又、血圧が・・・

2025年01月27日 23時02分00秒 | 医療、病気

  今日はもう何だか一日病院に居た気がします。

(そんなことはないのですが・・・)

血圧が又、高くなりました。

 

 

 

 しかもカメラが行方不明なのでスマホで撮った写真しかありません。

スマホで「あすけん」に食べたものを解析してもらうために撮影したものです。

 

きちんと分析してもらうためにはコツが要りますが、それでも変な食材が出たりします。

「プリンアラモード」と最初は表示されました

上の今日の果物の写真は、どちらもアウト。

それぞれの食材をまとめてかたまりにし、そのたたまり同士を離して撮影しないとダメなようです。

 

 

 

こちらは昨日とあまりかわらない朝食。

卵焼きが埋もれていますので、あとから追加入力が必要です。

血圧はこの後、いまいち不調なのに少し濃いコーヒーを飲んだことがきっかけ

ふらふらしてしんどいなと思って測ると170を超えていました。

落ち着くお薬を飲んでみても160。

この時点で行ける時にいつもの内科に行った方がいいということで、行きました。

時間外でもクリニックにいた方が安心と言うことでクリニックへ。

やはりここは落ち着くのか診察時間前には146。

以前、母の緊急入院の時に母が吸引の為に拘束された時の状況を見ていて血圧が上がって病院から帰れなくなったことがありました。

この時は200を超えていました。

救急外来で診て頂いたら「一時的だと思うから、早く病院から出た方がいい」と言われました。

でも、ふらふら。

このクリニックに母の状況説明の為に電話をした時、看護師さんが「こっちへおいで。血圧くらい測ってあげるから。待っているからね」

その看護師さんが受診前にもう1回血圧を測りに来て下さいました。

「前もこんなことがあったよね」

その時はこの看護師さんの言葉に救われました。

結局は寄らないで家に帰ったのですが、ありがたかったです。

その時の血圧は136でした。

今日の診察は元院長、今は理事長。

1年前にものすごく頭痛がした時も院長先生が見て下さり、CTも撮りましたがひどい肩こりと判明。

今回もひどく凝っていましたし、理事長先生曰く「介護、お疲れさまでしたね。疲れが出たんだと思うよ。まだしないといけないこともあるでしょ」

念の為、高血圧の時に心臓がどのくらい持ちこたえているかという検査をしました。

CTは必要ないと言われましたが、私が「ふらつく」と行ったので念の為に撮って下さいました。

もうこの際調べて頂きました。

そこへ担当の女医さんが通られ、「明日、ゆっくり来たらいいよ」(ひどく混んでいましたから)

まだ研修医のドクターもいらっしゃるからでしょう。

今日のところは血圧が160以上になったら飲む頓服を1錠出して下さいました。

そして、朝晩、血圧を測るように言われました。

夜にはもう119に下がっていました。

ご近所の介護をされていた方が、1~2か月後に症状が出る人も入れば半年後の人もいると言われて、「本当に~」と思っていましたがそういうこともあるのかもしれません。

13年間も介護してきたのですから、今はまだ焦らないようにします。

 

 

 

 ところで、今朝、久し振りにお婿ちゃんから電話がありました。

「1週間忙しかったから連絡出来なくてごめんね。どう 元気

この一週間引っ越しで忙しいのはわかっていましたので、新しい場所はどうかと聞いたら、良いところも悪いところもあるけど、「一番良いことはうちの奥さんが世界で一番美人で優しいこと。知ってた

出た~

毎度のことながら。

本当に国民性とは言え、すごい

大切にしてもらって娘は幸せ者だといつもつくづく思います。

昨日、ミサに行ったそうですが、娘と二人で興奮して話したことはがカテドラル(司教座聖堂)でのミサがすごかったということ。

こんなすごいミサは初めてだったと婿も言うし、娘も「すごくない

「教会のことで何をそんなに興奮しているの」と聞くと

「何かご利益ありそうじゃん」

「日本でもカテドラル(司教座聖堂)って少ないじゃない。

岡山の近くがと広島しかない。

高松は合併されたこと知ってた」云々。

と、いつの間に熱心なクリスチャンになったのかと思いました

ミサに神父様が3人いらしたそうで、お婿ちゃんの話では侍者も何人も。

このカテドラル併設の小学校にこれから孫達は通うそうです。

へぇ~、そんなところがあるのかと思いましたが、考えたら日本ではよく幼稚園が併設されていますが、そんな感じ

残念なことはここは英語のみだということで、折角イタリア語を系統立てて習っていたのを忘れてしまうのではとお婿ちゃんはちょっとがっかり。

お婿ちゃんのあと、娘と話し、その後、長女、下の男の子が顔を見せて、その後は孫娘が家の中を案内してくれました。

私が行ったら泊まるお部屋はこの子のお部屋だそうです。

あらら。。。

孫娘は私とは日本語で話しますが、弟とは英語で話していました。

家の中はぼろだと言っていましたが、真っ白で綺麗でした。

バスも付いていますし、珍しくトイレも分かれていましたし、第2駐車場までありました。

私が一番「わぉ~~~」と感激したのはバルコニーから外を見ると、お婿ちゃんがちょっと牛窓みたいと言っていましたが、海こそ見えませんが大きな木々がいっぱい。

自然の中に家があるという感じ。

まさにrich in nature。

こんなこところに住みたいと思うような場所でした。

家は3LDKかな

庭が広くて、お婿ちゃんが芝を刈っていました。

プールも置いてありました。

車も今度は必需品なので買ったそうですが、日本車がとても人気だそうで、日本で乗っていたのと同じのを中古で買ったようですが、「超~、高かった」そうです。

とにかく何もかもが高いそうで、貯金がなくなったと言っていましたが、「やもりと生活する経験が出来るのだから代えがたいじゃない」と私

多くの小鳥の声がし、夜にはこうもり。

まるで自然公園の中みたい。

明日から学校だそうです。

制服も体操服も靴も見せてくれました。

「1年しか使わないのにもったいないけどね」と娘。

いやいや、お金には代えられない体験が出来るんだから。

若いっていいなあと思いましたが、何歳になってもそれは同じですね。

自分が制限を付けなければ何でも出来る。

 

 

 

・・・と朝、出掛ける前には書いていましたが、不調だと気弱になります

でも、体調には波があるものですし、又、抜け出せる日が来るでしょう。

 

 

 

 

 


★致知一日一言【今日の言葉】2025.01.27

 

運のよい人、悪い人の違い


運は動より生ず
━━━━━━━━━━━━━
冨安徳久
(葬儀業界の革命児として
注目を浴びるティアの創業者)
○月刊『致知』2025年2月号【最新号】
連載「私の座右銘」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「高校を出て入社した山口県の葬儀会社で、
3年目に担当した葬儀の法話で聞いた言葉です。
誰の言葉かは不明ですが、
運とは、行動する人に生じるもの。
運が悪いと言う人は
自分の行動が足りていないだけだ。
若い私は、何事も行動を起こすことで
未来が開けるのだと受け止めました」
(本文より)

 

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(1月27日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

知識や理解とは、あなたがいま手に持っているものを使うことです。

Knowledge, understanding, is using, then, that thou hast in hand.

(262-89)

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胃カメラ

2024年12月07日 22時40分30秒 | 医療、病気

 今日も風が強くて寒かったです。

陽が射すと暖かく感じますが、陽が陰ると寒~~~い。

ここのところずっと晴れたり曇ったりで、風の強い日が続いています。

 

 

 

 今日は胃カメラの日でした。

病院滞在時間は1時間弱。

検査時間は15分弱でしたが、苦しくないと言われてもやっぱりしんどかったです。

どの検査もですが、検査ってしんどい

今日は鼻からでした。

胃の中は2年前と大きく変わっていませんでした。

ドクターがずっと丁寧に説明をして下さるので画面を視ていました。

軽い逆流性食道炎があるそうなので、アルコール、たばこ、にんにく、その他の刺激物はあまり取らないように言われましたが、どれも取っていません。

消化の悪いものやスパイシーなものを食べるとは胃が痛くなりますので、避けています。

血液検査を含めての所見はコレステロール(特に悪玉)が高めなのでお薬を出してもいいが・・・と言われました。

「食事療法などで改善しませんか」と伺いました。

1日の摂取カロリーを1600Kcalにするように言われました~

「意外にちょっとよ」とドクター。

あとは30回噛むこと。

30分以上の運動を週に4回以上すること。

1600かぁ~~~。

家での食事はほぼ和食に切り替えた方が良さそう。

 検査後2時間位、食事が出来ませんでしたので、帰ってからご飯を炊いても十分時間はありました。

お買い物をして帰り、1食はすきやき、もう1食は鮭のしゃんしゃん焼に決定。

かつおのたたきが今日の特価でした(少しの量ですが)ので、購入。

これでたんぱく質はクリアかな。

ご飯は1食150gなのでまずまずの量ではないかと思いますが、おやつが食べたくなった時のことを考えなくては。

 スーパーの帰りにおかき屋さんに寄りました。

この草餅が美味しそうで、舌の根も乾かぬうちに美味しく頂きました

(根性なし

おかきならお米なので小麦粉製品よりはいいと判断

今日は「おたのしみ袋」を売っていました。

 

胃カメラの後、喉が痛くなって結局4~5時間くらい何も食べられませんでした。

以前もそうだったか記憶がないですが。。。

そのおかげで、今日は少食+30回以上噛むを実践出来ました

 

 

 

 食後、歩きに行きましたが、日陰はとても寒かった。

 

 

教会の馬小屋

少し進んでいました。

皆働いていますし、ベトナム時間というのもあるようです。

 

ママ友ガーデンのけやきも葉を落としました。

 

お師匠さん宅のお野菜。

私も種を撒こうと思っていましたが、今、何も植えていません。

まだまだもみじが綺麗です

 

 

 

 お散歩から帰るとちょうど満中陰志や挨拶状その他の会社が来られていました。

ちょうどタイムリーでしたので、お願いしました。

お葬式をしたところよりはサービスが良さそうで、しかも父の時にお世話になったところです。

15日が納骨なので、出来れば年内に済ませたいと思っています。

 

 

 明日、来る予定だったホスピスで出会った「次女」が高熱の為家族全員全滅のようで、明日、来られなくなりました。

最初、今日から来ると言っていましたので、予定を変更して楽しみに待っていましたが、残念。

お正月には会えそうかなと思っています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.12.7

 

安岡正篤師の自然訓

 

自然は無限である。
われわれも大海・虚空の如く
心胸を開こう
━━━━━━━━━━━━━━
安岡正篤(東洋思想家)
○『安岡正篤一日一言』(致知出版社刊)より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 


★[ECCJ] 今日(12月07日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー


人が他人について言ったことは、いつか、何らかの形で、自分自身の身に生じることになります。

For what one says of another will usually be one's own state also - in one form or another.

(1669-1)

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シェアハウス&老衰の死・母が逝って15日

2024年11月17日 22時04分00秒 | 医療、病気

 日曜日の朝。

お勉強と瞑想タイム後、お庭へ。

 

一日どんよりして、一時小雨。

 

今日の果物

 

 昨週に続いて、今週も9時からの御ミサに行きました。

今週も神父様が御ミサの中で父母の為に祈って下さいました。

先週いらしていなかった方よりお悔やみの言葉を頂きました。

そして「やり遂げたね。これからは自由に思いっきり生きてね」

 今日の御ミサは昨夜、国際ミサがあったようで、そのまま泊まられたのかベトナム人が16人、日本人が9人。

(日本人はいつも大体10人くらいだそうです。少なくなりました。しかも高齢化。もしかして私が一番若い

ベトナムの人は以前にも書きましたが、尊敬の印に腕を組まれます。

ですから、御ミサ中大抵そのスタイルです。

朗読も聖歌も日本語とベトナム語と半々。

ベトナムの方達は聖歌を歌う時、全員、スマホを見ながら歌われます。

若い人達なので進んでいる

他にも以前はイタリア人、フィリッピン人、バングラデシュ人の方がいましたが、今はスリランカの人が数人

神父様は日本語とベトナム語と英語で説教されていましたが、ベトナム以外外国籍の方が他にいない時には英語はなし。

ミサの式次第も3か国語を取り寄せているようです。

私はここのところミサには与っていませんでしたので、浦島太郎状態です。

いろいろなことが変わっています。

 御ミサ後、教会のお手伝いをして、自転車でご近所をぷらぷらして帰りました。

日曜日の午前中のこの過ごし方、まったりしていいかもしれないと思いました。

 

我が家のお花

 

 

今日は年間第33主日のミサの式次第

今年の待降節は12月1日から始まります。

 

このミサの式次第を読んでいると、シングルマザー向けのシェアハウスについて書かれてありました。

それ、いいかもしれないと思いました。

今までルームシェアの話の他に家族に半分貸すなどの話はありましたが、この記事によりますとシングルマザーは日本に120万居て、その半数が相対的貧困状態にあるので、収入証明書を求められず、初期費用や家賃が安価で生活用品がほとんど揃っているシェアハウスがプライバシーには若干欠けてもいいそうです。

それよりも孤立を避けることの方が優先され、シェアハウスは支持されているとか。

家で子供の面倒やお食事作りなら私もお手伝い出来そう。

(でも、その前に旅したい)

あるいはこの家を丸ごと貸すか、1~2部屋のみ私の為に残しておいてもらうか。

我が家の駐車場は2台までが安全ですが、その他の車は教会に置かせてもらえます。

何かに開放してほしい、そしてワンコインで簡単なお食事が出来たら最高とケアマネさんやヘルパーさん方にも言われてきましたし、神父様にもベトナム人の住まいのことで頼まれていますので、何かは考えています。

牛窓でお世話になっている建築士さんがずっとこの件に関わって下さっていて、今週、その件で会うことになっています。

 

 

 

 教会から帰るとダンスの先生からお電話がありました。

何度もラインやお電話が入っていたのにマナーモードにしていましたので気が付きませんでした。

母の心配が無くなったら不携帯が多くもなりました。

ダンスの先生は時間が出来たのでランチでもと思われたようでしたが、日を改めることにして電話でそのままおしゃべりをしました。

お葬式にも来て下さいましたので、お話はまずは母のこと。

「あなたも最後までやり通し、お母様も最期まで本当によく頑張られたわ」

昨日に続き、今日も1時間位おしゃべり。

「もう、お話が尽きないわ」と先生

 

 

 

 その後は片付け続行。

そして、又、夕刻、自転車に乗ってご近所の引退されたドクター宅へ。

母が亡くなった日の夕方、ヘルパーさんが居て下さっている間に伺っていましたのでお礼に伺いました。

ドクターも「あの日だったんだね」と町内なので訃報が入りすべてご存じでした。

「先生、その時はとても静かに訪れました。私は心が麻痺していたのかどうかわかりませんが、何故か落ち着いていて看護師さんやドクターが来て下さるまで母のそばに座って泣きながら話して過ごしました。」

 

 

 

 三笠宮妃百合子様がお亡くなりになられましたが、やはり、「老衰」で多臓器不全とニュースでは伝えられていました。

危篤になられて亡くなるまで何日かおありでした。

母の場合も臓器が(腎臓が弱っているのは知っていましたが)機能しなくなってきていると言われても、母の年代は身体が丈夫に出来ていると思ってきましたし、実感がありませんでした。

でも、亡くなる前々日から血便が出て、その時初めて、「あ~、母の身体はもう限界なんだ」と思いました。

「老衰」と言えば枯れていくのと同じで苦しくはないと言われましたが、ずっと母を看て来て、「苦しくないことはない」と思ってきました。

痛みでのたうち回るような苦しみではありませんでしたが(そんな力はもうない)、かなりの倦怠感というかしんどさはそれこそ死ぬほどだったのだと思います。

最期まで意識がはっきりとしていましたので、「死への恐怖」もあったかもしれません。

最後の吸引がやはりあまりに苦しくて、きっかけとなったのではないかと思います。

いつもそのあとははぁはぁとしんどそうで、段々とぐったりとしてきていましたので、力尽きたのではないかと。

「それでもしないといけないですか」と看護師さんに伺うと「窒息が怖いから」と言われました。

最後はもう痰もあまり溜まらなくなってきてはいましたが、痰が乾燥したり、多少奥の方で絡まっていました。

ですから、三笠宮妃百合子様も意識がおありだったのかどうかわかりませんが、長かったのでお辛かったのではないかと思いました。

もちろん辛い場合はいろいろな方法がありますから、そうではなかったかもしれません。

 

 

 ところで、今朝、一番に思ったこと。

そう言えば母は「お母さんを頼むよ」と子供の遺言に一言も書いていなかったことを思い出しました。

皆で、開けて読んだのです。

私のは後で要約を伝えただけですが、息子がお姉ちゃんに自分の内容を話したものですから、娘が自分のも読んでと言い出しました。

(前のブログで書きましたが、遺言書&湯灌・納棺式

遺言書は私に3通、娘に2通、息子に2通ありました。

以前は母はよほど私のことが心配だったのか、よく子供達に言っていましたっけ。

でも、やはり昨日北海道の友人が言ったように「大丈夫」と思ったのかな。

それとも、子供達がここへ将来帰って来ることはないですし、私も子供達のところへ行くつもりがありませんので、そういうことがわかったのかどうなのか不明ですが・・・。

今朝、そんなことをふと思い出しました。

早いもので母が逝って15日が過ぎました。

 

 

 

 

 

 

 

 明日はお天気が良ければ、友人と見頃を迎えた県北の紅葉を見に行く予定にしていましたが、県南は晴れても県北は午後から雨の予報ですので断念しました。

又、今週中のどこかで調整して行けたらと思っています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.1117

 光

体の中に 光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(仏教詩人)
○『生き方のセオリー』【致知出版社刊】より
━━━━━━━━━━━━━━

○坂村真民さんからのメッセージ○

わたしは最近「千年のまなざし」とか、
「宇宙のまなざし」とかの詩を書き続けているが、
それはこの地球を救うには、
これより外にないと思うからである。

陽明学では『致知』とは、
本然の良知を明らかにすることを言う。
でも地球の歴史は、戦争ばかりを続けてきた。
そして原子爆弾まで造り出された。
つまり和を好まぬ男たちが、
この母なる星地球を、
どん底に落としてしまったのである。
でもやっと和を好む女たちの世が、
21世紀から始まろうとしている。

わたしは書斎に、木花開耶媛を祭っているが、
この媛を富士山頂にお祭りした、
大和民族の夢と、願いと、祈りが、
世界に広がりゆくのを、
どうか『致知』も、応援して頂き度いのである。

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(11月17日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

心は作り手です。あなたが思い続けることで、あなたが培うことで、あなたは日々に果実をみのらせるのです。

For as Mind is the Builder, that ye dwell upon, that ye cultivate, THAT is the manner of fruit ye bear in thy daily life.

