タイトルは取ってつけた卑俗なものですが中身は最高に面白いです。山に対する畏敬の念い溢れています。
「けいずる」「くら」が昔からの意味で使われているのもすごいです。
こちらも最高に面白い。
タイトルは取ってつけた卑俗なものですが中身は最高に面白いです。山に対する畏敬の念い溢れています。
「けいずる」「くら」が昔からの意味で使われているのもすごいです。
こちらも最高に面白い。
採餌中の熊さんは熊鈴、ホイッスル無視。そういえば森林で仕事する方はやまへ入る前に爆竹を鳴らすといっていましたが近所のホームセンターでは獣用の爆竹は前に置いていたけど売れないので置かなくなったといっていました。
【閲覧注意】クマの音対策。1番効果があるのはどれ?熊鈴、ホイッスル、爆竹、ロケット花火、サイレン、絶叫
昔栄えた港町、今では風力発電で雇用の確保などと断末魔の雄たけびを。市長選挙に立候補するものなくありきたりの公約しか出せないものが無投票で就任、情けなや。今や市長職は副市長の再就職先となっています。議員も老後資金を得るためのただの職業となっているんでしょうね。安芸高田市長のような若くてやる気のあるものが出てくれませんかね。
遊郭などというと眉をひそめてそんな物は歴史から抹消してしまいましょう、なんて人もいるでしょうが歴史は今の物差しで評価してはいけません。そういうことをするものを無知なものと言います。
さて、この遊郭に関する写真は数枚しか残っていません。これより先遊女は出てはならないという郭門標というものがあったのですがそのことを説明している写真が一枚だけ残されています。
「ふるさとの思い出写真集明治大正昭和酒田」に掲載してあります。キャプションは「両側の石門は遊郭との境で、遊女はここを出ることを許されなかった当時の門である。」として石柱だったことがわかります。賑やかそうなのはこれが大正天皇の即位を祝う御大典の時の写真だからです。現在どうなっているかと言えば、
写真右角とその向かいに石柱がありました。もう一か所の郭門標は場所はわかりますがそれらしき痕跡も何もありません。
右手の手前には何度か紹介した割烹はら別館。
かつてはこの屋上で宴会も行われたそうです。
坂道を下ると既に誰も済まなくなった建物が。これを遊郭の貸座敷越後屋と勘違いしている方もいますがこれは明治から続いたそば屋さん。牧野屋。最後のころはお婆さんと其その娘さんでやっていました。出前の注文が来ると娘さん、と言っても年配の方ですが、歩いて配達です。ある方が蕎麦に卵を追加で入れて、と出前を注文して届いた蕎麦の代金に卵の文を渡すとその手をやんわり握り、「こんなはいなです」(この分のお金はいりません)。そのそばを注文した方も最近見かけなくなったと思ったら近所の方曰く、施設に入ってもう自分の名前もわからなくなってしまったと。バリバリ働いた人でしたけどねえ。
実際の越後屋はいつの間にか更地に。
欅づくりの立派な建物でしたが建材がどこかで再利用されることを願います。
おまけに
「酒田美人 常磐家 金彌」とありますが母親の生家芸妓置屋常盤屋の芸妓さん。
はい、美人も今の物差しで測っては、
ここは観光資源と呼べるものは取り立ててないのですが鳥海山はまあ定番と言いますか。昨日も日和山公園行ったらいまだに「おくりびと」なんて作り話を売り物にしていましたから。
公封と書いてありますが素性は不明。
酒田の松林。
酒田港の工業地帯。
この画像見た方から「ゆったりした感じですきだわ。」とありました。確かにそうですけど縁もゆかりもない人がこの絵葉書を送られて、「行ってみようか」とはならないでしょうね。絵葉書はそこへ行ったことがある人が買い求める程度で観光客の誘致には役立たないでしょう。
もっともこういうものが残っているおかげで自分の住んでゐる所の過去を知ることが出来るのですけど。それは感謝。
思い出写真館
薊坂を下る途中のすれ違い、こちらは明日は仕事で山を下らなければならないけれど彼女らはこれから山頂か、いいなあ。もう一度戻りたくなってしまったある日の夕方。
そいえばオウム真理教が世間を騒がせていた頃、薊坂を登るおばさまの集団、マントラを唱えながら一歩一歩。そのマントラは、「痩せるぞ、痩せるぞ。」