鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大物忌神社蕨岡口の宮の拝殿は松嶽山上から今の場所へどのように降ろしたか

2021年07月01日 | 鳥海山

 先日紹介した拝殿、解体してどのように下まで降ろしたのでしょうか。今日当時を知る人に聞いてきました。予想は現在ある回り道を使った、なのですが違いました。

 この時の屋根は木皮葺き(こはだぶき)だそうです。さて、解体した建材は現在の拝殿の側、稲荷社のあるあたりへ木で道を作ってウインチのようなものを使って降ろしたのそうです。調べると、そういう作業に使う木馬(きんま)というものが現在も使われているようです。

 なるほど、これならわかりますね。上の方からウインチか何かで滑り落ちないように降ろさないと危険ですよね。御柱祭だったら勢い良くていいのでしょうけれど。

 ところで普通、神社の拝殿には奥に本殿があるのですがこの拝殿にはありません。それは山頂にあった時、拝殿の奥の扉を開けると正面に鳥海山が聳え立っていたから、それが本殿だから作らなかったらしいです。

 

 宗教関連の話のようですが、実際の所宗教、修験道、神仏混交、廃仏毀釈、神仏分離などなどに興味があって書いているわけではありません。蕨岡の神仏分離に伴う様々なことを学者、素人学者、様々な方が書いていますけれど、誰も触れていないのがそこにあった感情、まるで禁忌、あるいは自発的に箝口令が敷かれたかの様相について、これは永遠に明らかになる事はないでしょう。いくらお偉い学者さんが調べても明らかになる事はありません。学者先生は資料として文書に残されたものしか興味を示しませんしね。先日も書評で「文献史学」に徹し、聞き取り調査はしないことを信念としているなどというのが紹介されていましたが、文献史学というのはそれとはちょっと違うでしょう。

 当時のことを知る人は生存しているわけがないから聞き取りは得るところが少ない、と考える方もいるようですけれど、言い伝えであっても今生きている人から聞くことによって明らかになる事もあるのです。まあ私が聞き土地したことは学問には全く役にたたないであろうことばかりですけど。

 それはどうでもいいので明日は、神仏分離に伴って行き場のなくなった仏像について書いてみましょう。特別に拝観させていただきましたので。


橋本賢助 鳥海登山案内より【山上】の続き

2021年07月01日 | 鳥海山

 かつて鳥海山への参拝者は蕨岡上寺の宿坊に宿をとり、早朝(2時頃ともいう)出立しその日のうちに山頂へお参りし、吹浦へ降りたといいます。鳥の海遥拝所も蕨岡の管轄だったそうです。以前蕨岡から山頂まで紹介いたしましたので今回はその続きです。ちなみにこの本は大正7年の発行。

(昭和11年の写真)

【御本社】( ごほんしや)新山の南中腹で、熔岩の破片を積んで區劃した(風よけの為)地域中一段の高所に在る。間口二間と五寸、奥行四間一尺、總檜の白木造り外屋中に安置された、御神殿及其装飾は如何にも神々しく、人をして自らうなだれしむるものがある。こは二十一年目毎に建換する事になつてゐるが、今の御本社は實に昨年九月に新築したものである。其費用は實に莫大を要してゐるが、全部有志の寄附金である。何に費用をかけるかと云ふに、大部分は木材運搬費と大工の給金であるそうだ。殊に木材運搬に至つては、出來得るだけは馬の力で上せるけれど、後はどうしても強力の肩を借るより外に道がないから。如何に強力とは云へ空手尚猶喘ぐ急坂を十有六貫の木材を肩に擔うて運ぶのであるから、並大抵の仕事ではないのである。御本社の舊外屋は段下に下して参籠所に當てる事になつてゐる。即ち神職詰所、参詣人宿泊所、炊事屋に三棟中古いものから建換するのであるが、過般は炊事屋に當てられたから、此の次には宿泊所を拵へる事になつてゐる。それ故此處に在る四棟の建物は何れも仝形であつて、丁度御神籤箱を横たへた樣なものである。さて此處からは左様急いで下る必要はない、吹浦までは山路九里八丁、六時間を費やせば十分行かれるから。然し途中笙ヶ嶽や白糸の瀧を調べたいと云ふ人なら、成るべく出發を急いだ方がよい。仙者谷を左手に見て荒神ケ嶽の中腹を斜めに下ると、谷の底にある雪田上に達し、更に雪田を下れば、左方に七五三掛と稱する所がある。此處は外輪山の終點で愈々新火山と別れを告げる所である。 まもなく御苗代と云ふ所に着く。

【御苗代】 (おなはしろ) 一寸した水溜りがあつて拝所の一つに数へて居る。中には「箱根サンセウウヲ」が澤山ゐるが、八月初旬は産卵期だから、丁度「ヒキガヘルJの卵の様なもの が澤山あるに違ひない。

【八丁坂】 (はつてうさか)此處は昔から「上り八丁、下八丁」と云はれる所で、つまりV字形になつてゐるから、何方から来ても上り下りをしなければならない所だからである。斯くて坂を上りつめると、御田ヶ原である。

