鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

出会い系サイトにご注意

2023年08月25日 | 兎糞録

 サムネイルの写真、いったい誰なのかわかりませんがおそらくグラビアモデルのどなたかの画像の無断利用でしょう。ある日送られてきました。それに添付された文面は、

 「グラビアアイドルの仕事では初めて撮ってもらった写真です。女の先輩から、男が抱きたくなるような体を作りなさいって言われたんだけどえっちむらさんからみてどうでしょうか。」(えっちむらはここに書くにあたって適当に付けた名前。ちなみに、私はえっちでスケベですけどえっちむらという名字ではありません。メールでは何を根拠にしたのか「にしむらさん」と書いてきました。もちろんこちらから本名は名乗りません。)おまけにまた写真が添付されてきます。

 「下乳が」なんて、書いてありました。画像流用されたモデルさんかわいそう。

 なぜこういう事態になったかと言えば、これはある一通の誤送信(を装った)メールに始まります。

 メインで使っているメールアドレスは、STRATA_EAST 、CHARLES TOLLIVER 、STANLEY COWELL を知らないと作成出来ないアドレスなのですが、ある日誤送信としか思えないメールが。

 記録全てとっておけばよかったんですけど完全削除してしまったので思い出しながら書いてみます。一人でも多くの方が騙されないように。

 最初のメールは

 「○○について確認したいことがあるんですが、鳴海さんからこのアドレス送ってもらったんでmailしました。」と言ったもの。

 不審に思い「鳴海さんてどなたですか。お間違えではありませんか。」ととりあえず返信しました。メールアドレスの打ち間違いなんてないでしょう、さあここからです。いやいやこういった手口を考える人は心理戦にも優れていますね。

 その時点でブロックしておけばよかったんですけど。なんとそれから頻繁にメールが来るように。適当に返事しているうちに(これが良くなかった)携帯が壊れて修理に出しているので会社の携帯を借りてメールしていたら社長にばれて携帯を取り上げられた。(スマホとは書いてなかったような気が)

 次は、チャットへ招待しておいたのでそちらで連絡すると。さあ、今度はどんな手を。

 チャットと言っても何やらどこで運営しているのかも怪しいやつ。そこにいろいろな写真が添付されておくられてきます。冒頭の写真もその一つ。「男性が見て抱きたい体に見えますか。」と来たのでこちらはあらん限りの○○な文面で返しておきます。まあまともな女性だったら顔を赤らめて二度とこんな男にメールはしてこないであろうと思われる文面です。(改めて自分がこんな文章を書けるとは、やっぱり私は品性下劣な人間だった。)

 ところが翌日、何事もなかったようにまたチャットが届きます。こちらは禿げて(まだ完全に禿げてはいませんが)デブで(デブまでは進んでいません、下腹が出ているだけです)助平な年寄りなのでもう連絡よこすのは止めなさい、と。

 それでも「そんなの関係ないです。」なんて文面が来ます。

 おまけにこんな写真まで添付して。いよいよ確信です、これは怪しいサイトで文面は男が書いている。最初の設定からして北海道生まれですといい、どちらにお住まいですかと聞いてきたので酒田市だといえば、現在庄内町に住んで居る、会いたいと。庄内町にグラビアモデルを養成する事務所なんかありません。

 いい加減うるさくなってきたのでチャットが来ていますという通知のメールをブロックしたのですが毎回送信元をどうするのだかブロックをすり抜けてくるのです。おまけにデビューが決まったから何日に会えないかと。

 どうやって金にするのだろうとそこで手口を調べたところ、この先にマネージャーと称する女性が登場し、チャットしているのが会社にばれた、会社は異性との交遊が禁止されているけど私が仲を取り持つ、とか何とか云ってポイントをクレジットで購入させる、という筋書きのようです。詳しく解説したサイトがあったのですが今日見たら閉鎖されていました。

 もうこれ以上は面倒です。

「そろそろマネージャーの登場ですか。これ書いているのは男性でしょう。今まで楽しませてもらいました。」と送ったらそれっきりパタリ。チャットへもアクセスできなくなっていました。

 チャットのサイトはhttp://whim-w.net/、「whim(ウィム)」というサイトで「日本人を相手にするいサイトなのに海外登記になっている時点で確実に違法業者です。それはなぜかというと、国内に会社を置くとすぐに掴まってしまうからです。」ともう一つの説明サイトにありました。

 二日ほど相手して遊んでみましたが皆さんは止めましょうね。時間の無駄です。本当は何か期待したんだろうって?こんな会ったこともない年寄りに執拗に会いたいなんて連絡よこす女の子なんているわけがありません、詐欺以外ないです。

 そういえば女性から「会いたい」なんて何十年も言われたことがないし、これからも絶対ないでしょうねえ。淋しい人生ですね。

 それにしてもメールアドレスはどこから流出するのでしょう。メールアドレスが漏れているか調べることも出来るのですが結果は漏れていないと。でも実際は漏れ申したーっ。


変わった稚児車

2023年08月22日 | 鳥海山

 以前紹介した稚児車の写真、この写真を見た、いつも高山植物の写真を撮っている方からこんな花びらは見たことがないと連絡が来ました。

 写真撮った時は変わった花びらだなあ、と言った程度だったのですが日時、場所、株数、等々記録しておけばよかったです。記憶ではこれだけだったような。場所は河原宿の先だったような気がします。いろんな本をみてもこんなギザギザなのは見あたらないです。どなたかご存じないでしょうか。

 もう一つ、稚児車、「チングルマ 花穂(かすい)」でGoogle検索すると私のこの写真がトップに出てきました。

 稚児車は花も花穂も紅葉もどれも素敵です。紅葉の時期になると登山者もまばらになり山は人のうじゃうじゃいる時には見せない姿を見せてくれます。


虹鱒 Rainbow Trout

2023年08月20日 | 鳥海山

 鳥海山から流れ出る月光川、牛渡川でも虹鱒が観測されたことがあるとはびっくり。牛渡川も丸池様に観光客がごちゃごちゃ来るのでめったに行きません。

 虹鱒はもともと日本にはいなかった魚。明治に輸入されたそうです。県内で養殖はしていますが放流はされていないらしい。ということは逃げ出したもの?

