台風が近づき、今はもう雨風がだんだん強まって来ています。
皆さま、台風の進路にお氣を付けてどうかご無事にお過ごしくださいね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ブログでもご紹介しましたが、昨夜(13日)は、スピテレビに101キャンドルの龍樹さん、境大雅さんたちが出演されて、とてもいいお話がありました。
その番組の最後に、龍樹さんが韓国語で『 君は愛されるために生まれた 』という賛美歌を歌われ、その歌声と歌詞やメロディーの素晴らしさに感動!
じっと聴いているとなぜか涙が出て来ました。
きっとそこに込められた平和への願いや「愛」が胸に伝わって来たからだと思います。
その番組の後、早速にネットでその歌を検索。下記の動画を見つけました。
もしよかったらぜひ一度聴いていただけたらうれしいです。
☆ 「 君は愛されるために生まれた 」 (韓国語 ルビ入り)
言葉や国は違っても、人の想いや深い願いはみんな同じなんですね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
明日(15日)は終戦記念日。
戦争が終わったのに、(牢獄で生きていたにも関わらず)解放してもらえず、放置されて死んでしまった詩人の尹東柱さんのことを思うと、
ほんとに私たちはどれだけ謝っても謝り足りない氣がします。
なぜか理由はわからないけれど、私は昔から韓国、北朝鮮、そして中国という国が少々苦手で、
それはおそらく私自身の過去生において、あまりにも過酷な体験をしたからではないか?と想像しています。
例えば纏足とか、身売りされたとか、虐待されて育ったとか、孤児だったとか、
極貧の生活を送ったとか、、そういう氣がして、想像するだけでも心身が萎縮するような傷みや苦しさを感じるのです。
全く何の根拠も無いことなのですが、だから慰安婦にされた女性たちのことも、それはまるで私自身のことだったかのようにも思えるのです。
そして不思議なことに、私の周囲の人たちは、例えば中国語を習っている人たちや、韓国が大好きでよく旅をする人とか、向こうの国のアーチストたちと長年交流を持っていたり。。
シニア女性映画祭でも台湾や韓国、中国の映画などを上映して紹介したり。。
なので、私も彼女たちと一緒に仲間として、活動を支援したり、ささやかながらカンパしたりして来ました。
また、在日韓国人の知人もいて、その人には広島に住んでいた時に、とっても美味しい料理をご馳走してもらったこともあり、今でも感謝しています。。
そういうわけでご縁は多々あり、交流も続いていたにも関わらず、いつもどこかで「苦手意識」があり、深い関係性を持つことを内心避けて来たところが正直あったのです。
それが、マスターゲート氏に出逢わせていただいたことで、いっぺんに払拭!
また通訳をされていた101キャンドルのリボンさんにもとても親切にしていただき、韓国の美しい景色の写真や蓮の花の写真などをメールで送ってもらったりしているうちに、いつの間にか、韓国語の美しさと共に(彼女の通訳の素晴らしさよって)親しみがどんどん増していったのです。
私は101キャンドルに入会しなかったので、今は残念ながら彼女との交流が途絶えていますが、大変お世話になったことに心から感謝しています。
龍樹さんは、以前「大韓航空」に勤めておられたそうで、そこで韓国語を少しずつ覚えたとおっしゃっておられました。
私も機会があれば韓国語を習いたいと思っていますが、
まずはこの歌を練習して、韓国語で歌えるようになりたい🎵です。
11月には「日韓の女性アーチストたちの交流十周年を祝う記念の展覧会」が京都である予定です。
その時までにはマスター出来ているといいなと楽しみにしています。
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話は変わりますが、25年前の松本サリン事件で(被害者であるにも関わらず)犯人扱いされた「河野義行さん」のインタビュー記事を朝日新聞(2019年8月3日・朝刊)で読みました。
その記事のタイトルは「許せるものですか?」
彼は「人は間違うもの」と言い、妻をサリンの後遺症で亡くしたにも関わらず、オウムへの恨みや憎しみは無いと公言されているのです。
そして教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語られたとか。。
これほどひどい目に遭い、人生をすっかり狂わされ、犯人たちをどんなに憎んでも憎みきれない筈なのに、どうしてここまで許せるのか?
