食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

史実ではないキリスト教 2

2011-12-31 02:02:36 | 焚書/解体


スフィンクスは東側を向き何千年も昇る太陽を眺めている。古来最も太陽に畏敬の念を集め無数の太陽神を生み出したのは古代エジプト人だった。天文学と占星術から始まった膨大な伝承説話の一つで、後の時代に誤って一人の男の伝記へ転化されたと目される伝説について少し検証して行きたい。
http://freett.com/wolf_man/mcr/mokuji_eg.htm
>キリスト教ではイエス キリスト教では聖母マリア キリスト教ではヨハネ キリスト教ではラザルス

 
名前 ホルス(Horus:ギリシャ語)
ホル、ヘル、ハル(
Hor, Heru, Har:エジプト語) 
別名:ユー(イウ)
イエズス(ラテン語) イイスス
(ギリシャ語) ジーザス(英語)
イェシュア(ヘブライ語)
父親 オシリス (太陽神、農耕神) ヤーウェ (設定上)
母親 メリ (Meri マリー、マリア (Mary
義父 セブ、ゲブ、Seph=『エジプト死者の書』 ヨセフ (Joseph
養父の血筋 王族の子孫 ダビデの子孫
受胎 処女懐胎。天使による受胎
告知
処女懐胎。天使による受胎
告知
誕生の告知 シリウス星(明けの明星) 東方の星
誕生地 洞窟 馬小屋 (『ルカ』)
誕生日 12月21-22日(冬至点)に出生が賛美された。 12月25日。異教徒の祭日に合わせて定められた。
誕生の目撃者 羊飼い 羊飼い (『ルカ』)
次の目撃者 3人の太陽神 3人の賢者 (『マタイ』)
出生直後の危機 へルートはホルス暗殺を試みた ヘロデはイエス暗殺を試みた
この危機
への対応
神が母親に『女神イシスよ来たれ!汝を汝の御子と共に隠せ!』と伝えた。 天使が父親に『起きなさい!そして幼児と母親を連れてエジプトに逃げなさい!』と伝えた。
(『マタイ』)
成人式の
年齢
12歳 12歳 (『ルカ』)
人生で不明の時期 12歳から30歳 12歳から30歳
洗礼の場所 エリダヌス川 ヨルダン川
洗礼の年齢 30歳 凡そ30歳 (『ルカ』)
洗礼者 アナプ ヨハネ
洗礼者のその後の運命 斬首 斬首

名前:"イエス"は簡略名。 受胎物語:マリアの受胎告知の原画はキリスト教に先行すること1700年、アメンホテプ3世が建設したエジプト・ルクソール神殿の壁画に描かれ現存している。 3人の太陽神:狩人オリオンの締めるベルトの三ツ星。 暗殺の危機:蛇のへルートがホルス暗殺を試みる。ヘロデ王の命令は常識的には考え辛いもので福音書が無責任に実在の人物を神話的脚色に使用している可能性が指摘できる。 成人式:ホルスは12歳の時に闇の化身セト(叔父)に傷付けられていた目が回復した。ホルスの目(ウジャトの目)は叡智と健康の象徴として護符、タロット、米ドル紙幣など様々な場所に刻印されている。数字の12は"完成"を表す。


イエスかキリストか

この話は一体いつ紛れ込んだのか- 原始段階のイエスとは、ヘブライのメシアというよりはほぼモーセ同様の新しい神の言葉を預かった者=預言者―それは確実に人間―だった。

ユダヤ教におけるメシアとはもっと力強い、偉大な政治的指導者を指したので、大した運動も起こさずローマ帝国に虫けらの様に殺されたイエスは決してユダヤのメシアたり得なかっただろう。

キリスト教が
メシア教(ヘブライ語)ではなくキリスト教(ギリシャ語:クリストス)として始まっている点は重要である。これこそ内部の亀裂から生じ、外部(ギリシャ語圏)に拠点を求めた人々がイエスに“救世主”の像と役割を与えながら、新宗教を広めて行った証跡ではないだろうか。パウロは“キリスト”の語句を書簡で200回以上用いながらも、生身の“人間イエス”に関しては全く知らなかったかのような口ぶりである。まるで霊的で精神的な、まだ名も実績もない救世主の像を語らっているかのようでもある。


“キリスト殺しのユダヤ人”
暴君ピラトが、あろう事か一部の宗派では列聖されている。福音書が書かれ始めた頃すでにキリスト教は
帝国の統治を乱す異分子と見なされつつあり、イエスに対し恩赦的にローマの役人を描く必要性はあった(十字架刑は謀反人向けの刑罰でもあったので)。しかしそれ以上にこれは当時の対立状況を反映した描写だと言える。

ピラトでないなら何がイエスを処刑させたのか? ユダヤ人だ。1世紀末→2世紀前半…と福音書が新しくなるにつれピラトは善人になり、ユダヤ人は獰猛さを増していく。

『マルコ』に書き足した『マタイ』ではピラトの妻、『ルカ』ではヘロデを登場させ
畏れ多い神の子殺しのユダヤ人を演出している。最も新しい『ヨハネ』ではピラトはイエスを赦そうと懸命の努力をする。

こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人達は激しく叫んで言った。(ヨハネ19:12)
「その人の血は、私達や子供達の上にかかってもいい。」(マタイ27:25)


こうした不当な脚色は明らかな虚構だが、不幸にも中世以降のユダヤ人大迫害に根拠を与え続けた。農地も定職も持てないユダヤ人はキリスト教で禁止されていた金融業を選択する他はなく、財産没収を兼ねた国外追放・虐殺の横行に苦しめられた。ナチスの暴挙もカトリックの伝統的なユダヤ人嫌悪が結実したものだった。

1世紀に徹頭徹尾ユダヤ教的であった筈の宗教が、何故僅かな期間に激越な反ユダヤ主義へ変貌を遂げたのか? それはイエスを外へ持ち出したキリスト教の発明者達が、反ユダヤ的な力であった事の証左なのだ。彼らがキリストの像を作り、余計な脚色をしたのではなかったろうか。

 

欧米のサイトでは勿論この盗作説を拒絶するキリスト教徒も見られる。だが意外な事に、すぐに白旗を揚げ好意的に受け取る姿勢も目立っている。現代の欧米は聖書を高等批評にかけるなど妥協なき西洋人の真価をもって現実を捉えられているのは好ましい事だと思う。血が流れ過ぎた今、聖書を歴史として解釈する事には何の意義も見出せない。

画像出典:Ancient Egypt Online






 
コメント (7)
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