娘一家の帰国

2024年10月25日 23時28分00秒 | 家族

 今朝は3時半に目が覚めてしまいました。

早く寝たせいか、子供達が帰ってくるせいかわかりませんが。

でも、お布団の中が心地よくてゴロゴロして過ごしました。

 

 

今日の果物

大胆にカットしたペチュニアが再び咲き始めて綺麗です。

 

西側の朝顔、今日は1輪。

南側ももう流石にそろそろ終わりかなと思いますが、こうして1輪ずつでも立派に咲いてくれますので、そのままにしています。

ご近所ではもうパンジーやビオラへの植え替えが始まっています。

 

バラは小休止状態。

 

 

 今朝は6時25分頃、母は目を覚ましました。

口腔ケアをし、お茶やエンシュアやはちみちを飲ませたりしましたが、最後はほっぺたの中に飲み込めず溜まってしまいましたので、吸引をしました。

 その後7時15分頃に看護師さんが来て下さって吸引。

結構な量が引けました。

8時頃、又今朝も従兄弟が寄ってくれました。

そして、今日は往診の日でした。

10時45分くらいにドクターが来られました。

「まだ(娘が)帰っていないんです」と言うと「そーかー、それは残念」

いつも何か困っていないか、尋ねたいことはないか聞いて下さいます。

母の苦しそうな表情(パーキンソン独特なのかもしれませんが)が気になって・・・

あるいは口の中が起きている間は絶えず気になるので、そういう時の表情が苦しそうに見える訳ですが、ドクターとしては主観はわからないが、医師の立場からしたら、ひどく苦しんでいるようには見えないとのことです。

バイタルもいいですし。

でも、尿量が少ない場合お腹に溜まっているせいで苦しい場合があるということで、エコーで診て下さり、私にも見るように言われて説明して下さいました。

携帯用の小さなエコーに驚きました。

母の膀胱に異常はなさそうでしたので、原因はこれでもなさそうです。

「前にも言いましたが、口の中も全然干からびていなくて潤っていて、綺麗な状態に保てているのできちんとケアをして下さっているんだなとわかります」と言われました。

いつからパーキンソン病かとかそんなお話や母が旅した話もしました。

あとはカレンダーのお話も。

昨夜の看護師さんがこのクリニックにかかってる患者さんは皆さん、クリニックのカレンダーを飾っているとか。

伺ってみるとドクターの弟さんさんの作品だそうです。

この弟さんは障害者だと言われました。

この先生の瞳の奥がこんなにも慈愛に満ちているのはそのせいもあるのかなと思いました。

又、ドクターズバッグの中身を見せて下さったのですが、この量で最低限で、まだ車の中にもあるそうですが、プリンターや血液検査のセットとか入っていました。

 ドクターが帰られ、お昼前にヘルパーさんがいらした頃、又、痰がからんでいましたので、今度はもう少し奥まで入れたら結構な量の痰が吸引出来ました。

 昨日までの2日間は寝入っていましたが、今日は寝入ってはいませんでしたので、その都度、口腔ケアや水分補給などをしました。

 

  午後から炊き込みご飯を炊きました。

娘達が食べるか食べないか全くわかりませんでしたので、残りは冷凍するつもりで3合炊きました。

 おかずはにらや小松菜、えりんぎを使った簡単なもの。

 

 

 成田から東京駅に向かっていると連絡があったのが11時。

 お婿ちゃんがexhaustedを使っていましたので相当疲れていたようです。

次に連絡があったのは新幹線の中からで、娘から電話でしたが電波状況が悪くて全然話にならず。

あとで、5時頃に駅に着くとWhatsAppからメッセージが届きましたので、その気でいたら、4時半頃随分と外が賑やかに。

帰ってきました。

皆、ハグハグにキスキス。

最後、お婿ちゃんもハグにキスをしないと荷物を持ったまま中に入って来ない

大きな空のスーツケースを2つも持っていましたが、帰りはお化粧品やら日本食を一杯買って帰るつもりのようです。

牛窓に泊まって日参すると言っていましたが、あまりにも疲れ過ぎて、牛窓まで行く元気がなく今夜は泊まっています。

調味料も足らないものを持って行かせようと用意していましたが、娘が「日本に帰ってまで作らない」

でも、お婿ちゃんには1度、イタリアンを作ってもらう約束だけは取りつけました

やった

 帰宅してほどなくヘルパーさんが来て下さったのですが、娘はずーっと話を聞いていました。

一気に静かな日常が変貌しましたが、母の覚醒度が上がって来てすっかりお目々パッチリになりました。

家の中では日本語と英語とイタリア語、そしてスペイン語が少し、飛び交っています。

パパは孫娘に分からない時「これは日本語で何て言うか」と英語で尋ね、孫娘はそれを教えたり。

孫達は元々家の中での会話が英語でしたから英語を話せていましたが、やはりかなり磨きがかかり発音も上達して、私には速過ぎてわからない箇所もあって、もう一回言ってくれるように頼んだりしました

でも、その分、日本語が怪しくなっていましたが。

日本語でお手紙を書いてくれていましたが、特に下の子の日本語はもうわけわかめ

 お風呂上り、娘にパックを出していると、孫娘も自分も「したい。」

2人してパックしている姿がおかしかった。

 今夜の看護師さんは21時半予定でした。

孫娘は看護師さんに会うのだとがんばっていましたが、そして、娘も21時半まではがんばっていましたが(時差もあるし早く寝るように言いましたが)、ついに眠気と疲れには勝てず

看護師さんが21時45分過ぎに来られました。

あともう3軒、あるそうです。

母も看護師さんの吸引で一気に目が覚めましたが、すぐに寝始めました。

 4人は最初、私の部屋が畳で広いのでそこに寝ると言っていましたが、そこだけ掃除をしていないのになんで~~~

最終的にはもう2つの和室もやめて、リビングに寝ています。

明日の朝は伝統的な日本の朝食にしようと思っていますが(とにかく日本食を食べさせようと思っています)、あちらでは日本食が高いので、、「吉野家の牛丼が食べたい」そうです。

やれやれ。。。

長い一日が終わりました。

良かったね、キラキラばあば

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと199・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.10.25

 

捲土重来

 

「捲土重来」(けんどちょうらい)。
大志・大望を抱いた者が
一度や二度の挫折や失敗で諦めたり
挫けたりするな、捲き返せ。
━━━━━━━━━━━━━━
數土文夫
(JFEホールディングス名誉顧問)
〇月刊『致知』2024年11月号
連載「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(10月25日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

すべての魂には、どのような環境、どのような状況、どのような経験にあろうと、選択するという特権が与えられています!

Each soul is given that birthright of the ABILITY to choose, UNDER any environ, any circumstance, any experience!

(1580-1)

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

創造されつつある世界


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

 

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156783&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


秋も深まり、すっかり涼しくなってきました。

東京板橋では、ススキやケイトウが見られています。


いかがお過ごしでしょうか。



関西を中心にゴスペルやライブハウスでの演奏活動を行っている、当会の役員の方から寄稿をいただいたので、ご紹介させていただきます。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ミヤンマーのパワースポット、リンゴをかじる赤ちゃんなどの写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156784&c=3304&d=ed84

(創造されつつある世界|行動と観念によって誰もが現実を作り出している)

━…………………━


▽ ▽ ▽

★ 記事:『創造されつつある世界』

(写真:バラ十字会日本本部AMORC下部組織(大阪)役員 渡辺篤紀)



「世界を創造する」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちは宇宙という大海原を漂いながら、一人一人の心(精神)の中に宇宙的な広がりを持った世界を、時々刻々と創り上げています


その意味では、「創造する」というよりも「創造されつつある」と言う方が正しいかもしれません。



昨今の「引き寄せの法則」などのブームにより、「想像したことが現実になる」や「望んでいないことを手放す」などのフレーズが精神世界の常套句のようになっています。


また、それらが高じて、「望んでいたものが向こうからやってくる」「この場所に呼ばれた」などという表現をSNS上などでもよく見かけますが、私は個人的には、このような表現はあまり好きではありません。


なぜなら、この世界の主体は自分自身であるはずなのに、いつの間にかパワースポットや情報が主体になっているように感じられるからです。



では、「創造する」、「創造されつつある」世界とは、実際にはどのような世界なのか、考察してみたいと思います。


(写真:ミヤンマーのチャイティーヨー山の黄金色の丸岩)


参考記事:『世界の十大聖地』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156785&c=3304&d=ed84


◆ 美味しいパスタを食べたい

もしも、あなたが美味しいパスタを食べたいと思った場合、どうしますか?


美味しいパスタを食べているところを想像して、魔法のようにパスタが現れることを期待しますか?


もしくは、友人から美味しいパスタ屋に行こうと誘われるのを待っていますか?



もしも、自宅で食べるとすると、


・パスタや食材、調理器具を用意する
・レシピ、作り方を調べる
・実際に調理する
・失敗したとしても、再度挑戦する

などのプロセスを経て、最終的にあなたは美味しいパスタを食べることができます。



とても普通のことで、これのどこに「世界の創造」というものがあるのかと思われるかもしれませんが、これらの原動力は、最初に考えた「美味しいパスタを食べたい」という「衝動」がきっかけとなっています。


しかし、思っただけでは何も生まれないのが、魔法の世界ではない、この世界の法則でもあります。


ですから、この「衝動」を「行動」に変えていかなければなりません。



そこに、何らかの不思議な作用はありません。

これは、私たちが生活している中で常に行っていることです。



しかし、最初の「衝動」とそれを「実行」するという「選択」がなければ、最終的に「美味しいパスタを食べた」という現実を作ることはできません。


しかし、「引き寄せの法則」などを意識するあまり、「望んでいると偶然素晴らしいレシピを手に入れた」、「このお店に呼ばれた」などと表現したりして、主体が自分ではなく、他の素晴らしいものに「自分が引き寄せられた」というような表現にすり替わってしまっていることもあるようです。



しかし、冷静に考えると、その原初のきっかけは「自身の衝動」であり、それによって周りにアンテナが張り巡らされ、パスタのレシピが目に付いたり、美味しそうなお店を自分自身で発見したりすることになります。


(写真:プチトマトとバジルをトッピングしたイタリアのパスタ)


また、パワースポットなどに「呼ばれた」と表現されることも多いですが、パスタのときと同様に、


・その場所に行きたいと思う
・交通経路を調べる
・予定が合うか、天候は大丈夫か
・車や交通機関を利用して現地へ行く

などのプロセスを経て、現地へとたどり着きます。



道を間違えたとしても、たどり着きたいという気持ちがあれば、道を引き返すことも苦にはなりません。


しかし、この場合も、どのような結果になったとしても、主体はあくまでも自分自身になります。


決してその場所が、そこに来る人間を選別しているわけではありません。


そこにたどり着きたいと思った人だけが、その場所にたどりつけるだけなのです。


ですから、この世界は、ある意味、「思考」と「選択」の連続であると言えますが、私が言いたいことは、主体が「自分自身」であることを忘れないでほしいということです。


そして、この主体が「自分自身」であるということを意識し始めると、周りの世界の見え方がまったく変わってきます。


そして、もう一つの「世界の創造」について考察してみたいと思います。


◆ リンゴとは?

あなたの目の前に「真っ赤なリンゴ」があります。


この場合、あなたは「リンゴ」というものが何であるかを「知っている」ので、美味しそうだと思ったり、食べたりすることができます。



しかし、あなたの中からリンゴというものの観念がなくなり、目の前にあるものが、ただの「赤い得体の知れない物体」として認識される場合、美味しそうだと思ったり、食べたい思ったりすることはありません。


同様に、周りの物などに対する自身の観念がなくなった場合、椅子に座っていいのかさえも判断できなくなります。



ですから、もう一つの「世界の創造」とは、自身の中に、存在するものすべての「観念」を造り上げることでもあります。


そうすることによって、「得体の知れない赤い物体」が、食べることができる美味しそうな「真っ赤なリンゴ」へと、あなた自身の中で変化します。


しかし、このプロセスは、リンゴ自体が変わるわけではなく、「得体の知れない赤い物体」に対するあなた自身の「認識」が変わることによって引き起こされます。


例えば、少し苦手だと思っていた人がいたとして、話してみると共通の趣味があって話が弾み、今まで苦手だと思っていた人にとても親近感を感じたりすることがあります。


しかし、この場合も、その「少し苦手だと思っていた人」自体は何も変わっておらず、あなた自身の中の「認識」が変わったことによって、あなたの周りの環境に変化が生じます。



神秘学の世界でよく使われる「人は見たいようにしか物事を見ない」という格言も、このことをとてもよく表しています。


ですから、その様な自身の認識、観念を通して自身の「心(精神)の中の世界」を構築し、または再構築していくことによって、自身の中に「世界が創造されつつある」のです。


ですから、この世界に夢や現実を引き寄せる「魔法」があるとすれば、最初の「衝動」こそ、その源泉であると言えるでしょう。


△ △ △

★ あとがき

再び本庄です。


下記は前回の渡辺さんの記事です。こちらも興味深い内容ですので、お読みくださればと思います。


参考記事:『アイスマンというミイラに施された入れ墨と古代の医学|5300年前のツボと生薬の知識』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156786&c=3304&d=ed84



さて、この寄稿文は、「私たちは宇宙という大海原を漂いながら、一人一人の心の中に宇宙的な広がりを持った世界を、時々刻々と創り上げています。」という文で始まっていました。


この点を少し掘り下げてみたいと思います。



考えて見ると、私たちが存在している宇宙も、上記の文章で話題になったリンゴと同じように、自身の観念と言えるのではないでしょうか。


すると私たちは、自身の観念の中で暮らしているという奇妙な矛盾が感じられて来ないでしょうか。


下記の2つの記事は、このことについて書いていますので、ご興味のある方はこちらもどうぞ。


参考記事:『全宇宙とあなたの心はどちらが広いか-視覚と脳科学

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156787&c=3304&d=ed84



参考記事:『宇宙意識とは? 潜在意識との違い、普遍的意識とつながることとスピリチュアルな進歩』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156788&c=3304&d=ed84



では、今日はこの辺で。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

ベランダのハイビスカスが咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156789&c=3304&d=ed84

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母の容態(入院2日目)&慌ただしかったですが、牛窓へ

2024年08月11日 23時31分30秒 | 家族

 今日も暑かったです。(36.5℃)

家の中に居ても暑くて(密閉性がないのでエアコンが~)、あるいはストレスで頭痛がしました。

でも、今朝は少し涼しかったので、お散歩に。

夕方の天気予報を見るとやはり、今日の最低気温は22.9℃だったようです。

 

 

今日は久し振りに公園をぐるっと歩きました。

 

 

我が家のお花

 

 

母のことが気になって頭から離れませんが、花がら摘み。

 

 

少しでも頭から離れる瞬間です。

 

 

「サムライ」の蕾

西側の朝顔が7輪咲いていました。

今日の果物

バナナがまだ残っているはずでしたが、ない。

夕方になって、昨日、バッグに入れて病院に行ったことを思い出しました。

 