(1472-6)

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母の容態(入院34日目)&介護練習へ&牛窓へ&友人のイタリア旅行(プロチダ島)

2024年09月13日 23時06分00秒 | 医療、病気

 昨夜も熱帯夜でしたが(26.1℃)、何だかもう驚かなくなってきました。

それにしても「夏」が長いです。

 

 

 今朝のお散歩より

 

これくらい幅広いと朝顔も伸び伸びしますね。

畑の「サムライ」が咲きました。

今日は西側の紫色の朝顔が過去最高の17輪咲きました。

マゼンタは1輪。

紫は咲き始めがかなり遅かったので、今、最盛期のようです。

  

南側も全色揃いました。

 

白色が5輪咲き、マゼンタが3輪、ピンクと空色は各1輪ずつ。

 

 

 

ジャスミンは最後のお花です。

今日の果物

何故か色が悪い

母の退院の準備が整いました。

午後2時、福祉用具の方が2人来て下さって、エアマットが入りました。

試しに寝てみようと思っていますが(福祉用具の方も遊んでみて下さいと)、今日は牛窓に来ましたので、帰ったら寝て見ます。

かなり大きく揺れます。

3時半頃、面会に出かけようとしたところ、病院から電話がありました。

若い看護師さんが「帰られてからの体位移動や口腔ケアの練習が必要なら」とわざわざお電話を下さいましたので、喜んでお願いしました。

この景色も今日で見納めかな。

 

3時のお薬を飲ませないで待っていて下さったようです。

お姫様抱っこのようにして、お尻はおむつあたりを持って右側に向けて、約40度~45度で飲ませる。

その後の口腔ケアも丁寧に教えて下さいました。

今までもしてはいましたが、正式には習ったことがありませんでした。

今日のことは若い看護師さんが独断でお電話を下さったようでした。

そして、「又、プリントにまとめておきますね」

こんな看護師さんもいらっしゃるのですね

母には「次に来る時は退院だからね」としつこいくらいに言って帰りました

希望が湧くかと思って・・・。

 その後、お婿ちゃんの要望で、住民票やらあれこれ取りに行きました。

その件もあって、今朝は2時間くらい娘と話しました。

やはり異国で仕事をするということは大変なようです。

とにかく、すべては「体験」なのだから楽しむように言いました。

お金も時間も無駄なものは何一つないと母は思うよと。

 

 

 夕方になって、いつもの如く出掛けるのが少し億劫ではありましたが、母が退院したら当分来ることは出来ないので、牛窓にやってきました。

月の光が綺麗です。

 

右の上の方の光は高松の街です。

 

瀬戸の海は今夜も静かです。

 

 

友人のイタリア旅行

ポジターノからナポリへ

 

ナポリから船で40分くらいのところにあるプロチダ島

とても可愛らしい島のようです。

 

 

夜はナポリでピザ。

そしてナポリからローマへ。

15時の飛行機で帰国します。

到着は日本時間、明日の10時半頃です。

友人のおかげで私も旅を楽しませてもらいました。

「帰ったらいっぱい話がある。話、聞くからね」

お互い積もる話があります。

 

 

 

 

 

パソコンの電源が切れてしまったので、また明日追記します。

 

 

 

追記

友人が毎回飲んでいるので笑ったら、「日本ではなかなか出来ないからね~」と。

今回の旅は次女さんからのプレゼント。

娘さんとは喧嘩もしたけれど、本当にいい旅だったと。

娘さんが色々考えてくれて頼もしかったと言っていました。

ホテルもいいホテルだったし、専用車も助かったと。

昨日の写真ですが、「ポジターノの景色見ながらワイン🍷飲んでる時泣けてきた😂」と。

「こんな素敵な所で食事してワイン飲んでる〰︎と思ったら酔いが回ってたのか涙が出てきた」そうです。

コロナもあったし、年も取ったし、いろいろと感慨深くて込み上げて来るものがあったのでしょうね。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと241・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.13

 

日本人が忘れてはいけないこと

 

日本人としての正しい歴史観を持ち、
日本の国を守るために
命を捧げた人々に対する
感謝の思いを忘れないこと。
これが日本を自立させる一番大事な柱
━━━━━━━━━━━━━━
中西輝政(京都大学名誉教授)
○月刊『致知』2024年10月号
連載「時流を読む」より
━━━━━━━━━━━━━━

●国際政治学、国際関係史研究の
第一人者として知られる中西輝政氏。
隔月の連載「時流を読む」は、
激動する国内外の情勢の本質を捉え、
日本が、そして私たちが
どう進むべきかという示唆を与えられます。

 

 

 

[ECCJ] 今日(9月13日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー


理想とは、誰かがあなたに何を為すかではなく、あなたが誰かに対して何を為すかです!

IDEAL is not so much what others may do for you, but what you may do for others!

(1646-2)

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)


アイスマンの入れ墨と古代の医学


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147744&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。

今日の東京板橋は、再び厳しい残暑が戻ってきています。

本格的な秋が待ち遠しいですね。いかがお過ごしでしょうか。



今回は、アイスマン(古代の氷結したミイラ)と古代の医学について、作編曲家でベーシストの私の友人から寄稿がありましたので、ご紹介します。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、アイスマン(古代人の氷漬けミイラ)の写真、様々な生薬、ハーブ、鍼治療を受ける人の写真などが掲載されていますので、ぜひ下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147745&c=3304&d=ed84

(アイスマンの入れ墨と古代の医学|5300年前のツボと生薬の知識)

━…………………━


▽ ▽ ▽

記事:『古代の医学』


バラ十字会日本本部AMORC下部組織(大阪)役員

渡辺篤紀



◆ アイスマン

皆さんは、「アイスマン」のことをご存じでしょうか?


「アイスマン」は、1991年にアルプス山脈の氷河で見つかった、約5300年前(紀元前3300年頃)の男性のミイラです。


発見された場所にちなんで「エッツィ」という名前でも呼ばれています。



最初は遭難者の遺体だと思われていたのですが、所持品を考古学者が調べたところ、ヨーロッパの青銅器時代前期のものであることがわかり、今はイタリアの研究所の冷凍庫の中で保管されています。


このアイスマンは死後すぐに氷漬けになったため、極めて保存状態が良く、当時の人類を研究する上で非常に重要なものになっています。


(写真:アイスマン(エッツィ)-古代人のミイラ)


◆ 皮膚にある入れ墨

アイスマンには、背中や脚に入れ墨の跡があります。


そして、その位置が「足三里」(あしさんり)をはじめ、「胃兪」(いゆ)、「三焦兪」(さんしょうゆ)、「腎兪」(じんゆ)、「崑崙」(こんろん)などのツボの位置と一致します。

これらのツボは腰痛に効果のあるツボで、研究によってアイスマンは腰痛持ちだったことも知られています。


しかし、それだけではなく、所持品からは消炎作用のある乾燥キノコなども見つかっており、当時の人は人体の理解と共に、生薬などに対する人体の反応などもある程度知っていたようです。


以上のことから、アイスマンが生きていた時代には、腰痛などを治療するためにツボ治療や生薬を用いており、5300年前のアルプス山脈付近では、高度な医療技術があったのではないかと考えられています。


(写真:様々な生薬)


◆ 鍼灸治療

ツボ(経絡)を使用した治療といえば、鍼灸治療などがあり、ツボや経絡の考え方は、主に中国で発達してきたものと考えられてきました。


伝説によれば、紀元前2600年頃に戦争に参加した兵士に矢が刺さった時に発見されたとも言われており、また、道具や植物が偶然体に当たったときの人体の反応から、その効果の研究が始まったともされており、古くは鋭利な石などを使ってツボを刺激していたと考えられています。



しかし、アイスマンの研究から、古代のヨーロッパでも、ツボの効能は知られていたと考えられるようになってきました。


そして、生薬についても、ヨーロッパのネアンデルタール人の人骨の歯に残っているプラーク(歯石)などから、日常的にハーブなどを使用していた痕跡も見つかっています。


(写真:様々なハーブ)


◆ 東洋医学

いわゆる「東洋医学」は、日本には5~6世紀に大陸から伝来したと考えられ、民間療法、温泉療法などとしても広がっていったようです。


そして、江戸時代では「漢方医学」とも呼ばれていましたが、これはオランダから伝わった「蘭方医学」と区別するために生まれた名称です。



明治時代には、西洋医学を学んだ者のみに医師の資格が与えられることとなり、漢方医学は衰退に向かうわけですが、この頃に「西洋医学」に対する概念として、「東洋医学」という名称が登場したようです。


ですから、漢方や東洋という呼び方からすると中国発祥の医学のようなイメージになりますが、近代の西洋医学以前の医学的な知識は、ユーラシア大陸を通して、似たようなものをベースにしていたのかもしれません。



ちなみに、中国語で「東洋」というと「日本」を指すため、「東洋医学」という言葉は中国ではまったく通じず、中国では特に自分たちの医学に名前を付けていなかったため、2017年になってようやく「中医」という名前を付けたそうです。


ですから、東洋医学、漢方医学という言葉も外から見た言葉で、古くは単に「医学・医術」という概念しかなかったのでしょう。


(写真:針治療を受ける人)


◆ 体のバランス

現在の東洋医学における健康とは、季節やストレス及び生活環境に対して、自己治癒力でバランスが取れている状態をいい、そのバランスが崩れた状態が「未病」とされています。


そして、治療としては、漢方薬や鍼灸などを用いて、もともと取れていたバランスを取り戻すように働きかけます。


漢方薬は、病原菌などに直接作用するわけではなく、人体の自己治癒力を高める信号などを、人間の免疫細胞自体に送るように作用しているとされます。



ですから、漢方薬の効果はそれぞれの人の腸内環境にも左右され、副作用が少ない代わりに効かない人もある程度存在します。


しかし、この場合は腸内環境を改善すれば効果が出るので、腸内環境を改善する漢方薬を服用してから、本来の漢方薬を服用すれば効果が出るようです。


また最近では、西洋医学と漢方薬をミックスして治療を行うことも多いようで、今後の新薬の研究にも漢方薬が大きな役割を果たすと考えられ、新たな研究も始まっています。



この記事の最後の話題として取り上げますが、人体のバランスを整えるもう一つの方法に呼吸法があります。

最近は呼吸法の重要性がたびたび取り上げられています。バラ十字会にも、様々な場面で活用できる数種類の呼吸法が伝えられています。

バラ十字会の提供している通信講座では8~11ヵ月目に学習することになり、多くの会員が日常的に実践しています。


参考記事:通信講座「人生を支配する」-教材の内容


https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147746&c=3304&d=ed84



体のバランスを整えるために、まずは呼吸について調べ、呼吸を整えることをお勧めします。


△ △ △

再び本庄です。


鍼灸治療が話題になったので、前々から気になっていた「針」と「鍼」という漢字の違いについて調べてみました。



白川静さんの字典「字統」によると、細い金属の道具を表すおおもとの文字は「鍼」だったそうですが、字義的にはこの2つには、本来は意味の違いがないとのことです。


しかし現在の日本では、鍼治療に用いる道具を鍼と書き、衣服や布を縫う道具を針と書きます。



針の右側の「十」は、もともと「辛」という漢字であり、これは入れ墨をするための取っ手のある針のことだそうです。


ここにも今回の話題との接点があります。ご興味をお持ちの方は次の記事をご覧ください。


参考記事:「右という文字には、なぜ口が含まれているのでしょう

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147747&c=3304&d=ed84



下記は前回の渡辺さんの記事です。


記事:『脳に眠る無限の可能性|サヴァン症候群とラベリングからの右脳の開放』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147748&c=3304&d=ed84



では、今日はこの辺で。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

ベランダのアサガオが初めて咲きました。酷暑のせいか、今年はとても遅かったです。
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1147749&c=3304&d=ed84

==============

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母の容態(入院33日目)&退院カンファレンス「緊急時、救急車を呼びたいですか?」&友人のイタリア旅行

2024年09月12日 23時02分00秒 | 医療、病気

 昨日よりは少しマシでしたが、今朝もお台所は29.8℃、湿度73%

今日も日中は35℃を超えて、35.4℃。

最低気温は昨日より低くなり25.8℃。

今朝のお散歩より

朝顔って今頃よく咲くものなのでしょうか。

 

 

我が家の朝顔も西側に紫色が15輪も咲きました。

 

 

 

ちょっと薄い紫色も9輪。

 

 

南側は白色が2輪、ピンク色が1輪。

 

昨日、Rちゃんがくれたベトナムのラーメンとお菓子

珍しい卵を見つけましたので買ってみました。

瀬戸内レモンと牡蠣。

殻が硬めでした。

今日の果物

 11時から退院カンファレンスがありました。

その前に10時からクリニックとの契約がありましたので、家を出たのは9時半過ぎ。

帰宅したのは3時半過ぎでした。

 まずはRちゃん宅経由で病院へ。

契約にはクリニックからおふたり。

ソーシャルワーカーさんと確か看護師さん。

いろいろとお話しつつ・・・

小笠原先生の御本2冊を持って行っていました。

看護師さんが読まれて「同じ方向だと思います」と言われました。

 その後のカンファレンスにはこの看護師さんは帰られましたが別の看護師さんが参加。

総勢18名と思っていましたが、21名

来られなかったのはクリニックの理事長先生とヘルパーステーション1か所。

並んでいらした順番から思い出しつつ・・・

入院中の病院から担当ドクター、(看護師?後で考えたら記録を取られていた方かも。帰宅時プリントを下さいましたので)、MSW(医療ソーシャルワーカー)、言語聴覚士、担当看護師、実習生

新しい訪問診療のクリニックからは担当ドクター、看護主任、看護師、SW(ソーシャルワーカー)

訪問看護ステーションから代表取締役社長、管理者代理看護師、看護師、事務、先日のヘアマネおふたり(主任と担当)

ショートステイから1名(ヘルパーさん?事務?)

