夜明けが遅くなり、いつの間にか太陽がとっても南から昇るようになってきました。
こんなに南に。
紅葉も徐々に進んでいます。
今朝の朝顔ももう一度後から数えることにしました。
菊が満開になってきました。
私が思っていたほど丸く小さな小菊ではありませんでした。
今朝の果物
少し前から今日は定期健診で眼科に行く日だと母に話していました。
昨日もその為に母も転んだりしましたが、早く寝ました。
でも、実際は朝は血圧が高く行けるかどうか、当日の朝にならなければわからない状態でした。
7時にヘルパーさんが来て下さって、血圧を測って下さったら、最初244
流石にそれはないだろうということで、もう一度は測り直して下さいましたが191でした
でも、母はクタッとはなっておらず、眼科に行くと言いました。
食事もあまり食べないだろうと思っていましたが、何と完食
しかも、パンは久々に以前良く食べていたホテル食パンの6枚切りを久し振りに買っていて、半分くらい食べたらいい方だと思っていましたが、ブルーベリージャムを付けて1枚全部食べてしまいました。
ビックリ
そうして、完食した後、いざ出発。
車に乗せるまでが大変。
足が何とも心もとないので、いつ転ぶか、母のどこかを持っていても怖い
でも、何とか無事に車に乗せ、病院に到着。
病院に着けばボランティアさんがおられますので、車椅子に乗せて下さり、私が車を駐車場に置きに行っている間、受付とかして下さいますが、今日は玄関に出ていらっしゃらなかったので、私が中に入り受付を済ませて、ボランティアさんを探しました。
そして、車を置きに行って母の元に戻ると、何と母が「おたくはどなたさん」
え~~~、まさか、マジで
環境が変わったから急に認知症になった
「私がわからないの」と聞いても「わからない」と言います
マスクを外して顔を見せるとわかったようですが、マスクをすると声はわかるけれど、顔はわからないと言いました。
髪型も昨日変えたばかりで、母は昨夜気が付いていないようでした。
それで余計だったのかもしれません。。。
とにかく、眼科へ。
私も定期健診で予約していました。
母は緑内障と白内障。
私はアレルギー。
母は右目の眼圧が高くなっていましたが、まだ許容範囲とのことでした。
「以前、手術しておいて良かったですね」と言われました。
この時、母はドクターに前お産で休まれていた先生か尋ねていました。
この二人の女医さんの間には男性の先生がいらして、前回までは男性の先生でした。
私も同じことを思っていましたので、母はよく覚えているな~と感心しました。
私のアレルギーはまだ少し残っているようですが、気にならないなら目薬も必要ないとのことでした。
それよりも毎回、私は視力が良くなっていっています。
今回も良くなっていて、コンタクトやメガネが又合わなくなっていたはずだと思いました。
以前は0.1が見えませんでしたが、今は0.4くらい見えますので、家でもコンタクトも眼鏡もしないで過ごすことが多くなりました。
母の今後の受診については(私も)又半年後。
その間に目が痛くなったり、充血したり、見えなくなったりしたら即、来院して下さいと言われました。
それ以外は「今まで通りホームドクターに目薬を出してもらって下さいね」とのことでした。
その後、と言いますか、受付時に言ってはみたのですが、過呼吸が激しいので精神科のドクターにご相談したいと思いました。
でも、1年以上来ていないと初診になるので、紹介状がいるそうです。
精神科のドクターは同じ町内なので私の幼馴染(昔、遊んでいた)であり、母同士は友人。
残念に思っていたら、ラッキーなことにお目に掛かれました。
母を慈愛深い目でずっと見ておられ、母とも会話。
そこで、図々しく尋ねると、頓服の安定剤は止めてパキシルの方がいいと言われました。
朝の「おたくはどなたさん」も認知症か聞いてみたら、「年相応じゃない」
過呼吸はもうひたすら「大丈夫よ」と背中をなでなでなどしつつ安心させることに尽きるようです。
昔は紙袋とか使っていたそうですが、「今ならマスクで代用出来るんじゃない」
なんとまあ、ラッキーなことでした。
科によってシンボルマークやカラーが違います。
眼科はブドウのマークで紫系統のシートです。
ラッキーなことは続きます。
金曜日は大抵看護師さんは1時半に来られます。
でも、今日に限って、会議があるとかで11時と言われました。
運よく帰ると看護師さんが待っていて下さるという状況になりました~
しかも、まだラッキーな嬉しいことは続きます。
薬局でもうスーパーにもなかった干し柿が置いてありました