 今日は電話が鳴る度にドキッとしつつ過ごしましたが、掛かってくる電話も多く、又、掛けることも多くて、一日中慌ただしかったです。

一番最初は7時過ぎに娘一家がWhatsAppから連絡してきました。

最初は孫達があれこれ言うのでお話。

上の女の子はマニキュアと色の付くニベアのリップを買ってもらったので嬉しかったようで付けて見せてくれました。

下の子はイタリア語の宿題「おじいちゃんやおばあちゃんにイタリア語でインタビューしよう」はまだ出ていないようでしたが、イタリア語で話していました。

やっぱり、さっぱりわからない

でも、まだ宿題は正式に出ていないようですので、がんばります

お婿ちゃんとも少し話をしましたが、今日は主に娘と。

最初はおばあちゃんのこと。

血液データについて説明してくれたので、今後怒るかもしれないことがよくわかりました。

その後話は多岐に亘り、介護や私達の親子関係や私の終の棲家や。。。

結局、普段話をする時間がない分、今日はまとめて一気に話したという感じで、気が付いたらもう11時過ぎ。

4時間も

娘曰く、全般的にみて「ミスコミュニケーションだね」

コミュニケーションが取れないなら尚のこと努力しないといけないと言われました。

又、なぜ、金曜日に待つばかりして、医師に母の薬はどうなったのかを聞かなかったのかと。

途中で看護師さんが心配してお電話を下さり、スマホを通して3人で話をしました。

「昨日はお休みだったのでごめんなさいね。ケアマネさんからそんなに悪いとは聞いていなかったので・・・」

この時の会話を看護師さんが母の担当のドクターに話されたようで、夕方、お電話がありました。

「今回は大変だったみたいで。。。ごめんね」

そして、母がショートから帰ってからの状況を聞かれました。

ドクターとしては薬を待つように言われた記憶がないようでした。

お薬が大粒なので、施設で飲ませるのも大変だし、家でも大変だし、二番手の薬はあまり効果がないので、次の手段としては点滴かなと考えておられたようでした。

そこで終わっていたそうです。

今回、ドクターとしてはコミュニケーション不足(皆が情報を共有出来ていない)なので、ご自分としては「今回はかなりがんばったんだけどな」と言われていましたが、ドクターの努力がないとかでは全然なくて、どのことについて言われているのかがよくわかりませんでした。(ごめんなさい

でも、「普通はケアマネさんが皆を束ねる役をされるんだけど」とは言われていました。

 続いて、昨日お世話になったヘルパーさんも心配をしてお電話を下さいました。

「あんな状況で帰すなんてマジおかしい」と又怒って下さっていました。

が、母が悪い状態だと気が付かれないままショート先に居るよりも、返って帰宅させてくれて良かったと私は思いました。

 そんなこんなで時間が過ぎて、3時前になった時、昨日の今日だからやっぱり心配

電話で容態を聞いてもいいのではなかと思いました。

あとで後悔もしなくなかったですし。

そこで、お電話をしてみたところ、丁寧に説明して下さいました。

酸素は6Lから1Lになっていました。

良かった~。

まだゴロゴロとは言っているようですが。

かなり吸痰をして下さっているようでした。

ですから、傷ついて血が少し出ているようです。

でも、落ち着いてはいるようなので、本当に安堵しました。

 娘と話している時「当分、牛窓には行けないわ」と言うと「なぜ

 なぜ

だって、何かがあったらすぐに行かないといけないから。

でも、娘曰く、飛行機に乗って連絡がつかないわけでもなく、県外にいるわけでもなく、岡山市のはずれに近い場所にいるわけで、30分以内にいるわけだからと。

牛窓の方が涼しいだろうし、気分転換になると考えて勧めてくれました。

「頭が痛いなら薬でも飲んで行ったら

なるほど。。。

・・・と言うことで、今、牛窓に居ます。

途中で三頭の鹿に遭いました

山の中の道路を横切っていました。

写真を撮りたかったですが、カメラが手元になくて残念。

いつだったか、祖谷に行く途中でナビに従ったら四国山脈に入ってしまったことがありましたが、その時も野生の鹿に遭いました。

 

 

 

 病院で母の様子を聞いた後、皆さんが心配されていると思い、まず訪看さんに電話をしました。

その次にケアマネさん。

お電話はなかったですが、お伝えしておいた方がいいと思いショートメッセージを送りました。

ケアマネさんはいつも電話ではなくショートメッセージを使われます。

 

 

 

 担当のドクターが最後に「娘さんに説明しましょうか」と言われました。

「いえいえ、大丈夫です。それに海外ですし」

「そう でも一応。。。」

と言われたので、電話番号を言うと、

「え

ですから、先生、海外ですってば~

「本当に通じるのかな」

私は急いで娘に伝えました。

その後、娘から電話があり「お電話があったよ。なぜ私に

「それは看護師さんが言われたのではないの

(この2人、過去にも2回ほど話したことがあります。)

WhatsAppからの電話が車に掛かってきたのでびっくりしました

25分位又、話したので、牛窓の家に到着してしまいました。

「じゃあ、楽しんで

子供達とは反抗期などもあってなかなか大変な時期もあり、ある意味今も大変なのですが、今日はいろいろ話が出来てわだかまりも大分無くなった気がします。

今日、娘と話していて面白かったのはドクターが木曜日のこと「今、どこですか 今日帰って来ておいて下さい」とおっしゃったという話をした時、日本人はよく「今どこ」って聞くよねと。

職場でもよく「先生、今、どこですか」と聞かれたそうです。

いつでも駆け付けられるところにいるのに、どこにいるかがそんなに重要

で、「そんなに知りたい じゃあ言うよ。今、おトイレ」

「探しに来たい入口から3番目よ」

 

 

 

 牛窓はやはり涼しいです。

エアコンを付けてみましたが寒くなって、温か~いお風呂で長湯してしまいました。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと274・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.11

 

歌舞伎俳優が語る稽古の心得

 

一所懸命になっている時って
苦を忘れるんですよね。
苦を忘れるために夢中になる。
そうなれば夢の中ということです
━━━━━━━━━━━━━━
坂東玉三郎(歌舞伎俳優)
○月刊『致知』2014年8月号
特集「一刹那正念場」より
━━━━━━━━━━━━━━

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月日の経つのが早いです。

2024年01月25日 22時03分40秒 | 家族

 今夜の月は十五夜の月で満月だそうです。

確か「ウルフムーン」

でも、この月の写真は今朝の写真です。

朝の5時頃、あまりにも窓の外が明るかったので、寒い風が吹き荒れる中を撮りました。

 

何か移り込みます

 

 今日はすご~く寒くなって雪も3cm降ると言われていましたが、結局は昨日よりも寒くなりませんでした。

でも、雪は舞いました。

今日の最高気温は7.2℃、最低気温はマイナス1.9℃。

寒くなると言われて家に籠った火曜日(5.8℃~0.6℃)と今日。

でも、結果、一番寒くなった昨日(4.9℃~マイナス2.3℃)、あちこち出歩いたことになります

 

 

 

 

 生活を見直し立て直そうと思いつつ、かれこれ1年半から2年になるかも。

今日は朝の3時間、まず朝の時間について詳しく計画(したいこと)を立ててみました。

朝はやはり瞑想や霊的なことに使いますし、使いたいです。

ちょっとまとまりかけてきたので、すっきりしました。

 

 

 

 

 その後、お味噌汁を飲んで、ゆっくり朝食の準備。

今朝の果物

今日は家にお籠りの為写真もないし、ちょっと丁寧に作り盛り付けてみようと思い直し、食器も変えてみました。

コーヒーもバニラとマカデミアンナッツ風味の「牛窓・ホテルリマーニ」のコーヒーを淹れて。

あまり綺麗に盛り付けられませんでしたが・・・センスがないっ

Rちゃんがくれたベトナム料理には牛肉の他にレバーが入っていました。

また、きのこかと思っていたものはどうも干し筍

 

 2時半に母が無事に帰ってきましたので、母にもミキサーにかけて夕食の1品として出しました。

母、完食。

パンもいつものようの食べました。

相変わらず口の中が気になるようで、ずーっと触っています。

唾液も出るのでべちょべちょ。

どうしても気になって仕方がないようです

 母は今日2時半にショートから帰ってきました。

その後はお台所で、お洗濯物を畳むお手伝いや新聞を畳んだり、TVを観て過ごしていましたが、17時前に娘一家からビデオ電話がかかってきました。

最初はお婿ちゃんが家の中を案内してくれました。

なかなか広くて綺麗。

娘の最初の印象よりずっといい感じ。

しかもお部屋も広々としてホワイト。

トラムが走り、大都市まで10分少々のアクセスだなんて信じられない位の住宅街。

教会もそばにありました。

しかも、イタリア語のミサだそうです。

子供の学校も公立のバイリンガル校。

(イタリア語)

職場の多くの子供達は少し遠いインターナショナルスクールに行っている子が多いようです。

そこはベトナム語、中国語、フランス語、もうひとつあった気がしましたが。。。

娘曰くアイデンティティーへの影響を考えるとイタリア語がいいと。

 お婿ちゃんのお家の内外案内説明後は子供達のベッドルームでの遊びに付き合って、そのあと結構長く娘と話をしました。

(トータルで1時間位)

こんなにのんびりゆったりしている娘と話をゆっくりしたのは一体いつ振りって感じでした。

いろいろアバウトなのでちょうど良かったのではないかと私は思いましたが、そのアバウトさにストレスを感じているのはお婿ちゃん。

あまりの日本との違いにイライラしているそうです

お婿ちゃんの国も、帰国時の国内線の飛行機が3時でしたが、いっぱいにならないという理由でキャンセルになり飛んだのは最終の8時のみ。

当然国際線に間に合わず

よくあることのようで、空港からのタクシー(往復)、ホテル宿泊代金、食事代金、すべて航空会社持ち。

「スペインだって~」と娘と話をしました。

マジョルカ島に渡る時、スタッフが昼食時でペットにどんな食事をさせるか等話していて、カウンターは長蛇の列。

大抵の人が「これがスペインよ」と諦めモード。

当然飛行機に乗れず、意気込んでチケットの交換に行くと、よくあることのようで、言う前から次のフライトのチケットをさっとくれました。

真面目で几帳面なのは日本だけ

飛行場で言えばインドもそうでした。

袖の下を払えばさっさと通してくれるのは日常茶飯事なようで

ともあれ、日本での生活と出国までの状況が入国後も続いていたら・・・と思うと心配でしたが、その心配はなく今は特にのんびり過ごしているようで安心しました。

母は一緒に動画を観ながら子供達に「危ないことをしたらいけん」としきりに言っていました

 母は今はよく眠っています。

あっと言う間にお家時間が過ぎてしまいます。

と言いますか、1週間がとても早い。

1ヵ月も早い。

もう1月も終わりに近づきました。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.1.25

 

倉庫街に人気のレストラン

 

まず僕自身が
本当に行きたいと思えるお店であること。
それだけはずっと大切にしてきました。
━━━━━━━━━━━━━━
佐藤裕久(バルニバービ会長)
○『致知』2024年2月号【最新号】
特集「立志立国」より
━━━━━━━━━━━━━━

●いまから約30年前、
人通りのほとんどなかった倉庫街に
レストランを開業して以来、
不人気な立地を逆手に取って
次々と人気店を展開し続けてきたバルニバービ。

同社を率いる佐藤裕久氏が、
近年心血を注いでいるのが
「食から始める地方創再生」。
このプロジェクトに懸ける佐藤氏の思いとは。
記事の案内はこちらから

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海外への送金

2024年01月12日 22時21分00秒 | 家族

 今日も朝は冷えましたが、日中は暖かい日となりました。

お洗濯物がよく乾いて嬉しいです

 今日は息子の誕生日でしたので、朝一にメッセージを送りました。

彼の返事はいつも「生んでくれてありがとうございます」

文字通り命を賭けて産んだ子ではありますが

「母は強し」と言いますが、本当にあの頃は強かったと思います。

今は「きっとあの強さ(命に代えても子供を守る)は女性ホルモンから来るのだわ」と思っています

 

 

 

 今朝の果物

 
 
 
 今日は一日、母のこと、娘のことでとても忙しく、昼食も立って食べました  
 
朝ご飯の後、母は調子がイマイチでベッドに行って寝ていました。
 
その間、私は大洗濯。
 
それから11時から介護認定の方が来られました。
 
母が寝ているので、最初は主に私と話をし、最後にいくつかの記憶の調査とか座ることが出来るかとか、足に関するチェックをされました。
 
認定調査は30分ほどでした。
 
その後、ケアマネさんが来られ、約1時間ほど滞在されました。
 
「愚痴言っちゃってごめんね。」と言われつつ、色々なお話を聞かせて頂きます。
 
それから訪問看護師さん、訪問リハ、ヘルパーさんと続くわけですが、同時進行で朝から娘のことでパタパタでもありました。
 
今日1日で色々なことが勉強になったのはありがたいことでしたが、まず、娘は家を借りるためにゆうちょ銀行(ゆうちょダイレクト)からお金が送れるものだと思っていたようですが、それは日本でマイナンバーカードと紐付けしなければ使えなかったようです。
 
そこで私にお金を送るから送金してくれないかと言ってきましたが、後で分かったのですが、送金出来る金額も初期設定のままでしたので、いくらも送ることが出来ません。
 
クレジットカードで大抵のことは困らないようですが、家を借りる場合、6ヶ月分の家賃を先払いしないといけないそうです。
 
とりあえずお金を送金してやろうと思いましたが、私もゆうちょダイレクトに聞くとマイナンバーカードと通帳またキャッシュカードを紐付けしていないと使えないということをが分かりました。
 
そして、通帳記号等の横に〇がついてること、「取」の字が書かれていることが条件のようでした。
 
そこで、それを確認して、「貯金課」のあるゆうちょに行って手続きをするように言われました。
 
手続きそのものはすぐに出来ましたが、送金の為に3000円 +手数料その他が必要とのことです。
 
回100万円未満。
 
1日では200万未満。
 
1ヶ月で500万未満の送金しか出来ないようです。
 
しかも今時のことなので、このお金を何に使うかとか、どこへ送るか、何のためになどあれこれ聞かれました。
 
送金の3000円にはびっくりしました。
 
けれども、他の銀行はどうなのだろうと思って、銀行の方に聞いてみると、岡山で一番大きな銀行はネットバンキングでの送金は出来なくなり窓口だけの送金受付になります。
 
その窓口に行くまでにまず、インターネットから海外に送金したいという旨を申し込み、それが受理されたら銀行から電話があり、初めて来店。
 
銀行に行って送金が出来ますが、料金が11,000円かかるそうでびっくりしました。
 
そしてこれは他の銀行でも同じのようです。
 
他の大きな大手の銀行はネットがネットバンキングが使えるようですけれどもそれでも8000円の手数料プラスアルファ。
 
もしドルで送れば多少安くなるようですし、当日でなく前日までに申し込んでおけば、もう少し手数料も安くなるそうです。
 
娘達が昨日気に入っていたアパートはお部屋が1階なので安全な場所だけれども、防犯上危ないということでやめたようです。
 
そんなこんなでゆうちょに行ったり、何件が銀行に電話をして聞いてみたり、1日中バタバタ。
 
しかも車の配車手続きもしなければなりませんし。
 
無事に飛行機が飛んで、やれやれと思っていましたがその後も何かと大変。
 
夕方には海で遊んでる写真を送ってくれました。
 
 
 