介護福祉用具から担当者

ヘルパーステーションから管理者代理のヘルパーさん

そして、Rちゃんと私。

司会進行は病院のMSWで、各自自己紹介後、彼女はそれぞれの病院スタッフの方の補足説明もなさっていました。

まずは担当ドクターから入院時の病名やその後の経過についての説明があり、「これ以上の改善は難しい」。

続いて、言語聴覚士さんより今までの取り組みと状況説明。

続いて、担当看護師さんからの日々の母の様子について具体的なお話。

その後、皆さんから活発な質問。

まずは担当ケアマネさんが退院時の車移動、ポータブルトイレの利用について、私が気になっていてお話していたことを聞いて下さいました。

続いても主任ケアマネさんが食事時間について質問されました。

疲れず食べることが出来る時間は10~15分。(完食で15分)

訪問看護師さんから水分ゼリーやとろみについて。

ここで、私も質問させて頂きました。

気になっていたのは血圧のテープ。

ドクターが決められることですが、今まで、乱高下で低くなり過ぎることがあったので止めた経過があるので、どのくらいで推移していて、今後も必要なのか伺いました。

ドクターからのお返事は動かないからかもしれないが、大体110~150で推移しているとのことでした。

ドクター同士は難しいお薬の名前について話されていましたが、これについてもあとで頂いたプリントに記載がありました。

続いても担当のケアマネさんが、考えられる急変について質問・・・誤嚥とのことで、言語聴覚士さんが誤嚥予防の継続について話されました。

その後、私はこの情報共有の場に眼科医がいないので、眼についての現在の様子と服薬について、又、今後、眼科医とも情報を共有して頂きたい旨をお願いしました。

そして、ショートが使える状況かどうか、ショートの受け入れが可能かどうかもお聞きしました。

ショート先は受け入れたいと言って下さいましたが、緊急時の対応についての不安があり、いつドクターや看護師に連絡するか指標がほしいと言われていました。

このショートの問題はなかなか難しいと言いますか、ショートは介護保険、ドクターや看護師は医療保険。

ショート先へ医療は行くことが出来ず、急変時でも連れて帰らないといけないか等、あれこれ話が出来ました。

結局、訪問看護の方は条件によっていくことが出来ると言われました。

その条件は癌であること。

業務委託契約があれば行ける。

その為にはショート先がお金を払わないといけないっようで、その請求はクライアントへ来るとか

施設の母体が民間か医療法人か社会法人か、又、病名によるということのようです。

訪問診療(ドクター&看護師)はショートの受け入れ態勢がOKならこちらは行くことが出来ると言われました。

熱が出ても受け入れOKなら行きますということでした。

施設の基準によるようです。

結論はショート先で何かがあれば連絡は訪問診療へ。

自宅で何かあればまずは訪問看護へ。

・・・ということです。

福祉用具の方もエアベッドか、車椅子はリクライニングか等などご質問。

退院は9月17日(火)10時になり、私が病院へ行き書類や支払いを済ませ、母はリクライニング用の車で帰宅。

帰宅時に合わせて、看護師さん、ケアマネさんが待っていて下さり、午後からドクターの往診。

大体の一日のスケジュールも決まりました。

臨機応変に変えて行くということで。

訪問看護師さんからの提案で、「21時に最後のチェックの行きます(誤嚥チェック、必要なら吸引、尿路感染予防等)」

看護師さんが日に2回来て下さいます。

あと3回はヘルパーさん。

訪問診療も訪問看護もまさに24時間、325日対応で、夜間でも電話、ライン等受け付けて下さるそうです。

又、薬局も同じく24時間、325日対応でですが、薬箱も無料で置いて下さるそうです。

その中には座薬などあれこれ入っていて、ドクター指示で使うことが出来ます。

訪問診療にはドクターが10数名、訪問看護にも看護師が15名いらっしゃるそうで、それぞれ担当や担当グループがあるそうですが、緊急時は一番近くにいるスタッフが駆けつけると言われましたが、救急車ではないので到着時間は確約出来ないとのこと。

最後に訪問看護の代表の社長さんが、

「一番大切なことをお聞きします。緊急時、救急車を呼びたいですか

しばし考えました。

状況に寄るかとは思いました。

それに長く生きてほしいのも事実。

でも、無駄に苦しめたくない。

「呼ばないことはむごいことではないですか」と伺ってみると

「呼ぶ方がむごいです」と言われました。

今まで500人くらい看取っていらした経験からだそうです。

それにしても訪問診療の方か患者数500人以上。

子供から高齢者まで。

訪問看護でもそれは同じで、人数は230?250?名くらいと言われていました。

 その後、(この時点で1時半)会議などの延長で時間が延びていた管理栄養士さんからのお話を病棟で伺いました。

(昨日も今朝も病棟の看護師さんがお電話を下さっていました)

流石、病人食のプロ。

色々と質問させて頂きました。

MSWさんがカンファレンスでも言われていましたが、一日のカロリーは700kcal(MSWさんは650と言われていましたが、平均)とのことでした。

パンには注意が必要で、一番窒息しやすいそうです

介護用を買うか、やわらかいパンの耳を取って、もちろんミキサーにかけて食べさせること。

 明日は2時に福祉用具の方がエアマットとベッドの方向変換に来て下さいます。

「その他、今使っているものは様子を見てから考えましょう」

  

 それからショートは当面、安全性からも病院のレスパイト入院を使う方がいいということになりました。

すでに、MSWさんがお願いして下さっているようです。

その後安定したらショート再開を考える。

レスパイト入院はショートと違って使ったことがないので様子がわかりませんが、連続で90日使うことが出来て、その後は3ヵ月間は使用出来ないとか。

ロングショートのことかなと思ったりしました。

ちょっと気楽には使えない気がしますがわかりません。

大きな病院の経営なので、安心は安心

管理栄養士さんのお話のあとで、学生さんが作った資料を下さいました。

12枚のプリント。

 

母の好きなものが書かれてありました。

この学生さんは卒業後もこの病院への勤務が決まっていますので、又、お会い出来る機会があるかと思います。

真面目で優しい美人さんでした。

最後に病棟に上がる前にお別れしたのが担当のケアマネさんでした。

本当にひとりの為にこんなに沢山の方が関わって下さり真剣に議論して下さって感動しました。

もちろん、私の母だけではなくすべての患者さんに対して同じです。

カンファレンスルームを出る時にそのことをお話しすると「そうよ。だからひとりではないですよ」と言われました。

今日の母はやはり、昨日眠剤を飲まされたそうで、もうずーっと寝ていました。

朝も食べず、お昼も辛うじて1~2口。

家だとこういう状況には陥りません

嚥下の状態を見るために訪問看護の事務の方?看護師さん?が11時4分に病棟に上がられて、ビデオを撮って下りて来られました。

このビデオは又、ラインに送って下さるそうですが、これを欲しいと言われたのがヘルパーステーションのヘルパーさん。

いつも我が家に来て下さる優しく熱心な男性の方です。

大阪出身のサーフィン好き。

その為高知でしたか(徳島だったかも・・・県境です)へ引っ越し。

息子さんを亡くされた方です。

このお話は以前、ブログにも書きました。

ひとまず、母が帰って来て、日常生活が始まってみないと全く様子がわかりません。

すべてはそれからです。

母のお部屋から

2時半になってしまい、とにかく何か食べようとレストランに行きましたが、2時35分だったので閉まっていました。

(2時半まで)

外はあまりにも暑いので院内で食べて帰ることにしましたので、仕方なく売店へ行きましたが、お弁当などすべて売り切れ。

お茶とおにぎりとサラダとナッツタルトとアイスコーヒーという、Rちゃんへのお礼にしてはあまりにも質素なランチ

このアイスコーヒー、Rちゃん曰く「コンビニと一緒ですよ、お母さん」

しかし、私、コンビニでコーヒーを買ったことがない

昨日と同じように岡山の北の方は雨が降ったようですが、こちらは又降りませんでした。

 

真夏よりもダイナミックな入道雲です。

 

 今日も友人が1時半前に写真を送ってくれていました。

会話が出来ませんでしたので詳しくはわからないのですが、ここはカプリ島

 

 

 

友人からのメッセージによりますと

「昨日は晴天だったけど波が高くて青の洞窟は入れなかった」そうです。

残念ですねぇ。。。


「ポジターノは落ち着いた感じのいい街で、やはりアマルフィーの印象はこちらの感じ」だったそうです。

私にはどれも同じ素敵な景色に見えるのですが・・・

ウェルカムフルーツの🍎を食べているのはカプリ島の港らしいです。

「ワイン🍷を飲んでる後ろの景色はウィンドウに映った景色」ってどれかな

上の写真か下の写真かどっちと思いましたが、同じ場所のようです。

 

 

どの写真がカプリ島かポジターノかわかりませんが、どちらかです。

次はいよいよ最終章でしょうか。

ナポリに行って、その近くのプロチダ島へも。

この島はいつも行く宝石店の方が行かれて良かったという話をされていたので組み込んだ場所です。

そして、ナポリからローマ。

そして、14日(土)帰国だったと思います。

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと242・°*

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.12

社員のやる気を引き出す経営

当社は創業者の
「常に考える」から生まれた
独自の社風、
他が真似できない商品があったからこそ、
ここまで生かされ、
歩んでくることができました
━━━━━━━━━━━━━━
山田雅裕(未来工業相談役)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「常に考える」を標語に、
社員の主体性や提案力を
ぐんぐん引き出すユニークな社風で、
「日本一社員が幸せな会社」
と称される未来工業(岐阜県)。
相談役の山田雅裕氏に
社員のやる気を引き出す方法や
創業精神の継承についてお聞きしました。
概要はこちらから

★[ECCJ] 今日(9月12日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー


すべてのビジョンや夢は、それらを正しく解釈しさえするならば、その人に恩恵をもたらします。

All visions and dreams are given for the benefit of the individual, would they but interpret them correctly
(294-15)

★[ECCJメルマガ]中国と日本の超古代文明


*********************************************************************
■□■ 中国と日本の超古代文明 □■□ 0427号
---------------------------------------------------------------------


------------------------------------------

少しずつ涼しさが増して、ようやくホッとできる季節に近づきました。

気持ちの良いこれからの時期に、身体のケアを行っておきたいですね。


さて、このところ超古代文明に接する機会が続いたので、アジアの超古代文明について調べてみ
ました。

きっかけは、中国の講座での、「中国の古代遺跡に対するリーディングはありますか?」という
ご質問でした。

実はリーディングには、「ゴビの地」呼ばれる、現在のゴビ砂漠にあった黄金都市が出てくるの
です!


ケイシーのリーディングは圧倒的にアトランティスに関する情報が多くなっています。

なぜなら超古代文明のほとんどは、個人のライフ・リーディングで言及されたものだからです。

そして北米に転生した人の多くがアトランティスでの過去生を持っていたので、アトランティス
での人生が出てくるものは600件近くあります。

アトランティス以外の地域は、それらの過去生を持つ人の数がアメリカ人に少ないため、情報も
少ないのです。


アジアの超古代文明にはレムリアとゴビがあります。

(ムーというのはレムリアの一部だったようです)

リーディングを調べますと、レムリアは19件、ムーは7件、ゴビは27件しかありません。。

アトランティスに比べると、本当に少ないので、文明の全貌を明らかにするのは難しくなってい
ます。

もしアジア系やポリネシア系の人たちがケイシーのリーディングを行っていたなら、レムリアや
ゴビの情報も多くなっていたかもしれません^^


レムリアは太平洋にあったと言われ、日本の祖先もレムリアに属しているようです。

以前、与那国島の海底遺跡をシュノーケリングで潜ったことがあります。

皆様はご存知でしょうか?

実際に目にしてみると、海底にありながらあまりにスケールの大きく、直線の美しさに目を奪わ
れます。。。確実に人工の建造物、遺跡だと思いました!

どのくらい古いかはわかりませんが、以前はきっと陸地だったはず、と素直に受け入れられます

他の超古代文明と共通して、この海底遺跡でも多くの巨石が使われており、本当に興味深い限り
です。

沖縄諸島から台湾にかけて、他にも海底遺跡と呼ばれる場所があり、「大きな島が沈む」伝説や
言い伝えが数多く残っているそうです。

ぜひインターネットで検索して写真を見てみてください^^


さて、黄金都市ゴビに関する、印象的なリーディングをご紹介いたします。

占星術と数秘術の著者であった58歳の女性は、アメリカ人でありながらゴビの過去生を持って
いました:

「その前に、実体は、現在砂漠またはゴビの地として知られている土地にいたことがわかる。

そこで、この実体は権力を握っていた。そうだ、その土地の王女たちの間で。そしてまた、この
経験において、物事とその関係性が、その適切な領域で、今回の実体の経験に物質的な富、物
質的な利益をもたらすかもしれない。
その力を正しく使用すること。

『黄金の神殿』 ーまだ発見されていないかもしれないー で、実体は人々の要望に応え、数、
軟膏、ローション、香りなど、多くの土地で神殿と祭壇の礼拝の一部となったそれらの物で、
奉仕を行っていた。」(1402-1)


ゴビ砂漠に、繁栄した「黄金都市」や「黄金の神殿」があったとリーディングは教えています!

リーディングの当時、1937年に、その神殿は「まだ発見されていないかもしれない」と言っ
ていたのです。

いつの日か砂漠の中から「黄金の神殿(Temple of Gold)」が発見されるのでし
ょうか。。。ワクワクしますね!


常識的な解釈とは全く違うケイシーの超古代文明に触れると、壮大なロマンを味わえると同時に
、人間の儚さも感じずにいられません。

数十万年前の超古代から現在までの栄枯を知る地球の上で、わたしたちが「今の自分」として生
きられる時間はほんの数十年です。

改めて、どう生きるべきなのかを見つめ直したいと思いました。


(文責:岩隈 幸恵)

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母の容態(入院32日目)&友人のイタリア旅行(アマルフィ)

2024年09月11日 22時23分30秒 | 医療、病気

 今朝とても蒸し暑かったです。

5時前にお台所に降りると窓を開けていてしかも北に面しているのに、すでに30度あり、湿度も83% ありました。

夕方のお天気のニュースによりますと、最高気温35.3℃、最低気温27.1℃。

真夏並みです

 

 

 朝のお散歩

朝からモクモク入道雲

 

偶然気が付いたのですがいつもはカメラのモードをPにしていますが、たまたまAUTOにするとこんなに色が違いました。

こちらがAUTO。

2枚目がP。

 

ご近所のこのモミジアオイが我が家のモミジアオイの親です。

今朝は南側の朝顔が4輪咲きました。

マゼンタ色が1輪、白色が2輪、ピンク色が1輪。

 

西側はまだ開き切っていませんでしたが5輪。

この紫色、全然咲きませんでしたが、今頃になって毎日咲いてくれています。

 

 

 

今日の果物

 

 

 今日は孫(娘のところの長女)の誕生日でしたので、朝、教会のベンチに座ってメッセージを送ると、すぐに声のメッセージが届きました。

「ノンナ〇〇さん(何故かさん付け)、ありがとう。お誕生日を覚えてくれてありがとう。11歳になったよ。プレゼントはパパに言っておくね(パパが10月に帰国しますのでその時に好きなものを買って託けようと思っています)。大好きだよ。愛しているよ。I love you. 会いたいよ」

何ともかわいい

母にも聞かせたいと思って「キラキラばあば」(母のこと)にもメッセージをくれるように頼みましたら、この子と下の弟から届きました。

特に下の子には笑えました。

パパそっくり

「大好きだよ。んま、んま、キス~、う~~~んまっ・・・」

 

 

 

 4時、面会に行きました。

母は気持ちよく眠っていました。

今日はお昼ご飯も8/6食べたそうです。

学生さんが本当によくして下さっているみたいで、「口腔ケアなどもマメにしてくれているからよく食べられるようになったのかも」と言われていました。

しかも、帰ってからも役立つように注意点などを書いて下さっているようです。

本当にありがたいです。

彼女のおかげで母も随分助けられたと思います。

看護師さんが母を何とか起こそうとほっぺを触られたりしていましたが、なかなか。

看護師さんによりますと、昼夜逆転

昨夜、起きていたようです。

「今夜もそうなら睡眠導入剤を使ってみます」と言われ、「それでもだめならドクターに相談してみます」

今日の看護師さんは優しくていろいろお話を聞かせて下さいました。

その後、ひ孫達の声を聞かせなくちゃと思い、耳元で呼び掛けるとびっくりしたように目を覚ましました

誕生日のことは昨日も話しています。

母はこの子を一番かわいいと思っていますので嬉しそうでした。

2人のメッセージを聞きながら、ひとつひとつ答えていました。

そして、下の子のキスには笑っていました。

「母に2人にメッセージを送ったら」と勧め、録音しました。

「おめでとう。」

私「99歳になったよは」と言いますと「11歳じゃが」

確かに

それから母の写真を撮って送りました。

今日の窓からの風景

 

