鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

1956年(昭和31年)の鳥海山登山案内

2021年01月18日 | 鳥海山

 先日ネットオークションで見かけたのですが、肝心の入札、酔っぱらって寝てしまい入札しないまま終わってしまいました。面白いと思って画像を保存しておいたので落札された方以外の人も楽しんで見てみましょう。解像度はよろしくありませんがそこはご容赦を。

 もちろん現在のようにブルーラインも高原ラインも無く、そして矢島口の車道も祓川まで通じる前です。

 このころまでまだ蕨岡からの登山道が主たる鳥海山登山道ではなかったのでしょうか。また、横堂の小屋で山役料を収めて道者が登拝に訪れたのもこのころまでだったのではないでしょうか。

 信仰の山からスポーツとしての登山、楽しみとしての登山、観光としての登山へと山が侵されていく時期はこういった登山案内が出版されたということから見てもこのころからだったのでしょう。

 ソブ谷地という地名が下草津の近くにもあったというのは知りませんでした。

 それにしてもこの登山案内、どのくらいの部数売れたのでしょう。


の・ようなもの

2021年01月17日 | 兎糞録

 「できますものは、つゆはしらたらこぶあんこうのようなもの、ぶりにおいもにすだこでございます。ふぇえ~い~~~~。」

 「じゃあすまねえけど、ようなもんっての一人めえもってこい」

映画『の・ようなもの』 予告篇

 映画『の・ようなもの』は森田芳光の長編映画監督デビュー作品ですね。落語「居酒屋」がその底に流れています。ずっと以前、正月の深夜番組で見て以来お気に入りの映画です。話は何ということもなく続いていくのですがそこがまたいい。後半の一人深夜から朝にかけて歩き続けるシーンがまたいいです。オープニングとエンディングの音楽もいいですよ。(続編として森田監督にささげられた「の・ようなもの のようなもの」は駄作中の駄作。)

 森田監督の異常さは最初の方のみんなが銭湯に入る場面にもあります。

 女の人が脱衣を始める場面が映し出されるのですが、そこがなんと男湯。周囲の男たちの目にはその姿は見えていないように描かれています。私も最初は気づきませんでした。こういった状況をさらりと流し込む監督のセンスはやはりちょっと変わっています。

 この映画、DVDでしか見ることができなかったのですが、現在は配信でHD画質で見ることができます。DVDでしか見ることができなかった作品も数多くHD画質で配信されるようになりましたので見つけると購入しています。どうせ墓場には持っていけないし、傷がつくこともないので最近は映画も配信を利用しています。古い映画で言えば「十九歳の地図」も動画配信サイトでHD画質で見ることができます。

 動画配信といえばDisney+のパソコン版の字幕はひどいです。文字は白で大きすぎて映画の邪魔になります。ポータブルデバイスでは変更できるようですがPCではできません。STAR WARS なんかはオープニングロールの文字が言語英語、字幕日本語の設定では日本語でロールが流れてきます。いやそこは英語のオープニングロールで日本語字幕だろうが、などと思ってしまいます。現在お試しで視聴中ですが月額700円払って継続すべきか?

 


And When We Are Young その弐

2021年01月17日 | 鳥海山

 四十年以上前の鳥海山の記録が出てきました。同行者が保存していたものです。

 当時、地元にはいなかったので上野から酒田まで、"特急いなほ"は上野から酒田まで直通でしたが六時間以上かかりました。もっとも最初の"特急いなほ"は上野酒田間九時間、"夜行急行鳥海"で十二時間でしたから隔世の感があります。(現在は四時間ちょっとでいけます。)

 十月半ばといえば初冠雪があってもいいころですがその年はまだ冠雪もなく快晴の日でしかも平日、他には登る人も皆無の贅沢な鳥海山でした。

 沢追分から入り、横堂、西物見、河原宿、薊坂、伏拝岳、山頂と登りごたえのあるコースです。当時横堂の小屋は倒壊寸前でしたが未だ建っていました。小屋の真ん中を抜けて登った記憶があります。メモには横堂「お堂をくぐりぬける」、西物見では「けものの臭いが時々する」、河原宿の手前では「はいまつとささの間をゆく。山肌はまさにビロードをしきつめたよう」、河原宿「雪渓がとけた水が冷たくておいしい」、薊坂では「かなりきつい」などと各所メモがしてあります。

 今の写真ばかりの記録よりもこういったものの方がより想像をかきたてられていいですね。


And When We Are Young

2021年01月17日 | 鳥海山

 古い写真で遊んでみます。その前に、

Phil Woods & His European Rhythm Machine / And When We Are Young(Dedicated to Bob Kennedy)

 F・ケネディの実弟 Robert Francis "BobbyKennedy にささげられた曲ですね。

 日本語では単に"若かりし頃"と訳されていますがその訳された字面以上に And When We Are Youngという言葉には重みが感じられます。

 私が撮影したこの方々もすでにご年配のさかりであろうかと思われます。

 千蛇谷の入り口ですね。イヤー皆さん若い。

 私もこのころは毎週登っていました。確かこの写真は山頂へ行き、そこから河原宿に一泊、翌日千畳へ下り御浜へ戻ったと思います。山へ入っている時が一番幸せでした。