカレンダーにお母様が毎年コメントを書いていらっしゃり、昨年はコロナが落ち着いたのでディズーニーランドに行ったとありましたが、今年のカレンダーには一人暮らしを始めたとありました。
今日、ドクターがまだどこにも配っていなくてまだ我が家だけだと言われていましたので、看護師さんが興味津々なのも納得。
今年のカレンダーを持って来て下さるついでに「ちょうど届いたんですよ」と言われて持って来て下さったわけですが、まだちょっと配るには早すぎるので待っていらっしゃるようです。
今朝の看護師さんは中村ドクターに代ったことをご存じなくて、びっくりされて「本当に良かったですねぇ~~~~」
たくさんドクターはいらしてもやはりこの方は特別みたいです。
優しく寄り添って下さる。
ヘルパーさんが昨日も今日も言われていましたが、「お風呂の前後にドクターが来るというのは聞いたことがあるけれど立ち会ったというのを初めて聞いた。訪問入浴のスタッフは緊張しただろうなあ」と笑われていました
「ご家族が一生懸命だとまわりもそうなるんですよ。施設でも同じです。」
(でも、そのせいで傷つけた人もこともあるかと思います)
「娘さんは言わば司令官。司令官がよくないといくらいいスタッフが集まってもダメなんですよ。力を発揮できない。それに今は淘汰されていいスタッフが残っていますね」
そう言えば、ドクターも今日、同じことを言われました。
今日は点滴について伺ったのですが、何回も同じことばかりお聞きしている気がして「もう頭が悪い、理解力がなくてすみません」と謝ると「いや。一生懸命なご家族は何度も聞かれますよ」
と、そのように言って下さいました。
でも、中村ドクターの場合、この点滴をする前に当然家族に説明をされるそうです。
3分の1のご家族が断られるそうです。
つまり、しない選択をされる。
そうすると2週間くらいで大抵は亡くなるそうです。
私の場合、「この点滴をしますか」と聞かれた記憶がないのですが、でも、家族の希望で始まるそうですので、食べられなくなった時点で聴かれたのだと思います。
点滴は10月14日から始まっています。
この点滴について、前回のお風呂の時に娘も含めてお話をしました。
この点滴は家族の納得の為にあるようです。
「では、延命なのですか」と今日、伺ってみました。
娘もドクターも言われていましたが、自分にはしないでくれというのになぜか家族にはする。
それに日本人は無類の点滴好き。
点滴をしてもらっていたら安心というのはあるかもしれません。
他の国ではもう何もしないそうです。
日本の医療は手厚く、患者やその家族も病院や医師に多くを求めているのも確かかも。
娘は「お母さん、この点滴をする してほしい ちゃんと聞いておかないといけないから」と何度も言いました。
胃ろうなどとはまた違うこの点滴。
苦しいのは嫌なので(人格も変わる)、苦しまないように、延命はしないように・・・これですべてはOKと思っていましたが、娘が聞くこの点滴は一体どういうものとその時から考えています。
ドクターは0か100でなく、本人が苦しくない最低限の量(今、200ml/日)なので、ちょうどいいのはないかとは言われていました。
が、このドクターに最初からかかっていれば、この点滴をするか否かの選択をしないといけなかったわけです。
(食べられなくなった時点で「点滴をしますか」と言われて点滴を始めたような。。。 でも、400~500mlでは痰が激しくて、今のドクターが200mlにして下さったところ一気に吸引が減りました)
ドクター曰く、この点滴をしたから、お風呂にも入れてあげることが出来た。
(今日、看護師さんが撮って下さった写真を2枚下さいました。
母は本当に気持ち良さそうで、皆が母の顔を見てあの時も大喜びし拍手喝采でした。
お風呂から上がったあと、ドクターが「気持ち良かったですか」と聞かれると頷いたので、ドクターがすぐに私を呼ばれました。
私も同じ質問をしたところ、母は頷きました。
入れてあげて本当に良かったと思いました。)
つまり、時間が延びたわけですが、そのように考えたらいいと言われました。
今後もそのように母との時間を使っていく。
(前回、介護放棄ではないですが、もう何もしてあげることが出来ないことが辛いみたいなことを言いました。)
点滴は苦しいような量ではなく、もし今後変化があればそれに応じて量の調整はいつでも出来るように点滴の入ったボックスが置いてあり、定期的に替えて下さっています。
午後3時~4時の間、母は目を覚ましていました。
目は開いていませんでしたが、難しい顔をして眉間に皴を寄せていました。
パーキンソン病独特のもののようでもありますが、母に苦しいか尋ねると頷きました。
座薬を入れるかどうか聞くと返事はなし。
娘が母を看てくれていた水曜日の午後、尋ねたら母は「うるさい」と頷いたそうです。
そして、右胸部痛を訴えたので、ロナセンテープ20mgの半分を貼ってみてくれていました。
昨夜、看護師さんと相談して新しいテープに貼り換えました。
これが効いているのかどうか不明です。
(3時間後の娘の書き込みによると痛みは3~4点/10点中に下がったとあります。)
このテープは抗不安薬のようで、寝ている時間は多くなりました。
起きている間は口腔ケアやお茶をスポンジに含ませたり手や顔にクリームを塗ったり・・・。
夕方のヘルパーさんが(今週から入って下さっています)部屋に入るなり「え」と反応されたので、私も「えまさか」とびっくり。
ちゃんとまだ生きてくれていて(生きるのがもう苦痛かなぁ。。。)、まだ「母の時」は来ていないようです。
ヘルパーさんが帰られた後、アロマキャンドルに灯を灯しながら「産んでくれて、育ててくれてありがとう。家に最期まで居させてあげることは出来たけど(今の時点ではまだ多分)、これで許してくれる」
