たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

強者の奢りと品格ある面白さ <アマゾン問題と面白い町構想>2つの記事を読んで

2017-06-02 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170602 強者の奢りと品格ある面白さ <アマゾン問題と面白い町構想>2つの記事を読んで

 

昨夜は久しぶりの雷鳴を楽しむことができました。高台から強い雨足の音に雷鳴が鳴り響くのを聞きながら見ながら、贅沢の雰囲気を味わいました。良寛さんの五合庵やソローのウォールデンの小屋だと、雷雨に打ちのめされそうになるかもしれませんが、いくら強い豪雨が来ても大丈夫という安心感で、自然の猛威(とまではいきませんが)も心地よく感じます。

 

早暁のうちはまだ小降りでしたが、花たちは元気に開花しています。あまり水分が多くなるといけないとは思うのですが、ずいぶん乾燥した土だったので、根が張り、土壌菌が育つには役立つのではと思ったりします。

 

たいして仕事がないようでも、あれこれ用事をしているともう6時過ぎてしまいました。夕方前にそろそろブログのことでも考えようかと思っていたら、境界紛争の相談があり、メール等で送ってもらった図面や写真で説明したり、ネットの登記情報サービスで登記事項を入手したりしていたら、あっという間に時間がたってしまいました。

 

さてこれから本日のテーマを書くわけですが、お題が二つになっています。アマゾンをよく利用しているのですが、そのガリバー型寡占状況を利用した不公正なやり方は無視できません。他方で、人口減少問題は日々議論されていますが、平田オリザさんの意見は咀嚼できていませんが、取り上げてみたいと思い、全く異なる2つの記事、どう切子細工のようにうまく組み合わせることができるか、わかりませんが、書き始めます。

 

アマゾンの事業展開は向かうところ敵なしの状態でしょうか。しかし、本日の毎日記事<アマゾン契約見直し 出品業者に最安値要求 独禁法違反審査、公取打ち切り>は、その強力な市場支配力を利用して好き勝手なことをやっている印象すら感じてしまいます。それはヤマトをはじめとする宅急便業者に対する姿勢でもそうではなかったのかと思うのです。積み替えや配達などしている現場の人たちに、最終的に過重労働を押しつけ、その瀕死に近い状態を見てみないふりをして、成長を続けてきたのではないかと危惧します。

 

さて記事では、<公取委によると、

    アマゾンは自社サイトの電子商店街「アマゾンマーケットプレイス」に出品する業者と契約を結ぶ際、「楽天」や「ヤフー」などのライバル社に同じ商品を出品する場合は同価格とするか、より安く設定するように求める内容を盛り込んでいた。

    また、一部の出品業者との契約では、品ぞろえをライバル社に出品する際よりも同じか、最も多くするように求めていた。

 アマゾンは、出品業者が実際に最安値で、かつ品ぞろえを豊富にしているかどうかも調べていた。取引先に最も有利な価格などで取引するように求める契約手法は「最恵国待遇(MFN)条項」などと呼ばれる。

 公取委はこうした契約が(1)出品者がアマゾン以外に出品することを阻害する(2)競争をゆがめ、新規参入を阻害する--などの恐れがあるとして、昨年8月に独禁法違反(不公正な取引方法)の疑いで立ち入り検査に入り、審査を進めていた。>

 

アマゾンのネット通販事業における市場占有率は飛ぶ抜けていると思います。

記事では<富士経済の調査によると「Amazon.co.jp」のほか、「楽天市場」(楽天)、「Yahoo!ショッピング」(ヤフー)など、国内の主要な五つの電子商店街の15年の流通金額は計3兆5700億円でネット通販市場の半数以上を占める。5社は品ぞろえや集客力を競い、価格競争も激しくなっている。>とアマゾンの具体的な比率は明らかにされていませんが、ダントツではないのでしょうか。世界市場という意味では日本の競合企業は太刀打ちできませんね。

 

ですから、上記のようなアマゾンの取引手法は強者の横暴であり、弱者に無理を強いる取引方というべきでしょう。ネット通販事業は寡占市場になっていると思いますが、公取委が果敢に調査して指導・勧告するのでないと、不公正取引がまかり通り、競争の公正さを保てなくなります。その意味では公取委の調査は的確だったのでしょう。

 

とはいえアマゾンもすばやく対応して法的措置を回避したずるさなのか、賢明なのかは、これからの取引実態を注視していないとなんともいえません。

 

< アマゾンは4月、(1)出品契約で価格と品ぞろえに関するMFN条項を削除し、今後も設けない(2)実施状況を今後3年間、公取委に報告する--などの措置を示した。公取委は「違反の疑いを解消するのに十分」として、審査を打ち切った。アマゾンは「審査に協力する姿勢の一環として契約を見直した」としている。>

 

