あり方は真夜中の月迷ひなく
ありかたはまよなかのつきまよひなく
月齢の満ち欠けのよふ暮らしをり帰らぬ昔知らぬ行く末
アントニオ猪木は、湾岸戦争で日本人人質解放。
1990年(平成2年)8月2日、当時フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。
イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。
政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。
外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバクダードへ入った。
このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。
これを追い風に、その後1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。
1995年には北朝鮮で「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催。
その後も訪朝を重ね、金正恩朝鮮労働党総書記の側近らと独自のルートで接点を持った。
訪朝は33回を数えた。
日本を元気にする会への参加と解散、2015年1月8日に政党「日本を元気にする会」の設立と同時に参加、同党最高顧問に就任。
2016年7月27日に会派「日本を元気にする会・無所属会」は解散し、猪木は会派「無所属クラブ」に異動した。
政界引退、2019年6月5日、参議院選挙には出馬せず引退する意向を表明した。
不出馬の理由は高齢であることや選挙に向けた野党間協定に対する思い等があることを述べた。
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闘魂の人、アントニオ猪木は人生も燃える闘魂で締めくくったようですね。
プロレスからの人生は色々あったようですが、まっすぐに生き切った姿勢は素晴らしいですね。。。