 
 今日、母親よく食べました。
 
本人は食べられないと思ってるようです。
 
リハの方が「今日お昼は何食べたの」と聞かれて「お肉を食べた」と母が言ったところ「すごい」と言われたのですが、それを母が「買ったものよ」と言いました。
 
母をもしかしたら私が日々作ってる食事は全ておせち料理の時みたいに買ったものだと思ってるのかもしれません。
 
というのが以前も「介護って言ったって、あなたは何もしてないじゃない」と言ったことがありますので、介護をしたことのない母は私が忙しいということがどうも分かってないような
 
でも、介護認定の方とは普通に会話が出来るので、介護認定の方もびっくり
 
 
 
 
 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.1.12

 

ドラッカーが語る組織の成果

 

組織の成果は、一人ひとりの人間の生活、
人生、環境、健康、期待、
能力の変化という組織の外の世界に表れる
━━━━━━━━━━━━━━
ドラッカー(経営学者)
○月刊『致知』2024年2月号
連載「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」より
━━━━━━━━━━━━━━

●ドラッカー学会共同代表理事・佐藤等氏による
「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」は、
毎月、ドラッカーの教えを学べる好評連載です。
こちらから

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

神秘学とは? 宗教ではない人生へのアプローチ

 


バラ十字会日本本部AMORC

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095962&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、話題に関連する興味深い写真、歴史的に重要な絵画が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095963&c=3304&d=ed84

━…………………━



こんにちは、バラ十字会の本庄です。


今回が、2024年最初のメルマガ配信になります。

どうぞ今年も、よろしくお付き合いください。



私たちの働いている事務所は、板橋区の仲宿というところにあります。

江戸時代の人が日本橋を出て中山道(木曾街道)で京都に向かったとすれば、最初に通る宿場町です。


板橋に事務所を構えたのは2010年で、それまでは新宿でした。

新宿区では、当時、区内で事業を行っている人たちをウェブサイトで紹介してくれるというサービスがありました。



このサービスに申し込んだところ、区の職員の方々が、ヒアリングに訪れてくれました。


そのときに聴かれたのは、あなたがたが通信講座で扱っている神秘学(mysticism:神秘主義)とは一体何ですか、宗教とはどのように違うのですかということでした。


このブログをお読みくださっている方々の中にも、「神秘学」とは一体何なのだろう、宗教とはどのように違うのだろうという興味をお持ちの方も多いのではないかと思います。


◆神秘学とは

これから詳しくお伝えしていきますが、まずは、神秘学(mysticism:神秘主義)とは何かを手短にご説明します。


ある条件が整ったとき、人は言葉では表すことのできない忘我の状態を体験するということが古くから世界中で知られています。

この場合の「忘我」とは、夢中になって我を忘れることではなく、自分と外部の世界を隔てる壁が、心理的に消失することです。

そして、言葉では表すことができないということとは矛盾しているのですが、この体験は「神秘体験」と呼ばれています。


神秘体験をどのようにして得るのか、より良く生きるために、神秘体験をどのように活用したら良いかという知識が神秘学と呼ばれます。



また神秘体験は、「絶対者」、「神」などと呼ばれる究極の実在と、内面的に合一することだと解釈されることがあります(やはり、言葉では表すことができないということとは矛盾しているのですが…)。


ですから、絶対者であるブラフマンと自己と見なすことのできるアートマンの合一(梵我一如)を目指していた、古代インドのヴェーダの宗教は神秘学の一種だと考えることができます。



それ以外でも、さまざまな宗教の秘伝的な内容には、神秘学としての性質があります。

ユダヤ教の秘伝的部分はカバラ、イスラム教の秘伝的部分としてはスーフィズムが有名です。

キリスト教の秘伝的部分には特別な名前はなく、その一部がキリスト教神秘学と呼ばれています。


つまり、多くの宗教の中核の一部は神秘学であるということができますが、これからご説明するように、バラ十字会の神秘学のように、宗教ではない神秘学もあります。


◆代表的な神秘家

神秘学を研究し実践する人は、「神秘家」(mystic)と呼ばれます。

古代ギリシャの哲学者タレスは「万物は神々に満ちている」という言葉を残したとされています。

ピュタゴラスはタレスから学び、タレスの導きでエジプトを訪れ、エジプトの古代神秘学を学んだことが知られています。

この2人は当時のギリシャの代表的な神秘家です。


参考記事:『イシスとオシリス、セトの謀略 - 古代エジプト神話と密儀の関係について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095964&c=3304&d=ed84



また、古代ギリシャの哲学者プラトンが神秘家だということは、彼の書いた『国家』という対話篇の「洞窟の比喩」によく表れています。


参考記事:『「洞窟の比喩」とプラトンのイデア論をわかりやく解説 - 実在の探求と哲学者』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095965&c=3304&d=ed84



新プラトン主義は、プラトンの影響を受けてその約700年後に成立した考え方で、古代のキリスト教に大きな影響を与えました。

「一者」(絶対なるもの、ト・ヘン)からの段階的な「流出」(emanation)によって世界は構成されており、人間は「観照」(theoria)によって「一者」に帰ることができるとするものです。

プロティノス(205?-270)は、新プラトン主義(Neoplatonism)の代表的な哲学者であり、極めて有名な神秘家です。


参考記事:『フィロンとプロティノスと宇宙を構成する数』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095966&c=3304&d=ed84



キリスト教の代表的な神秘家には、マイスター・エックハルト(1260?-1328)、ヤーコプ・ベーメ(1575-1624)などがいます。


◆神秘学と神智学の違い

「神智学」(theosophy)という言葉は、ギリシャ語の「神」(theos)と「知恵」(sophia)の組み合わせからできています。

神智学とは広い意味では、「一者」(神)との合一を目指す思想と実践のことですので、神秘学とほぼ同等のことを意味しています。

しかし狭い意味としては、1875年にヘレナ・P・ブラヴァツキーがニューヨークで創設した「神智学協会」の考え方と実践を指しています。



神智学協会に属していた神秘家としては、ルドルフ・シュタイナー、クリシュナムルティなどが有名です。


参考記事:『シュタイナーと神秘学』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095967&c=3304&d=ed84


◆古代の神秘学

神秘学とは何かを、2500年ほどさかのぼって、歴史的にご説明したいと思います。


今、私の左側にある棚には、『神秘哲学』という題の本があります。30ヵ国語に堪能だったという、ギリシャ、イスラム、東洋哲学の大家の井筒俊彦さんの本です。


「神秘学」、「神秘主義」、「神秘哲学」という言葉は、いずれも「ミスティシズム」(mysticism)という英語の日本語訳として使われていますので、同じものだと考えてください。


・ギリシャ哲学と神秘学

この本で説明されていることのひとつは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといったギリシャの哲学者たちが研究し、当時の人たちに教えていたのが、まさに神秘学だったということです。


この3人はといえば、ヨーロッパの哲学の源流を作ったとされる人たちですから、神秘学というのは、何も特別なことではなく、西洋ではもともと哲学といえば、神秘学だったということになります。


・神秘学を理解するためのキーワードとしての〈宇宙〉(Cosmos)

では、神秘学とは何を意味しているのかを、より詳しく見ていきましょう。

このことを理解するためのキーワードは「宇宙」(コスモス:Cosmos)です。

これは、先ほどの3人の哲学者の大先輩にあたるピュタゴラス(ピタゴラス)の作った言葉です。


参考記事:『コスモスとピュタゴラス-ささやかな実習』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095968&c=3304&d=ed84



現代に生きる人たちが「宇宙」という言葉によって思い浮かべるのは、無数に多くの銀河や星雲や星々が浮かんでいる空間、人工衛星が回り、国際宇宙ステーションが飛行している空間のようなものではないでしょうか。


しかし、ピュタゴラスが「宇宙」という言葉で意味しているのは、このような無味乾燥な宇宙とはややニュアンスが異なります。

ですから、現代人が思い浮かべる宇宙と区別するために、ここでは〈宇宙〉と表すことにしましょう。


〈宇宙〉は、ピュタゴラスにとって、秩序、健全性、美しさという性質を合わせ持っている規則正しい全体のことでした。



少しわかりにくいかもしれません。具体的に説明します。


・〈宇宙〉と自然界と人間の規則正しさ

夜空に見られる星は、天球上で場所を変えることなく、いつも同じように美しく輝いています。

一方惑星はといえば、一見複雑な動きをしていますが、長いこと観測をしていると、そこには規則正しさがあることがわかってきます


太陽と月の動きも同じです。

たとえば、日食は特定の周期で起こることが古代から知られていました。


大地には規則正しく四季が訪れ、私たちに作物の恵みをもたらしてくれます。

昼と夜の長さにも、植物の花の形、葉の付き方にも、動物や人間の身体にも、その営みにも、すべてに規則正しさ(秩序)が表れており、すべてが関係して一体になっています。



この全体をピュタゴラスは〈宇宙〉と呼びました。

〈宇宙〉は、天上の星々を表すマクロコズム(大宇宙)、人間を表すミクロコズム(小宇宙)、自然界を表すメソコズム(中宇宙)の3つに分類されますが、いずれにも見事な規則正しさが表れています。



付記:子供の心理的な発達が、人類の歴史における心理的な発達を繰り返していることが発達心理学では知られていますが、現代哲学者のケン・ウィルバー(1949-)はそれが、コスモス(Kosmos)の進化の表れであるとしています。


・ピュタゴラスの哲学

ピュタゴラスはまた、〈宇宙〉とは一弦琴(弦が一本の琴)のようなものだと考えていました。

この琴が奏でる最も低い音が物質の世界であり、最も高い音が絶対精神(神)であると考えていました。

つまり、物質の世界も、精神の世界も、絶対的なものも、〈宇宙〉というひとつの全体の別の表れだと考えていたのです。


数学、道徳、音楽はピュタゴラスが特に力を注いだ分野ですが、数学とは〈宇宙〉の規則正しさ(秩序)を研究する学問であり、道徳は〈宇宙〉の規則正しさを人の行いに反映させることにあたり、音楽は、〈宇宙〉の規則正しさを地上で表現するための方法でした。



哲学(philosophia:フィロソフィア)という言葉を作ったのもピュタゴラスです。

この言葉はギリシャ語の「フィロ」(愛する)と「ソフィア」(知識)からなります。

哲学者とはもともとは、〈宇宙〉の持つ規則正しい性質を研究して、そこから得られた知識を愛する人のことを指していました。


国はよく治められて、〈宇宙〉のように規則正しく、美しく、健全な状態にされなければならないとピュタゴラスは考えていました。

ですから政治家は、必ず哲学者でなければならなかったのです。


◆実在体験(神秘体験)と神秘学

話を戻します。

先ほどの本のまえがきに井筒俊彦さんは、神秘学の根本にあるのは「形而上学的思惟の根源に伏在する一種の実在体験」だと書いています。


難しい表現ですね。

わかりやすく説明すると、次のようなことです。


古代からよく知られていたことなのですが、音楽に深く入り込んだり、特定の方法で集中や呼吸を行ったり、収穫祭などの儀式に参加し感謝の思いが特に高まったときに、人は日常とは異なる、忘我の意識状態を体験することがあります。



最初にご説明したように、この体験が神秘体験と呼ばれています。


琴の弦が、特定の関係にある他の弦と同調するように、人も、ある条件のもとでは〈宇宙〉と同調することができ、そのときに神秘体験が起こるとピュタゴラスは考えていました。

そして、バラ十字会で学んでいる人の多くも、私も、このピュタゴラスの意見に賛成しています。



神秘体験には、ちょっと気の利いた思いつきが「天から降ってきた」ように感じられるものから、体験した人の人生観を完全に変えてしまうものまで、さまざまな程度のものがあります。
しかし、どのような程度のものであっても、神秘体験を得た人には、何らかの効用や進歩がもたらされます。


たとえば、長いこと悩んでいた問題を解決する方法がわかったり、ある芸術作品のモチーフを思いついたり、人を思いやる気持ちが深まったり、エゴと恐れを手放して、人生に積極的に向き合う力が得られたりするなどです。



神秘学で行うことは、大まかにいえば、神秘体験を得るための条件や方法について学び、実際に神秘体験を得るための練習を重ねて、神秘体験から得た成果を、自分と周囲の人のために役立てることです。


◆神秘学と宗教の違い

では、神秘学と宗教はどのように違うのでしょうか。


神秘学と宗教には、似ているところもあります。どちらも、人生の謎を解き明かすことや、よりよく生きることを目的としているからです。


そして神秘学は、バラ十字会がご紹介しているような宗教でない神秘学と、宗教神秘学の2つに大きく分けることができます。



そしてこの2つの違いは、次のように説明することができます(あらかじめお断りしておきますが、別の考え方もあります)。


先ほどから話題になっている〈宇宙〉の規則正しさ(秩序)ですが、その原因だと考えられるものには、歴史上、さまざまな名前がつけられてきました。


絶対精神、普遍的精神、YHVH、創造主、アラー、梵天、神などです。


・〈宇宙〉の法則(理法)か、人格神か?