 「庄内淡水魚探訪記」この本に詳しく出ています。

 その中の一文、


 土手には子供の背丈ほどの草が茂っており、その中に踏み固められた登り口が付いていた、ここに来 るとそれまで話しながら歩いていたた仲間達は、一斉に土手の上を目指して駆け上がった。土手の上に立つ と黒川の王祇橋から羽黒橋に続く赤川と、背後にそびえる月山の偉容が目に飛び込み何か言いようの知れない大きな感動と解放感が胸に広がるのだった。 


 この「何か言いようの知れない大きな感動と解放感」こそが一番大事な感覚でしょう。

 さて虹鱒と言えば宮沢昭のアルバム「BULL TROUT]

 高校時代友人の家で酒を飲み煙草を吸いながら聴いたアルバム。曲はBULL TROUT、BROWN TROUT、AYU、RAINBOW TROUT。

 飲みながら感激に浸っていると猫がズボッと障子を破って闖入。

 一番好きなAYUです。


行者嶽鐡梯子

2023年08月19日 | 鳥海山

 「絵葉書で見る蕨岡口登拝道」の下書きの一部として練習で書いてみます。

 今回もいつもの太田宣賢「鳥海山登山案内記」から

行者嶽ぎやうじやたけ岩頭がんとうえん小角おづぬ道路みちとほしたる紀念きねんとして自其かたちきざみしたるものなりと傳ふ風雨蝕あめかぜしよくして古香高こかうたかし此より左折させつ鐵梯てつてい千歲せんざいたにくだれば陰崖いんがい幽暗ゆうあんひとをして悚然しようぜんとして毛髮もうはつ竪立ちよりつせしむ仰見あふぎみ一帶いつたい新山しんざん雄大豪宕いうだいごうとうとして巨嚴聳きよがんそびえて萬丈だんぢやう絕壁ぜつぺきつく大石陷たいせきおちいりて千仭せんじんたに異樣殊態いやうしゆたい形容端睨けいようたんげいすべからず

 上の絵葉書は大正七年以降昭和二十年までの間に発行されたものです。白装束の道者も昭和三十年以降は見られなくなったようです。なお千蛇谷は古来千歳が谷と呼ばれており、それが大正期には千者谷、その後千蛇谷と変わっていきました。

 画像にもある鉄梯子、いったいいつごろからあったのでしょう。大正二年発行の「鳥海山登山案内記」にも鉄梯子が載っています。いつかけたのか、その後かけなおされたのか、その辺の記録は未見です。それにしても錆びてボロボロにもなっていないしこれだけ長持ちしているのは不思議なものです。

 まだ行者嶽から新山へ行くことが出来たころ。行者嶽からはわずか500m、10分で山頂小屋に着いたのでした。

 鉄梯子、鉄の手摺を使って子供らも歩きます。

 ※子供たち、と現在は言いますが本来は達は 高貴な人にしか用いず、正しい用法としては「ら」なのだそうです。

 行者嶽から新山への道の崩壊はまた聞きするところによればそれはすさまじいものだったそうです。七高山の方も崩落するのはそれほど遠い将来ではないでしょう。

 これは写真家の佐藤要さんから送っていただいた行者嶽の鉄梯子の画像です。この鉄梯子はそれほど古くなさそうですね。

 こちらは小さな鉄梯子。湯ノ台から沢追分を登り横堂へ行く途中にあります。

 


太陰暦太陽暦

2023年08月18日 | 兎糞録

 処暑も近いと言いながら暑さの収まる気配は全くなし。トンボも未だ山から下りてきません。

 暦と言えば、「年の暮れの三十一日だ」「一年は三百六十五日もあるのだから」なんて時代小説が出てきたらそれは歴史に無頓着な人が書くもの。太陰暦に三十一日はありませんし太陰暦の一年は三百六十五日ではありません。

 12月14日になると赤穂義士の討ち入りの日だ、なんていう人もいるけれど、それは旧暦での話。新暦では1月30日です。ついでに桜田門外の変は万延元年三月三日ですが新暦では3月24日。

 この暦で不思議なことが。今まで気にも留めずに幕末の外交の話を読んでいたのですが。例えばオールコック「大君の都」アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」等々。

 当時の欧米の外交官が幕府の要人と打ち合わせするとき、日付はどのようにしていたんでしょうね。外交官は太陽暦、幕府は太陰暦、それじゃ話はつじつまが合わなくなる。イギリスがグレゴリオ暦に改めたのは1752年になってからだそうですから幕末の百年ほど昔ですね。そうすると外交官の暦は太陽暦。これらに関して書かれたものは和暦、西暦表記方法を決めて書かれているようですけれど太陰暦と太陽暦を用いる人がどのように日程の打ち合わせをしたかについては書かれていないようです。もちろん研究者ではありませんので多くの文献に目を通しているわけでないので偉そうなことは言えませんが。でも気になりますね。