南は晴れですが、北や西方面は雨雲。

母と眺めました。

 

AUTOとP

 

又、お相撲のTVを付けて帰りました。

 

雲がすごいのでちょっとドライブ。

岡南飛行場近くの河津桜通り

 

東方面

 

南方面

 

北方面

 

西方面

 

北方面

 

きっと北区方面は降っているに違いないと思っていたら、北区の友人から「猛烈な雨」。

でも、この周辺は18時から降る、19時から降る、21時から降る・・・結局、全く降らず。

 

児島湖

 

児島湾

その後、スマートウオッチの返却に行きました。

早いもので2年経過。

歩数とか電話を取って話せる、メッセージの確認など便利な面もありましたが、使いこなせないのでなくてもいいかなと思って返却しました。

2つ、スマートウオッチを借りていましたので、1つを知人にお貸ししていました。

結局、使えないということで早い時期に返していらしたのですが、多分、この時すでにロックがかかっていたのでしょう。

返しに行った時、ロックがかかっているから、それはお店では出来ない。

「修理センターに送ってロック解除に22000円要ります」

え~~~でした。

お貸しした方ももう随分前のことになりますし、まさかロックがかかっているなんてご存じないとのことでした。

お店の方もあれこれされましたが、ダメ。

続いて私もしてみましたがダメ。

そこで、困った時の聖ミカエル頼み

ふっと、知人はすごく頭のいい方だから左に廻してみようと思って左に廻すと、なんとロック解除

わぁすごい聖ミカエル

しかし、続いて、「もう1回必要です」

え~~~

そんなこと、覚えていません。

しばらくやってみましたがダメでしたので、再び、聖ミカエルに頼みました。

すると、又、解除

聖ミカエル、凄すぎます

もう感動しました

 途中でRちゃんから電話があり、ふるさと納税について助けてほしいということで、帰ると待っていました。

もうほぼほぼ出来ていましたが、心配だったようです。

今、岡山には税金を払っているので、律儀に前に3年間居た高知のお米に決めていたようです。

ベトナム語と日本語で、ここまで難しいことをするなんて大したものだと感心しました。

でも、Rちゃんは「お母さん、ありがとう~~~。」と抱きついて来て「お母さん、良い香り」。

人懐っこいです

しかも、明日、母の退院カンファレンスについてのアドバイスをくれたのですが、結局「Rちゃんも一緒に行きます」

今日が夜勤明けでしたので、明日、お休みだそうです。

ということで、明日はRちゃんも一緒です。

 

 

 

 続いて、友人のイタリア旅行、アマルフィ編です。

日本時間13時半頃でしたから、現地は6時半でしょうか。

ですから、昨夜のことです。

 

ホテルのお部屋から見た景色だそうです。

 

お部屋、かわいいです。

ウェルカムドリンクにワイン1本が付いていたようで、夕食はテイクアウトで乾杯したそうです。

ビーチサンダルも。

 

シーフードフライセット

お部屋からの夜景

今日は7時からの朝食後、カプリ島〜ポジターニに行くと言っていました。

「ポジターニは日本人がアマルフィと思ってるところらしい」と言っていましたが、意味がよくわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと243・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.9.11

 

大切なのは
かつてでもなく
これからでもない
一呼吸 一呼吸の
今である
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(「念ずれば花ひらく」で知られる祈りの詩人)
○月刊『致知』2024年10月号
特集総リード【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月11日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

ゴシップ(うわさ話)に口を閉ざしなさい。それよりも、立場が逆転していたなら、自分がどのように言われたいか、しばしば考えなさい。

Hold thy tongue from gossip, then, oft, and think what you would like to have said about thee if circumstances were reversed.

(2798-1)

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母の容態(入院31日目)&御礼&友人のイタリア旅行(アルベロベッロからマテーラへ)

2024年09月10日 21時55分00秒 | 医療、病気

 もう毎日本当に暑いことです。

でも、こんなに暑いのに夕方の「お天気コーナー」で今日の最高気温を聞いて、びっくり

今日の最高気温33.7℃、最低気温26.9℃。

今朝は風があったので、良かった~。

でも、最高気温は35℃を超えていると思いました

 

 

 

 最近、真面目に歩いていますので(痛いのでゆっくり)、それに面会にも毎日行きますので、その他は家の中にいても8000歩くらいにはなっています。

あ、テレビ体操も始めて1週間になりました。

 

ポプラちゃんにきのこ。

雨が降るとすぐににょきにょき。

でも、降らないのに

 

 

この雲、まるで頂いた百日紅みたいだわって思いました。

ふわっふわもこもこ感が。

 

秋の空です。

 

久々にママ友ガーデンに行きましたが、今年は暑かったのでお花を植えられていないです。

 

 

しばし公園のベンチに座って日の出を眺めました。

 

 

 

こちらの2枚はスマホ撮影。

なぜか光線が入ります。

 

我が家の朝顔は西側に5輪も咲きました

 

これが雲に似ていると思った百日紅。

 

今日の果物

頂いたものを少しずつ切って毎日頂いています

 

 午後3時頃、病院から電話があったのでドキッ

でも、入れ歯の件でした。

「痩せて入れ歯が合わなくなってご飯を食べるのを諦めるので、歯科医の往診をお願いしてもいいですか」とのとこでした。

もちろんお願いしました。

 今日の面会は4時から行って来ました。

母は起きていましたが、私が行っても無反応。

「わかっているのかな」と思いましたが、わかってはいるようです。

手のひらが窪んで細くなってしまっているので「痩せたねぇ」と言うと「15日間食べていないから」と言いました。

と思っていると、入院してから15日間食べていなかったので痩せたということのようで、やっぱりしっかりしていると思いました。

 

母の病室からの眺め。

青い空が美しい

いつのように母の写真も撮ってこれと一緒に見せましたら熱心に見ていました。

カーテンが閉まっていましたので開けて、TVも付けました。

お相撲をしていました。

母は興味を示して見始めました。

「明後日はみんなで退院後の打ち合わせをするからもう少しだからね。帰ったら何が食べたい

「多分、おはぎ、バナナ、いなり寿司かな

それに、昨日学生さんが「コロッケが食べたいと言われていました」と教えてくれました。

母は炭水化物と油物が大好き。

ぐるっと撮ってみました。

 

 

 

その後、「今日はこれから○○クリニックにお礼に行ってくるね」と言って「又、明日来るからね」と言って帰りました。

 帰宅途中で又、病院から電話がありドキッ。

今度は「明後日は訪問医療のクリニック(病院等の建物はない)との契約があるので、11時ではなく10時に来れますか」とのMSWさんからのお電話でした。

 

ケーキ屋さん

クリニックとかケアマネさん、庭師さんやご近所のお水を遣って下さった方にも買いました。

母にもお芋プリン

そして、クリニックへ。

前もって先週、担当の看護師さんにはご連絡をしていました。

看護師さんは外来中のドクターの所へも案内して下さいました。

「最期まで面倒を看て頂こうと思っていましたのにすみません」とお詫びしました。

「最初は何かと大変だと思うけど、新たな選択もいいかもよ。やってダメだったら又その時考えたらいい」ということと「お母さんの場合は本当に急にガクッと悪くなる時があるからそこを注意して。それから、何かあった時、病院に行っても治療後は帰らせてもらいようにするとか、そのあたりをはっきり決めておくこと」

「とにかく自分の要望だけははっきり伝えるように」と言われました。

ドクターも看護師さんも良い選択だったと思うし、今後もショートや空いていたら病棟も使ってくれたらいい(万が一の入院)と言って下さいました。

「万が一やってみてダメで、出戻っても大丈夫」みたいな。

リハの方などもいらして他の看護師さん方ともお話しました。

「又、会いに行くからね」と訪看さん達。

今生の別れではないのですが、何だかやはり別れは辛い

 その後、ケアマネさんにはまだ会えていないのですが、ケアマネさんも「新しいケアマネさんに失礼になってはいけないけど、又、何かあったらいつでも連絡して下さい。○○姫(私のこと)を産んで良かったと、お母様はお幸せだと思いますよ」

皆さんに感謝です

 

 

 

Rちゃんが昨夜持って来てくれたいんげんの種

初めてですが、植えてみようと思っています。

 

 

 

 

 今日はイタリア旅行中の友人から2回連絡がありました。

最初は朝の5時半頃。

2回目も日本時間の夕方5時半頃。

 

アルベロベッロ

 

 

そして、「今日はアルベロベッロからマテーラへ迎えに来てくれた車で移動」

「アルベロベッロもよかったけどマテーラは絶景で感動❣️ 夜も賑やかだから歩き回ってさっき帰った」

「ホテルも昔の洞窟住居をリノベしてとても素敵」

 

要塞都市みたいです。

 

ホテル

石で出来ているそうです。

「マテーラは山だけど少し歩くと色々なお店があり賑やか」なのだそうです。

ここは「1度人が居なくなったけど2019年に世界遺産に認定された」そうです。

知人の知人に建築士さんがいて、ここの写真を見せてもらって以来、来たいと思っていたようです。

 

涼しくてエアコンなし。

でも、やっぱり冬は寒いみたい。

彼女にしては珍しく食べ物の写真がないので聞くと送ってくれました。

毎回ビールやワイン飲んでいるそうです。

さぞ極楽でしょう~

 

今夜(もう現地の昨夜)の夕食

お値段はパスタ2皿とワインで7500円だそうです。

 

サービス料金はいるけれども、チップは要らないそうです。

パンやオリーブが出るからかなと言っていました。

円安なのでかなり何もかもが高いようです。

それにしてもどれもボリューミーですよね。

海外に行くと量にまず驚きます

 

「明日朝もう少し散策して昼間にアマルフィへ向かう。」

「もう歩き過ぎて足が痛い💦」と言っています。

 

 

 

そして日本時間夕方5時半(現地時間10時半)

アマルフィへ向かう前かな。

 

もう一度夜の写真を送ってくれました。

 

今頃はもうアマルフィかな~

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと244・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.10

 

迷い抜き、悩み抜き、
目の前の仕事に一所懸命立ち向かう
━━━━━━━━━━━━━━
小路明善
(アサヒグループホールディングス会長)
○月刊『致知』2024年10月号
連載「二十代をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.10

 

銅メダリスト・道下美里さんを支えた言葉

 

「耐えるもの必ず志を得る」

どんな逆境に遭っても、
投げ出さずに耐え忍べば、
必ずその先に光が見えてくる
━━━━━━━━━━━━━━
道下美里(パリパラリンピック 女子マラソン銅メダリスト)
○月刊『致知』2022年5月号
特集「挑戦と創造」より
━━━━━━━━━━━━━━

8日に行われた
パリ・パラリンピックの
陸上女子マラソンで
銅メダルを獲得された
道下美里さん。

リオデジャネイロ大会の銀メダル、
東京大会の金メダルに続いて
3大会連続のメダル獲得という
偉業を成し遂げられました。

中学生の時に病気で右目の視力を失い、
その後、左目にも障害を負った道下さん。
自分の生きる意味、役割とはなんだろうと、
思い悩む日々が続いたといいます。

そんな折、盲学校卒業後に勤めた
鍼灸院の先生に教えてもらったという
のが冒頭の言葉でした。

「ブラインドマラソンだけでなく、
日常のいろんな不自由、困難が
あった時に、院長先生の言葉を
思い出して耐えていきました」

日本中に勇気を与えてくれた
道下さんの言葉を
私たちも噛みしめていきたいものです。


▼おすすめの記事はこちら

対談「誠の花を咲かせる生き方」

浦田理恵(東京パラリンピック ゴールボール女子銅メダリスト)
×
道下美里(東京パラリンピック 女子マラソン金メダリスト)

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月10日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

(問)私の仕事と日常生活を一番助けてくれるのは誰ですか?
(答)神です!

(Q) Who will aid me most in my work and daily life?
(A) God!

(2444-1)

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母の容態(入院30日目)&ペインクリニック㉓

2024年09月09日 23時06分00秒 | 医療、病気

 岡山はここ2日間、真夏日だったようです。

今日も暑かったです。

その暑い中、落とし物をしたりして行ったり来たりし、多くの時間を無駄にしました。。。

 

 

 昨夜は10時前にベッドに入ったところ、「すっきり目が覚めた~」と思って目が覚めたらまだ11時半

その後、ゴロゴロして又いつの間にか寝ていました。

お散歩へ

ちょっと龍ちゃんっぽい。

 

5時15分頃、東の空が真っ赤に燃える時間帯があります。

日の出タイムは5時43分位ですから、その30分前。

その後、普通の空に戻って、6時過ぎ、太陽が昇って来ているのが見えました。

 

帰ってみると、苗で頂いたモミジアオイがまだ丈は大きくなっていないのですが、咲いていてびっくり

今年はまだ咲かないと思っていました。

ニラの花も咲いていました。

 

西側の朝顔は3輪。

昨日も2輪咲いたようです。

南側はマゼンタ色とピンク色が1輪ずつ。

 

バラも四季咲きのせいか途絶えることなく咲いています。

 

 

こちらはコキア。

母が前回クリニックに入院した時、2苗40円で買ったものです。

これからが楽しみです。

 

ここからは頂いたもの。

庭師さんが木の枝が伸びてしまうと切るのが大変なのでということで、留守中から剪定しに隙間時間に来て下さっていて、その時見切り品などを持って来て下さっていました。

 

これは少し前に頂いたもの

 

今日の果物

9月のカレンダー。

前から気になっていたものの~、やっとアップです。

 

 

 今日は2時から5時まで35℃予報でしたので、1時過ぎに面会に行きました。

母は足に点滴をしていて、背もたれを起こして寝ていました。

実習生さんがずっと居て下さっていろいろ教えて下さるので助かります。

今日のお昼は主食4、副食3。

熱が37.3℃くらいあり、どうも籠り熱だったようです。

今にでもベッドから降りようとするような日もあれば今日のような寝るばかりしている日もあるようです。

これは今までと同じです。

 帰りに地域連携室に寄りました。

どの位足に力が入るかとか車椅子への移動とか、また、そのようなリハは退院までないのかお聞きしたら、看護師さんが怖がるということで出来ないしそのようなリハもしないと言われました。

もう寝たきりで退院させる方針のようですが、何だか悶々。

大体、帰る時車椅子に乗せないとどうして連れて帰ることが出来るのか。

続いて、ショート先のお返事はまだないですかと伺うと「ない。ここまでないと受け入れられないということだと思うよ」

そうなのかなあ。。。

何回かお電話を下さった時はそんな感じではなかったのですが。

そして、もうひとつは聞き忘れてしまったのですが、もうケアマネさんに言われたのかどうか。

このことについては程なくしてわかりました。

5時過ぎにMSWさんよりお電話があり、退院カンファレンスが12日の11時に決まったので参加するように言われました。

又、ショートのようの毎週行くことは出来ないが、家族が疲れた時レスパイト入院という制度があって(これは医療保険)、母を預かって下さるとのこと。

比較的近所に大病院の分院があり、そこが引き受けて下さるそうです。

この2つのご連絡でしたがケアマネさんのことを伺うと「もう話したから、お礼とか言ってくれても大丈夫よ」

そこで早速、お電話しました。

ケアマネさんは「私ももう巡回型がいいと思っていたので良かったわ」と言われました。

「ショートステイは受け入れがダメだったんですね」とお話すると「えそんなことないよ。夜中に看護師がいなかったりするけど、それでも良ければこれからもお受けしたいと言われていましたよ」

あら。。。お話が違う。

ケアマネさんは心配されて「ちゃんと伝わっていないのかもしれないから今からMSWさんに電話を入れておくね」と言って下さいました。

が、そのあとショートメールが来て、「MSWさんは医療のちゃんとしたところをと考えておられるみたいだからきっといいところを考えて下さっているわ」

明日、もう1回確認しようと思います。

ショートがなく(もちろんデイはもう無理)、ずーっと家では多分私の限界が来ると思います。

薬局で頂きました。

 

 

 その後3時にネット予約をしていたペインクリニックへ5時半くらいから行きました。

1時間位待ち時間がありました。

右膝に水が溜まっていましたので20ccのみ抜いて、いつものヒアルロン酸注をしました。

膝に負担をかけないように坂道ではなく平坦な道を歩くように言われました。

筋肉が付いてくれば治っていくと。

 その後、お買い物をして帰ったわけですが、車のキーを落としたり、クレジットカードを落としたり・・・。

それを受け取りに再びお店へ。

その都度きちんと仕舞っていればいいのですが、後ろの人をお待たせしてもいけないので、バタバタしていると余計に余分な時間が出て行ってしまいました

母の今後のサービスについて考えたりもしていたので気もそぞろ

ブログアップもすっかり遅くなってしまいました。

 

 

 

 

 

今日出会った言葉「相手がどんな気持ちになるのかは、相手の価値観による」

これは自分にも当てはまりますね。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと245・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.9

 

「可能性の扉は自動ドアではない」

 

可能性の扉を開けられるのは
「何としても扉を開けたい」という
強い意志であり、行動なんです
━━━━━━━━━━━━━━
及川美紀(ポーラ社長)
○月刊『致知』2024年10月号
連載「第一線で活躍する女性」【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

「B.A」「リンクルショット」といった
化粧品ブランドを多数手掛け、
2029年には創業100周年を迎えるポーラ。

同社初の女性社長に抜擢された
及川美紀さんに、幾多の逆境を
乗り越えてきた歩みと共に、
経営理念を浸透させ、
社員の可能性を最大限引き出し、
幸せな経営に導く秘訣を伺いました。

10月号ピックアップ記事
連載「第一線で活躍する女性

『可能性の扉を開けられるのは強い意志と行動』
及川美紀(ポーラ社長)

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月09日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

あなたはどれだけ人を許す心を持っているだろうか?それに答えたならば、あなたは自分がどれだけ許されてきたかを知ることになる。

Then how forgiving art thou?
Answer this, and ye will know just how ye have been forgiven.

