誰の著作とは敢て記しませんが「登山に就ての心得」です。現在動植物の採取は禁止されていますのでそこは真似しないこと。そこは写真撮影に置き換えてください。
第三章 登山に就ての心得
「細心にして大胆なれ」とは、登山者の常に忘れてならぬ金言である、等しく登山とは云ふものの、其の目的に至つては人々必ずしも一でない、或は神社参拝に、或は學術研究に、又或者は畫を描き寫真を影しに登山するものもあれば、高山の気分を味ふべく登る人もあるだらう。が何れにもせよ、それゞ其の目的に叶ふ準備の必要な事は勿論である。
一、服 装
登山用の衣服は、無論夏服(背廣・詰襟・カクシの多く然も覆のあるものがよい)半洋袴(はんずぼん)の仕度でよいが、外にシャッの類を忘れてはならない。又雨を、豫期して別に着替一租を持つならば頗る妙である。實に山上の夜は盛夏の候と云へども尚霜月・師走の肌持で 殊に寒い夜等になる(風雨の時)華氏の二十度位になる事が度々あるから其時の用としてシャツの用意を忘れてはならない。和服ならば軽装を旨として內カクシのあるのがよい、どちらにしても必ず股引の類を着ける事である。
帯は木綿或は金巾類の兵児帯にすると、不時の用に応ずる事が出来て頗る便利である。
脚絆とゲートル、之はこちらでも、自分の慣れた方がよい、若し長洋袴の場合なら、ゲートルを着けるにしても、膝までまくり上げてやつた方が、身軽に出来て都合がよい。
靴にした所が登れない程の山ではない。實際靴で登って平気で下山して居る人もあるのだから。然し普通の人は草鞋がよからう、成るべく丈夫なもので、一二足の余分を持つた方がよい、山中の小屋でも賣るが仲々高い。
特に草鞋掛の丈夫なものをはくがよい、但し登山に裸足足袋は危険である。
雨具用としては、羅紗かゴムの頭巾附の外套とか、若しくは合羽類又は茣蓙の類を携帯すべきである。茣蓙であると値は廉くて且携に便な許りでなく、雨よけにも日よけにもなった上途中休む時の敷物にもなる。唯頭巾だけは別に持たなければならない、兎に角持ち行く衣服類は、自分が持つにしても、強力に持たせるにしても、雨に濡らさぬ用心が極めて必要である。
単に道だけを歩く人なら兎も角、採集でもする人は、鍔の狭い鳥打帽がよい、その上顎紐があれば更に便利である(風を操期して)然しなくとも必要な時は、手拭でも代用は出来る。
暖かい手袋を持参する事は決して徒労の業でない、殊に植物採集者の手のこごえた時程苦痛な事はないのだから、若しかゝる折に手袋の用意をしてゐれば、頗る都合がよい。著者は之まで、度々雨にも遭遇したから、痛切に此の必要を感じて居る。
二、携帯品
入物は成るべく丈夫で又成るべく雨水の透らない物を選ばなければならない、之には 登山嚢(背嚢)か、雑囊・或は嚢の類が最もよい。
時計(腕巻がよい)・磁石・地図(圖の方を内側に折って)・呼子笛・水筒・水呑・手拭・手帖・ 鉛筆・半紙類・住所入の名刺・ナイフ・鋏・毛抜の類を携帯し、燐寸は點火の確實なもの(蝋燐寸がよい)を用意して行く必要がある。
金剛杖、之は決して形式的のものでない、真に必要であるし又便利でもある、壯の人なら兎も角なくとも間に合ふが、登山記念として持つのも亦一興であらう。持てば 持つただけそのお世話になるものである、著者の經驗からすると手のあたる處だけ節をけづつた竹の杖が一番よい。八角棒等では、手の掌が痛くなつて困るものである、駒止の茶屋で賣つてるのは簡単な「コナラ」等の雑木杖である。
三、 食 料
晝飯さへも持参すれば、小屋で副食物を買はれるけれども、食パンとか其の他のお菓子ミルクキャラメル・ビスケット・氷砂糖・白砂糖等を携帯するがよい、或は葛粉を持参して小屋からお湯を貰ひ、葛湯をするならば更に結構なものである。「腹がすいては登山が出來ぬ」と云ふ通り、食握は十二分に持つ事を忘れてはならない、仝時に登山は食ふとすぐ烈しく運動するものたから、其の邊十分の注意がないと、腹の弱い人は壊す虞 れがある。
四、薬 品
各自持薬の外、寶丹・仁丹・清心丹・健胃剤・鎮痛剤・繃帯・ガーゼ・絆瘡膏・即効紙の類を携帯する必要がある。
五、山上の泊
山上に泊る時、蒲団に寝られると思っては大間違ひである。毛布なら少しあるから、人數でも少なかったら一枚五錢位で借りられる位なもの、火だけは十分置いてくれるから、其處だけは余程よいとしても、各自下着の用意をして行ったに越した事はない。又 飯のまづい事と御馳走のない事に不服をいつてはならない、それで十分待遇したものである。一泊六七拾錢はちと高い樣に思ふけれども、よく考へて見れば尤もと思はれよう、然し各自米を持参すれば半額位で泊めてくれる、次に水の貴い事を忘れてはならない、全部雨水に雪を溶かしたもので、殊に附近に雪のなくなった時は、余程遠方から選ばなければならない、詰所に繪ハガキや扇子・スタンプ等があるから必要な人は求めるがよからう。
六、登山の諸注意
一、登山する前夜は十分に休養すること。
二、足の爪は出來得る限り短く切り足袋と脚絆とは隙のない様に着けること。
三、足装束は少しの不加減にも、直ちに之を直すこと。
四、常に足先に注意して、岩稜や切り株等に躓かない様に、気をつけること。
五、愈歩してる屡々休むよりは、寧ろ緩歩して休息度数を少くする方が却って路もはかどり、身体も疲労しないものである。
六、心臓鼓動の余りに激しい時は、直ちに休息するがよい、又用便を我慢してはならたい。
七、休息する際、足を地上から離して動揺させる事は、却って脚部た疲らすものである。
八、暑くて暑くて困る時は笠・帽子の中に潤葉を入れて被ると清涼を覚える。
九、気圧の開係上、頭痛とか或は孤分の悪い等の事があるものだが、こう云ふ時は少量の興奮剤を用ゆるとよい。
一〇、参拝者には五十人組だの百人団体等と多人数が一所になって登山する場合があるが、こんな時は脚の強弱 に依って数組に分け、各組毎に丈夫な人が二人位づゞ附くに様にすると、何をする上にも便利である。
どうです、ちっとも古くないでしょう。