昨日買い物から帰ると、ポストの中に郵便物と一緒に不在連絡票が入っていました。
見ると、送り主が高山市役所。義母の戸籍だとわかりました。今日あたりに到着かと思っていたので、早いな、とも。
送るのも返送もレターパックライトにしたのが早さの要因だと思います。料金不足の心配もしなくていいし、手渡しで受け取れるのも安心。再配達の手続きをして、午後受け取りました。
戸籍を確認すると、かなり分厚い。数えたら7枚もありました。戸主(このあたりが古さを物語りますね)は義母の伯父にあたる人物。
義母の父親、つまり相方の祖父は男ばかりの8人兄弟。その8人を産んだ相方の曾祖母もまだ戸籍に載っていたのだけれど、生まれが慶應となっていました。幕末の年号見たのは初めて。
8人兄弟はもちろん、兄弟の中にはその連れ合いや子どもも記載されている人もあったので、この枚数になったんですね。
記載されている中には、私が知っている人も何人もいました。もちろんまだ生存している人もいます。
こうして古い戸籍を見ると、手書きだし旧い漢字で書かれていたりすることもあってかなり読みづらいですが、なかなか面白いなと思います。それは今年、実家の片づけのときに
出てきた父の戸籍謄本を見たときにも感じたこと。
義母の伯父や叔父の連れ合いがどこから嫁いで来たかとか、義母が生まれた場所は今の地名だとどこあたりになるのかとか。
一番不思議に思ったのは、その戸籍の戸主にあたる人物も弟である相方の祖父や他の弟たちとほとんど同時期に名古屋へ転籍していること。
その長男は戸籍を岐阜県から異動させた形跡とか話を聞いたことがありません。普通なら息子が親元を離れてとなりそうなところなのに、親のほうが出たことになります。
そのあたりの事情を知っている可能性があるのは、近所に住む義母のいとこくらい。でも8人兄弟の末っ子の第二子の彼が知っているか、聞いていても覚えているか・・・
とにかく必要な戸籍は調いました。後は銀行の残高証明書を出してもらって、それから土地の名義変更や遺産分割協議書の作成と遺産分割。
問題なのは相続税がかかるかかからないかぎりぎりという遺産の総額と、土地の扱い。
共有名義にするつもりでいましたが、司法書士にそのことを話すと、後々になって、つまり私たちや義弟の子どもの代になってから揉める元になる可能性があるから、あまりお勧め
しないと言われました。最後の手段くらいにしたほうがいいとも。
前にも書いたかもしれませんが、義母名義の土地はちょっと面倒なんですよ。2か所で合わせて75坪ですが、うち50坪は今私たちが住む家のあるところ。もう1か所はトラックを
駐車するスペースと仕事用の物置などある土地の半分。もう半分は相方名義で各25坪。
土地を全部相方名義にして、その分義弟にお金で払うという方法がありますが、それは財力のある人の話で。とても土地分のお金は払えない。義母の預金だけでは到底足らないし。
それに私は土地よりお金がいい、という現金派。大地主で不動産で駐車場とかアパート経営でもするのなら土地でごはんが食べられますが、うちの土地ではそれは無理だもの。
そんなことをあれこれ考えていたら、昨夜は寝そびれてしまいました。寝付いたのは午前1時近くだったでしょうか。
なんで相続人でもない私がこんなに悩んだり心配しなきゃならないのよっ!!
この問題はもう少し時間がかかりそうです。せっかちな私にとってはかなり長く感じられそう。
そういったことでバタバタしていて気づいたら、このブログ開設から6600日を過ぎていました。今日で6603日なんですって。もっとも空白期間が長いけど。
空白期間の後復帰してからでも4年は経っています。前回のラグビーワールドカップのことも記事に書いていますから、なんだかすごく時間の経過が早いなと思わずにいられない。
明日明後日は畑へ行く予定。次の更新は土曜日です。