(3376-2)

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母の容態(入院27日目)&友人のイタリア旅行&ケアマネさんとの顔合わせ&牛窓へ

2024年09月06日 22時06分00秒 | 医療、病気

 今日も暑かった(34.8℃)ですが、もう夏もエンディングに向かっていると思うと気分的に違います。

母の面会や用事でどうしても外出しないといけないからでもありますが、「籠る」ことがなくなってきました。

 

 朝のお散歩より

 

何となく秋の雲

 

今日は4周歩きました。

 

薬品がかかって椿が枯れています。

工事はまだ10月末までかかるようで、そばに立っているポプラちゃんが気になります。

 

今日は西側と南側と、大きな朝顔が1輪ずつ咲きました。

 

 

毎日暑いので、朝は蕾のバラも昼には咲いて、一日で終わりです。

 

 

 

今日の果物

 

 

 

 朝5時、友人から写真が届きました。

無事にローマのホテルに着き、これからシャワーをして寝ると言っていました。

フライト時間は14時間。

「疲れた~」

私、機内食、大好き

 

🍙おにぎりが冷え冷えで硬かったようです。

どのあたりかな

私がヨーロッパに行った時はまだアラスカ経由でした。

伊丹から羽田までエールフランス。

ブリティッシュエアウェイズがなぜか飛ばなかった為です。

それから羽田からアラスカまでが8時間、アラスカで2時間の給油があり、それからロンドンのヒースロー空港まで更に8時間だったように思います。

マッキンレーが美しかった

アラスカには大きな白熊のはく製が置いてありました。

まだあるかな

テルミニ駅の近くのホテルのようです。

印象を聞いたら

「教会かな。立派な建物が見えたよ」

シスターが1人飛行機に乗られていたそうで、ローマ空港にお迎えのシスターが来られていたと言っていました。

 

何だかローマらしいホテル

 

私が泊ったのはサンラザール駅の近くで、目の前の教会の中に普通にミケランジェロの「モーゼ像」がありびっくりしました

今日は一日、ローマ観光のはず。

日本との時差は7時間です。

 

 

 

 私の方はZoomでカウンセリングのお勉強をし、3時半過ぎに病院に行きました。

母は昨日師長さんから言われていた通り、お部屋移動していました。

何でも朝方、おしゃべりをするらしく。。。

今回のお隣の方はお耳が遠いそうで

 

母は今日も良い表情でした。

3時まで実習生さんとおしゃべりをしていたそうです。

お食事もまずまず食べたようで、今日はとても活発で、ベッドから落ちるのではないかと思えました

 しばらくすると、MSWさんに連れられておふたりのケアマネさんがご挨拶に見えました。

その後、4人で今後のことについて打ち合わせをしました。

一番びっくりしたのがMSWさんが「看護師さんは日に何回まで来ることが可能ですか」と聞かれると何と3回だそうです

でも、緊急時の為に1回は取って置きましょうということで、日に2回、午前と午後に来て下さることになりました。

それ以外をヘルパーさんに来て頂くわけですが、これも驚いたことがあります。

今までのヘルパーさんではなく「定期巡回」というのがあり、何度でもヘルパーさんが来て下さるそうです。

この方がまるめで安いと言われました。

私さえ良ければ介護でも看護でもどちらを使っても23時とかでも訪問OKとか

夜勤の看護師さんも待機しておられ、文字通り24時間365日のサポートです。

又、嬉しく思ったのが訪問診療のドクターの方で、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハを派遣して下さるとのこと。

情報共有のネットワークも積極的に使っていらっしゃるとお聞きして、嬉しく思いました。

それから退院までに、もう1回病院の言語聴覚士さん、それに管理栄養士さんに会わせて頂くことにしました。

「ムース食を自宅で作ってもいまいち上手く出来ない」と言いますと「そんなことする人はまずいないから、泣いて喜ぶわ」

私も一応管理栄養士なので~~~

同じ24時間365日でも随分と差があります

これがクリニックを持たない訪問診療です。

母は難病指定のパーキンソン病なので医療費の上限が決まっています。

ですから「可能な限り医療を使いましょう」と言われました。

又、昨日の障害者用の介護サービスはやはり使えるそうです。

昨日は詳しく知っている職員がいなかったとか。

ですから、このサービスを使ってヘルパーさんに長く滞在してもらうことによって、母がショートに行けなくても「(私が)通院出来ますよ」と言われました。

ショート先からはまだお返事がないそうですが、何とも手厚い介護体制。

ずーっと母が家にいることで私が外出することが出来なくはなりますが、あんまり疲れた場合は母が1週間ほど入院ということも可能で、大きな病院は大抵この制度を持っているそうです。

ショートに行けない場合、お風呂も訪問入浴を週に2回入れて下さるようです。

人の出入りが今まで以上に多くなります。

 予定では来週の11日~13日の間に退院カンファレンス予定です。

(ケアプランが出来次第)

参加者はすごい人数になるので病院ですることになっています。

病院からはドクター、看護師さん、言語聴覚士さん、MSWさん、この4人は最低でもいつも参加されるそうです。

それにもしかしたら管理栄養士さん。

訪問診療の方からは、ドクター(理事長さん・・・牛窓繋がりの)、看護師さん、ソーシャルワーカーさんを始め、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハ。

訪問看護ステーションからは看護師さん(何名かは不明)

ケアマネさん(今日のおふたり

福祉用具の方

各ヘルパーステーション(今は2社)

ヘルパーさんは今まで通りにしてみて、限界を感じたら定期巡回に変えましょうと言われました。

(そうじゃないと義理が立たない~

今までと違って私は何もしなくていいそうです。

 退院は再来週の月曜日。

火曜日が大安でその日にされる方が多いそうですが。。。来週末でも退院出来ないことはないようですが、ちょっとバタバタになり連休にも入るのでそのように決まりました。

来週はまだ暑いのに忙しくなりそうです。

・・・ということで、病院からの帰りに買い物をして、牛窓に来ました。

やはり涼しいですし、虫の声がすご~~い。

 

 

 

 牛窓に来る途中で、前の訪看さんに電話をしました。

「私達がいつも十分なサポート出来なくてごめんなさいね」と言われましたが、やはり外来があると物理的に無理とよくわかりました。

ですから、それは仕方がないですし、私もご迷惑をおかけしなくて済みます。

看護師さんに今度のサポート体制をお話するとびっくり仰天されていました。

訪問診療ってそんなことが可能なのぉ~~~

「絶対、そっちの方が安心だしいいわ」と言われていましたが、とにかく、お礼に伺いたいので来週の火曜日以降で行くことにしました。

(この方が月、金はお休みなので)

 

 

 

 顔合わせの途中で、ヘルパーステーションから電話がありました。

ケアマネさんが何も言われないから直接かけていらしたようです。

「実はケアマネさんにはまだお話していないのですが、ケアマネさんも変わられるんですよ」とお話したらびっくり

MSWさんが、今日顔合わせが出来たので来週の月曜日にケアマネさんに言われるそうです。

その後、又、私もお詫びとお礼のお電話をします。

 

 

 

 

 

 牛窓に来るまでは準備もありますし、少々大変と思うのですが、来たらやっぱりここはいいわ~と思います。

暗いので街の灯りと小豆島の灯りがちらちらしか見えませんが、明日の朝は又、素晴らしい景色が見られるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと248・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.6

 

一番より尊いビリ

 

一番はもちろん尊い。
しかし
一番よりも尊いビリだってある
━━━━━━━━━━━━━━
東井義雄(教育者)
○月刊『致知』1999年11月号
特集「本物は続く、続けると本物になる」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「いのちの教育の探求者」として
ペスタロッチー賞や教育功労賞を受賞した
東井義雄氏の言葉です。

東井氏は子供の頃からスポーツが苦手で、
師範学校時代はマラソン部に入ったものの、
いつもビリで恥ずかしい思いをしたといいます。
しかし、この時、ビリにはビリのよさがあると
目覚められました。

ビリの子の心がわかってやれる教員でありたい。
勉強の分からない子、跳び箱が跳べない子の
悲しみを分かってやれる教員であろうとされたことは
東井氏の教育者としての原点でした。

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月06日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

愛の、希望の、忍耐の、辛苦の、親切の、優しさの法則こそが成功をもたらし、然るべき季節にその実を結ぶ。

For it IS the law of love, of hope, of patience, of longsuffering, of kindness, of gentleness, that WILL succeed, that WILL bring its fruit in due season.
(1497-1)

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

タゴールの詩「ひとりで進め」


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145882&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ヒマラヤの山々とタゴールの写真、タゴールの歌のYouTubeリンクが掲載されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145883&c=3304&d=ed84

(詩人ラビンドラナート・タゴールについて|「ひとりで進め」などの有名な詩歌と名言を紹介)

━…………………━


ここ数日、東京板橋では朝晩がやや過ごしやすく、いよいよ秋が来たかという感じです。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、タゴールを話題として取り上げたいと思います。



◆ ラビンドラナート・タゴールについて


ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)は、インドの西ベンガル州の州都コルカタ(旧名カルカッタ)に生まれた詩人、劇作家、哲学者、作曲家です。


詩集『ギーターンジャリ』でアジア人として最初のノーベル文学賞を1913年に受賞しています。



ラビンドラナートの父デベンドラナートは、インドの伝統的宗教であるヒンドゥー教の熱心な信者かつ研究家でした。


ラビンドラナートは彼の14番目の末子で、とても甘やかされて育てられたとのことです。



タゴール家はコルカタの大財閥であり、ラビンドラナートは英国に2回留学しています。


しかし、当時の英国の教育は彼の肌に合わなかったらしく、いずれのときも卒業できずに帰国しています。(*1)



ラビンドラナートは1901年に、息子などの教育のために青空学校を創設しましたが、ノーベル文学賞の賞金をこの学校に発展のためにすべて注ぎ込み、この学校は彼の死後の1951年に国立のビシバ・バーラティ大学(タゴール国際大学)になっています。



タゴールは特に詩人として有名ですが、音楽家として2000曲以上のベンガル語の歌を残しています(*2)。


インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(人々の意志)はタゴールの作詞・作曲であり、バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」はタゴールの作詞です。


(写真:タゴールとヒマラヤの夕焼け)


◆ ベンガル分割法とタゴールの詩「ひとりで進め」


1905年にインドを植民地統治していた英国は、ベンガルの人々の間に広まっていたインド独立運動の力を削ぐために、ベンガル州をヒンドゥー教徒の多住地域とイスラム教徒の多住地域に分ける法律を出します。



この法律には民族運動支持者の多くが猛反対し、かえってインド独立の機運が高まることになりました。

「ひとりで進め」は、この法律の施行と同じ年の1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌です。



この時期ラビンドラナートは政治運動に加わっていましたが、暴力や党派争いに幻滅し、1907年に故郷に戻り、瞑想と教育に専念する生活を始めます。(*1)



彼はこの時期に書いたベンガル語の詩集「ギーターンジャリ」を自身の手で英訳し、この英訳詩集が理由で1913年にノーベル文学賞を受賞します。



その後、人間性の重視と国際平和を主なテーマとして評論、詩作を行ったほか、世界中を講演して回りました。

そして、1941年に病気で亡くなっています。



1947年にインドが独立を果たすと、タゴールは、マハトマ・ガンジーと並ぶ、その功労者と見なされるようになります。


◆ 「ひとりで進め」について


「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌であり、数多く人々、そしてマハトマ・ガンジーが愛した歌でした。



調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。


それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、もともといくつかの種類があるのかは私には分かりません。


以下の歌詞はYouTubeチャンネル「Vリリカル」(VLyrical)にアップロードされている、インドの歌手シュレヤ・ゴシャル(Shreya Ghoshal)さんの歌の英訳の歌詞(*3)を筆者が日本語訳したものです。



・ 歌詞「ひとりで進め」(全文)


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし皆が口を閉ざすなら。おお、不運な我が友よ、もし皆が、あえて語らないなら

誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、あなたの考えをそのままに、ひとりで語れ


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら



もし皆が離れていくなら、おお、不運な我が友よ、もし皆が逃げ出すなら

困難な道に沿って歩いているとき、誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても

それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、ひとりで進め


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし誰も光を掲げないなら、おお不運な我が友よ、もし誰も光を示さないなら

もし雷雨の暗い夜に、皆があなたの前で扉を閉め切るなら

まさにその稲妻で胸に火を灯し、ひとりで道を照らせ



あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



タゴールの詩をもう一作紹介させていただきます。詩集「ギーターンジャリ」に収録されている作品です。(*1)

・ 『私はその日が来るのを知っている』


私はその日が来るのを知っている


――そのときはこの地上を見る私の視力は失われ、生命は無言で暇乞いをして、最後のカーテンを私の眼の上にひくだろう


それでも星たちは夜眺めているだろうし、朝は前と変らずに明けて、時間は海の波のようにもりあがって喜びと苦しみを投げつけるだろう



この最後の時を思うとき、時間の堤は破れて、私はあなたの世界とその投げやりにされた宝を、死の光の中に見る。


最低の席というものもなく、一番卑しい生命というものもない。


私が空しく求めてきたもの、私が手に入れたもの


――そういうものはどうでもいい。ただ私に本当に所有せしめよ、私がこれまでないがしろにし、見すごしてきたものを。

(出典*1)

以下に、バラ十字会の研究家が書いたタゴールについての記事を紹介します。


▽ ▽ ▽


記事:『タゴールのメッセージ』(Tagore’s Message)


インドの偉大な哲学者の詩と言葉は今も心を燃え立たせる


ヴィンセント・エドワーズ(by Vincent Edwards)


(写真:タゴールと雪に覆われたヒマラヤ)


インドの偉大な詩人で哲学者であるラビンドラナート・タゴール(1861-1941)がまだとても若かった頃、彼の父親はタゴールに、本を置いてヒマラヤの山々に登ることを強く勧めました。


細かい経緯は分かりませんが、ヒマラヤの雪に覆われた威厳ある山並みの光景から、この若者は新しい世界観を得ることになりました



この地で彼は、その後の人生でずっと忘れることなく大切にしたビジョン(vision:理想像)を手に入れました。

それは自由な世界というビジョンであり、この世界では愛と理解に、国境よりも深い意味があるとされます。

ここでは男も女も兄弟姉妹のように支え合って暮らし、科学者は人々の役に立つために研究を深めることができます。

この世界では人を疑う理由などありません。というのも、戦争は人々の友情と愛によって禁止されているからです。



おそらくラビンドラナート・タゴールほど平和を愛し、戦争を憎んだ人は、誰一人としていなかったことでしょう。

やがて彼の母国では、彼の名前を誰もが知るようになり、裕福な人々にも、とても貧しい人々にも、彼の詩が知られるようになりました。

彼の歌は、人々が集まる街角でも、そして国を遠く離れた隊商(caravan:キャラバン)の列でも歌われていました。

世界平和の夢を歌った彼の詩に、無数に多くの人々が心を揺り動かされました。


・ ノーベル文学賞

Nobel Prize in Literature


(写真:若い頃のタゴール)


