連日のあまりの暑さに日中は部屋に居られず、図書館やイオンの中の本屋へ避暑に。。
そこで見つけた『サイコパス』(中野信子著/文春新書)。
もうブームはとっくに過ぎて話題に遅れ過ぎですが、
私はこれまでなぜかあまり興味が無く読む氣になれなかったのですが、
もしかしたら、「これを読むと涼しくなるかも?」と思って、手に取りました。
そしたら、想像していた程では無くて、かと言って熱くなるというのでも無く、
何かが少々物足りなく感じました。
それでも、その中で、いくつか印象に残ったところがありました。
下記、その一部を抜粋引用します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第4章 サイコパスと進化 P159
(前略)
サイコパスにとっては、生きやすい時代が長く続いてきたのです。
さらに言えば、普通の神経ではとてもつとまらない仕事は、いつの時代にもあります。
冷徹さを求められたり、一瞬でも冷静な判断を失ってはならないものであったり、
どんなに請われても他人を信じたり隙を見せてはまずいような仕事がそれにあたります。
そうした作業は、サイコパスには適性があります。
神殿巫女のように、複数の男性と性的な関係を結び、確信に満ちた御宣託(ウソかもしれないけれども)をのたまうことで、共同体の運営を円滑にするような仕事もありました。
現代の基準からするとその形態は不道徳な乱交であっても、それが本人を含めた共同体全員の利益となるのであれば何の問題もないわけです。
サイコパスが必要とされる状況は、昔も今も確実に存在するのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記のこの記述には私は少し違和感(異和感)を感じました。
何の裏付けも参考資料の掲載も無く、注釈も無くいきなりこんなふうに書かれると、
まるで「神殿巫女」全員があたかも「サイコパス」であったかのような!?
飛躍した表現に少々疑問を感じました。
中にはもしかしたらそういう巫女もいたかもしれないけれど、逆に男性と交わることで能力が落ちるので、生涯独身のままでいたということも多かったのではないかと思うからです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第5章 現代に生きるサイコパス P197
< サイコパスと信者の相補関係>
サイコパス自体だけでなく、サイコパスの餌食になる人も、なかなか興味深い存在です。
サイコパスのウソや奔放な性関係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ続ける人が少なくありません。
自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったりしても信者であり続ける——
不思議な話だと思いませんか?
実は、人間の脳は、「信じる方が氣持ちいい」のです。
これもまた、集団を形成・維持する機能の一つと言えるかもしれません。
人間の脳は、自分で判断をおこなうことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っています。
これは認知負荷と呼ばれるものです。
また、「認知的不協和」という現象もあります。
人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、
その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだすことが知られています。
簡単に言えば、いったん「これは正しい」と思い込んだことが後から「間違っている」と証拠を突きつけられた場合、
人間の脳は「言い訳」の理屈を考え出し、何とか間違いを認めずに済むようにしようとするのです。
(中略)
「信じるな」「目を覚ませ」と諭すのが、本当にその人にとって良いことなのかどうかもまた悩ましい問題です。
人間の一生は無限に続くわけではなく、私たちはそれぞれに有限の時間しか持っていません。
そうした有限の時間を過ごすにあたって、信じてお金や時間を投じてしまった過去の自分を否定させることは、
あまりにも酷なのではないでしょうか。
(中略)
サイコパスは、「信じたい」という、人間の認知のセキュリティホールともいえる弱点を、巧みに突く生存戦略を取っている存在とも言えます。
(中略)
サイコパスが指導者として信者たちに対し「自分は被害者で、一部の者が私を貶めようとしている」という陰謀論を主張すれば、一定数は信じ続けてしまう環境が整っているのです。
いったん信者たちから搾取できる宗教的な構造や、ファンコミュニティをつくってしまえば、
外から何を言われようが、完全に崩壊することはまれだといえるでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この章は大変興味深い示唆に富んでいて、とても参考になりました。
「マインドコントロール」にかかった信者がその宗教から抜けた後も「依存体質」をなかなか卒業できないのも、それなりの理由があるのだと解りました。
また、『老人が「後妻業の女」に転がされる理由』(第3章 P200)というところも、読んでおくと役立つかもしれません。
「人間の脳は、齢をとるほど人を疑いにくくなる傾向があるのです」と著者は説明しています。
ドーパーミンの分泌量とも関係しているようです。
関心を持たれた方はぜひこの章だけでも(立ち読みで?)目を通されるといいかもしれません。
あるいは図書館でじっくり読まれるのもいいかもしれません。
私自身は「買う程でもなかったかな、、」というのが正直な感想ですが、その次のページには
「サイコパスとは恋愛できるか」という項目もあり、さすがに話題になっただけのことはあると思いました。
以上、遅ればせながらの所感です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本のことはさておき、身近かなところでは、私はもっと「コワイこと」がありました。
たまにはご飯も食べないと、、と、近頃ずっと麺類やパン食が続いていたので、久しぶりに玄米を焚こうと
米びつのふたを開けたら。。。
ギャァ 〜〜〜〜〜〜〜〜 何ということ!!!
中にたくさんの「蛾」!?が飛びまわっていたのです!!!
人生、ほんとうに突然何が起こるかわかりませんね。
この暑さですから。。。どうか皆さまもお氣をつけてお過ごしくださいね♪
本日も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少しは汗が引いて涼しくなられましたでしょうか?
次回はもっと楽しい話を書きますね♪
そこで見つけた『サイコパス』(中野信子著/文春新書)。
もうブームはとっくに過ぎて話題に遅れ過ぎですが、
私はこれまでなぜかあまり興味が無く読む氣になれなかったのですが、
もしかしたら、「これを読むと涼しくなるかも?」と思って、手に取りました。
そしたら、想像していた程では無くて、かと言って熱くなるというのでも無く、
何かが少々物足りなく感じました。
それでも、その中で、いくつか印象に残ったところがありました。
下記、その一部を抜粋引用します。
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第4章 サイコパスと進化 P159
(前略)
サイコパスにとっては、生きやすい時代が長く続いてきたのです。
さらに言えば、普通の神経ではとてもつとまらない仕事は、いつの時代にもあります。
冷徹さを求められたり、一瞬でも冷静な判断を失ってはならないものであったり、
どんなに請われても他人を信じたり隙を見せてはまずいような仕事がそれにあたります。
そうした作業は、サイコパスには適性があります。
神殿巫女のように、複数の男性と性的な関係を結び、確信に満ちた御宣託(ウソかもしれないけれども)をのたまうことで、共同体の運営を円滑にするような仕事もありました。
現代の基準からするとその形態は不道徳な乱交であっても、それが本人を含めた共同体全員の利益となるのであれば何の問題もないわけです。
サイコパスが必要とされる状況は、昔も今も確実に存在するのです。
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上記のこの記述には私は少し違和感(異和感)を感じました。
何の裏付けも参考資料の掲載も無く、注釈も無くいきなりこんなふうに書かれると、
まるで「神殿巫女」全員があたかも「サイコパス」であったかのような!?
飛躍した表現に少々疑問を感じました。
中にはもしかしたらそういう巫女もいたかもしれないけれど、逆に男性と交わることで能力が落ちるので、生涯独身のままでいたということも多かったのではないかと思うからです。
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第5章 現代に生きるサイコパス P197
< サイコパスと信者の相補関係>
サイコパス自体だけでなく、サイコパスの餌食になる人も、なかなか興味深い存在です。
サイコパスのウソや奔放な性関係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ続ける人が少なくありません。
自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったりしても信者であり続ける——
不思議な話だと思いませんか?