そして、宗教神秘学と、宗教でない神秘学の主な違いは、この絶対精神のことを、人格であると考えるか法則であると考えるかということです。



ちょっとわかりにくいと思いますので、ご説明させてください。


たとえば、ギリシャの宗教の最高神はゼウス(ギリシャ語の「神」)ですが、当時の人はゼウスのことを、右手には雷を起こす武器を持った、ひげをたくわえた、筋肉が隆々とした男性として思い浮かべたことでしょう。



現代では、このような素朴な神の姿を思い浮かべる人は少ないことと思いますが、それでも、一神教を信仰する方々の多くは、神のことを威厳と慈愛にあふれた人に似た存在だと思い浮かべるようです


それに対して、宗教でない神秘学では、絶対精神(ここでは神と呼ぶことにしましょう。)のことを人格であるとは考えません。神とはそもそも知ることのできない性質のものであり、ただ、〈宇宙〉のさまざまな法則(Law)の原因であると考えています。



反対にいえば、〈宇宙〉のさまざまな法則こそが、神の表われであると考えています。

法則といえば、物質の世界を支配している物理の法則のことをまず思い浮かべる方が多いことでしょうが、それ以外にも、カルマの法則、三角形の法則(弁証法の法則)など、いろいろな法則があります。


また、〈宇宙〉の法則と言うよりは、「〈宇宙〉のことわり」とか、「〈宇宙〉の摂理」とか、「〈宇宙〉の性質」と呼んだほうがふさわしいようなものもあります。


・〈宇宙〉の性質としての愛

その代表的なものが「愛」です。


多くの宗教では、人格を持つ神が、人間や他の生きものを愛していると考えます。


一方で、宗教でない神秘学では、愛は〈宇宙〉の性質である、もしくは、〈宇宙〉は愛で満ちていると考えます。



このことは、ちょっとした差のように思えるかもしれませんが、なかなかどうして、そうでもない場合があります。


・神秘学と普遍的宗教

もし、神のことを、ある神話に登場する何か人の姿をしたような存在であると考えるならば、その神は、たとえばA教を信仰している人を愛し、B教を信仰している人は嫌うというようなことが、容易に想像されるのではないでしょうか。


一方で、絶対精神(神)が〈宇宙〉の法則として表れていると考えるならば、歴史的な経緯から人が作ったさまざまな宗教をもとにして、神が、ある人と別の人を差別するなどということは、考えにくいのではないでしょうか。



マハトマ・ガンジー(1869-1948)は、次の言葉を残しています。


「神は宗教を持たない。」



彼はヒンドゥー教徒ですが、その考えは、宗教でない神秘学に近いことがわかります。



誤解のないように付け加えておきますが、バラ十字会も私も、宗教を批判しているわけではありません。


宗教は人類の歴史の中で、無数に多くの人の道徳心を支える大切な役割を果たしてきました。


しかし、大部分の宗教が、それが発祥した時代の制約を受けています。



たとえば先ほどの例で言えば、ギリシャ・ローマ時代の多くの人は、現代人と異なり、〈宇宙〉のさまざまな法則の原因というような抽象的な概念について考えることができませんでした。


しかしそれ以降、人類の精神はずっと進歩を続けてきました。

特に20世紀には自然科学が大きな進歩を遂げました。



現代の宗教は、これらの進歩に沿うように、根本から変化することを迫られていますし、さまざまな宗教で、そのような試みがすでに始まっているとのことです。



では、今日はこの辺で。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。


==============

■ 編集後記

スイセンが咲いています

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「何もしなくていいから家に居たい」&無事に飛び立ちました&未来へ - Kiroro

2024年01月07日 21時33分45秒 | 家族

 今日はお天気だったものので風が強く、朝も少し冷え込んで寒い一日になりました。

ほとんど毎日お洗濯をしていても母がショートに行った後は洗濯物の山っ

 

 

 

 今日は「七草の日」でした。

昔はご近所で摘んで来ていましたが、今はそのよう場所もすっかりなくなってしまいました。

スーパーで買ったこのパック。

確か税込みで400円以上しました。

母は朝はパンですが、縁起ものですから少し食べさせました。

 

今朝の果物

昨夜、母は何度か大きな声で寝言を言いましたので、私は睡眠不足

その上、母はいつもにも増して、嫌な顔でティッシュで舌を触り続けそこらあたりへべとべと落としたり、お薬も出したり。

このお薬は衣服に付くとオレンジ色が消えません

こういう日は食事介助も大変。

しかも寒かったせいか私の膝も脚も手指も痛くて

限界が来そうになりました。

もう~、無理っ

こんな日が続いたら壊れてしまいそう。

やはり、介護は自分が元気でないと出来ないとつくづく思いました。

そうでなくてもショートに送り出す朝は何かと忙しい。

「やめて」と言ってもやめないので強く言ってしまい反省。

母のせいではなく自分がイライラしているわけですから「ごめんね。寝不足だしあちらこちらが痛いからついつい。。。」

すると母が言いました。

「何もしなくていいから家に居たい」

あ~、この言葉は本当に心が痛い。

こんなにはっきりこういう状況で言ったことはない気がします。

でも、本当にかわいそうだけれどもそれは無理と思いました。

何もしないなんてことが出来るはずがありません。

何もしなかったら2人共衰弱し餓死

衣服は汚れたたままで悪臭

それはともかく 母には話をしました。

行ってくれないと足や膝が痛くて これ以上は限界。

そして病院にも行けなくなる。

お洗濯もこんなにいっぱいある。

私にも休息が必要なの。

私も頑張るから頑張って。

こういうこと言われると心が痛い。

時には今のショートと家での交互の生活は余裕があると思います。

時にははちょうどいいと思います。

そして時にはもう無理と思います。

今朝ももう無理と思って溢れそうでした。

やはり私の体調が良くない時 母の体調良くない時 そして他の何かが重なるとオーバーフローしそうです。

いっぱいいっぱいになってもう無理と溢れそうになります。
 
母には「今日のショートは面会ダメと言われるけれど聞いてみて会いに行くから」と言って送り出しました。
 
 朝から座る暇なく動いて、やれやれと一服。
 
 
そこへ、元旦那様が~。
 
昨日、見送りに行って娘に頼まれたようです。
 
又、荷物が増えました。
 
今日は多分最後まで使っていた物。
 
洗濯干し、水のボトル等など。
 
お婿ちゃんの古いPCもありました。
 
「コーヒーでも入れるから上がって」と言いましたが、今日はお買い物で忙しいとか。
 
でも、結局30分以上立ち話をしました。
 
 その後、お婿ちゃんから
 
「Okaaaasaaaannn!!!」
 
1時間位WhatsAppでメッセージ交換。
 
「自分達のベストを尽くすから心配しないで」みたいなことを書いてきましたので、確かにそうだと思いました。
 
彼等はいつも最善を尽くすでしょうから、私は信頼し、ただ祈って応援していればいいと思いました。
 
彼は皆の様子を知らせてくれて、最後には皆の写真も送ってくれました。
 
ここで、最後までブログを書いたのですが、消えてしまいました。
 
もう同じことを書く気力がないので簡単に
 
 娘からは出発の3時間以上前(16時前)にスマホを解約するけど、その前に全員でもう1回電話をするからと電話がありました。
 
下の子供の調子が治らないのは私の祈りが足りないからじゃないかと笑って言いました。
 
はぁ~
 
でしたが、なかなか素直になれないので最後までこんなことしか言えないのかな。
 
彼女としては精いっぱい
 
 その後、私は教会へ。
 
(やっぱり何となく~)
 
 
 
 
 
 
 
 出発の1時間前に皆で電話をしてきました。
 
最初は孫娘。
 
「日本を忘れないでね」
 
「忘れないよ。絶対に忘れないよ。」
 
「会いに行くからね。辛くなったら帰っておいで。迎えに行ってあげるから」
 
「うん。わかった」
 
次にお婿ちゃん、下の男の子(やや不調~)、最後が娘。
 
「強力なお祈りをお願いします」
 
苦しい時の神頼み
 
子育ての頃、「心の基地はお母さん」という本がありましたっけ。
 
「思いっきり楽しんでおいで。Good Luck
 
「行って来ます
 
現地に到着後、お昼くらいまでには心配するだろうから連絡すると言っていました。
 
 
未来へ - Kiroro(キロロ)(フル)
 
 
 
 
 
 
 
 今頃はご飯も食べ終わって寝る準備をしている頃かなと思います。
 
あ~、飛行機、いいなあ
 
 母はきっともう寝ているでしょう。
 
私も今夜は早めに寝ます。
 
明日、明後日はブロ友さんと友人と3人で遊びます
 
 
 
 
 
 
 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.1.7

 

日本には底力がある

 

幕末以前の文化文政の時代は風俗が退廃し、
享楽的傾向が強かった。
しかし、そんな衰弱していた社会から
一気に地下水脈が噴き出るように
大きな自己革新を遂げた。
日本にはそういう底力がある。
━━━━━━━━━━━━━━
中西輝政(京都大学名誉教授)
○『致知』2024年2月号【最新号】
特集「立志立国」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 
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慌ただしい一日

2024年01月06日 22時58分15秒 | 家族

 今日は思いがけず結構雨が降りました。

冷たくない雨でしたので、鉢を外に出しました。

 

 

 

今朝の果物

今日は娘一家の旅立ちの日で、無事に飛行機が飛ぶのかどうか、不調は治ったのかどうか等朝から気になっていましたが、とにかく連絡を待つことにしました。

連絡をくれたのはお婿ちゃんの方で、しかも元気に最後のパッキングをしている写真も送ってくれましたので、予想以上に良くなったという言葉通りだと本当に安心しました。

飛行機は昨日は朝夕の便が欠航になっていましたが、今日は朝の便から遅延はしていたものの飛んでいましたので、多分大丈夫だろうと思いました。

娘からはその後、出発時刻に「使用機材は到着した。かなり遅延しているけど飛ぶはず。ありがとう。色んな人が見送りに来てくれて感激でした」と来ましたので、そうか~、皆さんがお見送りにと思うと感謝の気持ちでいっぱいになって、私の方が泣けそうでした。

この感謝の気持ちを忘れないようにと娘には返信しました。

その後、面白いことに飛行機に乗った後で、子供の調子がぶり返しそうだったようで、「また、お祈りでも何でもしておいて下さい」

安心した今だから笑えますが、この子も最後は私へのお祈りの依頼かと思うと何だかちょっと嬉しかったです

 お婿ちゃんとはWhatsApp(PC)で娘(スマホ)とよりも早く頻繁にやりとりをしていていました。

最後は今日は私の方から I love you をちゃんと言いました~

JALは1時間以上遅れて飛び、飛行時間も長かったです。

これは羽田上空で待機している時間だったのではと思います。

羽田に着いた時、元気にたくさんの荷物を押している二人の子供達の写真を送ってくれましたので、それを見て本当に安心しました。

私はこのまま数時間後には国際線に乗るのかと思って心配していたのですが、元々念のために1日東京に泊まる予定にしていたようで安堵しました。

何だか何もしなくても慌ただしい一日でしたが、ひとまず安心しました。

 

 

教会のお花が少し生け替えられていました。

これはミサの始まりを知らせるベル

ベトナム交流センターの建物の前に白菜が干してありました。

何を作るのかな

興味津々

今日は午前中、こんなにいいお天気でしたが、夜中も午後からも結構降りました。

 

 

 

 今日の母は朝一はいまいちでした。

「食べられん」と言いましたが「ご飯を食べ始めると又気分も変わって良くなるから」と促して食事をさせました。

「今日はいけん(今日はダメの意)」と言っていましたが、そんなことはなく母はすっかり元気になってすごーくよく食べました。

レーズンバターロール2個とバターロール1個(遅く行くとレーズンパンはいつも品切れ)&カフェオーレ300cc

フレッシュフルーツジュース(果物&牛乳)300cc

ハンバーグ(昨日の半分)と卵焼き&レタス100cc

お煮しめ

その後、ネイルの塗り替えをしていたら「トイレに行きたい」

今日も足が萎えていて一人では怖いと思いましたので、訪問看護ステーションに電話をするとかけ始めから8分で看護師さん到着。

今週も又、すごーく立派なのが出ました。

今日も手すりに持たせつつも危ないので私が抱え、足も前に行かないように止めて、看護師さんが紙パンツをおろして下さいました。

すっかり気持ちよくなり、その後もお台所で過ごしました。

今日はYou Tubeで「小林正観さん」を神妙な顔をして聞いていました。

 こんなに食べたので「今日のお昼は要らない」と言うかと思いましたが、いなり寿司&ベトナムちまきとポテトサラダ。

あとはエンシュアやコーヒー、お番茶を好きな時に好きなだけ飲めるように配置。

 夕食も同じだけ食べました。

夕食には又、新たにお煮しめを作りましたが、たくさん食べました。

今日は全部をミキサーにかけました。

 今は最後の21時のお薬をヨーグルトで食べて、よく眠っています。

 

 

 

 急きょ、ブロ友さんのひとりが明後日から1泊で遊びにいらっしゃることになりました

最初は明日からの予定でしたが、私の友人ともスケジュールを合わせて3人で遊ぶことになりました。

とっても楽しみです

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.1.6

 

福澤諭吉と北里柴三郎の生き方

 

人に任じて疑うなかれ、
疑って人を任ずるなかれ
━━━━━━━━━━━━━━
北里柴三郎(近代日本医学の父)
○『致知』2024年2月号【最新号】
特集「立志立国」より
━━━━━━━━━━━━━━

●日本を近代化へと導いた原動力は
何と言っても明治人たちの気概でしょう。
その代表的な人物が教育者で啓蒙家でもあった福澤諭吉と、
細菌学の功労者・北里柴三郎です。

二人を偉人たらしめたのは
強靭な精神力や先見性ばかりではありません。
受けた恩を返そうという報恩の思いも人一倍でした。
二人の実像を作家の山崎光夫さんと
「博多の歴女」白駒妃登美さんに
語り合っていただきました。
記事の概要はこちらから

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪「いま目の前にある危機」日本の水と食を守る【最新号のご案内】≫


豊かな自然に囲まれている日本にも
迫りくる「水」と「食」の問題。

最新号では、その問題の多くは水面下において
ひたひたと忍び寄ってきていることを、
識者二人に明らかにしていただきました。


日本人は、自分たち食べている食品について、
もっと関心を持ってほしい――。


対談を貫くお二人の思いのこもった言葉からは、
日本を守りたいとう強い覚悟が伝わってきます。


取材の様子はこちら
─────────────────

【吉村】
鈴木先生のお話を聞いていて、子供の頃、
学校の給食でおいしくないアメリカの
脱脂粉乳と小麦のコッペパンばかり
食べさせられたことを思い出しました。


それでも食べ物がなかったので
喜んで食べていましたけれども……。


日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の
マッカーサー元帥は、(戦後の貧しい)日本を助けたんだと
偉そうに言っていますが、鈴木先生がおっしゃったように、
実際は日本を余剰在庫の処分先にしていたわけですね。


【鈴木】
私も小麦のパンがまずくて仕方がなく、
机の奥に突っ込んでカビを生やしてしまい、
よく先生に怒られました。


脱脂粉乳の味も本当に酷(ひど)かったですね……。


あれは、船で運んでくる時に
品質がかなり劣化していたようですよ。

ですから、いまも古くなっていらなくなったもの、
危ないものは日本へ売っておけというのが、
合言葉になっているわけです。


例えば、成長ホルモンのエストロゲンは
乳がんの増殖因子になることが
医学界では常識になっていて、
国内では使用することができません。

ところが、エストロゲンを大量に投与した
一部のアメリカ産の食肉を、
日本は実質的に検査を“ざる”にして
輸入させられているんです。


【吉村】
これも酷い話です。


【鈴木】
健康意識が高まっているアメリカでは、
消費者運動が起こってホルモンフリー牛肉の
消費が伸びているのですが、
生産コストを大幅にカットできるため、
依然としてエストロゲンを
使用し続けている農家が一定数います。


しかしEUはホルモン牛国の
輸入を全面禁止していますから、

「じゃあ日本人に食べさせておけ」

と捌け口にされているのです。


人間に中毒症状を引き起こす成長促進剤を
使用した食肉についても同様です。

そのようなリスクがあるにも拘(かかわ)らず、
2020年の日米貿易協定によって
アメリカ産牛肉の輸入関税が引き下げられると、
日本の消費者は安いからと言って飛びつき、
協定が発効した最初の1か月だけで
アメリカ産牛肉の消費量が1・5倍になったんですよ。


食品リスクについてもっと言えば、
最近はいまだ十分に安全性の確認されていない
ゲノム編集という技術で生産されたトマトが、
審査も表示もされないまま日本の市場に出回り始めています。


日本人は自分が食べている食品が
どのようなものなのか、
もっと関心を持たなければなりません。


─────────────────

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賑やかな大晦日となりました&良いお年を

2023年12月31日 23時21分15秒 | 家族

 今日はもうバタバタの一日でした。

やっとソファに座ったのは21時前。

お天気は降ったり止んだり、晴れたり突風が吹いたり、そんなに寒くはありませんでしたが荒れたお天気でした。

そんな中、娘が3時過ぎに連絡をしてきて、「お昼頃帰る」

一体どんな予定になっているのか相変わらずわからないまま

 

 今朝の果物

母は母で「今日は行かない日よね そう言った」

それは昨日の話

何だかショートに行かせるのが可愛そうに思えましたが、「今日は皆で面会に行くから待っていて」と言って送り出しました。

 