1913年にタゴールにノーベル文学賞を受賞するという栄誉がもたらされました。

アジア出身の人がノーベル賞に選ばれたのはこれが初めてのことでした。

そしてインドの偉大な天才の受賞は、あらゆる方面からの称賛をもたらしました。



ラビンドラナートに惹きつけられた英語圏の読者の中に、インドの人々と同じくらい熱烈な一人の信奉者がいました。

それは、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツです

彼は、このインドの詩人の詩集のひとつに序文を贈っています。

その中でイェイツは、この著名なインド人の作品を見いだしたときの驚きがいかに大きなものであったかについて述べています。



しかし、イェイツがこのことをベンガル人の医師に語ったとき、医師は少しも驚いた様子を見せませんでした。

医師は言いました。「私は毎日ラビンドラナートを読んでいます。彼の詩の一行は、世界中のすべての厄介事を忘れさせてくれます。



1916年にタゴールは、アメリカへの旅をしました。

それは、多くの人の思い出に残る旅となりました。彼はどこに行っても多数の人々の注目を集めました。母国の盛装を身につけて歩く、穏やかな眼をした男性は、人々の記憶に長い間留まり続けました



彼は長い茶色のローブをまとい、長老のようなあご髭と、鉄灰色の髪が印象的な人物でした。

彼がほほ笑むと、顔全体が人間への深い愛に照らされているように見えました。



1916年の日本への訪問の際も、彼は同じように人々に深い印象を与えました。

あるときラビンドラナートは、若い人々のグループに講演をするために招待されました。

その少年少女たちは、心を動かされ、そして彼を敬慕するようになりました。

というのも彼らは、この礼儀正しい訪問者から、愛嬌(あいきょう)のある告白を聞いたからです。



「私のことを怖がったり、私が皆さんに長々と話をするつもりだとは思ったりしないでください。」

「私は、自分が灰色のあご髭と白い髪をしているために、そしてゆったりとした長いインド風のローブを着ているために、いくぶん恐ろしく見えることを存じています。」

「そして外見から私を知った人たちは、私が老人であるというばかげた誤解をして、私に上座を譲り、少し距離を置いて敬意を払ってくださることも存じています。」



「しかしもし私が皆さんに、自分の心をお見せしたら、実は未熟で若いことがお分かりになるでしょう。」

「おそらくは私の前に立っている皆さんのうちの何人かよりも私の方が若いかもしれません。」



「そして皆さんは、私がとても子供じみた人間であるのを知ることでしょう。」

「優れた知恵のある現代の大人が信じているとすれば、きっと恥ずかしいと思われるようなことを私が信じているからです。」

「というのも、私は理想的な人生があることを信じています。」

「また私は、小さな花の中に、その美しさに隠されてはいるけれども、強い命の力が存在していて、その力は、機関銃などよりも強いと信じています。」

「また、鳥のさえずりの中には〈自然〉が自体の力を表わしていて、その力は、激しく続く砲撃の、耳をつんざくような轟音(ごうおん)に現れている力よりも強いと、私は信じています」。



何と驚くべき、そして深く考えさせられる言葉でしょうか。


ラビンドラナート・タゴールが、実際にどのような思想家であり、詩人であったのかを、この言葉ほど明らかにしてくれるものはないでしょう。

さらに、すべての大国が強力な軍備を築きつつあった時代に、彼は恐れることなく、人間が友愛で結ばれている世界を夢見たのです。



それはひとりの詩人の愚かな夢に過ぎないのでしょうか。

おそらく、私たちにそのように信じさせようとする、地位の高い政治家もいることでしょう。

しかし、思慮深い人々はよく知っています。

もし、美と善が永遠の存在であるとすれば、この偉大なベンガル人の詩人の理想は、必ず実現します。

忍び寄ってくる不信感が国々の間に築いた壁は、必ず崩されることになるでしょう。



ラビンドラナートの死が発表されてから70年以上が過ぎました。

しかし、彼の声は今も私たちのもとに届いており、むしろ以前よりもはっきりと大きく聞こえます。

それはあたかも、国際的な緊張が新しい局面を迎えたこの時代に、彼が特別なメッセージを運んでいるかのようです。



彼の詩の多くで、彼は、世界中の「子供たち」と自分を重ね合わせています。

彼はいつも、自然や魂に関することを詩にしました。

花や山や雲が、そしてあらゆるものが〈創造主/神〉の存在をそれとなく示しています。



こんなにも分かりやすく〈創造主/神〉の愛について語った詩人が過去にいたでしょうか。

彼の思いを表す詩のいくつかを読んでみてください。

そして、あなた自身で判断してください。



◆ タゴールの名言(7選)


・ 私に考えさせてほしい。未知の暗黒を貫いて私の人生を導いてくれる〈一なるもの〉が、あの星々の中にあるかどうかを。


・ 悪は敗北を受け入れることができない、しかし正義にはそれができる。


・ 人が知恵とともに子供らしさを取り戻すことを、神は待ち望んでいる。


・ 瞬間の騒々しさは、永遠の音楽をあざ笑う。


・ ああ我が神よ、全てを手にしながら汝自身を失った人々が、汝自身以外には何も持たない人々をあざ笑うのです。


・ 裕福な人が、神からの恩恵だと財産を自慢するとき、神は恥じる。


・ 神は偉大な王国に退屈するようになるが、小さな花々には決して退屈しない。


△ △ △


下記は筆者の前回の記事です。


参考記事:『渦巻きのスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145884&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~



参考文献:
*1 タゴール/山室静訳「タゴール詩集」、2004年、グーテンベルグ21
*2 佐々木美佳著「タゴールソングス」、2022年、株式会社三輪舎
*3 https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145885&c=3304&d=ed84 、2024年9月6日閲覧



==============

■ 編集後記

クレロデンドルム(ブルーエルフィン)という花のようです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145886&c=3304&d=ed84

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母の状態(入院26日目)&愛する人達の動向

2024年09月05日 22時07分00秒 | 医療、病気

 朝が涼しくなってきました。

家の中よりも外の方がさわやかで気持ちが良かったです。

スマホによりますと家の中は24℃でしたが、今日の最低気温は22.7℃でした。

 

 ポプラちゃんの近くなので切られたりしないか心配。

 

椿の新しい葉っぱはつやっつや。

桜の葉っぱは朝の陽に透けてきれいです。

 

今日は2周少々しか歩けませんでしたが、このくらいが今はちょうど良さそうです。

我が家のバラ

「ステファニー・ドゥ・モナコ」と「プリンセス・ドゥ・モナコ」(グレースケリー)

 

「ドフトゴールド」

今日の朝顔は南側に白いお花が4輪咲きました。

今日の果物

ブルーベリーを散らしたのがあまり美しくなかったようです

最近のサラダ用。

少し前まではオリーブオイルとピンクの岩塩と胡椒でした。

 

3時半頃、MSWさんよりお電話がありました。

「もしかして病院内に居る

「いえいえ、これから家を出るところです」

ケアマネさんと訪問看護ステーションが決まったようです。

明日の4時に顔合わせになりました。

 

 その後、病院に行くと母が冷えピタをしてるもしや又発熱と思ったら、母が隣に移動になっていました。

今日の母はとってもいい表情をしていました。

「眺めがいいねえ」と言うと「うん」

師長さんによりますとレントゲンの結果、肺炎ではなかったようです。

ほっとしました。

でも、一体何だったのかまだわかりません。

そこへMSWさんが来られて、もう一度詳しくお話を聞かせて下さいました。

ケアマネさんと訪看さんは同じ事業所だそうです。

訪問診療のドクターのご紹介かと思いましたが「ううん。うちによく出入りしているところ」と。

又、私が「ショートもデイも使えなくなると病院に行けなくなるのでどうしよう」と言っていたので、パーキンソンは難病なので、今の介護保険以外に障害者の認定を受ければ24時間サービスも受けられるから、私の通院時間も確保出来ると言われました。

すご~いと思い、必要な書類を持って福祉事務所に行きました。

うちではない、2階です。

いや、うちではない1階です。

等と言われあちこちへ。

「事務員なので詳しいことがわからないので聞いてきます」と言われ待っていましたが、「詳しい方」は出て来られなかったり。

その度にMSWさんに電話し、代わってもらいました。

長い時間かかりました。

ふと多くの人が一斉にお部屋から出て行かれ始めたので時計を見ると5時16分。

流石、お役所。

(私も人のことは言えません。そういう時期もありましたので~)

結局、障害者手帳を受けとらないといけないようですが、その為には4~5ヵ月はかかるそうです。

もう定時を過ぎていましたので、又、明日以降MSWさんに電話をして下さることになりました。

MSWの方は明日、ケアマネさんがいらっしゃるので何かいい方法はないか聞いて下さるとのことでした。

「手ぶらで帰すことになって申し訳ないです」と福祉事務所の方が言われましたが、「いえいえ」。

でも、面会に行って、一旦帰って書類を持って再び出かけて暑い中を(一時よりはいいですが)バタバタしたので疲れました~

 明日も結構忙しいです。

もう今までお世話になっていたクリニックのソーシャルワーカーさんにMSWさんは話されたそうです。

「仕方ないですね」と言われていたとか。

クリニックへお礼に行こうと思っていますが、明日の顔合わせが4時からですから、多分5時までには帰れないので明日は行けそうにありません。

「前のケアマネさんには明日顔合わせをして正式に決まってから話します」と言われていましたので、こちらは来週初め。

いずれにしても、お礼に伺うのは来週のことになりそうです。

 明日は金曜日ですので、母の調子がこのまま良ければ、当分もう行けないかもしれないので牛窓に行こうと思っています。

サボテンを持って帰らなくちゃ。

 

 

 

 今朝、歩いている時にお婿ちゃんから手術が無事に終わって、これが今日の「朝ご飯」とメッセージが来ました。

右のボトルはスキムミルクのようです。

はちみつトースト

シリアル

スキムミルク

アップルゼリー

この袋の中身は何

歩きながらチャットをしていたら、今日こそは6時25分にはテレビ体操しようと思っていましたが、又出来ませんでした

お婿ちゃんはマメに連絡をくれます。

初めはERからでしたので、「一体何が起こった」という感じでした。

ベッドに寝ているし、モニター画面の写真もあるしで・・・。

何もかもが日本とは違うと言っていました。

こうして海外の病院食を見ることはないので興味津々。

私が海外で病院に行ったのは1度ありますが、患者としてではありません。

娘がハワイの病院で研修していた時、1日オフがあり、遊びに出かけました。

すると目の前でオートバイが事故。

救急車に乗るまでお世話して、「じゃあ、行こうか」

すると今度は病院から緊急呼び出し。

ちょうどアメリカの男の子と一緒に研修していたので彼が迎えに来てくれることになりました。

急ぐし方向は反対だしで「じゃあ、一緒に行く」となって一緒に病院に行って私は終わるまで外来で待つことにしました。

4時間位待った気がします。

結局、夕方になってしまい、夕食を食べて帰った気がします。

 もうひとつ、医療の面から言いますと、インドでドクターにお世話になりました。

この旅はネパールで単身がんばっていらした神父様に物資を持って行き、インドではマザーテレサの「子供の家」に行こうという旅でした。

近所の教会の数人が行くと言うことで私もこの神父様とは懇意でしたので、一緒に行くことにしました。

このメンバーは面白い人が揃っていて、とにかく、教会関係には泊まらず他の宗教の施設でお世話になろう計画を持っていました。

インドでお世話になったのはお寺。

ヴァーナーラシーのサールナート(お釈迦様が最初に説教なさった場所)の近くでした。

和尚さんがどこかのお寺に行かれて不在。

しかも、インド熱(勝手に私がそう呼んでいる)に罹って帰って来られずにいらっしゃるとのことでした。

何日かして帰っていらしたのですが、私達のグループ5人のうち2人が感染。

そのうちの1人が私

高熱と嘔吐と下痢が続き、死ぬかと思いました。

その上、インドの夜って(当時)、漆黒。

何にも見えません。

手探り状態で、雨期の最後でしたから、スーツケースの中までびしょ。

もう1人の方は高齢ではありましたし、本当に死にそうで、お坊様がドクターを読んで下さいました。

ここあたりからは以前にも書いたと思いますが、ドクター曰く「明日の午前中には行く」

お坊様曰く「多分、12時間後の午後だと思う」

流石です、お坊様。

ドクターが歩きながらゆったりいらしたのは次の日の午後。

日本から持って行っていたお薬は全然効きませんでしたが、郷に入っては郷に従えです。

ドクターがポケットからお薬をいくつか出して、手で割って、口の中へポン

遠巻きに見ていた近所の人たちがその辺の木の葉っぱも摘んで飲ませてくれました。

すると何と30分後には熱が引きました

そして次の日にはガンガー(ガンジス川)に沐浴に行きました。

屋台のチャイをお坊様が買って下さいました。

美味しかった

ヒンズー教のお坊様は額にティカを塗って祝福して下さったり、お花売りの子供達に囲まれながらガンガーへ。

でも、流石に病み上がり。

浸かるのは足だけにしました。

そのそばでは死体を焼く煙が絶えることなく立ち昇っていました。

薪代だけ持って死を待っている人達もいました。

 ちなみにネパール(ポカラ)ではどこかの宗教(創価学会だったような)の信者さんの経営するホテルの広~いお部屋を1室ずつ提供して頂きました。

ご親切に市内観光にも連れて行って下さいました。

他の場所にも泊まりましたが、ここはアンナプルナの真ん前。

本当に美しい光景で、忘れられません。

もう一度、ヒマラヤを見たいというのがバゲットリストにあります。

 

 

 

 

 続いて、もうひとつ。

今日の12時25分発のイタリアエアウェイズでローマに旅立った友人。

昨日は銀座周辺で大学時代の友人と串カツとビール、大きな抹茶のかき氷を食べてご機嫌な写真を送ってくれました。

今日はこれ。

ついに念願のヴィトンを買ったようです

11時45分には搭乗口へ。

「後ろに大谷翔平が写ってるよ~」

 

彼女にとっては初めてのヨーロッパ。

この飛行機を見た時、イタリアの飛行機って変わったんだと思いました。

「いつの話」ということになりますが、私が乗ったのは今はもうないアリタリアでした。

(行きと帰りはブリティッシュエアウェイズ)

 

 

 

 

もう10時が来てしまいました。

今、お婿ちゃんが袋の中身はコーンフレークだと~~~

今日は退院にはならなかったようです。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと249・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.9.5

 

【編集長取材手記】心に響く「世界のホームラン王」の名言

 

どんな世界でも、
いまはすぐに答えを求める、
答えを出そうとするのが流行りのようです。
しかし、答えを出すまでの過程で
努力することが大事なんですよね。
常に「もうこれでいい」ってことは
ありませんから
━━━━━━━━━━━━━━
王貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●【編集長取材手記】
王貞治さんが語った大谷翔平選手の
「成功の秘訣」
こちらからお読みいただけます

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月05日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

あらゆる種類の癒しは、内からの波動を変えることにあるということを--生きた細胞組織の内にある聖なるものを、神の創造エネルギーに同調させることに他ならない。

Know that all strength, all healing of every nature is the changing of the vibrations from within, - the attuning of the divine within the living tissue of a body to Creative Energies.

