たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

教育勅語と日本人 <最近話題の「教育勅語」肯定論は… >を読んで

2017-03-30 | 教育 学校 社会

170330 教育勅語と日本人 <最近話題の「教育勅語」肯定論は… >を読んで

 

今日は終日麗らかなそよ風とほのぼのとする暖かさに包まれて、のんびり過ごすにはいい日でした。でも私の方は腱鞘炎の再発に怯えつつ、少しずつ作業をして、どうも頭も働かず鈍い状態で作業も進まず、疲れる一日でした。なんとか腱鞘炎の再発はあと一歩のところで踏みとどまっている状態で、以前の痺れがでてきています。

 

作業が遅れてしまい、気づいたらもう業務終了時間。頭は重いのに、昨夜の夕刊に掲載された見出しの記事を思いだし、今日も600字程度を目標に簡潔に書いてみようかと思っています。

 

以前、森友学園の幼稚園で教育勅語を暗誦・唱和させていることについて、少し言及した記憶があります。その後読んでいないのでおおよその記憶しかありませんが、おおむね、教育勅語自体は明治天皇の思想性が表れていること、それを研究したり、場合によっては暗誦することも、意義のあることといった趣旨を述べたような思いがあります。

 

毎日の見出し記事では、教育勅語の内容の一部を取り上げ評価する政治家等がいることについてその本質を見誤っているといった趣旨で問題にしています。たとえば<教育勅語が出た翌年、1891年に出版された解説書「勅語衍義(えんぎ)」>について、<勅語の読み方を詳述したもの>で、<明治天皇も「天覧」し、教育勅語が国民に何を求めているかを説明した事実上の「公式教科書」として扱われた。>として、その内容を取り上げています。

 

要は、儒教的な思想を具体的な内容としつつも、究極は天皇主権を基軸にして、すべての臣民がことあれば天皇を中心とする国家に奉仕することを内容とするというものでしょうか。

 

おそらくそのような理解が戦前の歴史的事実と符合するのかもしれません。ただ、はたして明治天皇自身がビスマルクや、ヒットラーのような絶対主権者として自分を奉らせようとしてこの勅語を公にしたのかは検討を要するように思っています。

 

明治天皇の人物像については私自身、よく分かっていませんが、ウィキペディアでは、<明治新政府、近代国家日本の指導者、象徴として国民から畏敬された。日常生活は質素を旨とし、どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけ、暑中も軍服(御服)を脱がずに執務するなど、自己を律すること峻厳にして、天皇としての威厳の保持に努めた。>とあります。このような姿勢は、問題はあると思いますが、天皇を崇拝した乃木希典の生き方にも通じるなにかがあるように思うのです。

 

私は非戦論者です。非暴力抵抗こそ私個人の生き方だと思っています。そのような立場からであっても、教育勅語を戦争との関係でどう読むのか、読めるのか、まだ分かりません。

 

この点、明治天皇が自ら権力行使を担おうと思った時期があったかもしれません。ウィキペディアでは<若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。>としつつ、次のように結局、明治憲法上でも権力主体から退いているとも思えるのです。

 

<こうした事態を憂慮した伊藤は、初代内閣総理大臣就任とともに引き続き初代宮内大臣を兼ねて、天皇の意向を内閣に伝えることで天皇の内閣への不信感を和らげ、伊藤の目指す立憲国家建設への理解を求めた。その結果、明治19年(1886年)623日に宮中で皇后以下の婦人が洋装することを許可し、97日には天皇と内閣の間で「機務六条」という契約を交わして、天皇は内閣の要請がない限り閣議に出席しないことなどを約束(「明治天皇紀」)して天皇が親政の可能性を自ら放棄したのである。>

 

明治天皇について知らない人間がその教育勅語の内容を云々するのもなんですが、私自身が興味を抱くのは、現在の家族や政治への姿勢について多くの日本人がとってきた態度について、少なくない人たちが不満を抱き、戦前の何かを回顧する向きがあることです。

 

それは親孝行や家族愛、教育への信頼、さらに進めば愛国心といったことに繋がるのかもしれません。教育勅語の内容はそれらを重要なものとして唱えています。実は明治時代においても、危うい状況であったのではないかと思うのです。だからこそ明治天皇自ら、自分の地位をも含め、日本国民の意識改革を図ろうとしたのではないかと愚考しています。しかし、これらの価値は、倫理的な意味合いでも優先される価値なのかどうか、いま試されているように思うのです。

 

その意味で、教育勅語を若い頃から議論することは意味あることだと思っています。他方で、一方的に押しつけたり、価値の強要をするための道具とするのであれば、毎日記事の論者のように指弾されるべきだと思います。

 

他方で、まったく議論すらしないこと、忌み嫌って内容を議論の対象外にすることは、かえっていま抱えているさまざまな家族間の問題や政治的無関心も含め、問題の本質から遠ざかることになりかねない懸念を感じています。

 

そろそろ痺れ感が強くなってきました。何を言いたいのか分からない状態のままで申し訳ないですし、内容も中途半端ですが、終わりにします。