河野さんは特に何かを信仰しているとか、クリスチャンとかというわけでもなく、ごく普通の人が、こんなにも大きな許す力をどうやって持てるようになったのか?
彼は「恨んで憎んでもいいことはない」「ある意味、これは損得の問題」と言っておられるけれど、その深い心境や心情は、未熟な私には到底理解出来難いことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『10年に1回ずつ、自分はこれで死ぬのだなと思う体験を重ねて来たせいかもしれません。
10代のときは破傷風を患って、20代と30代ではそれぞれ大きな交通事故で。
40代ではサリン事件で。』
『 事件前の元氣だった家族に戻りたい、と願うことはできます。
でもどれだけ誰かを恨んでも憎んでも過去は変えられません。
ならば人生の時計をちゃんと動かして前に歩いていった方がいい、と私は思いました 』
私は、河野さんが語られた言葉をその新聞記事から抜粋してかいつまんで書いているのですが、
ぜひ全文を読んで欲しいです。
これまで読んだ中では最も感動した素晴らしいインタビュー記事でした。
私は自分が誰かを恨みたくなったり、もしも憎んでしまったりした時には、何度でもこの彼の言葉を読み返そうと思います。
「人はここまで人を許すことが出来るものなのか」と知ったことは、これ
からの人生を生きていく上で、どれだけの勇氣と希望を私に与えてくれたことでしょうか。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」を読んでくださってありがとうございます。
皆さまの上にもどうか「希望の光」がたくさん降り注ぎますように。。
河野義行さんという尊い存在に、そしてこのインタビュー記事を書いてくださった記者の方に心から感謝致します。
最後に日本語版の歌も下記にリンクします。
もしよかったら一緒に歌ってくださいね🎵
☆ 「君は愛されるため生まれた」(日本語版)
皆さま、台風の進路にお氣を付けてどうかご無事にお過ごしくださいね。。
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ブログでもご紹介しましたが、昨夜(13日)は、スピテレビに101キャンドルの龍樹さん、境大雅さんたちが出演されて、とてもいいお話がありました。
その番組の最後に、龍樹さんが韓国語で『 君は愛されるために生まれた 』という賛美歌を歌われ、その歌声と歌詞やメロディーの素晴らしさに感動!
じっと聴いているとなぜか涙が出て来ました。
きっとそこに込められた平和への願いや「愛」が胸に伝わって来たからだと思います。
その番組の後、早速にネットでその歌を検索。下記の動画を見つけました。
もしよかったらぜひ一度聴いていただけたらうれしいです。
☆ 「 君は愛されるために生まれた 」 (韓国語 ルビ入り)
言葉や国は違っても、人の想いや深い願いはみんな同じなんですね。。
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明日(15日)は終戦記念日。
戦争が終わったのに、(牢獄で生きていたにも関わらず)解放してもらえず、放置されて死んでしまった詩人の尹東柱さんのことを思うと、
ほんとに私たちはどれだけ謝っても謝り足りない氣がします。
なぜか理由はわからないけれど、私は昔から韓国、北朝鮮、そして中国という国が少々苦手で、
それはおそらく私自身の過去生において、あまりにも過酷な体験をしたからではないか?と想像しています。
例えば纏足とか、身売りされたとか、虐待されて育ったとか、孤児だったとか、
極貧の生活を送ったとか、、そういう氣がして、想像するだけでも心身が萎縮するような傷みや苦しさを感じるのです。
全く何の根拠も無いことなのですが、だから慰安婦にされた女性たちのことも、それはまるで私自身のことだったかのようにも思えるのです。
そして不思議なことに、私の周囲の人たちは、例えば中国語を習っている人たちや、韓国が大好きでよく旅をする人とか、向こうの国のアーチストたちと長年交流を持っていたり。。
シニア女性映画祭でも台湾や韓国、中国の映画などを上映して紹介したり。。
なので、私も彼女たちと一緒に仲間として、活動を支援したり、ささやかながらカンパしたりして来ました。
また、在日韓国人の知人もいて、その人には広島に住んでいた時に、とっても美味しい料理をご馳走してもらったこともあり、今でも感謝しています。。
そういうわけでご縁は多々あり、交流も続いていたにも関わらず、いつもどこかで「苦手意識」があり、深い関係性を持つことを内心避けて来たところが正直あったのです。
それが、マスターゲート氏に出逢わせていただいたことで、いっぺんに払拭!