 

 娘の方はいろいろと二転三転しましたが、最終的には今日、又、山のように荷物を持って帰ってきて、宿舎の中はほぼ空になったようで、お掃除はプロに頼んだとか。

まだ当直をしており、前日まで働くわけなので、はぁ~~~

結局、お手伝いには行かなくてよくなりました。

牛窓に運ぶことも止めてひとまず、全部、我が家に下ろしました。

まず、食事に行きました。

 イタリアンレストラン

 

 

それから、3時過ぎに母の面会へ。

 

看護師さんが第一声、「今朝はご機嫌が悪かったです」と言われました。

あとで娘が「どういうこと

余程、今日は行きたくなかったのかな。。。

母は相変わらず、紙で口を触っていました。

孫娘が車椅子を押してくれたりしました。

母が一番かわいいと言っているひ孫です。

この時点で、どこかに皆で泊まろうと言っていましたが、空きがなかったのでホテルに泊まることは諦め(そんな話に発展していました)、ひとまずアフタヌーンティーの為に「ガウディ」へケーキを買いに行きました。

 

 

夫婦とも寝不足で疲れ切っていましたが、寝たら起きられなくなると言い、お茶後、お風呂に入って帰ることに。

孫娘がアフタヌーンティーのセッティングをしてくれていたので、とっておきのクッキーも提供

 

娘婿が荷物を持って帰って来る予定でしたが、孫達が次々に熱が出て帰れず。

その時2人でランチを食べ、娘には手料理をお土産に持たせることにして冷凍にしていましたが、もうご飯もちゃんと食べて帰ると言い出し、解凍しました。

こんなことならおせちを作っていたのに~

 

 

この和紙のランプは下の男の子が作ってくれました。

炊き込みご飯と煮しめと

 

ビーフストロガノフ

 

日本食を食べ慣れていない孫娘が「ノンナのお料理、美味しい」と言ってくれたのがやはり嬉しかった

日本の味を、日本を忘れないでほしい。

「これからはここが日本のお家だからいつでも帰って来ていいからね」と伝えました。

「1人で飛行機に乗れない」と言いましたので「お迎えに行ってあげるよ」

 もうひとつ、嬉しかったことはお婿ちゃんのお友達達がこの年末年始に妻の実家に帰る時「お姑さんが苦手」と口々に言っていたので、自分は「大好きで帰りたくてたまらない」と言ったら、驚かれたと言っていました。

そして、続けてお婿ちゃんが、ママがいい人だったから結婚を決めたと言いました。

この話は以前にも聞いたことがあります。

その人を知るにはその親を見るのが一番でしょうみたいなことを言っていました。

あちらのご両親も我が家が同じカトリックということでかなり安心材料になったと聞きました。

日本のキリスト信者は人口の1%。

その中でもカトリックとなると0.4%と聞いたことがありますので、あちらの両親や親族が大喜びしたのも無理はないような。。。

 今日はたくさん、お金を使いこれからもたくさんいるでしょうから、少しまとまったお金をお餞別にそれぞれ4人に渡しました。

ひとつにすると家族全員の為に使うと思いました。

それはそれでいいのですが、やはり、皆がそれぞれ気兼ねなく、自分の為に使ってほしいと考えました。

「お婿ちゃんには映画を観て、スタバでコーヒーでも飲んで」と言いました。

リラックスに使ったり欲しいものがある時にがまんしなくていいように使ってほしいと思いました。

お婿ちゃんはかなりびっくりして、絶対にこんな大金もらえないと言いました。

ママはおばあちゃんのことでも大変だからと。

絶対にもらえないと何度も言いました。

「先行投資よ。何年か後に倍に、三倍に、十倍にして返して」

お婿ちゃんは感極まってうるうるしてハグハグ、キスキス。

私もうる~~~っときました~~~

 今日は元だんなさまもお手伝いに来てくれて、収穫したお野菜やらおみかんやらあれこれくれました。

お嫁さん共々、我が家へ何度か遊びに来たこともあるという変わった関係です(笑)。

 

 娘達が帰った後で、おせちが届きました。

 

 

 

今、高島屋のケーキが問題になっていますが、これも高島屋です。

えびが飛んでます

このえびはどこにあったのかな。

明日の朝が楽しみ~

 

 

 

 

 

 今年も1年、私の日記のような拙いブログを飽きずに読んで下さった皆様、ありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

来る年が皆さまにとってより一層素晴らしいお年となりますように心からお祈り申し上げます。

 

 

 

 


★致知一日一言【今日の言葉】2023.12.31

 

明日、最新号発刊!テーマは「立志立国」

 

世界最古である日本の歴史を
多方面に学ぶことが一人ひとりの国民にとって
決定的に大事です。
歴史を知っているか否かで、
その人の中から湧き出てくる
日本人としての力が桁違いになる。
━━━━━━━━━━━━━━
櫻井よしこ(国家基本問題研究所理事長)
○月刊『致知』2024年2月号
特集「立志立国」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

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次女も旅立ち

2023年12月28日 22時49分30秒 | 家族

 今日は朝は寒かったのですが(1.3℃)、日中は暖房がいらないくらい暖かかったです。

昨日も14.2℃ありましたが、今日も13.7℃。

 

 

 

 深紅のバラが咲いています。

色はもっと深い紅色です。

冬薔薇は深く、濃く、シックで趣きがあります。

 

 

 

牡丹の蕾もたくさん。

 

水仙が咲きかけました。

 

 

  

 

 

 

 

 

 母のおせちが届きました。

剥がそうとしたらすごい破れ方になりました

 

冷蔵庫で24時間解凍するようです。

 

ペースト食のおせちです。

ドクターからもOKが出ています

31日(日)からクリニックのショートなので、明日から我が家ではお正月です

 

 

 

 今日は午前、午後と来客がありました。

午前中は金融機関の方がカレンダーと龍ちゃんの石鹸を持って来て下さいました。

「山種コレクション」

表紙は横山大観の「龍」

 

 

3~4月のこの絵も好きです。

 

そして、最後は東山魁夷の「年暮る」

 

「龍」の石鹸

 

こういう干支の石鹸を時折どこかでもらいますが、来年は「龍」なので何だか嬉しいです。

私は「龍神系」でもあるらしいので。

それが何かわかりませんが、天候に影響を与えることが出来るというのだけはわかります。

 

 

 

 

 手指や身体が痛むのでピーナッツオイルでマッサージをしていますが、先日、Facebookにエドガー・ケイシーの研究家の方がこのマグバームを紹介されていて、評判も良さそうでしたので買ってみました。

 

そして、ピーナッツオイルも。

今のは古くなっていてしかもなくなりましたので、新たに再挑戦です。

ピーナッツオイル8にオリーブオイル2の割合でも良さそうですが、「ピーナッツオイルで週に1回マッサージする人は関節炎を恐れることはない」そうです。

予防かもしれませんが、せっせとマッサージをしています。

午前の来客が帰られたあと、少し時間がありましたので、教会に廃品(紙類)を持って行きました。

 

クリスマスミサの後、これらの綺麗なお花を見に来ていませんでした。

クリスマスが終わったら、日本では一晩でお正月モードに切り替わりますが、海外では(正式には)降誕節が始まり、1月7日の「主の公現」後の主日(日曜日)で終わります。

日曜日で必ず終わりますので、年によって日にちが移動します。

それまで、このクリスマスの飾り付けは続きます。

 

 

 電飾あyモールで飾ってベトナムスタイルですね

お花の生け方も国が違えば違ってきますが、華やかです。

 

ちなみに我が家もここは日本ですので、一晩でクリスマスの飾りは片付けて、今度はお正月モードです

 

 

 

 午後からはホスピス勤務時代に知り合ったお嬢さん(我が家の次女)が2人の子供を連れて来ました。

前から私のブログを読んで下さっている方はご存じだと思いますが、新しい方の為に簡単に書きますと、ホスピスで働いていた時に、入院なさってきたお母さんがおられました。

彼女には双子の娘さんがいました。

この子達を残していくのが心配で、このお母さんにこのお嬢さん方を託されました。

もう1人(三女)は今、大分に居ます。

今日、この次女が言いました。

「初めて会った時私は9歳だった」

今、彼女は35歳になりました

毎年母の日のプレゼントのお返しに誕生日にはプレゼントを送ってきましたので知ってはいましたが、もうそんなになるのかと改めて驚きました。

 

彼女も同じ管理栄養士として活躍していますが、今度、レベルアップを目指して勤務先の大学を変わることを初めて知りました。

家族で広島に引っ越すようです。

我が家の長女と同じように引っ越し。

私はこのことを話していたと思っていましたが、話していなかったようで、びっくりしていましたが、何かにつけて共時性が起こります。

しかも、息子のところと近くなると言っていました

お土産

 

 母が帰って来て、しばらく話をして4時過ぎに帰りました。

3月にお引越しなので、「3月までにもう1回来ます」と言いつつ。

本当に現役は仕事に子育てに忙しい。

皆、よくがんばっています。

 

 

 

 

 今日の母は朝から調子が悪かったようで、いまいちです。

レーズンバターロール3個と牛乳で250ccとヨーグルトを1個食べ、早々にベッドに入りました。

 

 

 

 

 

群青 (THE SINGER 2015)谷村新司 Shinji Tanimura

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.12.28

 

「請求書の人生」と「領収書の人生」

 

際限なく求めて欲しがって生きるのは、
「請求書の人生」。
求めるばかりではなく、
いま与えられているものごとに
感謝の心を持つのが「領収書の人生」
━━━━━━━━━━━━━━
鍵山秀三郎(イエローハット創業者)
○月刊『致知』2007年12月号
連載「巻頭の言葉」より
━━━━━━━━━━━━━━

●この1年を振り返った時、
鍵山秀三郎氏のこの言葉も
ぜひ噛み締めておきたい言葉の一つかと思います。

様々な出会いに思いを馳せながら
「ありがとうございます」の気持ちで
初詣に臨みたいものです。
以下は、鍵山氏のお話です。

……………………………………………

「もっと、もっと、もっと」
際限なく求めて欲しがって生きるのは、
「請求書の人生」であると、
知人の有吉説志様から教えていただきました。
 
有吉様は、幼い頃お祖母さんから、
寺社にお参りした時は
「ありがとうございます」と
請求書ではなしに領収書のお参りをしなさい、
と教えられたそうです。
 
向上心や探求心は
人の成長に欠かせない大切な条件ではありますが、
度の過ぎた欲求は人を卑しくし、
ひいては国家の尊厳を傷つけることにも繋がります。
 
有吉様のお話を通じて、
求めるばかりではなく、
いま与えられているものごとに感謝の心を持つ
「領収書の人生」を歩めと教えていただきました。
 
日本には領収書の生き方をしている方が
大勢おられますが、
そういう方は世間から注目されることはありません。
請求書の生き方をする人が
派手で目立つのに比べて、
領収書の生き方をする人は
地味で人目につかないところが共通しているからです。
 
誰からも注目されず、光の当たらないところで、
いつ報われるか分からないことにも
心を込めて取り組んでおられるそのお姿からは、
卑しさは微塵も感じられません。
 
他人に頼ったり、求めたりすることなく、
人の役に立つことだけを念頭において、
一途に歩み続けるお姿は、
人を惹き付ける豊かな魅力を備えています。
 
このような方々は、
お互いに住む世界は異なっていても、
一度会っただけで朴訥なお人柄に惹かれ、
年来の知己のようになります。

語り合ううちに、この方の成功を祈り、
ささやかであってもお手伝いをしたいという
思いが湧いてきます。
そして、この領収書の生き方をされている方々同士の
ご縁を結ぶことの大切さを実感いたします。

●鍵山氏をはじめ、
著名人の『致知』推薦の言葉はこちら

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉+α】2023.12.28

 

運気を掴む 年末年始にこれだけは読んでおきたいベスト記事ランキング

 

いよいよ今年も残すところあと4日となりました。

どのような心の持ち方、
夢や志を持って年末を過ごし、新年を迎えるか。
それが新しい年を希望に溢れた
よき一年にしていくのだと思います。

皆様の心の糧になることを願って、
今年一年で反響の大きかった
WEBchichi記事ベスト5をご紹介します。

人間力を磨き高めて、
運気を掴み、よき年を迎えましょう。

【ベスト記事ランキング】

 

●1位
栗山英樹監督の指導力は、いかにして養われたのか

●2位
稲盛和夫が即答した「人生で一番大事なもの」

●3位
大谷翔平の人間力はどのように培われたか

●4位
ノーベル賞・山中伸弥さんが高校時代から貫く2つのモットー

●5位
奇跡の100歳・吉村光子さんが教えてくれた悲愁を越えて生きる知恵

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穏やかな日~娘夫婦と

2023年12月11日 22時06分40秒 | 家族

 今日は12時から雨予報でしたが、本当に12時ぴったりから雨が降り始めて、段々と本降りなってきています。

でも、今朝は晴れていて、気温も11℃。

暖かい朝でした。

日中の最高気温も16.7℃でしたので、寒くなくて穏やかでした。

 

 

 

 今朝の果物

朝のお味噌汁ですが、以前にもアップしましたが、一日に一杯は飲みたいので、おひとり様でも忘れないように簡単な方法を取り入れています。

(ちなみに二杯目を飲む時には普通に作ります。)

お野菜を炒めて冷蔵しておき、それにミニ豆腐や乾燥お揚げやわかめやネギ(これはカットして冷凍庫に保存しています)等を入れて熱湯をかけて出来上がり。

発酵味噌の場合は確か60℃以上はダメなので、ちょうどいい温度になります。

朝の一杯のお水も美味しいですが、朝の一杯のお味噌汁も美味しいです。

サラダと目玉焼きも美味しいし、果物も美味しい。

要するに何でも美味しいんだわ

インスタント味噌汁並みに簡単に出来ます。

よだちません。

これはきっと岡山弁。

「よだつ」は面倒とか、気が進まないとか、億劫とかという意味です。

それから、もうひとつ、「干る(ひる)」というのも岡山弁ではないでしょうか

「洗濯物が干る」と言います。

意味は、「洗濯物が乾く」と言う意味です。

これらもあまり使わなくなってきた方言です。

 

 

 

 

 今朝の「あさイチ」で爪のことをしていましたので、自分の覚えの為にアップ。

爪がもろくなってきたと私も思いますが、血行不良が原因でもあるよです。

ですから、今のようにマッサージするといいようです。

 

 

 11時半頃、娘とお婿ちゃんがやってきました。

荷物が意外に少ない。

お婿ちゃんが後で、また持って来るとは言っていましたが、どうしてこんなに少ないのか聞くと娘曰く「今、要らないものが何年か後に帰国した時いるとは思えない」とのこと。

流石、ミニマリスト

あとは私の気に入りそうなカップ等は持って帰って来てくれました

区役所での時間待ちに間に私をピックアップしに来てくれたので、大急ぎ。

先日、見つけた娘への1997年の手紙、今も全く同じことを思っていたことは書きましたが、その気持ち(伝えたいことも)は今後死ぬまで変わらないだろうと思い、娘に「遺言だと思って持っておいて」と渡しました。