今夜の看護師さんに時間は遅くて22時15分予定でしたが(明日から早くして下さるようです)、早目の21時50分頃来られました。
点滴は別の看護師さんが「ドクターと看護師との見解はまた違う」と以前言われていました。
「ドクターは苦しくないと言われるけれど、現場にいる私達は絶対苦しいと思ったり・・・」
今日の看護師さんは「ご家族の意向次第だけど、やはり水分が入らないとねぇ。」
水分が入っても入らなくても変わらないという東大の研究結果については今のドクターから何度かお話がありました。
でも、実際、そうなのか
でも、入り過ぎると苦しいことは確かなようです。
10月14日から点滴が始まりましたが、その日のブログを読み返してみました。
話はこの日以前から始まっていたようです。
結局、このドクターへの信頼感が構築出来なかったのが原因のようであり、また、ドクターからも点滴についての説明はありませんでした。
3分の1が「もういいです」と言われるとお聞きして、驚くとドクターが「3分の2はするんですよ」
点滴については今となっては「始めない決断」はもうありません。
遡って思い返しても、母が苦しそうだったので点滴をしない決断はなかったかも。
あるいは今のドクターから説明を受けいたら、しなかったのだろうか。
ロナセンテープ20mgを今夜、貼り換えるかどうか看護師さんに相談しました。
ドクターは母の様子を看つつ、貼っても貼らなくても半分でもいいとおっしゃいました。
効いているのかどうかわからない。
「貼らないで様子をみましょうか 」と最初看護師さんは言われましたが、午後、母が苦しいと言ったので、1枚貼って様子を見ることになりました。
とにかく、苦しいのだけは避けてあげたい。
今日から早や11月。
カトリック教会の典礼暦では今日11月1日は「諸聖人の日 All Saints' Day」です。
日本では特に何も行事はありませんが、海外では様々な聖人のお祝いをするようです。
続いて、明日の11月2日は「死者の日 All Souls’ Day」。
全ての死者の為に祈りを捧げる日です。
それに因んでか11月は死者の月です。
3世紀頃に始まったようです。
・°*100歳までのカウントダウン
母100歳まであと192日・°*
★致知一日一言 【今日の言葉】2024.11.1
「生き方のヒント」
私たちが忘れてはいけないのが、
創業者・服部金太郎の精神です。
「時代の一歩先を行け」。
大切なのは時代の一歩先を読む先見性を身につけ、
挑戦心を持って着実に歩むこと
━━━━━━━━━━━━━━
★[ECCJ] 今日(11月01日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
ゴシップ(うわさ話)に口を閉ざしなさい。それよりも、立場が逆転していたなら、自分がどのように言われたいか、しばしば考えなさい。
Hold thy tongue from gossip, then, oft, and think what you would like to have said about thee if circumstances were reversed.
(2798-1)
★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)
意識は単なる脳の活動か?
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こんにちは、バラ十字会の本庄です。
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文章を以下に転載していますが、議論の参考になる写真、グラフィック、リンクが数多く挿入されていますので、できれば下記の公式ブログでお読みください。
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1158709&c=3304&d=ed84
(意識は単なる脳の活動か?魂の本質的特徴だとするバラ十字哲学)
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すっかり寒くなりました。東京板橋の当会の事務所では、電気ストーブを使い始めました。
そちらはいかがでしょうか。
★ AI(人工知能)と意識
意識とは何でしょうか。
哲学者デカルトは「我思う、ゆえに我あり。」という言葉で意識とは何かを表しました。
つまり、大まかに言えば、「今していることが自分で分かっている」こと(自己意識)が意識の働きだと考えました。
感動は、このような自己意識と深く関わっています。
自己意識がなければ、たとえば「ああ、夕焼け空が赤いなあ!」と実感するというのは考えにくいことです。
そこで、「心の哲学」という分野の現代の研究者の多くは、夕焼け空の質感を感じることも意識の働きの一種であり、自己意識と同様に、脳の働きを超越している(脳の機能だけでは説明できない)と考えているようです。
参考記事:『デカルトの心身二元論とは?他説の例と合せてわかりやすく解説』
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1158710&c=3304&d=ed84
(イラスト:科学による意識の定義を表したイメージ)
それに対して、唯物論の立場をとる哲学者の多くは、意識とは単に脳の活動から生じる働きだととらえているようです。
もしそうだとすると、人間の神経細胞の働きと学習過程をまねして発達してきたAIは、意識を持っている、あるいはいずれ意識を持つと考えなければならなくなるように思います。
このことについて、以前に下記の記事を書きましたので、興味をお持ちの方はご一読ください。
参考記事:『生成AIは危険?芭蕉の俳句についてChatGPTと真剣に議論して分かったこと』