(1967-1)

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母の容態(入院25日目)&発熱&友人イタリアへ

2024年09月04日 19時53分45秒 | 医療、病気

 今朝も涼しく歩きやすい季節になりつつあります。

(昨日は23.4℃、今日は22.3℃。明日は21℃予報です)

日中はまだ暑いですが、今日の最高気温は33℃なので、気分的にも少し違ってきました。

とは言うものの、この残暑はまだ2ヵ月続くと天気予報が言っていました

 

 

まるで秋みたいですが、雨が降らないので枯れているのだと思います。

テニスコートと歩道の間に網が張られていました。

ボールがよく飛んで民家の方に行ってしまうからかも

 

日の出

太陽が昇ると暑くなります。

今日は5周歩きましたが、やっぱり膝に水が溜まって来てます

 

我が家の朝顔は南側の白色が8輪。

 

よれよれ~

西側の紫が3輪とマゼンタが2輪。

 

まだがんばって咲いてくれています。

 

「ラ・マリエ」

 

「プリンセス・ドゥ・モナコ」

 

「シェヘラザード」

そして、ジャスミン

今朝の果物

ブドウはピオーネとオーロラブラック。

ピオーネはとても甘く、オーロラブラックは甘さの中に酸味もある感じです。

午前中用事があって外出しましたのでついでにぐるっとドライブ。

河津桜の通りです。

 

阿部池の向こうのゴルフ場があるのですが、暑くても多くの方々がラウンド中

 

岡南飛行場の滑走路

広々としています。

 

 

こちらサイドは児島湖

 

 

 2時過ぎ、まだ暑い最中でしたが面会に行って来ました。

母は寝ていました。

そこへ看護師さんがいらして、お熱が出たと

看護師さんのお話によりますと、昨夜母は元気で夜中におしゃべりをしていたらしいです。

(何を言っていたかは不明)

そして、今朝の朝ご飯は完食

この時お熱は37.5℃くらい。

その後、10時に実習生さんが測って下さったら38.5℃

私が行った時には解熱剤で下がっていました。

お昼ご飯は全く食べず、ずっと寝ているとのことでした。

明日、レントゲンや血液検査があるそうですので原因がわかると言われましたが、今の予想では誤嚥性肺炎か尿路感染かと言われていました。

病院に居てさえお熱が出るなんて、家に連れて帰るのが不安です

 

 

 

 今朝、友人が次女とイタリア旅行に行くために東京に行きました。

「可能な限り、写真を送るね~」ということで、今日は飛行機の写真を2枚。

岡山桃太郎空港

始発 JAL 7時10分発 東京着 8時25分

偶然彼女も私も昨夜10時半に寝たようです。

私はなぜか3時に目が覚めて、その後目が冴えてしまいました。

友人は2時半に目が覚めたそうです。

彼女のところからですと瀬戸大橋線に乗って、岡山駅から6時のリムジンバスで空港へ。(6時半着)

羽田着

8時35分頃

その後ホテルに荷物を置いて、大学時代の友人が千葉に住んでいるので銀座で待ち合わせて夕方までおしゃべりすると言っていました。

これから、気持ちだけでも一緒に旅出来ることが楽しみです

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと250・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.4

 

モスバーガーの創業精神

 

その気になって見れば、
仕事を教えてくれる「先生」は
周りにたくさんいます。
周りの先生から
どれだけ積極的に学んでいくか。
その姿勢が自分を成長させていく。
━━━━━━━━━━━━━━
櫻田 厚(元モスフードサービス会長)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

日本を代表する
ハンバーガーチェーン
モスフードサービス。
その創業期から経営に携わり、
今日の発展を牽引してきたのが
櫻田厚さん、73歳です。

最新号では、創業者の教えや
モスで学んだ経営発展の神髄を
余すところなく語っていただきました。

●試し読みはこちらから!
「人を喜ばせたい、その一心が我が経営人生を導いてきた」
櫻田 厚(元モスフードサービス会長)

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月04日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

わたしの意志ではなく、おお主よ、あなたの御心が、わたしの内に、わたしを通して行われますように。わたしがさまざまな形で接するすべての人に対して、わたしを今日、いま、祝福の水路としてください。

NOT MY WILL BUT THINE, O LORD, BE DONE IN AND THROUGH ME.
LET ME EVER BE A CHANNEL OF BLESSINGS, TODAY, NOW, TO THOSE THAT I CONTACT, IN EVERY WAY.

(262-3)

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母の容態(入院23日目)&DrとMSWと母の今後についての話

2024年09月02日 21時50分00秒 | 医療、病気

 生活を立て直そうと思いつつ、自分に甘い私はなかなか出来ないのですが、最近ブログを早くアップするようにし、10時はベッドに入り、寝ている間のゴールデンタイムを有効活用し~~~と、簡単な時間割(時間配分)みたいなものを作ろうとしています。

とにかく睡眠時間の確保が大切。

どうしても4時半とか遅くても5時には目が覚めるのですから、寝る時間を早くする以外にはありません。

母は入院中の今、健康の為にちょっとルーティン化(ゆるゆるですが)を試みようとしています。

なぜかあれこれしていたら、一番大切なことをする時間がなくなってしまう結果になってしまって

 

 

 

 5時前に目が覚めて、窓を開けたりあれこれして、家を出たのは日の出タイム頃。

(今は5時38分頃

昨日の母の同い年の友人の方はすでに5人くらいのグループの中にいらして公園の出口方面を歩かれていました。

このグループは1つは80代~90代。

もうひとつは70代でしょうか。

朝、大体待ち合わせていらっしゃるようです。

このグループの中のメンバーは随分と変わりました。

かつて母もこの中に居ました。

 

こちらの朝顔はまだ綺麗に咲いています。

咲き始めが遅かった気がします。

 

 

我が家の朝顔

西側には3輪咲いていました。

1輪は一番下に隠れて咲いていました。

昨日も咲いたようです。

明日も咲きそうです。

 

こちらは一番上に咲いていました。

ちょっと色が違います。

青とマゼンタのミックス

 

そして、マゼンタ色

南側には白が4輪咲いていました。

 

 

 

暑かったので肥料をやらなかったせいで小さめですが、「ラ・マリエ」と「シェヘラザード」。

 

ジャスミン~

 

今日の果物

 

 今日はドクターからのお話と病院の地域連携室の相談員さんとの話し合いの日でした。

2時からでしたが、とても暑くなるので少し早めに行って病院でご飯を食べながら自分の考え等まとめようと思って、12時ぐらいに家を出ました。

食欲がないので、ミニうどんとかおにぎりにしようかなと思いつつも、タンパク質を食べなくちゃと思って、ハンバーグにしご飯を小盛りにしてもらいました。

が、何のことはない

全部食べてしまいました🤣

1時15分頃になったので、まず母に面会してからドクターのお話を聞こうと思って病棟に上がりました。

母は寝ていました。

この福者カルロ・アクティスの写真を持っていきました。

 

目を覚まして「喉が渇いた」。

ナースコールを鳴らしましたが、来て下さった時には又寝てしまっていました。

岡山市街と国際ホテル

 

そこへ、今日から母に実習生として付いて下さる看護師の卵さんが来て下さいました。

本当にありがたい

母もどんなにか慰められるかと思います。

その後2時になってもご連絡がなく、しばらくすると検査のためにドクターは30分間ぐらい遅れられるので、その前に地域連携室の相談員さん(正式には、この方はMSW・メディカルソーシャルワーカーと言われる方のようです)とお話することになりました。

本当にこの方と話をするとはっきり言われるのでドキッともするのですが、覚悟も決まると言いますか。

それに情報も多く、しかも現場に即しているのでとっても有能な方だなぁといつも思います。

MSWさんのお話によりますと

「今日は退院の話です」と言われたあとで、

・母は食事にムラがあり波があるので今後は分食がいい。朝、10時、お昼、3時、夕食みたいに。

・現在、栄養剤を点滴をしているが必ずしも必要ではない(お部屋に来て母に2回エンシュアを飲ませて下さった認定看護師さんは水分が足らなくなるからしっかり家では水分補給をするように言われました)

・現在、吸痰は日に1回。Spo2はいいので今後はスポンジでOK。

・食事は全介助(これは以前ほぼからそうでした)

・(リハをしていると実践生さんにお聞きしたので伺うと)現在、午前中にしているのは口腔リハのみ。

・ESBLという抗生剤が効きにくい金を1年前も持っていた。これは繰り返す。細菌性肺炎や尿路感染症になった場合もやっつけにくい→仲良くやっていく、重症化しやすいか仕方がない、大量の抗生剤を投与すると身体も弱るが、余計な耐性菌が出来る。

ここまで伺ったところへドクターが来られました。

今後、誤嚥性肺炎や尿路感染症を何度も併発しながら弱っていくというパターンではないかということでした。

今日の血液検査では炎症の数値も正常になっていたが、良くはならず繰り返す。

嚥下が悪いので栄養が取れず動けなくなっていくだろうと言われました。

それから「トイレを言わなくなった」ので今後はポータブルトイレではなくおむつになる。

・機能ではなく病状的にはOKだがリハも厳しい。

・ショートはご飯が食べられない状態なので、受け入れてくれるかどうか。

・誤嚥した場合は熱、痰、Spo2が下がる

そして、今後これから良くなることは見込めないということと、選択肢としては老健のような施設に入るか、病院に入院するかと言われましたので、家に連れて帰って家で看たいという希望を伝えました。

ドクターちょっとびっくりなさっていたようでしたが、「分かりました。」ということで、もう先生の方からは特に何もおっしゃることがないようで退席されました。

その後、MSWと活発な意見交換をしました。

MSW・メディカルソーシャルワーカーとは「社会福祉士資格、または精神保健福祉士資格という国家資格取得者の総称として「ソーシャルワーカー」という呼称があり、その中でも医療機関で働いている人たちのことを、医療ソーシャルワーカー、メディカルソーシャルワーカー(MSW)と呼んでい」るそうです。(ネットより)

まず、ショートは万が一受け入れてくれたとしてもご飯が食べられなくなった、その他等で救急車を呼ぶのではなく、何かがあったら自宅に連れて帰ること。

続いて、共通の合意事項としてはドクターのたくさんいらっしゃる訪問診療のクリニックを探すこと。

それから、なるべくたくさんのナースが在籍している訪問看護ステーションを探すこと。

これはクリニックのドクターに紹介して頂くそうです。

私としては言語聴覚士さんやリハ、管理栄養士などの他のスタッフがも入って下さる方ががありがたいので、そのことを話しましたが、そのクリニックはやはりドクターが1人しかおられないので、それはやはり心もとないということで選択肢は3つのうちの2つに絞られました。

そしてどちらがいいかという話になった時に、

①の方はサバサバ系、体育系

②の方は呼吸器や癌などが専門でマメで細かい。

私としては②かなと思ったのですが、「小笠原先生は①のタイプよ」と言われました。

はっきり言われるから勝負(決断)も早い諦めも早い覚悟も早く付く (これはわかりません)

①の方は元々牛窓の建築士さんから話を伺い、牛窓繋がりのドクターで何回かお電話したところです。

②の方はケアマネさんおススメ。

結局、馴染み深い①にしました。

どちらもいいけれども我が家には①の方がいいのではないかなとMSWさんも思われたようです。

MSW曰く、小笠原先生のところはある意味、理想。

在宅を選ぶと言うことは「諦める判断力」を持たないと家で死なせられないと言われました。

病院で抗生剤を4本打っていても家では無理。

病院では生きる日数は延びるかもしれない。

在宅は「たった一人で死ぬことを納得出来るかどうか」

小笠原先生の患者さんはその覚悟が出来ている、割り切っている人達だと思う。

私の母はかなりの淋しがり屋だと言われたので「どうしてわかりました」と思わず聞き返しました。

やはり看護師さん達に居て欲しいみたいです。

「お母さんには娘さんがいた方がいい。それは家族しか出来ない」

・・・ということでクリニック(診療所や外来)を持たない訪問診療①のクリニックに決めました。

そして、訪問看護ステーションはそこに任せるとして、ケアマネさんをどうするかという話になった時に「もう切りましょう」という話になりました。

全てMSWさんが「私が先に話をします」と言われました。

「どのように言われるのですか」と伺うとカクカクしかじかとおっしゃって、「これでどこか間違ってませんか」とおっしゃったとので、いや、もう私としてはびっくり

もうパーフェクトでした。

私の気持ちが本当にそのまま、適切に簡潔にまとまっていました。

「まずクリニックとかが決まって全てが整った後でこちらにお断りの電話をするので、娘さんの方からもその後お世話になったので、一言お礼を後から伝えて下さい。」ということでした。

皆さん、最期まで診ようとして下さっていたのでどんなにびっくりなさるか。

でも、どう考えても今のクリニックでは無理です。

外来があるのでドクターすぐの対応出来ませんし、代わりに他のドクターが往診に来られることも出来ない。

それは訪問看護もそうです。

訪問看護は2.5人いればいいそうです。

今のクリニックは2.5人ではないですが、もういっぱいいっぱい。

あと、ヘルパーさんはこのまま続行。

それから、福祉用具も続行。

様々な質問したのですが、まず第一にトイレを作った方がいいかどうか

母の部屋の近くに。

そうでないと、私は今、仮寝の状態なので寝ることが出来ないと言いますと、「もう改修とかという段階ではなく配置の問題だと思うよ」と言われました。

つまり、もうポータブルトイレを使うということはあり得ないだろうということです。

その代わり、おしめ対応になるので臭いのしないゴミ箱か臭いのしないナイロン袋等があれば十分。

それから、ベッドの位置について前から考えていたのですが、今は台所に頭を向けて南に足が向いてる状態でテレビが見えるようになっていますが、母の顔が見えないのでどうかなと考えていたところそのお話をすると、そこに同席されていた実習生さんに「テレビ見られるかしら」と聞かれました。

彼女が「見られません」と答えられたので、「多分、お母さんは台所で動かれてる娘さんを見てる方がいいと思うので、向きを変えてもらいましょう」と言われました。

なるほど、なるほどと思いました。

また、ショートに関しては先ほども書きましたが「ご飯が段々食べられなくなる状態だけれども、その時点で救急車を呼んだりされないという上で受け入れて下さるところならいいけれども。ケアマネさんもショートも今の状況がわかっていないから、全てこちらの病院から連絡します。」とおっしゃいました。

何とも心強い。

これら、今まで全部私が連絡をしないといけなかったことです。

そして、退院はこれだけの大がかりなことを決めて、退院カンファレンスも開かないといけないので、2週間後の週末ぐらいになるかなという感じでした。

「もしその間に急変してしまったらどうなりますか」と一番心配なので伺うと、「どうしても家で最期を迎えさせてあげたい 例えば段々食事が出来なくなって、数日間の命ということになれば頑張って私(MSWさん)が体制を整えて新しいところに要請して家に帰れるようにします。でも、数時間の命となると病院で亡くなることになります」と言われました。

「急変するというのはどういう場合ですか」と尋ねますと、心筋梗塞。脳梗塞、くも膜下出血などだそうです。

これはもうどうしようもないと言われました。

そして、最後に「お母さんはすごく寂しがり屋だから、娘さんがそばにいるのが一番いいと思いますよ」と言われました。

先程も書きましたが、なぜ母が寂しがりやだということが分かったのか、本当にびっくりしました。

恐らく度々病室を訪問して下さり、看護師さんがいたら嬉しそうだったりした母を見て来られたのではないかと思います。

そういったことも考えられた上で、ベッドの位置を反対にした方がいいのではというアドバイスを下さったわけです。

「今後、私は家に帰ったら今のようなストレスフリーなサポートが受けられるのでしょうか」と伺うと「まず無理」と言われたのでがっくり来ましたが、もうそれはケアマネさん次第だと言われました。

あと、私の導入して欲しかったこととして、THP とか THP + などの情報共有とかいざという時のテレビ通話などの機器についてです。

けれどもこれは多分、岡山はまだそれほどを普及してないということと、多分機器の問題ではないと思うと言われました。

「電話1本でも大丈夫よ。すぐに行くからとか全ての情報が共有されていれば、今のように不安になることはないので、心配いらない」と言われました。

それから最後に私自身やっていけるかどうか。

これからショート使わなかった場合、ずっと毎日死と隣り合わせでやっていけるかどうか心配だということをチラッとお話ししたところ、「よく寝ることが出来たら大丈夫」と言われました。

そして睡眠時間とかあれこれ聞かれたのですが、結局今朝の最初のお話に戻りますが、母が寝てる間には絶対寝るとか睡眠時間の確保することが大事になってきます。

これから3日間ぐらいのうち、彼女が全てマネージメントして下さいます。

その後今までのところにお断り、お礼の電話が行き、それから退院カンファレンスが行われます。

帰りにまた母のところに寄りました。

母は喉が渇くと又、言いましたので、看護師さんを再び呼びましたが、そのネームの上には特定看護師という「特定」という文字が入っていました。

今日はこの方がいつもお茶やエンシュアの補給をして下さっていました。

やはり看護師の上の資格を持っておられる方で、もしかしたら ICU とかでも働かれていて注射などもドクターの代わりに出来る、そういう方なのかなと思ったりしました。

「水分不足になる可能性があるから注意するように」とのことでしたが、訪問診療になれば点滴も可能です。

 

 実習生さんは私が介護ノートに食事のメニュー表を貼ってるの見られて、「これからは私が取っておきますね。」とおっしゃって下さいました。

何かと心強い

 

 

何とかブログアップが10時に間に合いそうです

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと252・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.2

 

【免疫力を高める三つのスイッチ】

 

一、皮膚に氣持ちのいいことをする
二、笑うこと
三、感謝すること

━━━━━━━━━━━━━━
吉丸房江
(健康道場・コスモポート主宰)
○月刊『致知』2008年6月号
特集「人生の道標」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月02日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

人にではなく、神に認められるような生き方をしなさい。

Study to show thyself approved unto GOD - not to man!