実は、人間の脳は、「信じる方が氣持ちいい」のです。
これもまた、集団を形成・維持する機能の一つと言えるかもしれません。
人間の脳は、自分で判断をおこなうことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っています。
これは認知負荷と呼ばれるものです。
また、「認知的不協和」という現象もあります。
人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、
その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだすことが知られています。
簡単に言えば、いったん「これは正しい」と思い込んだことが後から「間違っている」と証拠を突きつけられた場合、
人間の脳は「言い訳」の理屈を考え出し、何とか間違いを認めずに済むようにしようとするのです。
(中略)
「信じるな」「目を覚ませ」と諭すのが、本当にその人にとって良いことなのかどうかもまた悩ましい問題です。
人間の一生は無限に続くわけではなく、私たちはそれぞれに有限の時間しか持っていません。
そうした有限の時間を過ごすにあたって、信じてお金や時間を投じてしまった過去の自分を否定させることは、
あまりにも酷なのではないでしょうか。
(中略)
サイコパスは、「信じたい」という、人間の認知のセキュリティホールともいえる弱点を、巧みに突く生存戦略を取っている存在とも言えます。
(中略)
サイコパスが指導者として信者たちに対し「自分は被害者で、一部の者が私を貶めようとしている」という陰謀論を主張すれば、一定数は信じ続けてしまう環境が整っているのです。
いったん信者たちから搾取できる宗教的な構造や、ファンコミュニティをつくってしまえば、
外から何を言われようが、完全に崩壊することはまれだといえるでしょう。
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この章は大変興味深い示唆に富んでいて、とても参考になりました。

「マインドコントロール」にかかった信者がその宗教から抜けた後も「依存体質」をなかなか卒業できないのも、それなりの理由があるのだと解りました。
また、『老人が「後妻業の女」に転がされる理由』(第3章 P200)というところも、読んでおくと役立つかもしれません。
「人間の脳は、齢をとるほど人を疑いにくくなる傾向があるのです」と著者は説明しています。
ドーパーミンの分泌量とも関係しているようです。
関心を持たれた方はぜひこの章だけでも(立ち読みで?)目を通されるといいかもしれません。
あるいは図書館でじっくり読まれるのもいいかもしれません。
私自身は「買う程でもなかったかな、、」というのが正直な感想ですが、その次のページには
「サイコパスとは恋愛できるか」という項目もあり、さすがに話題になっただけのことはあると思いました。
以上、遅ればせながらの所感です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本のことはさておき、身近かなところでは、私はもっと「コワイこと」がありました。

たまにはご飯も食べないと、、と、近頃ずっと麺類やパン食が続いていたので、久しぶりに玄米を焚こうと
米びつのふたを開けたら。。。
ギャァ 〜〜〜〜〜〜〜〜 何ということ!!!

中にたくさんの「蛾」!?が飛びまわっていたのです!!!

人生、ほんとうに突然何が起こるかわかりませんね。

この暑さですから。。。どうか皆さまもお氣をつけてお過ごしくださいね♪

本日も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少しは汗が引いて涼しくなられましたでしょうか?

次回はもっと楽しい話を書きますね♪