娘が「青少年の船で小学生の時にグアムに行った時にも手紙をくれたよね」と言いました。

そのことは(この手紙のこともですが)、すっかり忘れていましたが、「あれを読んだ時には大泣きした」と言っていました。

今日はそんなこんなでしばらく離れるので昔話をたくさんしました。

車の中でこのナッツを食べながら

次の行先は免許センター。

今年はよく行った県営グラウンド

 

紅葉がだいぶ茶色になって冬枯れてきた感じでしたが、綺麗でした。

 

山も綺麗

・・・と、お婿ちゃんと感嘆

 

ここへ国際運転免許証をもらいに。

私も以前、国際運転免許証を持って海外に行きましたが、それをタイだったと記憶していました。

でも、娘がそれなら自分も免許を持っていたから申請するなら一緒にしたはずなので違うと言いました。

じゃあ、どこ

でも、結局、レンタカーを運転したのはハワイ島だけです。

ハワイは国際運転免許証は必要ではありません。

(今も多分

今日、「私も申請しようかな」と言うと、お婿ちゃんが「ママが来た時には自分が運転するから必要ない」と言いました。

そうだけど~。

 

申請には1時間ほどかかると言われていましたので、以前父が生きていた時にお墓参りに行くといつも寄っていた「二番館」というコーヒーの美味しいお店に懐かしがりながら行きました。

グリム童話に出て来そうなお家が出来ていましたが、この周辺、随分とさびれていて、この喫茶店だけが変わらず営業していました。

 

 

娘は小麦粉アレルギーになったので最近小麦粉ばかりのものは食べないのですが、何かそれ以外でも食べるものはあるだろうと思って入ったものの、ありませんでした。

サンドイッチとパスタ。

サラダまでスパゲッティ

 

結局、トッピングや中身を娘にやって、あとはレアチーズケーキとかを食べていました。

 

待っている間、何とセンターから「どこにいますか 出来上がっていますが」とお電話が~

呼ばれても取りに行かないのでお電話を下さったようでした。

今日はパスポートが必要でしたので持って来ていましたが、娘は日本のパスポートだけですが、お婿ちゃんや子供達は複数のパスポートを持っています。

どうやって使い分けるのかしらと思いました。

 

 

 

 結局、家に着いたのは16時。

子供のお迎えを1時間延長してもらって19時にしても間に合うかどうかの時間になり、母の所へ行く時間はありませんでした。

母から後で電話があり、「行けないかも」とは言っていましたが、やはり待っていたようでした

でも、もう1回、帰って来ますから、次回こそは

 お婿ちゃんは相変わらずで、家に着いた時荷物を持っていたのでほっぺだけ出して、「ここへキスして」

その後はいつもの如く、キスしたりハグしたり手を繋いだり

可笑しかったのが、娘がいるのでつい日本語で話してしまい、通訳は娘にするように頼んだりしていたら、「どうして電話だと英語で話すのに、日本語で話すのか」とクレームが

そして、その時車の中にいたのですが「電話で話しましょうか」(笑)

とにかく、2人の英語の会話が速いのでついていけない。

英文を考えている間に次の話題へ~

車の中での時間や待ち時間が長かったので、いろいろ話をしました。

娘も今日は随分と穏やかでした。

この1年間、何度も東京や大阪や現地に行ったりとても大変だったみたいでした。

お婿ちゃんとは彼のお母さんが寂しがっていないかと聞いてみたら、日本に来た時点でもう帰って来ないと諦めたようだと。

お婿ちゃんももう自国へ帰るつもりはないようです。

家族が一番大事で、特に子供はいずれ巣立っていくので、今、精一杯関わることを最優先しているし、それがキャリアなどよりももっと大事なことだと言っていました。

娘につくづく「いい人と巡り合えたね」と言うと「うん」と言っていました。

2人でこれからも様々なことに挑戦しつつ、乗り越えていくでしょう。

 

 

 

 

 先日、Amazonで注文していた来年の手帳が届きました。

左が今年の手帳と今年までの5年日記。

右が来年の手帳と来年からの5年日記。

同じB6サイズの手帳ですが、大きさが随分と違います。

今年のよりも小さいので良かったです。

 

帰ったら頂き物~

 

 母が居ない間の数日、1日は家の中で一人でのんびりする時間が必要なので、今週は明日の予定です。

来週も火曜日しか空いていないです。

何気に忙しい。。。

 今朝も年末に向けてもっとすっきりさせたいので、片付けをしました。

物が多いと整理整頓が出来ませんし、出来ても煩雑。

 

 

 

 

 


★致知一日一言【今日の言葉】2023.12.11

 

「生きている会社」の三つの条件

 

生きている会社には、
「熱(ほとばしる情熱)」
「理(徹底した理詰め)」
「情(社員たちの心の充足)」
の三つの条件が必要です。
━━━━━━━━━━━━━━
遠藤功(コンサルタント)
○月刊『致知』2024年1月号
特集「人生の大事」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●コンサルタントでローランド・ベルガー
日本法人元会長の遠藤功氏は、
現場力の鍛錬、強化により
多くの一流企業を再生、発展に導いてこられました。
20期連続増収を続ける広島市信用組合理事長の
山本明弘氏と共に現場力の大切さについて
語り合っていただきました。

ピックアップ記事はこちら

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母と娘と&キロロ「未来へ」

2023年12月08日 21時00分00秒 | 家族

 今朝は冷え込んで0.5℃でしたが、日中はぽかぽかの14.8℃。

昨日は15.2℃でしたが、今日の方が暖かく感じました。

明日はもっと季節外れの暖かさになりそうです。

 

 

 

 今朝の果物

 ご近所の方に又、いろいろ頂きました。

このおみかんは年明けまで取って置いて食べると美味しいそうです。

 

岡山にはタニタだけではなく、「天満屋女子陸上競技部」の管理栄養士監修のお弁当があります。

(もしかしてどこでも売っているかも)

初めて頂きました。

 

熱量597kcal タンパク質24.4g 塩分4.5g

タニタよりも塩分が強い気がしましたが、陸上部ですからそうなのかも。

 

 今日の母はやっぱり不調。

血圧のアップダウンが激しいせいでしょうか

でも、拒絶をする時の力や言葉の大きさはとても強いので驚きです。

しんどいはずなのにどこからそんな力が出るのかしらと思います。

拒絶内容はいろいろです。

ヘルパーさんが来て下さってもトイレに行きたくない、出ないとか、着替えたくないとか。。。

酸素濃度は100%でも息が出来ないと言います。

鎖骨周辺を触るとリンパの流れも良くなると聞きますのでそれをしようものなら痛いと言ってものすごい反応が返ってきます。

痛みは本人にしかわかりませんので、どうしてあげたらいのか途方に暮れそうです。

 今日は午後から歯科の先生が来て下さって入れ歯を直して下さいました。

いろいろな意味で入れ歯は入れていた方がいいと言われますが、母は嫌がります

それから、ケアマネさんが来られて、看護師さんも・・・。

我が家の人口密度が一気に高くなりました。

ケアマネさんは今年1年を振り返って、満足しているとおっしゃっていました。

40人も担当されて大変だと思いますが、お陰さまで我が家もそうです。

感謝

今日はその後リハ、薬局、ヘルパーさんがいらして、人の出入りの激しい一日でした。

母が居なくなったらこれらの方々が一気にいらっしゃらなくなるということです。

 

 

 

 

 

 先日、娘に頼まれて娘の部屋で探し物をしていたら、娘がオーストラリアにホームステイをする時に「淋しくなったら読みなさい」と渡した手紙が出てきました。

(彼女にとっては3度目の海外。1回目はまだ生後1年半の時のグアム。2回目は同じく青少年の船でグアムへ)

今日、勇気を持って(笑)その手紙(1997年7月23日付)を読んでみたら、今、考えていることと全く変わっていないので、安心するやら成長していないのかと思って少々複雑だったり

小さ目の便せんでしたが6枚も書いていました。

確か、この手紙を娘はすぐに読んだと言っていました。

一言で言えば「思う存分羽ばたいて行きなさい」という一言に尽きるのですが、今回も行き先が同じなのが何だか不思議な気がしました。

その後、娘とはいろいろなところに旅しました。

娘と一緒に行かなかった国で娘が私の話から行ってみたいと思っている国は恐らくインドではないかと思います。

 

 

 

 

 

 母と私、私と娘。

母子三代の想いにぴったりくるのがキロロの「未来へ」です。

 

未来へ - Kiroro(キロロ)(フル)

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.12.08

 

人生で一番大事なもの

 

人生で一番大事なものというのは、
一つは、どんな環境にあろうとも
真面目に一所懸命生きること。

━━━━━━━━━━━━━━
稲盛和夫(京セラ名誉会長)
○『一生学べる仕事力大全』より
━━━━━━━━━━━━━━

人間学を学ぶ月刊誌『致知』の
45年に及ぶ歴史の中から、
稲盛和夫氏のロングインタビューなど、
後世に残したい珠玉の記事を選び出し、
約800ページに閉じ込めた書籍が、
この年末に刊行されます。

弊社がありったけの思いと熱をこめて
発刊する渾身の一冊。

詳細はこちらの特設ページをぜひご覧ください。
https://www.chichi.co.jp/specials/2023_workpower/

 

 

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪91歳冒険家の挑戦~100万人に1人の難病を乗り越えて~【最新号のご案内】≫


「三浦雄一郎」という名前を、
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

エベレストに三度の登頂を果たし、
80歳での登頂が史上最高齢として
ギネス世界記録に認定されている、
世界的に有名な冒険家です。

超人的なご経歴をお持ちの三浦氏ですが、
87歳のときに難病を患い、
下半身が動かせなくなってしまいます。

本日は、
三浦氏が絶望的な状況の中からも希望を見出し、
困難に立ち向かっていくくだりを紹介します。

取材の様子はこちら
───────────────────

 その頃、面会に来た妻が「元気出して」と
 励ましてくれたんですけど、
 僕の口からつい出てきたのは
 「頑張りようがないんだ」
 という言葉だったんです。

──ああ、頑張りようがない。

 それが本音でした。

 豪太は
 「あんなに弱気な父の姿を見るのは
 生まれて初めてだった。信じられなかった」
 と言っていましたが、確かにその通りかもしれません。

   (中略)

──絶望的な状況から希望に変わった瞬間はありましたか?

 1週間か10日くらい経つと
 僅かに手足を動かせるようになったんです。

 微かではあるけれども最悪の状態を脱したような、
 回復の兆しみたいなものを感じ、
 この小さな一歩が再び前進していこうという力に
 変わっていきました。

 5段階ある要介護度で、上から2番目に重い
 要介護4に認定されましたが、
 医師からも「リハビリ次第です」と言われ、
 ならば諦めずにリハビリに励もう。

 いまできることを精いっぱいやっていこう。

 そう心に決めました。


※壮絶な闘病と挑戦の軌跡、
そして逆境を乗り越える心得や人生百年時代を生き抜く秘訣を、
ぜひ本誌でご確認下さい!

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

陰陽師の新刊本、安倍晴明と蘆屋道満


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1090186&c=3304&d=ed84

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、話題に関連する興味深い写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1090187&c=3304&d=ed84

━…………………━


今年の夏が暑かったためか、さまざまな草花で季節外れのできごとが起きています。

友人から聞いた話ですが、ピーマンがまだ青々と実っていたり、例年は9月で終わりのクレマチスが咲いたりしているそうです。


東京板橋でも、葉がまだ黄色になっていないイチョウが多くあります。



いかがお過ごしでしょうか。



山形県に住んでいる、オヤジバンドでの演奏とお祭りが、三度の飯よりも好きだという友人から寄稿がありましたのでご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:『最近読んだ本』(その2)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦



前回に続いて『最近読んだ本』の話になります。


つい数週間前のことです。なぜか本屋さんに行きたい気持ちになりました。

こうした時は急ぎの用事でもない限りすぐに行動に移すことにしています。


本屋さんに入ると、いつもは音楽に関したコーナーに真っ直ぐに行くのですがこの日は新刊本のコーナーに。


◆ 夢枕漠著の陰陽師の新刊本

すると、あれ? 夢枕漠著の陰陽師の新刊本が並んでいます。

いつもは新聞広告で発刊を知るのですが、見逃した…?

とにかくすぐに購入、すぐに帰宅。



ちなみに、タイトルは『烏天狗ノ巻』となってます。


物語は陰陽師の安倍晴明と彼の友人でもある公家の源博雅(みなもとのひろまさ)が晴明の屋敷で酒を酌み交わす場面からはじまります。

ここで源博雅が季節の移り変わりを語るのですが、私はこの場面が大好きです。


一気に物語の世界に入り込むことができます。


◆ 蘆屋道満

他の登場人物として正体不明の陰陽師、蘆屋道満(あしやどうまん)が二つの物語で活躍します。


その蘆屋道満の風貌はと云えば、ぼろぼろの黒い水干(すいかん)に身を包み、白髪、白髭、皺の浮いた顔の中に丸い黄色い眼、住んでいる場所は朽ち果てた破れ寺など。


さらに、『名誉も金も要らぬ。と言って、行きずりの他人であっても『酒を馳走になったから』の一言で地獄の鬼とも対峙するといった恐いもの知らず。


それを『迎えが来るまでの暇潰しをやっているだけのこと』と言うのです。


◆ 『烏天狗ノ巻』の「梅道人」と「殺生石」

今回の『烏天狗ノ巻』に収録されているのは全部で八編です。

いずれも読みごたえ充分です。


私のお勧めは『梅道人(むめどうじん)』です。


自分は、もはやこの世の人間ではないということを自覚できずに異次元の世界に迷いこんでしまった男の物語です。


私ら読者を不思議の世界にいざなってくれます。



さらに、蘆屋道満が九首九尾の狐と丁々発止の駆け引きを展開する『殺生石(せっしょうせき)』では壮絶な展開が楽しめます。


この物語は数回の深呼吸を行って、気持ちを落ち着かせてから読まれることをお勧めします(笑)。


◆ 後書きのようなものです

私の高校時代からの友人に源博雅と蘆屋道満を足して三で割って文中に出てくる妖怪を酒で薄めてマーブル状に練り込んだ様な個性的な人物がいました(笑)。


若い頃には二人で大酒を飲みまくっていました。


晴明と博雅みたいな仲でしたね……。



実はこの友人、タバコも大好きで、さすがに酒は仕事を終えてからでしたが、タバコに関しては空気の代わりにタバコの煙りを吸っているのではないか。

と思われるほどの超ヘビースモーカー…なのですが……。


一つ困ったことに、彼の必需品でもあるライターやマッチをすぐに紛失してしまうのです(笑)。


といったことで、タバコを吸う度に、まわりに居合わせた方たちに

『ライター持ってませんか? 貸して下さ~い。マッチ持ってませんか? 貸して下さ~い』

となるのです(笑)。



この友人から、お互いが独身時代に10日と開けずに電話が入ったものでした。


話の内容は毎回のように『俺だ~。今晩、予定あるか~?』でした


そこで私が『別に予定はないよ』と応えると『そうか、それじゃ今晩、酒飲もう!!』etc。


これを、タバコを吸いながらしゃべるのですから時々会話が途切れます。



ところがある時、言葉が途切れないのです。

さてはタバコをくわえたままで火を着けていないな。


と思った次の瞬間です。『ところで山下。お前、マッチ持ってないか?』


私はつい吊られて『おい何言ってる、俺はタバコ吸わないだろう』


一瞬の間を置いて、二人一緒にガハハハと大笑いとなりました。



その後も会うたびに二人で馬鹿っ話をやらかしていましたが、令和元年に、長年にわたる肺と肝臓の酷使がたたり、一人で旅立ってしまいました。


今頃、あの世でどうしているんでしょうかね~。


あいつの事です、閻魔大王と鬼たちを相手にタバコ吹かしながら大宴会でもやってるんじゃないでしょうか……(笑)。



お~い。その内に俺もそっちに行く予定してるから。お前さんの隣の席を確保しといてくれ~。

頼んだよ~!!