(294-198)

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母の容態(入院19日目)&言語聴覚士さん、そして退院へ

2024年08月29日 21時00分00秒 | 医療、病気

 今日は一日ほぼ降り続けています。

最高気温は27.5℃、最低気温は24.4℃。

湿度が高いので多少にしますが久々にほっとする気温でした。

 朝顔は西側に2輪

 

南側に3輪咲きました。

 

今日の果物

昨日買ったドンクのクリームチーストオレンジのパン

好きなので半分買って帰りました

(なるべくお米を食べるようにしています)

 

 

 今日は11時半に家を出て病院へ。

病室に入るとすでにお食事が半分終わっていてびっくりしました

昼食は12時からですが、11時半から食べさせ始められていたようで、私を待って半分残して下さっていました

  

しばらくして言語聴覚士さん(主任さんでした)、地域連携室の相談員さん、看護師さんといらして、お食事再開。

母はエプロンもして入れ歯もちゃんと入っていました。

ベッドの角度は家でも45℃ですが、病院でも45℃で、それに枕2つを首に置いておられました。

(家では1個)

写真を撮りました。

ご飯はもう食べ終わっていましたので、黒ゴマプリンを食べさせられたところ全部食べました。

その後、とろみのついたエンシュア。

母は何度か「ごちそうさん」と言っていました。

これからも言語聴覚士さんが食べさせて下さるのかと思っていましたが、患者さんがとても多いので忙しいそうで、もう朝夕ご飯も再開し、土日も看護師さんに任せていこうと思っていらっしゃると言われました。

(後から考えるとこの言語聴覚士さんの判断とお言葉で母の今後が決まった気がします。)

パーキンソン病のお薬が今までのように5回始まり(昨日より)、何よりも口から食事が出来るようになったのが一番大きな要因ではないかと思うのですが、母は顔色もよく元気になってきました。

正直、今回はもう母はダメかもしれない。。。

そう思っていました。

面会に行っても丸まってじっとしていましたし、いつ何が起こるかわからない危機感を感じてきましたが、今日は本当に元気になってきたと思いました。

写真を撮ろうとして「笑って」と言うと、昨日、一昨日はまだ笑顔とは言えませんでしたが、今日はSmile

言語聴覚士さんは又、覗くとは言われていましたが、「(退院時等)呼ばれたら来ますが基本、今日と同じやり方です」

本当にお忙しそうで、風の如く去っていかれました。

でも、お聞きしたいとお聞き出来ました。

明日、台風がどうなるかわからず、その後は土日ですので、今日はエンシュアを多めに持って行き、とろみも持って行きましたので、看護師さんが「これで、いつでもエンシュアを飲ませることが出来ます」と言われました。

お食事の直後だとおなかがいっぱいでほとんど飲めませんが、これからはいつでもOKです。

その後、母は痰が気になるようでした。

看護師さんが「取ろうか

もう痰はないとは言われましたが、食後には吸痰しているようです。

(前はもうひっきりなしだったと言われていました)

まだ居てもいいのかなと思っていたら「(吸痰しても)大丈夫ですか」と言われました。

母はこれが嫌なので、もうひとり介護士さんがいらっしゃいました。

喉と両鼻の3ヵ所。

もう本当に嫌でたまらないので手で遮ろうとしますので、とにかく母の手を握って「大丈夫だからね。もう終わるよ。おりこうさんだね~(まるで子供に言うように)」等など声掛けしながらがんばってもらいました。

痰は喉の奥にはありませんでしたが、その後、口から粘着性のものを出しました。

エンシュアを飲むと出やすいのですが、これも痰

唾液とエンシュアが絡んだものかも

看護師さんも不明のようでした。

「ありがとうございました」と看護師さん。

 

 

 その後、4時半。

地域連携室の相談員さんから電話がありました。

「9月2日(月)の2時からドクターから今度の退院に向けてのお話がありますが、来れますか

まだベッド生活ですから多少リハもあるでしょうし、すぐにすぐ退院は出来ないとは思いますが、いずれにしてもその方向です

退院後どうするかについては私があちらこちらに電話をしないといけないのかと思っていましたら、相談員さんが「どこの機関を利用するか、又、上手に移行しないといけないし、ケアマネさんも今後どうするか(変えた方がいいとちらっと言われていました)等まず私と話をしましょう」と言って下さいました。

何とも頼もしい

情報も多く持っておられますし、その中で我が家のニーズにあった機関を見つけ、これからの在宅介護を安心してスムースに行うことが出来るようにマネージメントして下さる頼りになる存在ですが、以前の入院の時にはこの地域連携室(患者サポートセンターとも言うそうです)のことをほとんど知りませんでした。

どこの病院にもあるそうです。

ケアマネさんがこことコンタクトを取っておられることは知っていましたが、私が主に母の病状についてお尋ねするのは今までは看護士さんでした。

なかなか的を得ないので(今日も高血圧のパッチを貼っていると言われましたが、別の看護師さんはそれはパーキンソンのパッチで高血圧は何もしてないと言われたり)悶々とすることが多かったのですが、ここの存在を知ってからはストレスフリーになりました。

入れ歯の前にこれをするとスムースだと言語聴覚士さんが言われていました。

帰り道のアメリカフヨウ

 

白桃ですが、やはり「清水白桃」が一番美味しい

 

 在宅介護においてこの2冊の本には一番助けられましたし、今後も助けられると思います。

「なんとめでたいご臨終」と「なんとめでたいご臨終②最期まで家で笑って生きたいあなたへ」

そして、同じように要介護5の奥様を在宅で介護していらっしゃる翔真さんのブログから知った本

「天涯の花」

剣山のキレンゲショウマの花

まだ序章を読んでいます。

田坂広志さんの2冊目の本「すべては導かれている」。

ずっと以前に買った最初の本は「死は存在しない」。

昨日、ホスピス仲間が電話してきた時「私、田坂広志さんにハマっているんよ」と言うではないですか

これもシンクロですね

 

 

 

 昨日、会った友人の旅程表。

コピーしてくれました。

9月5日から9月14日まで、ローマから主に南の海岸線の村々に行き、ナポリ、プローチダ島 へ。

これを見ながら旅した気分になります

 

 

 

 

 週末は面会出来ないので、牛窓に行きたかったのですが、台風の為に行けそうにないです。

せめて、1泊でも行けたらなぁ~

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと256・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.29

 

ジャパネットの髙田明氏が語る夢を叶える法

 

本当にやる人は愚痴を言わない、
他責にしない。
その姿勢を続けていったら
必ず夢は実現する
━━━━━━━━━━━━━━
髙田明(ジャパネットたかた創業者)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「本当にやる人はそうじゃないですね。
愚痴を言わない、他責にしない。
その姿勢を続けていったら必ず夢は成就する。
僕はこれまで講演を頼まれると、
演題はずっと同じで、
「夢を持ち続け日々精進」にしてきました。
夢を持ち続けること。日々やり続けること。
とにかく過去や将来に囚われず、
いまを生きることに意識を集中させる。

成長こそ企業の役割だって言う人がいますけど、
それだけではダメなんです。
成長だけではどこかで必ず行き詰まります。
だから、成長プラス継続。
これは企業でも研究でも共通だと思います」

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母の容態(入院12日目)&母と電話

2024年08月21日 23時00分45秒 | 医療、病気

 牛窓の朝

お散歩がてら当分、来ることが出来ないので、ご近所さんに一言、言っておきたいと思いました。

Rちゃんはすやすや

誰も居ない山の上

 

 

雲がかかっている日が多いです。

あとでお聞きしたらいつもの夏はこんなことはないそうです。

そして、冬が殊の外美しいそうです。

 

 

ベンチに腰を下ろして眺めました。

雨が降ったのか朝露なので、濡れていました。

あとで、可笑しかったのが、旅好きの80歳の方が「ここだけは濡れていないわ」と言われて座られました。

「そこ、先程私がハンカチを敷いて座っていました~」

「あらまあ、それでか」

 

 

最初にいらしたのはその80歳の方。

ひとしきり、旅のお話をしました。

「行きたいけれど、お金がそんなにないから行けないかも」という私に、

「何を言っているの 先のことなんて考えず、帰って来たら又行くために貯金をするのよ」

 

そうこうしていると母と娘さんがいらっしゃいました。

このワンちゃん「ろく」だそうです。

「空が秋空になってきたわねぇ~」

 

 

雲が面白い

 

 

 

 

今日の景色

 

6時過ぎに帰宅。

Rちゃんは気持ちよく眠っていました。

帰る準備が整った時、「お母さん、早いですね」

Rちゃんは又、夜勤ですし、暑くならない前に出ようと話していました。

7時に牛窓を出ましたがちょうどラッシュ時。

随分とかかりました。

 久々の教会

珍しく鍵が掛かっていました。

 

 

家に帰るとかぼちゃが生っていました。

 

観賞用みたいなかぼちゃです。

 

朝顔は西側に3輪のみ

 

すでに気温は高くて、エアコンを付けてリラックス。

今日の果物

今日は1時から当然、面会に行く予定でしたが暑い上に頭痛。

様子を見ながらお薬も結局2回飲みましたが・・・。

面会出来るように帰宅したのに、残念。

母が待っているに違いないと思いましたので、申し訳なくて。。。

友人に話すと

「その気持ちは分かるけど

自分を許してあげないと

倒れたらおばあちゃん喜ばれないし周りに迷惑かける事になるよ」

自分を許すかぁ・・・なかなか難しい。

行けなくても何か方法はないかと思い考えました。

昨日、スマホを充電して帰りましたので、電話かラインビデオで様子を知ることが出来ます。

そこで病院へTEL。

しばらくして、看護師さんから母の電話を使ってお電話がありました。

母は何を言っているのか理解不能でした

でも、一生懸命話してくれました。

看護師さんの話に寄りますと、昼食時にゼリーのようなものを食べたそうです。

又、お薬も一部再開したそうです。

その上「本人は嫌だったかもしれないけれど入浴もした」そうです。

「状態も落ち着いているので、無理をされないように」とおっしゃて下さいました。

良かった

母は順調のようです

明日は会いに行けますように。

 

 

眠くって又、何を書いたか書かなかったか。。。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと264・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.21

 

アラン・ドロンが『致知』で語った言葉

 

私は他人から受けた善も悪も
決して忘れません。
特に不当な悪は忘れません
━━━━━━━━━━━━━━
アラン・ドロン(フランスの名優)
○月刊『致知』1983年7月号
━━━━━━━━━━━━━━

●フランスの名優・アラン・ドロンさんが
88歳で亡くなりました。
ドロンさんはいまから40年以上前、
『致知』に登場されています。

『致知』について説明を受けたドロンさんは、
『致知』を手に取りながら、
こう述べられています。

「私は日本語は読めないが、
フランスには、これに相当するような
雑誌は出ていませんね」

また、日本には『致知』をはじめ
リーダーを育てる書物が多いことを聞いて、

「さすが、立派なものです。
それだから、
日本の経済は成長してきたのでしょうね。
日本の企業が黒字で資源が少ないのに、
どんどん伸びていくのは
そういう背景があるからでしょうね。
たいへん、羨ましいです」とも。

世界中に夢を与え続けたドロンさんの
ご冥福を祈ります。

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母の容態(入院11日目)&コロナ陰性・個室解除&面会へ

2024年08月20日 22時27分15秒 | 医療、病気

 昨夜は一晩中雨が降りました。

雨の音を聴きながら眠りたかったので、窓のそばで窓を開けて寝ました。

ユリも瑞々しい。

 

 

6時過ぎ頃に少し雨が止みました。

瀬戸内海はいつもよりももっと静かでまるで湖のよう。

 

9時過ぎ頃には青空

幻想的です

 

今日の果物

 

 

 10時40分、病院の男性の看護師さんからお電話がありました。

「値が高くなったので」と言われたのでドキッとしましたが(低くなったと言われる方もいましたが)、「隔離解除になりましたので個室からお部屋移動して頂きます。」

そして、「飲み込みの評価後、食事や投薬が出来るかどうか、これで大きく変わります」

「面会は1時~4時でデイルームが狭いのでお部屋でして頂きます」

 その後、11時、ドクターからもお電話がありました。

ドクターは「ウイルス量が下がったので隔離解除になりました。」

「飲み込み機能が低下しているので今後食事や薬が飲めるように嚥下訓練(リハ)をして、1~2週間様子を見て、その後食べられないなら、又、その時今後にについて話をします」

 

 

 とにかくひとまず本当にほっとしました。

そして、面会に行くために準備を始めました。

 

1時に牛窓を出ました。

いつもよりは気温が低かったですが、やっぱり日中は暑い

しかも2号線バイパスが混んでいましたので、疲れました。

今後、母が入院中どちらで暮らそうかと考えていましたが、暑い間は牛窓との往復は無理と判断しました。

今日はまだ荷物を引き上げないで帰ってきました。

 

 

 岡山の家の朝顔

2輪咲いていました。

西側は1輪。

そして、Rちゃんに一応メッセージを送っていたところ、「今日は夜勤明けなので少し寝て一緒に面会に行く」

3時半に約束をして一緒に面会に行きました。

母は最初、何事が起こっているかわからない風でした。

すっかり変わり果てて・・・

かわいそうに

でも、私がわかり、Rちゃんもわかり・・・。

続いて「喉が渇いたので甘い水がほしい」と言いました。

ナースコールをしたところ1回目はすぐに来て下さいましたが、2回目は

母は喉が渇いてたまらないようでした。

でも、口を潤す程度。

 

母に写真を見せ、手紙も読んで聞かせました。

母は「誰も来てくれなかった」と何回も言いました。

コロナだったと言ってもなかなか理解出来ないようでした。

「解除の電話があったので、急いで来たのよ。明日から毎日来ることが出来るからね」

「10日間、一人だった」みたいなことを言いましたので、びっくりしました

凄すぎ

隔離されている間も数えていたのでしょうか。

わたしなんて、今日、何曜日だったっけ・・・と特に牛窓でぼぉ~と過ごしているとわからなくなったりしていました

「もう15分過ぎています」と看護師さんに言われて「又、明日来るから」と別れました。

 

 

 

 私は夜、牛乳とか置いておけない物を取りに牛窓に帰るつもりでした。

Rちゃんが夜勤明けで明日、お休みなので「一緒に行く

Rちゃん、今、一緒に来ていますが、明日の夜には又、夜勤だそうです

明日、早目に帰って、面会してから、仕事に行くと言っています。

 

 

 

 Rちゃんはここ牛窓の家を見るまではあまり牛窓で老後を暮らすのはよくないと思っていたようですが、景色とちょうどいい大きさに大絶賛。

「絶対、ここいいですよ。岡山の家は広過ぎる」

いろいろ配置換えをしてくれて、あれこれおしゃべり。

月末に3日間、お休みがあるので「野菜を植えに来よう」

岡山にも野菜を植えてくれたりします。

 

 

 

 息子家族は夜勤明けの明日からロサンゼルスのディズニーランドへ。

5月の時点ではすでに決めていました。

多分、3月頃から

来年は上の子が中学生になるので最後と思ったのでしょう。

お嫁ちゃんが大のディズニー好きで、その為にバイトもがんばり、年に数回行っているようです。

昨日、息子より「26日には帰るけれど、おばあちゃん、どう

でも、外国の人からしたら考えられないことのようです。

娘からも「将来面倒みられないから上手にお金を使って長生きしてね」

確かに子供達には年金もないかも。。。

子供世代の大変さがわかるので何も言いませんが日本は戦後、大切なものを失ったようです。。。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと265・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.20

 

最悪の時こそ最高である

 

失敗や挫折、艱難辛苦の時こそ
自分を変えるチャンス、
より成長させるチャンス。
そうやって捉えると、
いいことも悪いことも
人生で起こることはすべて最高、
これ以上のものはないと思える。
そういう心構えで努力すれば
必ず花が咲きますよ
━━━━━━━━━━━━━━
正垣泰彦(サイゼリヤ会長)
○月刊『致知』2021年11月号
特集「死中活あり」より
━━━━━━━━━━━━━━

コメント (2)
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