通夜、告別式、そして法事と木曜日から3日間連続で礼服を着ましたが、暑い中での黒い服はかなり苦痛でしたね。
穿きなれないストッキング(私の場合は薄めのタイツ)を長時間穿き続けているのが一番苦痛でした。今の季節、うっかりすると蚊に刺されるし。
さすがに昨日、法事が終わって帰宅してからは、ほっとしたためか疲れたためか、ミスを立て続けに3つ、やらかしました。
焼香用の香炉をひっくり返して、残っていたお香と灰を畳の上にぶちまけてしまったし、夕食時、温め直していた味噌汁のことを忘れて焦げ付く寸前にしたり。あとひとつは何だったか
忘れてしまいました・・・・・・
6年前、義父が亡くなった後の法事に比べると、それだけ歳をとったし、今回は不祝儀続きという特殊事情もあったから、疲れ方が段違い。
まず、兄の葬儀について。
以前書いたかどうか覚えてはいませんが、義姉はいわゆる新興宗教のような団体(義姉は宗教ではない、と言っているようですが)に入っています。
今回の兄の葬儀も、その団体の教義に基づくやり方で執り行われました。
参列した兄の友人ふたりの他は、私たち親族、そして残りはその団体に所属する人たち。
通夜式の前に、式場の職員から焼香手順を説明されたときにも、よくある仏教の作法とはかなり違っていて面喰いましたし、式に入ってからも見聞きするものほとんどが初物の
連続で。
元々実家は浄土真宗のお東さん。でも兄には戒名もないんです。
全く違ったやり方の通夜式を見ているうち、なんだか両親をはじめとした実家の祖先たちのことを全否定されたような気分になってきました。
途中、隣に座っていた次姉が私の腕を叩いて小声で「私、今きっと目が(怒りで)吊り上がっていると思う」。う~ん、確かに。マスクをとったら、きっと口角だだ下がりだろうなぁ。
と言う私もきっと、目はすごく怒っていたと思います。小さいのでわかりにくいけど(苦笑)。
通夜式が終わって次姉夫婦と食事を共にしたのですが、怒りでカリカリしていた次姉はしゃぶしゃぶの特上肉のコースを選んで、「当てつけてやる!」とひと言。
義姉の入っているその団体では、ヴィーガンほどではないけれどみんな菜食主義者。その他に葱の仲間のものは口にしない。
殺生はしない、という教義だからというのがその理由だそうですが、私に言わせたら野菜を食べるのだって命をいただくには違いないんじゃないの?というところ。
相方と私は姉のカリカリのおかげで滅多にいただけないお肉を食べられて、次姉もおいしいものをいただいて怒りもだんだんと落ち着いたので、和やかに食事を楽しめました。
翌日の葬儀もやっぱりそんな感じで、火葬の後に初七日法要、なんてこともなくそこで解散。
昨日は義母の忌明け法要で、へんてこりん?な葬儀のあとで聞く「いつもの」お経が、とても心地よく感じられました。
法要のあと納骨も済ませ、帰宅後はご近所に香典返しをお届けして全部終わってやれやれ・・・と思っていたら、昨夜義姉から、納骨について日程調整の問い合わせの電話がありました。
それが終わったら本当に義姉たちとは疎遠になるんだろうな。
信教の自由はそれを保障する、という憲法の言葉もありますが、義姉が何を信仰しようとそれをどうこう言おうとは思わない。
ただ実家全体を巻き込むのはやめて欲しかった。
実を言うと、あれほど嫌がっている次姉も、若い頃義姉に言われて幼い子どもたちを連れて話を聞きにいったことがあったそうなんです。
次姉は私と違って外面がいいので(笑)、そんな頃はあまり深く考えもせず行ってしまったようなんですが、どうやら両親も、そして兄も生前一度だけ行ったことがあるそうな。
話を聞いただけで求道した、とみなされるらしいんです。
そりゃあどこかの教団みたいに高額な寄付を迫られる、またはぼったくられることはないけれど、私なら絶対嫌。
私も義姉に誘われたことが一度ありました。ずいぶんと昔の話ですが、誰かに強制されることが何よりも嫌いなので、きっぱり拒否しました。
それ以降一度も言われないところを見ると、こんな不心得者を誘うのはやめようと思ったのかな?
おそらく兄は、先が長くないこともわかっていたはずで、だから葬儀についても義姉たちのやりたいように、と話していたのかもしれません。
そしてそうすることによって、義姉たちと次姉や私との関係が冷え切ってしまうこともわかっていたのでしょう。
兄にとっては、残された家族の幸せが一番大事だったはずなので、まぁ妹たちよ、ごめんね、くらいなところかしら。
さてこの一週間、普通に家にいることが全くありませんでした。なので家の中が荒れています。
疲れはまだまだ残っているけれど、ぼちぼちと片づけていこうと思いますが、こうして愚痴を書き出すところがあって本当にありがたいなと思います。ブログ様々だわ。