今日は午後から晴れてきましたが、風が強くて家の中にいると寒く感じられました。
今朝は4時に目が覚めて、もう眠くないな~と思っていましたが、いつの間にか二度寝をしていて、気が付いたら6時でした。
今日はフリーデー。
いつまで寝ていても多分誰も来ませんし、怒る人もいませんがこれ以上長く寝ることが出来ないのが、本当に残念
今日は父の誕生日です。
1919年(大正8年)生まれですから、生きていたら104歳。
父が逝ってもう随分と経ちました。
何年も季節が移り替わるごとに何かにつけて思い出してはうるうるしていました。
今でも思い出したらやはりうるっときますね。
今朝の果物
(と言いましても、今日は一日かけて食べました)
お洗濯物を干しに出た時、昨日はまだ蕾だった深紅のバラが咲いていました。
実際の色は黒みがかった赤です。
きゅうりが生っていますが、何枚撮ってもピンボケ
今年はRちゃんが植えてくれたのですが「なぜこんなに細いか」と言っていました。
土が肥えていないのでしょうか
お花の苗を買いに行く時に、もう少し苗を買ってこようと思っています。
あ、それに「グリーンカーテン」の朝顔も
今朝は歩きにはいかないで、お洗濯やゴミ出しを済ませた後、少しゆっくりして9時半くらいから少し歩きに行きました。
垂れ込めた雲が面白い
ママ友ガーデン
門のはずれあたりから、すでにバラの甘い香りが漂ってきます。
もうかなり枯れてきました。
今日はママ友はお出かけしました。
風が強くて、お花がゆらゆら。
家の周りの野ばらはまだ大丈夫。
隅の方にこんなバラを発見。
けやきが綺麗ですぅ~~~
ご近所ウオッチィング
ちょっと道を変えてみますとこんなに紫陽花が咲いていました。
ここから我が家
形はレモンっぽい
無くなったと思っていた斑入りのカラーが思いがけないところから出てきました。
嬉しいサプライズ
少しずつお天気が回復してきました。
午後のお茶タイム
このガウディのクッキー、とっても美味しい
お紅茶に合いますので、ゆっくり優雅にお紅茶を入れて頂きたいものです
2時頃にはすっかり晴れて綺麗な青空が広がっていました。
雨上がりで風も強かったのせいか空気が澄んでキラキラしていました。
もう少し青い空の色でした。
早目にしないといけないことは2~3つほどあるのですが、ついつい別のことをしたくなってしまいます
昨日、整骨院の先生と「抗う」の話をしていた時、マズローの欲求の話が出ました。
その時、オーナー先生がご自分のお仕事やボランティアすること、又、ブログを書くことも「承認欲求」だと言われました。
いやいや、そうではない人もいるのではと私は思いました。
確かこの「承認欲求」の上にもうひとつあったと話をしましたが、2人共思い出せませんでした。
そこで、今日、調べてみましたので、ついでにブログにアップすることにしました。
(日本語のは下にあります)
自己実現理論(じこじつげんりろん、英: Maslow's hierarchy of needs)
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
自己実現理論(じこじつげんりろん、英: Maslow's hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。
自己実現論、(マズローの)欲求段階説、欲求5段階説、など、別の異なる呼称がある。
ピラミッド状の階層を成し(なお、マズローの著書にはピラミッド階層についての言及はされていない)[1]、マズローが提唱した人間の基本的欲求を、高次の欲求(上)から並べる[2]。
●自己実現の欲求 (Self-actualization)
●承認(尊重)の欲求 (Esteem)
●社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
●安全の欲求 (Safety needs)
●生理的欲求 (Physiological needs)
各階層の詳細
生理的欲求 (Physiological needs)
生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。性的欲求もこの段階に含まれるが、交際相手・配偶者の存在は「社会欲求」・相手から愛されるのは「承認の欲求」に含まれる。女性にとっては高所得・資産家男性と結婚することは、お金の力によって「安全の欲求」が満たされるし、それによる優雅な生活・良い教育(優秀な子供)は「承認の欲求」も満たしてくれる。
安全の欲求 (Safety needs)
安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、脅威や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。
社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。
承認(尊重)の欲求 (Esteem)
自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。
自己実現の欲求 (Self-actualization)
以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。
