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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

☆ 波動が違うと・・(ツイテナイことがツイテルことに♪)

2016-12-12 | 日記
室内でも寒さが身に沁みるようになってきましたね。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、私は先日墓参に行って来ました。

今日はその時の「ツイテナイ体験」で得た「氣づき」について書きます。

長文ですので興味の無い方はスルーしてくださいね♪

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いつも行くのは私の郷里の実家の墓ですが、今回は亡娘の祖父母方のお墓に参りました。

大阪府下ですが、遠くは金剛山にまで繋がる飯盛山の麓辺りにその墓はあり、近くにはOO霊園があります。


十数年ぶり?ぐらいに行ったのですが、人々の意識というか、波動がすっかり違っていることを、その日の体験から感じました。

駅前の花屋さんは昔と変わらぬ場所にありましたが、墓花はとても高くお店のおばさんも商売氣たっぷりでした。

(お墓のあるお寺でも花は売られているのですが)ここで買ったのは手持ちの「グリーンカード」を使おうと思ったからなのですが、このお店では残念ながらグリーンカードの扱いがありませんでした。

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駅前のタクシーは小型が無くて(駅裏に行くと小型も時々来るそうですが、表のロータリーでは中型がほとんどということでした)、お墓のあるお寺まで千円で行くというので乗ったのです。

実は、駅からそのお寺まではバスが出ているので、最初はバス停に行ったのですが、今はコミュニティバスに変わっていて、私の降りたいバス停には市営バスは停まらないということでした。
そしてそのコミュニティバスも駅裏から出ているというのです。

駅裏に行くにはとても遠回りになるので、荷物も多いし、ともかく早く行きたかったのでタクシーにしました。
(花屋のおばさんも、「そのお寺なら千円もかからない筈」と言っていたからです)



すると、運悪く渋滞にひっかかり、運転手さんが千円では無理と言い出したのです。
私は小銭が千円しか無かったので、「では千円のところまで行って降ろしてください」とお願いしました。

運転手さんは「横道を通って行く」と言って急に違う道へと車を走らせました。
(元々その道を通れば空いていたのに?と私は少しは道を知っているのでふと疑問に思ったのですが)

そして、もの凄い坂道のところで、突然に降ろされ、「ここからもうすぐそこだから、、」と。

ところが、昔は大した距離では無いと思えたその道が、歩けど歩けどお寺はかなり遠くて、駅からはほんのちょっぴりしか来ていないので、

「はは〜ん、これはタクシー代をボラレタのかも!?」とやっとわかったのです。

乗った時から(目的地が近いところなので)運転手さんは嫌な顔をして、「墓参ですか」と言ったきり、私が話しかけても口もきかず、かなり愛想が悪かったのです。

「あ〜ぁ、昔はもっと親切だったのになぁ〜よほど売り上げを上げたいのだろうな〜 仕方無いよね、稼ぎも大変なんだろうナ」と、「舐められた自分」に半分肚を立てながらエッチラオッチラ坂を上って、やっと目的地に辿り着きました。

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帰りは下り坂なので、バスに乗りました。

幸いにもあまり待たずにバスが来たので、乗り口で整理券を取って乗りました。

その時の番号は3番だったので、表示を確かめてずっとそこを見つめながら料金分の小銭を掌に握りしめていました。


そして降りる時にその料金を払うと、20円不足だと言われてびっくり!!

その番号通りの料金なのに??と思って不思議な顔付きをしていたら、運転手さんが「それは1番の料金」と言ったので二度びっくりしました。

いつのまにか料金表示の仕方も変わったのでしょうか?

まさか、バスの運転手さんが間違った金額を言う筈も無いし、、、ね。


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そんなトホホの連続ながら、やっと駅に着き、時刻掲示板を見ると、今度は私の乗る予定の電車があと30分以上も待たないと来ないことがわかったのです。

「そんなに待つのかぁ〜」(かなわんな・・)と思って、それじゃあ、ついでに隣の駅まで行って時間つぶしに喫茶店にでも入って休憩しようと思い付きました。

もちろん水筒に入れたお茶は持参していたのですが、もう冷めてしまっていて、お昼ご飯も食べていなかったので何かあったかいものが欲しかったのです。

(そこは昔私たち家族が住んでいたことのあるところで)隣の駅近くには私の好きなレストランもあるので、わざわざそこまで、(ホームにちょうど停まっていた反対方向行きの普通電車に乗って)行ったのです。

すると、そのレストランでは惜しいことにランチタイムがちょうど終わったところでした。
(手作りのお惣菜で玄米ご飯のとても美味しい店なのです)

それで、豆乳とケーキのセットを頼みました。
そしたら、以前はとても美味しかった筈のケーキも豆乳もなぜかあまり口に合いませんでした。

私の味覚が変わったのでしょうか?

あるいはもしかしたらお店の経営者が変わったのかも!?