母が欲しがっていた干し柿が作れます。
すでに私が3つ頂いたあと。
普通に受付したあとで、この器械に気が付いて、初めてなので使ってみました。
何でも興味津々。
病院を出る前に看護師さんにお電話をしていましたので、すでに待っていて下さいました。
「まあー、よく一人で連れて行けたねえ」
看護師さんが母のケアをして下さっている間に昼食を作りました。
看護師さんが「今日は時間がなくてごめんね。明日、サービスするからね」と母に言われながら帰られましたが、それでも1時間以上経っていました。
見えませんが、このきのこと玉ねぎのあんかけの下はハンバーグです。
病院で買った母の好きなあんぱん
白桃を見つけて、こしあんと変えたつもりが母の好きな粒あんと変えてしまっていました
これが頂いた渋柿です。
明日、皮を剥いて干そうと思います。
今日の朝顔は五輪でした
小菊が午後には満開。
母は疲れて、メイバランスとお薬を飲んで2時間ほど寝て、3時前から昼食を食べ始めました。
母のご飯は山菜ご飯。
1杯以上は食べましたが、和風ハンバーグは「又、夕食で食べる」と言ってあまり食べませんでした。
4時からはリハの方が学生さんと一緒に来られました。
若い女の子2人がいると賑やかで明るくなりましたが、母は食後から急に過呼吸。
帰られる頃には元気を回復していましたが・・・
でも、今夜は過呼吸になったにも関わらず、今日の精神科のご近所のドクターの言葉が心に残ったのか、頓服はいらないと言いました。
ショートでも何回か要らないと言ったみたいですので、まだ効果が出るには早い気がしますが、それでも良くなってきたような。。。
★致知一日一言【今日の言葉】
幸せになるための3つの条件
人材には3つの条件が大事です。
1つは情報をキャッチする能力。
2つ目は考えぬく力。
3つ目はやり抜くこと。
人生でも経営でも、
この3つを身につけることが
幸せになる条件です
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加藤宗平(豊田合成顧問)
月刊『致知』より
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2004年5月号特集「人間の詩」に
ご登場いただいた
当時89歳の加藤宗平氏の
言葉をご紹介しました。
加藤氏はトヨタ系の合成樹脂、
ゴム製品メーカーである
豊田合成の中興の祖です。
大正4年、貧しい農家に生まれ、
学歴のハンディを背負いつつ、
豊田合成の前身・国華工業に入社。
熱心な仕事ぶりで頭角を現し、
危機に陥った同社を見事再建した手腕は、
いまでも語り草になっています。
★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日発行)
バラ十字会日本本部AMORC
スウェーデンのオンサラという町を訪れました
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こんにちは、バラ十字会の本庄です。
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インターネットで調べたところ、北関東と西日本の高地が、今ちょうど紅葉の見頃だとのことです。
ちょっと京都にでも旅行と思っているのですが、なかなか仕事の合間を見つけることができません。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
今月の初めに、仕事でスウェーデンを旅行してきましたので、撮影してきた写真と一緒に、この地の様子などをご紹介させていただきたいと思います。
旅の目的は、バラ十字会の北欧語圏本部で行われるビジネスミーティングに参加することでした。
この本部はスウェーデンの西の海岸にあるオンサラ(Onsala)という町にあります。
オンサラは、デンマークのコペンハーゲンから北に100キロほどの場所で、緯度も60度ぐらいと、たとえば樺太よりもはるかに北にあたります。
10月の初めでしたが、朝晩は息が白くなり、すでに冬が始まっている感じでした。
また、一日に何度か、強い風が吹くちょっとした嵐が通り過ぎます。
これは幹線道路の看板で、後ろには農場の建物と暗い雲が見えます。
嵐がやってくる直前です。
これは丘から見下ろした北海の海岸です。
白い貸別荘の建物と、ヨットハーバーが見えています。