1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
2.自己、他者、自然に対する受容
3.自発性、素朴さ、自然さ
4.課題中心的
5.プライバシーの欲求からの超越
6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
7.認識が絶えず新鮮である
8.至高なものに触れる神秘的体験がある
9.共同社会感情
10.対人関係において心が広くて深い
11.民主主義的な性格構造
12.手段と目的、善悪の判断の区別
13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
14.創造性
15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越
欠乏欲求と存在欲求
マズローは、最初の4つの欲求を欠乏欲求 (Deficiency-needs) 、自己実現の欲求を存在欲求 (Being-needs) としてまとめることもある。マズローは、欠乏欲求と存在欲求とを質的に異なるものと考えた。自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当然と思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。
また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして、成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも活動できるようになるという(例:一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)。
晩年には、自己実現の欲求のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした[3]。1969年にスタニスラフ・グロフと共にトランスパーソナル学会を設立した[4]。
自己超越
マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、自己超越 (Self-transcendence) の段階である。 自己超越者 (Transcenders) の特徴は
1.「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
2.「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
3.統合された意識を持つ
4.落ち着いていて、瞑想的な認知をする
5.深い洞察を得た経験が、今までにある
6.他者の不幸に罪悪感を抱く
7.創造的である
8.謙虚である
9.聡明である
10.多視点的な思考ができる
11.外見は普通である (Very normal on the outside)
マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。
私が興味があったのはマズローが最終的に5段階の欲求階層の上にもう一つの段階があると発表したことです。
それは自己超越 (Self-transcendence) の段階です。
そして、そのレベルに達している人は人口のたったの2%だということです。
下位の欲求が満たされて初めて上のレベルへと行くことが出来るのですが、これは個々人だけではなく、国についても言えるのではないかなと思いました。
続いて、もうひとつ今日、メールチェックをしていて気になって調べたこと。
昔、大和和紀さんの「あさきゆめみし」を読んでいた時、確か末摘花の姫君のお兄さまが言っていらした言葉「六根清浄」。
浮世離れした御兄弟でしたわ
メールより
【六根清浄】ろっこんしょうじょう
この『六根』。
これは仏教用語で“六つの器官”を表すものとされています。
■一、『眼根』(がんこん)…(視覚)
■二、『耳根』(じこん)…(聴覚)
■三、『鼻根』(びこん)…(嗅覚)
■四、『舌根』(ぜつこん)…(味覚)
■五、『身根』(しんこん)…(触覚)
我々が五感として認識する五つの感覚こそ、この「根」。
そして、最後の六番目。
■六、『意根』(いこん)…(心の感覚)
そうです。これこそ、世間一般で言う“第六感”。
■一『眼』
■二『耳』
■三『鼻』
■四『舌』
■五『触』
■六『心』
ちなみになのですが、この『六根』を用いた「払いの願詞」で、仏教界最強と称されるのが《六根清浄》(ろっこんしょうじょう)。
これを唱えながら入山し山道を行く修験者の方も多くおられます。
また一説では、この「ろっこんしょうじょう」から転じて、
「どっこいしょ」が生まれたとされております。
『六根清浄の解説 - 学研 四字熟語辞典』(ネットより)
ろっこんしょうじょう【六根清浄】
すべての迷いから醒めて、心身が清らかになること。また、山参りの修行者や寒参りの人などが、六根のけがれをはらい清めるために唱える文句。
注記「六根」は、目・耳・鼻・舌・身・意の六つで、迷いのもととなるとされる器官。「清浄」は、煩悩を脱して、清らかな心になること
