雨がよく降りました。
乾燥していましたので恵みの雨でした。
母が逝ってからちょうど3ヵ月が経ちました。
母の夢を見ました。
ショートに行く準備をさせないといけないのに私がぐずぐずしてちっとも進まないみたいな夢でした。
三笠宮妃百合子様がちらっと現れられたのはこの方も高齢の101歳で、母の後の11月15日に亡くなられたからだと思います。
今日の果物
「趣味の園芸」はクリスマスローズでした。
今は本当にいろいろな品種が出始めました。
でも、なかなか地方ではこのような珍しいものは見当たりません。
クリスマスローズの楽しみ方の中に一重のお花を陽に透かしてみたり、後姿を愛でたりといろいろな楽しみ方があることも紹介。
クリスマスローズは2月が最盛期なのになぜ、「クリスマスローズ」
原種のニゲル
ヨーロッパでもなかなかクリスマスの頃には咲かないそうですが、たまたまクリスマスの頃に咲いたこの花を少女が教会に持って行ったそうです。
まるでバラの花のようということでクリスマスローズの名前が付いたそうです。
その後、教会へ。
近くの川にサギがいました。
警戒していたようですが、逃げませんでした。
今日は年間第4主日で「主の奉献」の祭日。
ヨーロッパでは「ろうそくのミサ」と呼ばれて、皆がろうそくを持っていって、祝福されたろうそくを再び家に持って帰るそうです。
(ろうそく=世を照らすキリスト。私達もろうそくのように周りを照らさないといけない)
又、旧正月の1月29日からの3日間、ベトナムでは特別の典礼があるそうで、ここでも50人以上のベトナム人が集ったたそうです。
それぞれの国に即しているようです。
これは今日の「聖書と典礼」
ミサの中で読まれる箇所などが印刷されています。
(日本語、英語、ベトナム語)
この表紙、こうして見るとカラフルで綺麗だなと思って撮ってみました。
いろいろな場所(教会や美術館や)から引用されています。
ミサ式次第の日本語(左)と日本語、ローマ字読み、英語、ベトナム語(右)
(ここはベトナム人が多いのでベトナム語が入ったものを取り寄せています)
ミサの式次第は万国共通です。
ですから、どこの国に行こうと戸惑うことはないです。
読まれる聖書の箇所は日々変わりますので、日曜日は上のような「聖書と典礼」があります。
平日は一冊の本や冊子になっていますのでそれを使います。
(修道院や熱心な信者さんなど)
ベトナム野菜を売っていました。
200円。
今日も歩いて行きましたが、帰りは年配の方を送って行かれる方が「一緒に乗らない」と声をかけて下さいました。
近いし歩かなくちゃと言いつつ、折角なので乗せて帰ってもらいました
家に入る前にお庭ウオッチィング。
裏庭で水仙が咲いていました。
(いつもの場所はまだ)
クリスマスローズ
何本かありますがまだ咲いていません。
玄関のこの水仙は黄色。
八重の椿もまだですが、少しピンク色になっていました。
その後、お買い物に行きました。
今日は節分でしたので、恵方巻が山のように積まれていました。
買おうかとも思いましたが、高いし自分で作った方が自分の口に合うし~でやっぱり作りました。
巻きすの上(正確にはおふきんの上)に置いてちょっと他の用事をしていたら、パリッと感が無くなってしまいました
でも、母にお供えしてから食べましたが、美味しかった
(自画自賛)
中身は厚焼き卵、かまぼこ、ほうれん草、高野豆腐(手抜き、簡単)
海苔がくみてしまわないうちに又、度々作ろうと思いましたが、もしかして、岡山弁と思って調べたら、岡山弁でした~~~
湿気ると言う意味です。
美味しかったまでは良かったのですが、「あすけん」の管理栄養士さんから「炭水化物の取り過ぎです」と注意が。
半合のお米を炊きました。
半合は70gです。
炊くと2.4倍で計算しますので約168g。
「あすけん」で太巻きを調べるとご飯160gで、250kcal。
3切れ計算で太巻きのカロリーは356Kcalとなっていました。
ご飯を食べてから、今日こそはと思い、
バラの冬剪定をしました。
切った枝が大きなビニール袋に一杯になりました。
切った蕾
丸いアレンジメント用の入れものに挿しました。
小さな蕾は咲かないでしょうが、捨てるに忍びなくて。
母の祭壇に