△ △ △

再び本庄です。以前に、夢枕獏さんの大作『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を読んだことがあります。


奇っ怪な古代の物語に一気に引き込まれました。



正月帰省のときに再読しようかと思い立ちました。今は電子書籍があるので、旅行にも重い本を持たずに済むので助かります。



しかし最近は、長い本を読む時間を確保するのが難しいと感じるばかりです。


大げさに言えば、生き方を見直さなければいけないのかもしれません。



下記は山下さんの前回の文章です。


『墨の香りが漂う小説』:

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1090188&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで


また、お付き合いください(^^)/~



==============

■ 編集後記

この季節にもかかわらず、バラの花が咲いていました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1090189&c=3304&d=ed84

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ホスピスで出会ったお嬢さん、母の日のプレゼントを持って

2023年05月05日 23時16分40秒 | 家族

 お天気が下り坂に向かっています。

明日の遅い時間帯から雨が降り始め、土、日、月曜日と雨マーク。

まるで梅雨入りの近さを感じさせるかのようです。

今年はなにもかもが早い。

数日前から、蚊が飛び始めて、今朝、お花を切っていたらしっかり噛まれました。

 

 

 

 朝の公園

ママ友ガーデン

 

緑のある風景はいいですねぇ。

 

公園のポプラちゃんもこんなに葉っぱが茂りました。

 

教会のお庭も少しずつ何かしら変化しています。

 

 

 

我が家の芍薬

トマトにお花が咲きました。

 

今朝の果物

この🍓いちご、とっても美味しいのでゆっくり食べたかったのですが、傷みが早そうでしたので食べてしまいました。

母もしっかり私よりもたくさん食べました。

ごみを出しにいったりしていてふと見ると芍薬が咲いていました。

一重のシンプルな芍薬です。

このレモンの(多分)お花、今にも咲きそうなのですが、なかなか咲きません。

 

 

 10時半頃、ホスピス勤務時代に知り合ったお嬢さんが早々と今年も母の日のプレゼントを持って来てくれました。

 

私のブログを最近ご覧下さっておられる方の為に今一度簡単に書きますと、このお嬢さんと知り合ったのは彼女(双子です)が小学校5年生の時でした。

お母さんがホスピスに入って来られて、ソーシャルワーカーに自分が死んだあと変な宗教に引っかかってはいけないので、どなたか紹介して下さいと頼まれたようです。

私はスタッフであると同時にボランティア活動もしていて、仲間は「結」という宗教も様々な6人組。

お坊さんもプロテスタントの方もおられましたが、多分、同い年くらいの子供がいるから私を選ばれたのではないかと思います。

私達はお茶会と新聞作りをしていました。

とっても楽しかった。

こうして、私はそのお母さんのお部屋を訪問するようになりました。

そして、子供達は教会学校や中国ブロック大会やクリスマス会など我が家の子供達と一緒に参加するようになりました。

確か我が家にもお泊りしたと思います。

お母さんの容態は段々と悪くなっていきましたが、最期まで双子のお嬢さんの今後の為にあれこれ縫ったりお誕生日ごとのお手紙を書いたりなさっていました。

最期の頃はもうか弱い字での筆談となりましたがお手紙を頂きました。

その時、今までの双子のお嬢さんの様子を話して下さり、特に一人はお父さんとの折り合いが悪くて小学1年生の時に自殺を計ったこともあり心配でたまらないと言われました。

ですから、「この子達をよろしくお願いします」と。

私は「わかりました。」と答えました。

お任せ下さいとか、安心して下さいとか付け加えたかどうか忘れましたが、とにかく、彼女たちのことはずっと見守り助けていく約束をしました。

この手紙は何年か前に時期が来たと感じて、子供達に見せました。

今は今日、来たお嬢さんが持っていますが、「もっとしっかり読めたら返します」と今日言っていました。

今はまだあまりにもお母さんを失ったこととその後の苦労が大き過ぎて、いまだにこのお宅ではこの時のことは話題に上らないようです。

ですから、お母さんのことが話せるのは私とだけのようでした。

家が遠く離れていますので、実際、ほとんど何かが出来たわけではありません。

ただ彼女曰く、何かがあった時に不思議と必ず私とすぐに電話が通じたり、私から掛かってきたりするのだと言っていました。

お誕生日のお手紙は確か20歳で終わっていました。

その後、結婚したり、子供が出来たり(我が家へ里帰りするように言いました)、孫の成長や見たかったに違いない風景を見させてもらってきました。

今日も彼女が言っていましたが、前世では本当の親子だったと思いますと・・・。

本当は「お嬢さんたちのことは任せて下さい、安心して下さい」なんて言葉を簡単に口に出来るはずもないのですが、いとし子を残して逝かないといけないお母さんにとって、他にどんな言葉が言えたでしょうか。

今日も彼女を見送りながら言いました。

「天国に行ってお母さんに会った時に、言葉もないわ」

 彼女は(もう1人は九州に嫁いでいます)、就職して初めてのお給料をもらった時から毎年こうしてプレゼントをくれています。

我が家の子供達でさえほとんどしないことを律義に。

私は彼女たちのお誕生日をいつもお祝いしています。

今日は2人の子供を連れて来ました。

いろいろなことを尽きることなく話しました。

「今度は子供達を置いてきます」と言っていました。

子供は退屈ですよね。

こうして私の娘となったこのお嬢さん達とは実の娘とよりも気が合うのが不思議です。

昨日、辛かったことが彼女が来てくれたおかげで癒されました。

 彼女はなぜか私と同じ管理栄養士となって大病院で働いていましたが、数年前から大学に移って大学院も行きつつ、子供達を教えています。

彼女の 管理栄養士としてのテーマは 「離乳食」。

なぜ 離乳食かと言うと、虐待している家庭には 離乳食がない そうです。

人工乳から即お菓子に至るようです。

将来は 公式に 乳児検診の時に、このような項目を入れてそういう虐待などを未然に防ぐことに繋がればいいなと言っていました。

Rちゃん同様、私の自慢の娘です。

あ~、もちろん、我が娘も誇りに思っています

肉親だからこそ、距離感の取り方が難しいのかもしれません。

今日もこの子とRちゃんを会わせようとしましたが、Rちゃんはお仕事でしたので、又の機会に。

母も喜んでいました。

続けざまに孫達やひ孫たちが帰ってきて。

亡くなった父や母も本当によく力になってくれました。

家族皆で支えたと言った方が正しいです。

 

 

 

 送って出た後に撮った写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0505

 

家庭は人間教育の素地

 

家庭は人間教育の素地である。
子供の正しい徳性と
良い習慣を養うことが
学校に入れる前の
大切な問題である
━━━━━━━━━━━━━━
安岡正篤(東洋思想家)
○月刊『致知』より
━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』は45年間、
人としての原理原則を探究してきた月刊誌です。
最新号の概要はこちら

●「子供は幼いから幼稚なのではない。
中身は大人よりも豊かなのだから、
幼い子に関わる人ほど大人として
上質でなくてはいけない」

安岡正篤先生は、ご令孫の安岡定子さんに
よくこのようにも話されていたそうです。

 

 

 

 

★バラ十字会のメールマガジンはお休み。

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父の命日&「金星」と「木星」が大接近

2023年03月02日 23時25分40秒 | 家族

 今日の最高気温は11℃で、昨日よりはかなり気温が低かったのですが、強風の為余計に寒く感じられました。

今日、倉敷の街を歩いたら寒かったでしょうし、フルーツサンドをお庭で食べたりは出来なかったと思います。

 今朝の果物

 午前中は2時間ほどカウンセリング学び、午後から整体経由ゆうちょへ。

ゆうちょから帰ろうとしたところ、母から電話があり、「もう家に着いた」とこのことで、慌てました。

ここのショートはいつも早目ですが、道が混んでいなかったのか更に早くてびっくり

「2分で帰るから」と言い、慌てて帰りました。

 母の調子は好調でした。

帰って、バナナをサンドしたレーズンパンとコーヒー、味ごのみを食べました。

 その後、往診でも好調。

頭痛は「今日は痛くない、気候かな」と。

でも、背中は赤くなっていて、痒がっていましたのでお薬が出ました。

頭痛は様子を見ることになりました。

 夕食も完食。

お味噌汁もちゃんと飲んでくれました。

 でも、その後、元気が良過ぎた反動で、しんどくなってきましたので急いでベッドに連れて行きました。

しばらく痒がっていましたが、今日は早めに寝ました。

 体重は又1kg近く増えて37.1kgになっていました

 今日は父の命日。

あれから何年経ったのだろうと思い、お葬式の時に配ったカードを見ると2002年。

(いつも手帳に挟んでいます)

母が言っていた通り21年。

享年84歳。

「足守の川に映れる夕月にマリア灯籠かたぶきにけり」

父はずっと俳句をしていましたが、この短歌をなぜか選びました。

臨終洗礼で、霊名は孫が付けた「ペトロ・フランチェスコ」

つい先日のようでもあるのに、父のいない年月をもう21年間も過ごしたなんて。

いつも動き回っていた父が動きつつもすぐに横になるようになり、おかしいなと思ってかかりつけのドクターにレントゲンを撮ってほしいと願いしましたが、夏に撮ったからとか、うつ病だからとか言われてなかなか撮ってくれませんでした。

再度お願いしたところ、即、総合病院を紹介されて、父は自分の車で病院へ。

そして、その車で家に帰ってくることはありませんでした。

すでにガンが肺全体に広がって白くなっていました。

2週間くらいだったでしょうか。

あっと言う間でした。

当時ホスピスに勤務していたのにもう動かすことも出来ず、ホスピスの恩恵を受けさせてあげることが出来ませんでした。

動揺していた私に院長が「これがお父さんの寿命だ」と言われた言葉。

妙に納得出来ました。

親戚が次々と来ては帰った日、娘の高校卒業式のだった日。

その朝、母は準備の為に家に帰りました。

私は病室で昏睡状態の父と2人きりの時間を過ごしました。

今までのことをずっと父に話し、心から感謝していることを伝えました。

そして、「出来ることならもう1度だけ目を開けて」

夜の10時過ぎ、私達家族だけになった30分間がありました。

その時、父は「愛しているよ。ありがとう」と皆が声をかける中、意識を回復し「うんうん」と頷いて息を引き取りました。

父は私の願いに応えてくれたのです。

四季が巡る度いろいろな思い出が込み上げて泣いていました。

もう泣くことはないと思っていましたが、やはり思い出すとうるうるするものですね。

天国でも人のお世話を忙しくしているかな。

 今夜は日の入り後の西の空で「金星」と「木星」が大接近するとニュースで言いましたので、写真を撮りに2階に上がりました。

「月1個分が間に挟まる程度の大接近」だそうです。

窓を開けると目の前に「金星」と「木星」がこんなにも近くなっていてびっくりしました。

19時03分の写真です。

★致知一日一言  【今日の言葉】

最新号の表紙は、いま話題の羽生善治さんです!

棋士にとって一番大切な課題は、
負けた時にどう気持ちを切り替えられるか。
結果は人のせいにはできないし、
自分が選んだ手は完全に自分の責任なんです

━━━━━━━━━━
羽生善治(将棋棋士)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

『致知』4月号
特集「人生の四季をどう生きるか」が
発刊されました!

表紙を飾っていただいたのは、
将棋界において前人未到の7冠や
通算1500勝を達成し、
目下、通算タイトル百期をかけて
藤井聡太王将との第72期王将戦に
挑む羽生善治氏。

30年来の知己である
世界的指揮者の小林研一郎氏と
ご対談をいただきました

ぜひ、最新号でご覧ください!

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母がショートから帰ってきました&孫の誕生日

2023年02月23日 22時53分40秒 | 家族

 今日は昨日より断然気温が高かったのですが、太陽の光がなかったので、さほど暖かいとは感じませんでした。

でも、この時間(22時20分・・・もうこんな時間)でもまだ7℃もあるようです。

 

 

 

 今朝の果物

夕方、ショートから帰ってきた母が普段🍓いちごを酸っぱいと言って食べないのですが、昨日買って帰った🍓いちごは甘いと言って食べました

大きいし甘いし美味しいです

 

このオーロラブラックのぶどうパン、朝、食べてみましたが美味しかったので、明日の朝、母も喜ぶと思います。

  

昨日買って帰ったランの花をお台所に生けました。

 

お台所の他のお花も集めて撮影。

 

 

 

 今日は10時からと1時からとズームミーティングに出席しました。

どちらも2時間位でしたが、本当に便利な世の中になったものだとつくづく思いました。

 

 

 

 

 朝のうち、少し雨が降っていましたがすぐに止んでしまい、明日の雨予報も曇りに変わりました。

 

 

 

 

 

 4時過ぎ、母がショートから帰ってきました。

生活指導員さん曰く、今回は今までで一番元気でよく食べ、危ない位車椅子も乗り回していたそうです

電話では調子が悪いように言っていましたが、聞けば今日は調子が良かったとのこと。

体重も着衣のままですが先週の32kgから36kgに増えていて、ほっとしました。

持って行かせていた栄養ドリンクもよく食べたせいか1本しか飲んでいませんでした。

 帰ってからもおやつに最近のお気に入りの味ごのみと昨日、農園で買って来たドーナツを食べ、食後にも又、味ごのみを食べていました。

ご飯もまずまず1杯食べましたが、お魚はお皿から消えていましたので、「食べたんだ~」と喜んでいましたが「お魚は嫌い」と言ってティッシュに包んで捨てていました

でも、煮物は食べていました。

 今日はお義父様の介護の為、ヘルパーのお仕事を辞められるヘルパーさんの最後の日でした。

りんごのコンポートを下さいました。

又、どこかでお会い出来ることを願って・・・。

 

 

 

 

 今日は天皇誕生日。

一番下の孫のお誕生日で、5歳になりました。

夜、果物のお礼の電話をかけてきました。

パパが掛けさせたので、その後、お婿ちゃんとしばしおしゃべり。

今日は文句をタラタラ言っていました

Facebookを見ると私が牛窓に行ったりいちご狩りに行ったりして遊ぶばかりしているのに、彼には全く私から電話をしないという内容でした。

いつも掛けるのは自分からだけで、元気か、大丈夫かの電話1本無いと

これでも遠慮しているんだと言ってもいじけてしまって、自分が私を愛しているほど私は彼を愛していないと思いっきり文句を言われました。

ですから、今度からはちゃんと掛けると約束しました。

外国人というか彼はでしょうが、愛情表現が豊かで可愛くて癒されます~

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

ガッツ石松さんが支えにしてきた母の言葉

 