少し賢くなったかなぁ~
いやいや、頭の知識より実践ですね。
今日の母は、午前中と午後と夕方と3回、電話をしてきました。
最初は寝ていて起きたのが10時だったのでお朝ご飯が食べられなかったということ。
電話を切ったのが30分後の11時半でした。
母は「お昼ご飯まで待とうかなあ」
お昼過ぎはご飯は食べたけれども美味しくなかったと言いました。
「文句ばかり言わないの」と私。
そして、いつもの7時過ぎ。
夕ご飯もまずまず食べられたようです。
「背中が痒い」と何度も言いましたので、スタッフの方にお願いして掻いて頂くか、必要ならお薬を付けてもらうように言いました。
朝からなだめたりすかしたり、お説教したり。
母はちゃんと言わないで「聞け悟れ」の部分が多く、それでしてもらえないと不満を言うことが多いので「それでは通じないよ」と日ごろから言っていますがなかなか
母は職業婦人として定年(当時は55歳)まで働き、自立した女性のはずでしたが、本人曰く、夫の言うなりだったとか。
昔は男性が今よりも強かったですから、確かにそうだったように私も思いますが、それでももうちょっとシャキッとしているものと思ってきました。
年を取って丸く、弱くなってきたのかな。
★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0523
素人でもええんや
素人でもええんや。
しかしな、熱心さにおいては
誰にも負けたらあかんで
━━━━━━━━━━━━━━
松下幸之助(松下電器産業創業者)
○月刊『致知』2023年5月号
特集「不惜身命、但惜身命」より
━━━━━━━━━━━━━━
●『致知』についてはこちらから
●松下政経塾塾頭を務めた上甲晃氏が、
40歳の時に松下政経塾に出向を命じられた時、
松下氏から言われた言葉です。
「政治について知識も経験もない自分に
大業は担えない」と躊躇する上甲氏に、
松下氏は「君は素人か。それはええなあ」
と話し、そのひと言で上甲氏の腹が据わったそうです。
★致知出版社の「ご縁メール」
≪唯一無二の講話録が奏でる「美しき人生の詩」≫
ハガキ道伝道者として、
ハガキを書くという日常の営みを、
「道」にまで高められた坂道道信さん。
『致知』とのご縁も長く、
優に30年を越えておられるとか。
「毎月励まされる言葉にたくさん出合える」
「私は『致知』に育てられたなぁ
という思いがします」
そう、しみじみと述懐される坂田先生。
最新号に掲載された講演録は、
独特の名調子をそのままにご紹介しています。
人間学の本道を歩み続けられた
坂田さんの生き方をいまいちど
噛み締めていただければ幸いです。
坂田先生のご生前のお姿はこちら
─────────────────
森先生はね、
師匠を持たないと人生はハッキリしない。
師匠を目指すことによって、
立派な人生を送れる
と説いておられます。
私はありがたいことに、
ハガキという師匠を与えられました。
毎日書くハガキの中から、
いろんな人生の教えを与えられるんですよ。
そして森先生から言われた「ハガキ道」という
味わいのある言葉に、今日まで励まされてきました。
それから一番大事なことは、
私が『致知』と共に歩ましてもろうたということです。
もう30数年読んできましたが、『致知』はすごいよなぁ。
毎月励まされる言葉にたくさん出合える。
私は『致知』に育てられたなぁという思いがします。
皆さんも、『致知』とのご縁でここに来られて、
幸せな人たちだなぁと思います。
『致知』へ出た人の中に、
野球監督の野村克也という人がおったよな。
野村さんはね、ミーティングの時に
技術のことはあまり言わなかったそうです。
人間を磨くことを説くミーティングが多かったそうです。
その中から一流選手がたくさん育ったし、
いまのプロ野球チームの監督やコーチの中にも、
野村さんの教え子がたくさんおる。すごいよね。
そういうものの見方を、
複写ハガキと『致知』が教えてくれました。
複写ハガキを通じて、
そして『致知』を勉強する中から、
人格を高める道を歩かせてもらうようになったんですよ。
そのおかげでいまの私があるんです。
『致知』にはね、有名な人も出るが、
世の中を支えている無名な人を発掘して、励まし、
国づくりに貢献する使命を
持っているのではなかろうかと思います。
皆さんも、そういう思いで
『致知』としっかり結びついてほしいですね。
ただ「『致知』を読んでるよ」っていうのは、
本当に読んどることにならんです。
「私読んどります」って言う人がいっぱいおる。
けれどももっと深いところで、
命を喜ばせる世界までいかんとね、
本当に読んどるという世界に入らんと思います。
ですから、せっかくこの『致知』を紹介しても、
そういう世界に入らずに途中でやめる人は、
もったいないなぁと思います。
きょうは『致知』を学んでいる皆さんに、
勉強も何もできない私が今日まで
生かしてもろうたハガキの世界を知っていただいて、
やがて日本を救い、人類を救うような
人格の社会を築いてほしい。
そんな願いを持ってここへ来させてもらいました。
皆さんが最後まで居眠りせずに
聴いてくれてよかった(笑)。
ありがとうね!
また会えるかどうか分からんが、
きょうはこれで終わろう。
さいなら、さいなら。(拍手)