以前は女性ばかりでしたが、今は男性が厨房に立っていました。


そして、他にはお客さんが誰も居ず、がら〜んとしていて氣の沈んだような印象を受けました。

店の隅っこには近くのお店のオーナーさんたちが何人か集まっていて、(年配のおばさんばかりでしたが)何か会議?をしている様子でした。

その声があまりにも大きいので、筒抜けで聞こえて来たのですが、ほとんどが自分たちの店で働いている従業員の態度の悪いことを嘆き、自分たちオーナーに対する相手からの「感謝の足り無さ」の話題で盛り上がっていました。

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たまたまであれ「そんな話を聞かされるはめになる」ということは、理由はわからないけれど、私もおそらく「それを聞く必要があるのだろうな〜」と思って耳を傾けつつ、心の中で(その話が早く終わるように)お祈りをしていました。

それでもあまりにも居心地が好く無いので、洗面所だけ借りて、豆乳も半分残したままお店を出ました。

しかしそのままではどうも氣持ちが重たいので、通りすがりの八百屋さんで大好きな漬け物を買い、それから駅前で「たこ焼き」を買って
(なぜか私のミニリベンジ!?はいつもささやかな「たこ焼き」です)、、、

またしてもなかなか来ない電車を待ちつつホームでたこ焼きをほおばりました。
(電車は事故のために遅れがあったようでした)


そして粉のゆる〜いたこ焼きを食べながら、またしても、「昔はもっと美味しかったのにな、たこ焼きって、外側がカリッてしてて、中がほんわりしてるからこそ美味しいのに、今は外皮もどこもみんなゆる〜いのはどうして!?」「それに青のりもかかっていないし」と、心の中でぼやきながら・・。

おまけにようやく辿り着いた自宅で、お漬け物(たくわん)を味見すると、かなり塩っぽかったので、今も水にさらしてから食べています。

そんな「ハズレ」ばかりで、皆さまもここまで読んでうんざりされた?ぐらいに、その日は私にしては珍しく? これでもかというぐらいに「ツイテナイ」ことの連続の一日でした。


でも、それでよかったのです! それこそが正解だったのです!!

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なぜなら、もしもその日、花屋も運転手さんも親切で、料金はおまけしてもらえ、電車はタイミング好く来て、たとえ隣町に寄り道したとしてもレストランではバッチリ美味しいランチが食べられ、お漬け物も最高の味だったりしたら!?


そしたら私はもしかしたら、「やっぱりこの町はいいなあ!!」と勘違いして?
もう一度その町に住んだかもしれません。


私のイメージの中では、それまでその町はずっとそんな好い想い出のまま、変わらずに心の中に残っていたからです。


でも、実際はそうでは無かったのです!!!

町も人々も変化し、古い「記憶」だけが私の中に残っていたのです。



今回はそれを修正するかのように!?タクシー料金はぼられるわ、花代は高いわ、バス代だって追加料金が必要だったということは、例えばこの町で暮らすと「高く付く」(エネルギーが出ていくばかり!?)ということを教えてくれたのかもしれません。

塩っぽかった豆乳やお漬け物、ゆる〜いたこ焼きもみんな、その町は「私の口には合わない」(波動が違う!?)ということを伝えてくれていたのでしょうか、、。


「そんな甘いもんじゃ無いよ」(しっかりよく見て目を覚ましなさい)と。

「もっと氣の引き締まった、清々しい、人々の意識の高いところに住んだ方がいいよ」と、私のガイドさんやハイアーセルフさんが私の氣持ちを切り換えるように手伝ってくれていたのかもしれません。

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このことの真実はわかりませんが、私は自分なりに「そんなふうに考えることが出来た」ので、(たとえそれが寓話の「すっぱいぶどう」のキツネのような合理化だとしても)この日の「ツキの無さ」が、逆にとてもありがたく思えたのでした。

その町にはその町の波動にふさわしい人たちが集まっていて、人の悪口で盛り上がり、またそれを楽しむ人が居て、それもまたそれでいいのです。

ただ、自分はもう二度とこの町に憧れることも無く、また来ようとも思わないし、「引っ越すならここでは無いな」ということがよくわかったのです。


要するに体験自体には好いも悪いも無く、その起こった出来事を自分自身がどう考えるか、どう解釈するか、

そしてそこから何を学ぶか、その体験をどう思うかが大事ということではないでしょうか?
皆さまならどんなふうに感じられるでしょうか。


例えばなぜかあまり好い事が続かない時、人は「ツイテナイのはご先祖に守られていないからか?」と氣にしたり、自分を責めたり、氣分が沈みがちになったりしますが、大丈夫!!!

「これは何を教えてくれているのか」と、好い面を探すと、必ず出て来ますから。

そしたらそれでよかったのだとわかり、その体験を出来たことに感謝の氣持ち♡ が湧きますよ。


私もこのことで、ブログのネタが出来たし、万事めでたし、めでたし☆


「ツイテナイ話」を最後まで読んでくださったあなたは、ツイテル、ツイテル!?


本日も遊びに来ていただきありがとうございました。




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