偉い人間になんかならなくていい。
立派な人間になれ

━━━━━━━━━━
ガッツ石松さんを支えた母の言葉
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

『致知』2005年5月号
特集「母の力」に
ご登場いただいたガッツ石松さん。

「おふくろさん、
 俺が楽にさせてやるから」

と題して、
世界チャンピオンまで上り詰めた道のりや、
お母さまとの感動的なエピソードを
語っていただき、
大きな反響を呼びました。

その記事はぜひ皆さんにも
一読いただきたいもの。

以下のWEBchichiでご紹介していますので、
ご覧いただき、一人でも多くの方に
シェアしていただければ幸いです。

  ↓ ↓ ↓

●「ガッツ石松さんの人生を支え続けるもの
  ――泥だらけの千円札」

【記事はこちらから】

━━━━━━━━━━

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明けましておめでとうございます&元旦早々& We Are the World

2023年01月01日 23時44分44秒 | 家族

 新年明けましておめでとうございます。

旧年中は多くの方に母の介護について応援して頂いたり、ブログを読んで頂いたりして感謝しています。

今年が皆様にとってより一層素敵な1年となりますように心からお祈りしております。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 今朝もいつもの日曜日のように朝の7時のヘルパーさんから1日が始まりました。

昨夜母は寝る前に転倒したところを少し痛がっていましたので気になっていたのですが、やはり今日は動かすともっと痛いようでした。

そこで、今朝来てくださったヘルパーさんが昨日と同じヘルパーさんでしたのでご相談してどうしたらいいかということを考えました。

まず前の骨折の時にもこの方が来て下さっていまして状況がよくおわかりでしたので、前とは状況が全然違うのでまず大丈夫だろうということと、命に関わることではないということ、そして、今日は娘一家が帰ってくるので娘さんにも会わせてあげたいということでとりあえずはすぐに救急車を呼ばなくてもいつでも呼べるということで、一番いい方法は明日の朝救急車で病院に行って(やはり、ショート先も何もわからないでは困るので)、そして病院で母を乗せてくれるだろうからその足でショートステイに行ったら一番いいのではないかということで話が終わりました。

「娘さんが帰られたら判断が早いでしょうから、それに従われたらいいと思いますよ」とも。

又、母も心配だったのか病院に行きたがりました。

でも、娘一家は待てど暮らせど帰って来ず。

ヘルパーさんが帰られた後、母はお雑煮とおせちを前にして、「こんなおめでたい日にどうしてこんなことが起こるんだろう私は何か悪いことしたのだろうか」とボヤきましたので、「何も悪いことしていないけれども、年を取ったりパーキンソン病があったりするからどうしてもよほど注意していないとこういうことになってしまうのよ」と話をしました。

 その後、お台所で(今日は私ひとりでは母を動かさない方がいいと言われていました。母の足が萎えていましたので)、駅伝を観たり新聞を読んだりして過ごしました。

 それから、11時半に同じヘルパーステーションの別の方が来てくださって、今日はお一人でお時間もおありとのことで、本当はいけないのでしょうが、ご一緒に昼食を食べたりしながらおしゃべりを楽しみました。

 そして、ヘルパーさんが帰られてしばらしくして後の2時前に、娘一家が帰ってきました。

訪問介護に来てくださるクリニックが「県外の人にはもし可能なら全員抗原検査をして欲しい」ということを言われていましたので抗原検査を受けたりしたら遅くなってしまったようでした。

そして、一緒に食事することも避けた方がいいと思って食事もして帰ってきました。

一通り母の様子を聞いて、診察をして「まあ大丈夫だろうとは思うけれども、こればかりはレントゲンを撮ってみないとわからない。今、手があるから病院に連れて行けるから行こうか」という話になりました。

お婿ちゃんが母を抱いて私の車に乗せてくれました。

ついでに「ママも抱っこすることできるよ」と言って人生初かな

お姫様抱っこを2回もしてくれました

帰ってきてからもですが、その後も何かにつけてハグハグして、もうおもちゃにされた一日でした

病院には娘が付き添ってくれました。

一応彼女は介護の何級かを勉強して取ったようで、割とテキパキしてくれて私が慌てて母を着替えさせたりしていると「なんて雑なんだ」みたいな感じで言っていましたけれども、夕方にはその娘も母から「なんて雑なんだ」と言われていておかしかったです

 病院に着いて、レントゲン結果を聞くまではもしかしたら入院かもしれないと思って、またお薬とかある程度のものは用意して行っていたのですが、本当にまた奇跡的に運良くヒビも入っていませんでしたし、もちろん骨折もしていませんでした。

もう本当に安堵して心から良かったと皆が思ったはずなのですが、やはり母だけは懲りていないことがその後に発覚。

レントゲンを待っている間に娘の仕事の様子を聞きました。

やはり私はホスピスにいた関係で、人の死や死に方には関心が向きます。

ICUでの様子やその死について話を聞きました。

 病院から帰ったのは4時半頃だったと思うのですが、その後おせちを食べたり(抗原検査はして帰ってはきましたが、安全とは言えないので別室で食べていましたし、全員マスクを徹底させていました)お風呂に入ったりして、そうして我が家を出たのは8時頃。

娘たちを送って中に入ると、母はまた立って歩こうとしていました

もうどうしてわからないのだろうかと思うと情けなくて大泣きしそうな感じでした。

(泣きはしませんでしたが)

暖簾に腕押しとはこのこと。

家に最後まで居たくないの」と聞いても黙っています。

病院でも言っていましたが、歩けると思うのだそうです。

そう思ってもう50回は軽く転んでいます

「年を取るとみんなある程度こうなってしまうし、ましてパーキンソン病があるからそれを受け入れて、家にいたいんだったら我慢しないといけないことは我慢して、自分と折り合いをつけて生きていかないと最後まで家にいられないよ」ということは朝懇々と話をしたのですが、私の言った言葉は全く母の心には響かないのでしょうか

 今日は娘一家がいてくれたおかげで手伝ってもらえましたので、介護が楽でした。

人の目や手があるということ。

一人ではないということは本当に心身共にこんなにも楽なんだと思いました。

 今日はもう、ひっきりなしに母に呼ばれたり、娘に呼ばれたり、お婿ちゃんに呼ばれたり、孫たちに呼ばれたり、もうてんやわんやでしたけれども忙しかったですが充実した一日でした。

 

 元旦の朝食

岡山スタイルのお雑煮

昔は姥貝を甘辛く煮て入れていましたが、今ではなかなか姥貝を見つけることは難しいです。

お醤油味で、ぶりが入るのが一番の特徴でしょうか。

病院



先日まで入院していたので受け入れてくれたのかもしれないと娘が言っていました。

それから、医者への説明の仕方が悪いとも言われました。

医者の情報としてほしいことを言い、必要でないことは言わなくていいと言われても、難しい。。。

でも、起承転結。

簡潔に話す習慣は付けていた方がよさそうです。

元旦早々入院にならなくて良かったです。



 9歳の孫娘がお抹茶を入れてくれました。

お手本を見せるとひどく感動してくれました

  

 

練習してこのように点てることが出来るようになりました。

今4歳の男の子の茶道は今年から始まるそうです。



娘が帰って来た時にちょうど「やっぱり果物が食べたいね」と言って切っていましたが、そのまま病院に行きましたので、皆が帰ってから続きを切って食べました。

🍍パイナップルなどすっかり忘れていました。





断捨離で出てきた「昭和レトロ」なセーター。

私が着たもの、娘や息子が着たものを持って帰らせました。



又、膨大な写真をどうするかの話もしました。

3~4月頃、暖かくなったらおばあちゃんがお墓参りに行けても行けなくてもその時に必要なものはスキャンするとのこと。

ついでに母や私の若い時や小さい時の写真を見せると、これが2人には一番受けて、しばし楽しい時間を持つことが出来ました。

母もやっとまともにアルバムを見ていました。

このアルバムが見つかったことはとっても良かったと思います。

上皇上皇后両陛下を幼稚園(ミッションスクール)でお迎えした時、私が一番にお迎えするお役目でしてお話をしました。

その時の写真もあって懐かしかったです。

美智子様の初々しい美しさが素敵でした

 娘には私の定期健診の数値も見てほしかったのですが、娘も「見せて」と言いつつ、気が付いたのは皆が帰ってのんびりお風呂に入っている時でした。

あまりにも慌ただしかったです。

 今日は毎年欠かさず観ているウイーンフィルのニューイヤーコンサートを半分以上過ぎてから見始めました。

確か明日に再放送があったような。。。

 明日、母をショートに送り届けたら(三が日は送迎がないそうです)、ゆっくりしたいですが、今日一日で家中がひどい状態に

ところで、息子一家はコロナに感染したようです。

今のところ、お嫁ちゃんだけが感染を免れているようです。

U.S.A. For Africa - We Are the World

★致知一日一言 【今日の言葉】


新年の始まりにこの言葉を贈ります

皆様、明けましておめでとうございます。
よき新年をお迎えのことと存じます。

今年も皆さまの人生の糧となる配信を
心掛けて参りますので、
どうぞよろしくお願いします。


一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き悔恨(かいこん)を棄(す)つべし
三、年頭決然滞事(たいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願(ほつがん)すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし

━━━━━━━━━━
安岡正篤(東洋思想家)
『安岡正篤一日一言』より
━━━━━━━━━━

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穏やかな初秋の一日&秋桜(さだまさし)

2022年10月02日 23時32分36秒 | 家族

 いつものように家中の窓を開けて廻り、少しだけ歩きに行きました。

日中はまだ暑いですが(今日も30℃超え)、折角朝夕、涼しくなってきたのに、歩けないのが残念。

 

 

 今朝の空

雲がほとんどなかったです。

 

教会に入ると太陽の光が後ろから射してきました。

教会は東に向かって建ててあります。

多分、どこの教会もそうだと思うのですが、クリスマスと冬至の関係と同じで、復活の太陽(キリスト)は東から昇ってきますのでそうのように作られていると聞いたことがあります。

 

今日は特にお婿ちゃんの叔父さんの為に祈りました。

 

 

 

 今朝の朝顔は一輪でした

 

帰ってから、バラや植物に肥料をやりました。

物置から、古い洋ランの肥料も出てきました。

 

勝手口のヘルパーさんの机の上にハロウインの飾りを置きました。

今朝の果物

今日は母がお番茶が飲みたいと言いますので、先日出てきた南部鉄の急須で淹れました。

 

 

 今日の母は一日調子がよく、ゴソゴソしていました。

外は暑くても家の中は湿度も低く過ごしやすかったので、穏やかな初秋の一日を母と静かにまったりと過ごしました。

明日からは又、続けてリハ付きショートですので、私も嬉しいです。

 

 

 

 

 お婿ちゃんからは言っていた通り、お昼頃、電話がかかってきました。

昨日あれから、メッセージも送りました。

通り一遍な言い方ですが、いつも祈っている、いつもそばにいる、そのことを忘れないでみたいなこと。

今日は昨日と違って元気で明るい声になっていました。

遺体はすでに火葬されたようで、日本と違ってとても早いそうです。

新聞の死亡欄に母と私からのお悔やみのメッセージも出ると聞いていましたら、今、ちょうどその新聞のコピーをWhatsAppから送って来てくれました。

最初の言葉は日本語で「お母さん、ありがとう」

そして、お悔やみの言葉を英語に訳してもらいました。

それからしばらくメッセージ交換をしました。

何ともかわいいお婿ちゃんです

お昼間は孫の元気な声も聞こえて、母にも電話を代わりました。

最後に"Love you"と言ったので、母にも"I love you"と言うように言いますと、「アイラブユーだって」と言っていました

夕方になって何を思い出したか、母が「英語で話が出来るんだねぇ」

「え今更」と思いましたが、まだまだダメです。

 今日はお嫁ちゃんからも9月の2人目の孫のお誕生日のお祝いのお礼と沢山の写真が送られてきました。

おばあちゃんが相次いで他界したのでバタバタだったことと思います。

このお嫁ちゃんも本当にいい子で。。。

我が家の娘や息子よりも義理の息子や娘の方が優しいしいい子達です。

お嫁ちゃんなんて、一緒の車に乗る時、助手席をいつも私の為に空けて乗ってくれます。

最初は気が付かなくて、離れて乗るのかと思って不審に思っていたら、息子が「そんなわけないだろ」

ですよね

最初の頃はお互いにわからなくて皆ぎくしゃくした部分もありましたが・・・。

娘の結婚式の時、息子1人がお休みの関係で後から来たのですが、ドーハあたりから連絡が取れなくなって英語も話せないしどうしようかと心配で心配でたまらなかったのですが、彼女がPCでがんばってくれて事なきを得ました。

その2ヵ月後に息子たちも結婚式を挙げましたので、この年は本当に忙しかった

この時にはお婿ちゃんの二人のおじさんも健在でしたが、1人はその年に亡くなりました。

すでに病気でした。

でも、この叔父さんがいたから、彼は日本びいきになったようです。

披露宴ではもちろん、このお二人とも、着物姿でウインナワルツを踊りました。

本当に懐かしい。

帰国する時には2~3回は又、行けるだろうと簡単に思っていましたが、コロナやら介護やらでなかなか遠いです。

 

 

 

 

 

 又、こんな時間になってしまいました

生活を立て直さなくちゃと思うこの頃です。

 

 

 

 

 

 

秋桜 コスモス  さだまさし

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】


なぜ、成功する人はいつも本気なのか

本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら、
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事
ああ 人間一度 こいつを
つかまんことには

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坂村真民
(「念ずれば花ひらく」の詩で知られる仏教詩人)
月刊『致知』より
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「念ずれば花ひらく」の詩で知られる
 国民詩人・坂村真民(しんみん)さん。
 生涯で残した一万篇以上もの詩は
 多くの人々の心を勇気づけていますが、
 その人生は想像を絶する苦難の連続でした。
 
 小学校校長を務める父親のもとに生まれ、
 何の苦労も知らずに幼少期を送った真民さん。

 しかし8歳で父親が急逝すると生活は一変、

「5人の子供を自分の手で育てる」

 と譲らなかった気丈夫な母のおかげで
 きょうだい離れ離れにならずに済んだものの、
 待っていたのは貧しい生活でした。

 働きにでる母の、少しでも助けになればと
 畑を借りてソバをつくったり、草鞋を編んだり、
 そんな生活を送りながら育った真民さんには
 自然と自分を律する心が芽生えていきました。

 ・  ・  ・  ・  ・

 詩人として知られる真民さんですが、
 若い頃志したのは短歌の世界。

 詩の世界に分け入ったのは41歳と遅い出発で、
 それに焦りを感じた真民さんは
 厳しく自分を律し、勉学に励みます。
 その余りの厳しい生活によって
 片目は失明寸前に追い込まれると、
 次は内臓を悪化させて
 死の直前にまで陥るのです。
 
 それでも何とか持ち直し、
 苦しみから脱した時に生まれたのが、
 
「病が/また一つの世界を/ひらいてくれた
 桃/咲く」

 という詩でした。

「体験が信仰を本物にする」

 と真民さんはよく口にしましたが、
 本日紹介した詩は、真民さんの生きる姿勢を
 如実に表した詩と言えるでしょう。

 皆さまの心の杖となれば幸いです。 
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コメント
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