夏にはヨットレースの世界的な大会も開かれるとのことですが、秋と冬はほとんど観光客もなく、私が泊まったホテルでも、見かけるのは、企業研修と会議を行っているビジネスマンでした。
これはホテルの裏手の丘です。
葉はすでにかなり落ち、紅葉の絨毯になっていました。
スウェーデンには、この写真のような美しい林や森がたくさんあり、多くの人たちがハイキングを趣味にしています。
スウェーデンには、私有地であっても、何も採取せず何も残さなければ、自由にハイキングを行っても良いという国の法律があるそうです。
皆さんはオリエンテーリングという、宝探しとクロスカントリーを兼ねたようなスポーツをご存じでしょうか。
自然の中に配置されたチェックポイントという複数の場所を、地図を用いて見つけて巡回し、できるだけ短時間で出発点に戻ってくるという、スウェーデン発祥の競技です。
私も昔、日本で大会に出たことがありますが、世界大会は、北欧や東欧の国で開かれることが多いようです。
このように開けた、美しい林で行ったら、何と素晴らしいことでしょうか。
さて、バラ十字会は、「より幸せで有意義な人生を過ごす」お手伝いをするための通信講座教材を、世界中で会員の方々に提供しているのですが、その拠点は、教材の言語ごとに分かれています。
たとえば、板橋にある日本本部の事務所は、フランス語と英語の原本から、日本語の教材を作成し世界中に発送しています。
オンサラにある北欧語圏本部では、スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語の教材が作られ発送されています。
この3つの言葉は、ある意味では方言のように似ているとはいえ、なかなか大変な翻訳、製作作業であることでしょう。
本部建物はバラ色の壁をした美しい建物でした。
写真のように、建物の前の庭には、この3ヵ国の旗が建てられていました。
私が宿泊したのは、オンサラにあるゴットスカールという名のホテルでした。
客室は、写真のようなコテージ風の独立した建屋で、受付とレストランのある建物から、歩いて何と10分もかかります。
土地ならいくらでもあるという感じなのですね。
ホテルの横には、オンサラで最も大きい小学校があり、広場で子供たちが元気に遊んでいる姿を見ることができました。
学校の通路には、子供たちが文字を覚えるための、まるで「虹のヘビ」のようなペイントがありました。
スウェーデン語には、アルファベット26文字に加えて、「Aの上に丸」、「Aの上に点2つ」、「Oの上に点2つ」の文字があることを、このペイントで私は初めて知りました。
こちらは、数字を覚えるための虹色のイモムシのペイントです。
可愛いですね。
こちらは、スウェーデン本部の建物に隣接して建てられている殿堂です。
バラ十字会ではヨーロッパの神秘学派の伝統を受け継いでおり、二分二至(春分、秋分、夏至、冬至)の式典や、学習課程の昇級を記念した式典が行われます。
この殿堂はそれらに用いられます。
入り口の右側には、古代エジプトで「生命」を象徴していたアンク(Ankh:輪付き十字)が飾られています。
アンクはバラ十字会の伝統でも重要な象徴的意味を保ち続けています。
本部建物の前は美しい庭園になっており、ハスの葉の形をした水盤と池、つるバラのアーチ、バラ十字会の公式旗などがありました。
これらはすべて、会員のボランティアにより整えられたものです。
こちらは、当会の役員と代表の集合写真です。
代表のクラウディオ・マッツッコは後列中央の水色のシャツを着た人、北欧語圏本部の代表リーベ・ソーダルントは、前列の右から二番目です。
小職は前列左端で、カメラのリモコンを操作しています。
会議では、各国の現状報告のほか、会員の皆さんに当会をより役立てていただくために、どのようにすれば良いかという方針が話し合われました。
以上、当会の会員でない皆さんにもご興味をお持ちいただけたなら、とても嬉しく思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
またお付き合いください(^^)/~
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■編集後記
ベランダのバラです。そろそろ今シーズンの秋バラも最後です
https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M979265&c=3304&d=ed84
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