また通訳をされていた101キャンドルのリボンさんにもとても親切にしていただき、韓国の美しい景色の写真や蓮の花の写真などをメールで送ってもらったりしているうちに、いつの間にか、韓国語の美しさと共に(彼女の通訳の素晴らしさよって)親しみがどんどん増していったのです。
私は101キャンドルに入会しなかったので、今は残念ながら彼女との交流が途絶えていますが、大変お世話になったことに心から感謝しています。
龍樹さんは、以前「大韓航空」に勤めておられたそうで、そこで韓国語を少しずつ覚えたとおっしゃっておられました。
私も機会があれば韓国語を習いたいと思っていますが、
まずはこの歌を練習して、韓国語で歌えるようになりたい🎵です。
11月には「日韓の女性アーチストたちの交流十周年を祝う記念の展覧会」が京都である予定です。
その時までにはマスター出来ているといいなと楽しみにしています。
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話は変わりますが、25年前の松本サリン事件で(被害者であるにも関わらず)犯人扱いされた「河野義行さん」のインタビュー記事を朝日新聞(2019年8月3日・朝刊)で読みました。
その記事のタイトルは「許せるものですか?」
彼は「人は間違うもの」と言い、妻をサリンの後遺症で亡くしたにも関わらず、オウムへの恨みや憎しみは無いと公言されているのです。
そして教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語られたとか。。
これほどひどい目に遭い、人生をすっかり狂わされ、犯人たちをどんなに憎んでも憎みきれない筈なのに、どうしてここまで許せるのか?
河野さんは特に何かを信仰しているとか、クリスチャンとかというわけでもなく、ごく普通の人が、こんなにも大きな許す力をどうやって持てるようになったのか?
彼は「恨んで憎んでもいいことはない」「ある意味、これは損得の問題」と言っておられるけれど、その深い心境や心情は、未熟な私には到底理解出来難いことです。
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『10年に1回ずつ、自分はこれで死ぬのだなと思う体験を重ねて来たせいかもしれません。
10代のときは破傷風を患って、20代と30代ではそれぞれ大きな交通事故で。
40代ではサリン事件で。』
『 事件前の元氣だった家族に戻りたい、と願うことはできます。
でもどれだけ誰かを恨んでも憎んでも過去は変えられません。
ならば人生の時計をちゃんと動かして前に歩いていった方がいい、と私は思いました 』
私は、河野さんが語られた言葉をその新聞記事から抜粋してかいつまんで書いているのですが、
ぜひ全文を読んで欲しいです。
これまで読んだ中では最も感動した素晴らしいインタビュー記事でした。
私は自分が誰かを恨みたくなったり、もしも憎んでしまったりした時には、何度でもこの彼の言葉を読み返そうと思います。
「人はここまで人を許すことが出来るものなのか」と知ったことは、これ
からの人生を生きていく上で、どれだけの勇氣と希望を私に与えてくれたことでしょうか。。
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本日も「光のチャレンジ」を読んでくださってありがとうございます。
皆さまの上にもどうか「希望の光」がたくさん降り注ぎますように。。
河野義行さんという尊い存在に、そしてこのインタビュー記事を書いてくださった記者の方に心から感謝致します。
最後に日本語版の歌も下記にリンクします。
もしよかったら一緒に歌ってくださいね🎵
☆ 「君は愛されるため生まれた」(日本語版)