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1158711&c=3304&d=ed84
さて、当会のフランス代表のセルジュ・トゥーサンが、自身の人気ブログに意識をテーマにした文章を書いていますので、ご紹介します。
▽ ▽ ▽
★ 記事:『意識について』
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・トゥーサン
(写真:セルジュ・トゥーサン)
◆ 科学による意識の定義
人間の意識の働きが存在しているのは脳のおかげだと、多くの科学者が考えています。
この考えの延長として、脳の活動の結果として脳波計に表示されるデルタ(δ)波、シータ(θ)波、アルファ(α)波、ベータ(β)波のことを人間の意識と同一視している人さえいます。
確かに、思考、記憶、想像など、人のさまざまな精神の働きが、脳によって作り出されるのを否定することはできません。
しかし、物質からなる体だけが意識の所在地なのでしょうか。
バラ十字会の見地から申し上げると、答えは「いいえ」です。
物質からなる体は、外面的な意識の所在地であり、この意識は、人の意識の中でもいわゆる「死」と呼ばれているできごとによって失われる部分にあたります。
◆ 「意識はソウル(魂)の性質」という考え方
ご存知のことと思いますが、昏睡状態にあり、脳波計が脳の活動を示さなかった人が、数ヵ月あるいは数年後にその状態から“生還して”、その間に起こった出来事について話すことがあります。
このことによって、脳の活動の範囲を超えたレベルで、できごとを知り理解する能力が人にあることが立証されています。
なぜこのようなことが起きるのかと言えば、意識が脳だけによって作り出されるのではなく、それどころか、意識とはむしろ魂の働きだということがその理由です。
この観点から言うと魂とは、五感の状態にかかわらず、“見たり”、“聞いたり”、“考えたり”することができる精神エネルギーで述べることができます。
(写真:愛犬を抱きしめる女の子)
◆ 植物と動物の意識
意識を持つのは人間だけだと考えることは、犯してはならないもうひとつの誤りです。
種類はさまざまですが、すべての生き物に意識が存在しています。
また、すべての動物には意識と感覚があります。
もちろんある種の動物は、他の動物よりも高いレベルの意識を持っています。
たとえば犬には、ミミズよりもはるかに高いレベルの意識があり、人に比べても「ただ、話すことができないだけだ」と言われることもしばしばです。
植物にもまた独自の意識があります。
ある種の植物は互いに“交信”していることが知られており、人の声や音楽に反応する植物もあります。
しかし、これらの植物には、脳も神経系もありません。
(写真:植物の蔓を歩くテントウムシ)
◆ 普遍的ソウルと普遍的意識(宇宙意識)
意識のことを魂の働きであると考え、動物と同じように植物にも知覚能力があるとするならば、原始的なレベルであるとしても、動物や植物には魂が存在していると言えるでしょうか。
バラ十字会だけでなく他の多くの思想に共通した考えですが、あらゆる生き物には共通して、普遍的ソウル(Universal Soul:宇宙の魂)が宿っています。
そして宇宙意識(Universal Consciousness)は、この普遍的ソウルの働きです。
まさにこの理由から、あらゆる生き物に意識があると言うことができます。
そして、ある生物が進化すればするほど、その生物に宿っている普遍的ソウルは、より明確な個性を得ます。
もちろん、地球の生物進化の最前線にいる人間には、はっきりとした個性を得た魂が宿っていて、洗練された意識があり、自己や他の人や周囲の状況を意識しているだけでなく、自身の本質や自身の聖なる源を自覚することができるようになる能力があります。
神秘学(mysticism:神秘哲学)の考えでは、このことがまさに、地上で人間が生きる目的です。
(写真:公園で瞑想する女性の後ろ姿)
◆ 意識と知性
最後に述べますが、意識が魂の働きであり知性が脳の働きであるとすれば、知性は、必ずしも魂の進歩を判断する基準ではないことになります。
ですから、高度な知識と教養を備えた人の中にも、芸術・倫理・哲学などに表れている崇高な精神性(spirituality:スピリチュアリティ)に興味を示さない人もいれば、あらゆる人間を尊重するという考え(humanism:ヒューマニズム)を持ち合わせていない人もいます。
反対に、教育を受けておらず、文化的には洗練されていない人の中にも、成熟した心を持ち、日々の生き方に優れた知恵が表れている人もいます。
そして、この知恵こそが、バラ十字会員の多くが「心の知性」と呼び大切にしているものにあたります。
(写真:胸に右手を当てて内省する女性)
△ △ △
下記は前回のセルジュ・トゥーサンの記事です。
参考記事:『進歩とは?その類義語|「進歩」と呼ばれている全てのことがほんとうに望ましいことなのか』
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1158712&c=3304&d=ed84
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
また、お付き合いください。(^^)/~
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■ 編集後記
東板橋公園のススキです
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1158713&c=3304&d=ed84
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