【御田ヶ原】 (おたがはら)火山礫から成る土地に所々畔形が出來、此の上には草ま生へて居る、然も其の畔全部が自然に南北に並行してゐる事も面白い現象である。之はつまり一定せる南北風の為に、火山礫や火山砂等から成る此の臺地に、逢ひに此の畔形をつけたものと思はれる。名高い「ミャマウスユキサウ」や「鳥海フスマ」の産地だから、探集者の見のがす事の出來ない所である。殊に「ミヤマウスユキ草」は菊科の草本で、体全体が白軟毛に包まれているから、此の草の繁茂して居る所はまるで薄雪でも降ったかの榛だから此の名がある。アルプス山の登山徽章にしてゐる「ェーデルワイス」は實に此の草に極近い親類で、單に之よりも大形だけのものである。子の調査範園では、當山に於ける分布區域は僅かに此處だけである。

【鳥の海遥拝所】(とりのうみえうはいしょ)吹浦を去る山路六里半の其地にある。丁度横堂で見た樣 な板張りの小家があつて、中は宮居と出張所と炊事場との三つに仕切られている。吹浦口及び小瀧口を登った人は此處で鑑札を見せなければならない、又登山口にはなってゐないが、吉出に分れるのも此處である。先づ荷物を解いて四方の景色を眺むれば、眼下には島の海が淸水を湛へて眠って居る、太古には爆裂をやつたもので盛んに泥流を流したものであらう、形は略々圓形で直徑凡五十米突もあらう (火山案內參照)又其の南方には塊火山の鍋森が如何にも鍋を伏せたかの如くに聳えて居り、笙ヶ嶽と月山森の間から、遙かに莊內の天地がのぞかれる。即ち自分等は今舊噴火口壁の最も奥に立って居るのである、後方を顧れば稲村ケ嶽が深大な谷を擁して聳えて居る之は火山としての疑問の山である許りでなく、何でも昔は此の山に霊鳥が住んでゐて、時々湖邊に飛んで來ては、湖畔に啄んたものだから、何時か湖水を鳥の海とは稱へたそうな。雪の鷲のひなも飛ぶなり鳥の海。(鳳水)いなづまの沈む岨谷や鳥の海。(武仙)等の句がある。兎に角此の附近は植物の豊富な所であるが、大低河原宿に似てるるから湖邊を見るよりはむしろ笙ヶ嶽方面を探した方がよい。之から下ると

【河原宿】(かはらしゆく)一名賽の河原と云ふ所に出る。成程石がゴロぐして居て如何にも其の名に背かない。即ち此處が小瀧口に分れる所である、白糸瀧を見たい人は、之から小瀧口を鉾立の邊まで行かねばならぬ、往復一時半位をみつもれば行つて来られる、八月 初旬はまだ此の邊に雪路がある。

【傳石坂】( つたいしさか) 名を聞いたたけでは、左程痛痒を感じないが、一度下って見れば其名の空しからざるに嘆聲を漏すを例とする、而も其間小一里も續くのたからたまらない、笙ヶ嶽の西側に急傾斜をしてゐる所だから、さもあるべきのが當然で、急勾配の溶岩塊の間を飛び下りつゝ下らねばならぬ、此の時足元の方に猿穴と観音森の寄生火山が見えるであらう (火山案内参照) 前方は一面日本海で此の邊から見た所の飛島は又格別に面 白い、殊に海面に夏の綿雲が浮いた時、飛島を雲の下に眺め得たなら頗る妙であらう。嘗てト部理事官が此處で此の景色を眺めた時、思はず口ずさんだのが次の句であった 「飛べば飛島雲にも昇る、発の取りやうじや御山まで」丁度坂の中程に五里塚があって、此處を二の宿と云って居る。休むに都合よくなつてゐる許りでなく、水が出てゐるから有難い、吹浦口で一番の苦労は此の傳石坂と水の不足な事である。之から下って僅かの間に森林帯を見るが何せ海風の還く吹きつける所たから、蕨岡口の様な喬木はない、坂 を下り盡せば大平である。

 [大 平】(おおたひら)暫らくは平な道を進み、大平の盡きる所又坂が在る。之を大平坂と云 つてゐる。

【一の鳥居】 (いちのとりゐ)からはほんの草山、全体の斜面が緩かであるから、下り道としてはあつらひ向である、四邊の景色を眺めながら、足にまかせて下るも面白い。こうして、

【吹 海 (ふくうら)に着いたら、早速口の宮を参拝して無事に登山の終った事を感謝すべきである。吹浦は一寸町らしい村で、旅籠屋等もあるが、 

【湯の田】(ゆのた)迄行って温泉宿に泊るのが最趣を添へる事と思ふ、宿には能登屋・酒田屋・湯本屋の三軒ある、中にも能登屋は直に海に面して居るので旅行者から喜ばれて居る、一泊八十銭位なものである、こうして愈二日に亘る鳥海登山も、めでたく終りを 告げたのであるが、磯打つ波が諸君の疲れを慰めてくれるだらう。

吹浦や八重のしほ露打晴れて別れの嶋に舟通ふ見ゆ (千代女)

 


Yeah, I even lost my cat.

2021年07月01日 | 兎糞録

 You're a born loser (所詮、お前は負け犬だ)

 YeahI even lost my cat.( ああ、だから猫にも逃げられた)

 

 Yeah, I even lost my cat.で映画が特定できた人は相当の映画好き。

 十代で映画館で見て、その後VHS、DVD、Blu-Ray。Blu-Rayは国内版が待ちきれずに字幕なしの輸入版、しかもリージョンBの国内のプレーヤーでは見ることのできないものまで買ってPCでリージョン解除して見たというくらい。

 左国内版Blu-Ray、右輸入版Blu-Ray。

John Williams - The Long Goodbye (1973) - Main Title Montage