鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

不折山人筆 鳥海山 その2

2020年06月04日 | 鳥海山
 熊野ツマ坂 に行く前に肝心の大物忌神社蕨岡口の宮を飛ばしてしまいました。
 現在の拝殿は昭和二十八年に今の場所に移設されたものですから、この絵葉書は明治年間のもの、それなので拝殿は山の上にあったものです。
 当初この葉書は拝殿だと勘違いしていました。これは仁王門、現在の呼称随身門です。
 以前にも紹介しましたがかつての拝殿跡です。
 現拝殿前広場から旧拝殿跡への登り口は登る人もいないため荒れています。

 案内図の右上が絵葉書に書いてある拝殿のあった場所です。石段も荒れていて蹴込も足が乗りきらないものもありますしその上結構急ですので登るのも難儀です。それでも大物忌神社は蕨岡口の宮の方が何故か好きです。
 もう一枚紹介します。
 横堂にかつてあった箸王子神社です。手前の丸い屋根の小屋が後で出てくる笹小屋なのかもしれません。この時代、物見遊山で登山する人は滅多にいなかったでしょうからこういった小屋は参籠所、参拝者のための宿泊所、休憩所です。この横堂の建物がまだ廃墟とならずに建っていたのを見知っている人もほとんどいなくなりました。
 以前紹介した横堂の箸王子神社の写真です。左に神職の人が立っています。この建物の間を通り抜けて西物見へと向かいます。現在車道から簡単に行くことのできる滝の小屋はずっと上の方です。杉沢、かつての登拝堂で蕨岡口の起点からは結構な距離がありますし、現在は歩く人もいないようです。家族旅行村の近くにある沢追分からは案外近いので興味のある方はそこからどうぞ。

不折山人筆 鳥海山

2020年06月03日 | 鳥海山
 OUTDOOR LIFEの反対の INDOOR LIFEという語があるのかどうか知りませんが、 INDOOR LIFE鳥海山の楽しみの一つが鳥海山に関する資料、書籍を集めることです。
 中村不折の書いた鳥海山の絵葉書です。國幣中社大物忌神社社務所発行とありますので、大物忌神社では明治のころから出版事業を行っていたようです。丸山栴崖刀とあるのは版木に彫った人の名前でしょうか、たしかなことはわかりません。蕨岡の登拝道が描かれているので中村不折は蕨岡の宿坊に泊まり、蕨岡口を登って行ったのでしょう。絵葉書も蕨岡の大物忌神社が発行したのではないでしょうか。今は吹浦口の宮が大物忌神社の窓口で宮司さんもそちらに常駐していますが、このころは蕨岡の大物忌神社もまだ勢力があったものと思われます。
 中村不折は明治の画家、書家ですが、夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵で見たことのある方もいるでしょう。
 十二枚ありますので順次紹介していきます。
 酒田市外の鳥海山の姿です。どの辺りで描いたものでしょうか。
 熊野ツマ坂とありますので褄坂集落からの風景でしょう。
 以下続きます。

病院が空いているではないか

2020年06月02日 | 兎糞録
 かつて大きな病気をしたので定期的に通院しているのですが、今日二か月ぶりに行ったら待ち時間ゼロ。いつも二、三十人診察待ちで最低二時間待ちなのに。いかに必要のない人が病院に来ているという事なのでしょうか。そんな診察室の前に、
 そうなんですね、感染の第二波、第三波は必ず来るんですね。
 まだまだ予防は欠かせません。

 Facebookの大物忌神社山小屋営業停止の知らせに「トイレは使用できるのでしょうか?」などとコメントしてくる人は登らない方がいいと思いますね。

大物忌神社山頂・御浜小屋、今年は営業中止

2020年06月01日 | 鳥海山
 今日、Facebookに投稿されていました。今年は我慢の年ですね。鳥海山も旧来の静けさを取り戻すことが出来るかもしれません。

 Facebookの投稿は以下の通りです。大物忌神社のHPの宿泊予約はまだそのままになっていますがじき更新されるでしょう。

「本年度の鳥海山での宿泊・営業(山頂小屋・御浜小屋)は山の立地と山小屋での感染防止策が困難であること、並びに新型コロナウイルス感染予防・拡大防止の観点から、登山・登拝される皆様の健康と安全を最優先とし、本年度の夏山営業を中止させていただきます。
 ご予約されていた方、楽しみにされていた皆様には心よりお詫び申し上げます。
 新型コロナウイルスが早期終息し、皆様が安全に楽しく登山できるよう、神職・職員一同心よりお祈り申し上げます。
 また、これに合わせて今年度の鳥海山夏山開祭は神職のみで斎行、鳥海山火合せ神事は中止にいたします。」