食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

イエスは史上実在したのか

2011-12-20 07:52:25 | 聖書


西暦はご存知の通りイエス・キリストの誕生年を紀元にしている。しかしキリストの生年は計算と微妙にずれておりBCかACかはっきりしない。生まれた年も月も分からない。その事自体が神話の世界の住人である事を象徴している。

近代に入りイエスの歴史性を確保しようとする運動が広まると、神学界はたちまち迷宮に入り込んでしまった。イエスの実在を示す史料が(新約以外に)見付からなかったのである。1世紀近辺の文献は豊富にありシリアの総督がBC9からサトゥリヌス、AC6から『ルカ』にも記載のあるキリニウスに替わった事は複数の史料から確認できる程なのに、イエスに関しては歴史的実像を映す瑣末な伝承さえ出て来なかった。 
史的イエス - goo Wikipedia


飢えたる者数千人へ給食、死者の蘇生まで行い熱狂を集めた人物が? 民間伝承一つ残っていないとは如何なることか? しかしキリストの行った奇跡のうち先行する異教のミトスに記されていない物は無かったのである。イエスという名称自体、旧約のホセア書、ヨシュア記にも共通するありふれたヘブライ人の原型的英雄の名だった。 YHVShVa (主は救い:イェシュア=ヨシュア=ホセア)

僅かな史料
タキトゥス(55-?)
 「それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストス信奉者」 と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストスなる者は、 ティベリウスの治世下に、元首属史ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。」 (『年代記(下)』 国原吉之助訳)
ローマ初見の史料。又聞きの形で信頼性は薄い。先輩歴史家によるイエスの同時代史料は存在しない。

ヨセフス(37-100) 「彼は奇跡を行う者であり、… 多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。 彼こそはクリストスだったのである。 … すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者達は、これらのことや、 … それが実現したのである。」 (『ユダヤ古代誌六』 秦剛平訳)
ヨセフスはユダヤ戦争にも参加したユダヤ教パリサイ派の歴史家。1世紀末に激しく対立していたキリスト教への好意的な文章を書くとは考えづらく、聖書の横領集団に「神の預言者」とお墨付きを与えている表現も不自然で当該部分は"後世キリスト教徒の改竄・加筆"が通説になっている。

処刑人ピラト
ピラトに関する様々な伝承が伝えているのは、彼が福音書の姿とは異なる悪政を欲しいままにする冷酷な反ユダヤ主義者であったことだ。イエスの死後もピラトは暴れ続け殺人事件を契機にユダヤ人の直訴で解任されているが、彼が神の子の処刑について記憶していた節を示す物は何もない。

十字架刑
ローマ法に抵触していないイエスが最も残酷な十字架刑を課せられたのは少し不自然な感を抱かせる。十字架刑は通常数日間掛けて殺し死後4日程は見せしめにされる国事犯向けの刑だがイエスは数時間で死に磔台から降ろされている。 刑罰の一覧 - Wikipedia

原罪救済論
パウロの唱える"
原罪"はユダヤ教の概念とは少し異なる。原罪とは人間の努力で動かせない性質の本質的規定でありそれで人間的向上を諦めろという話でもなければ、神が処方箋を充てて解決する問題でもない。事実イエスの血が流れてもキリスト教徒は考えられない腐敗・悪徳に浸かりながら今日まで生き延びて来た。イエスの死が人類史上役立った事など一度としてない。

捧げ物(生贄)だけで契約が完全になる論理も持たないユダヤ教では
原罪に応じて救世主を派遣した神は聖書の神ではあり得ないとする(2体目の神)。ユダヤ教徒のイエスに問い合わせてもキリスト教神学は詭弁・意味不明の塊だろう。

ガリラヤの説教団
パレスチナ周辺を記録していた約40人の著述家は最低1年以上活動していた筈の13人の集団、その大評判のリーダーが無実の罪で処刑される一大イベントも全く記録していない。

12人を連れながらの奇跡・説教はミトラス神話との完全な相似があった。実はキリストの生誕時に贈与される
東方の3賢者による黄金・乳香・没薬(『マタイ』のみの記述)。これらはミトラスの神話と完全に一致している。もし現在までキリスト教とミトラス教が共存していたら?酷い宗教性脳炎が世界を覆うこともなかっただろう。

死海文書
死海文書は戦後イスラエルで発見されたクムラン宗団の巻物群。この前1世紀頃の古文書から、新約聖書の教義、イエスの説教が発見された。エッセネ派との類似項が多いこのユダヤ人一宗団の文書はキリスト教の誕生に幻惑的な光を当てている。 死海文書

イエス自然死説
イエス自宅で死亡説は複数の証言がある。初期の教団にとってオマケでなければならなかった復活話(当時の教会はキリスト教と多神教との接点の多さを知っていた)は世界を霊・肉の二元に分け「霊の肉体からの解放」を喜ぶグノーシス派(異端)に好まれむしろ厄介な代物になっていた。異端問題に手を焼き『異端反駁』の著作がある2世紀の正統派教父エイレナイオスは遂に告白している。
「イエスは自宅で老衰して死んだ」



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全ての証拠を考慮すれば、現代に語られるイエス・キリストとみなしうる人物は歴史上一度たりとも存在し得なかった。十字架、埋葬、復活を始めとしたナザレのイエスを囲む歴史のイベントは過去に存在した神話達と何ら変わりない。

50年代のパウロ書簡に呼応するように帝国の大規模弾圧は現れ、以降の福音書・手紙は吹けば消えるキリスト教存亡の危機感を基に作成されている。宣教のキリストという生存に有利なイエスの形態も強めて行くべき背景はあった。

「人の子は三日の後に甦ります」(マルコ10:34)とあれば現実世界の正しいイエスの言行録ではなく神話とアニミズムを混合した小説(宣教用)として書かれている。イエスは死後ローマの神群入りを果たしたと考えれば、1世紀に誰一人イエスを知る者がいなかった事態はあまりに自然な状況なのである。





キリスト紀元後の世界
最初期において人間だったイエスの半神的側面は多くが後付けの虚構だろう。西暦30年代のユダヤ世界では「ユダヤ人殺しのピラト」は問題になっていたが 「神の子殺しのユダヤ人」騒動が起きていた気配はない。

ユダヤ人はキリストを虐めて殺していない可能性があるのだ。欧州で幾たびのホロコーストの片棒を担ぎ続けた処刑物語が「実はウソでした」などと、今更誰がどの面下げて言えるのだろう?



無制限の肉身の快楽(物質欲、食欲)、無制限大量殺戮、無期限の搾取と飢餓 キリスト教徒半狂乱の歴史は人間の責任を減少させ差別心を育む新薬聖書というドラッグ+人間性を壊す肉食の所産だというのは個人的な信念である。

霊・天使・奇跡とまるで精神分裂病の世界を鵜呑みにする事が、一つの宗教に肩入れした神という危険な幻覚を起こし世界は排他的に集束された僅か一本の真理の道を握る選民達のやりたい放題の地上地獄に陥れられた。

人類が救いどころか余計に苦しんだ現実は救い主がでっち上げだった事実を証明する。今イエスから歴史の鎧を外してやることが大切だ。それは絶えざる紛争の種、地球上の誰も見ていない一地点で何のニュースにもなっていない一人の男の処刑を“神の愛”などと言い張る奇態な苦行から人類を解放するだろう。

  「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」 ジョン・レノン

画像出典:Church of the Flying Spaghetti Monster







 
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