今は父の写真や位牌も教会の仏壇のようなものから出して、今はここへ出しています。
毎年、母に見せると「まあ~、綺麗ね~」と笑顔になっていましたので、今日も笑顔になってくれたと思います。
★致知一日一言【今日の言葉】2025.2.2
障碍児教育に携わる原点となった父の生き方
人は生かされてのみ生きる
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向野幾世(西の京養護学校元校長)
○『致知』2025年2月号
連載「致知と私」より
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●障碍児教育に人生を捧げてきた
奈良県在住の向野幾世さんは
88歳になるいまも
『致知』を熱心に愛読されています。
向野さんが障碍児教育に携わるようになった
原点には御父様の存在がありました。
2025年2月号「致知と私」にて、
御父様の思い出を交えながら
『致知』への思いを綴っていただきました。
少し長いのですが、感動的な内容です。
ぜひご一読ください。
……………………………………
『致知』との出逢いは55歳の時、
奈良県初の女性校長になったことがきっかけでした。
何かしら自分の心の支えになるものを
探さなければと思い、
学校に送られてきた広告の中から
『致知』を見つけ出したのです。
最初は難しくて分からないこともありましたが、
読み続けているうちに
自分を支えてくれる本として愛着が湧き、
いまでは手放せない存在になりました。
それは、この『致知』の教えが、
父の姿と重なるように、
心に沁み込んできたからなのかもしれません。
私の父は生まれつき重度脳性麻痺の
障碍を持っていました。
家が貧しかったため、
学生時代はアルバイトに次ぐアルバイトの日々で
ろくに勉強もできません。
本音を言えば、私は父のことをずっと恨んでいました。
働きに出ることができない父は、
いつも家で留守番をしていました。
人が来ると、大急ぎで這って玄関に行きます。
襖を開けると、「ハア、ハア」とものすごい形相です。
お客さんはびっくりして
「しっしっ、そばに寄るな、あっちへ行け」
とえらい勢いで追い払いました。
何度もそんな情景を見た私は、聞いたことがあります。
「父さん、悔しくないの? あんなこと言われて」と。
父は「ちっとも悔しくない」と答えました。
「父さんはこの体を生きるおかげで、
分かることがある。
玄関に訪ねて来た人は、
どんな立派な服を着ていようと、
立派な肩書の入った名刺を出そうと、
心の値打ちの低い人がある。
一方で、名刺も何もなくても
心の値打ちの高い人がある。
父さんは生きている間中、
そういう人に出会って死んでいけるから、
ちっとも悔しくない。幾世も大きくなったら、
心の値打ちの高い人に会っていきなさい」
と言われました。
私は何もしてもらえなかった、
と父を恨んでいましたが、
そうではなかった。
ただただ合掌し続けて生きた父から、
人は生かされてのみ生きるのだという
人間観を教えられました。
大きな大きな財産を貰もらっていたのだと、
いまではよく分かります。
父は76歳で亡くなりましたが、
いまではその姿に『致知』を重ねて
毎月大切に読んでいます。
また、致知出版社の講演会にも何度も足を運び、
藤尾社長の迸るような情熱を聞くたびに、
この本を手放してはならない
という思いにさせられるのです。
2004年、『致知』の学びを共有する場として
立ち上げた奈良木鶏クラブは、
昨年11月で20周年を迎えました。
今後も『致知』を自分の支えとし、
学び続けていきたいと思います。
★[ECCJ] 今日(2月02日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
人から引き立ててもらおうとするな。むしろ、自分が神から引き立てられることを選べ。なぜなら、銀も金も神の物であるからだ。
Seek not to find the favor in the eyes of people. Rather CHOOSE to KNOW thou hast favor with God, for the silver and the gold is His.
(520-2)