<多くの出品者と利用者がいる電子商店街で、アマゾンのような巨大企業が常に一番安く、品ぞろえも良好な状態を作り出す仕組みは、商取引を活発にする一方、将来的に競争が阻害される恐れがある。消費者が「他社」を選ぶ動機が乏しくなるためだ。ドイツとイギリスの競争当局も13年に日本と同様の調査を終えており、アマゾンは欧州連合(EU)内の出品者の契約を見直した。>とありますが、将来的にだけでなく、その強権的な取引条件自体が現在の取引業者に無理を強いることになり、ひいては従業員にしわ寄せが来る危険が高いともいえます。

 

むろん低価格を求めたり、品質を一定レベルに確保したりといった条件は一般には競争条件として許容されるでしょうが、市場支配力が強い場合、逆に競争が減退する恐れが高く、やってはいけない取引条件・方法でした。

 

この詳細は公正取引委員会のウェブ上で、<アマゾンジャパン合同会社に対する独占禁止法違反被疑事件の処理について>として、発表されています。

 

さて、もう一時間近くたってしまいました。人口減少問題に対する平田オリザさんの意見は、アマゾンが採用した強者の画一的で強権的な条件の強要という、過去の歴史で繰り返された強者の奢りを感じさせます。ただ、その成果を得て安い値段と素早い配達ということで、その恩恵だけを感じている購入者にとっては、その背後に多くの劣悪な条件をのまされている人の苦境は見えてこないかもしれません。そういう一面だけの幸福を享受していると、栄枯盛衰ではないですが、平家の贅沢の恩恵を受けた貴族たちのようにいずれは大変な思いをすることになるのではと思ってしまいます。ちょっと大げさでしたが、みんなが喜び楽しめる、面白みがある場の提供こそ、いま必要とされているのではないでしょうか。

 

<論点 人口減少>で、<どう備える若者呼べる「面白い」町を 平田オリザ・劇作家>の記事は、そのヒントを与えてくれているように思いました。平田オリザさんの話は時折、TVやラジオで聞く機会がありますが、その真剣さと人間味豊かさにインパクトを感じます。

 

彼は<まず人口が減ることは、ある程度は仕方ないと受け止めるしかない。>といいます。そのとおりではないでしょうか。増えることがいいこと、さきほどの取引量もそうですが、人口については当たり前のようにいわれ続けています。そして人口が減り続けると、町が、村が、あるいは私たちも、まるでなくなってしまうのではないかといった不安感をあおる傾向さえ感じてしまいます。

 

平田さんは、いくつかの人口増に転じた町を紹介しています。それはそれぞれ工夫や努力をすれば、住みたくなる場になるということでしょう。人が少なくなっていることはかえっていろんな新たなやり方を生み出せるのではないかと思うのです。

 

彼が取り上げた例<岡山県北東部にある奈義町は2年前、合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数)2・81という全国有数の高さを記録した。地道な子育て支援に加えて、地域の伝統芸能「こども歌舞伎」など文化、教育活動を充実させることで、若い子育て世代の転入が増えているためだ。>

 

また<「コウノトリの郷」で知られる兵庫県豊岡市のスローガンは「小さな世界都市」だ。世界中の劇団に施設を無償で貸して世界と直結する街づくりを進めるなど先端的な施策を打ち出しており、人口減のスピードが鈍りつつある。香川県・小豆島では、瀬戸内国際芸術祭などを通じて島外との交流が深まり、年200人以上が移住している。>

 

そして<「仕事がないためだ」>とか、<東京から地方に戻らない理由は「田舎はつまらないから」だと言う。>ことについて疑問を呈しています。

 

<IターンやUターンで成功している自治体は、住民が地域の文化や伝統に「オンリーワン」という誇りを持ち、それが地域で育つ子どもたちにも伝わって、「面白い」町になっている。>

 

どう面白くするかについては、

<若い世代が子どものために求める英語、バレエ、ピアノなどのレッスンを自治体が無償提供するといった従来にない施策が必要だ。実際、若い世代はそうした自治体を選び始めている。さらに、若い母親たちが気兼ねなくおしゃべりできるおしゃれなカフェがあれば文句ない。>といいます。

 

 <もちろん、文化だけでは食べてはいけない。増大する社会保障費をどうするのかという問いもある。>という問題についても、<芸術文化が街づくりの「必要条件」になっているのは事実だ。文化がない街は若者にとって「つまらない」からだ。住民が自己決定能力を高め、税金の使いみちを自ら決めることが一つの解決策になるだろう。奈義町では高齢者が自ら相互扶助に取り組み、町内で役割を担い、社会保障費削減を進め始めている。>というのです。

 

文化というのは、言葉遊びではなく、まさに具体的な実践でしょうし、新たな活動を呼び起こし、発見し、いままでにない「文化」という生活様式であったり、賑わい場であったり、するのでしょう。それは究極には、面白い場づくりではないでしょうか。そして誰かだけが楽しみを満喫し、他の誰かが苦痛のどん底にあるのを見捨てたり、無視することとでは生まれない面白さです。なにが面白いか、固定的に考える必要がなく、作り出すものだから、面白くなるのではないでしょうか。私もなにか面白いものをやってみたいとは思います。

 

さてほぼ一時間を過ぎたところです。いつものようにとりとめもない話になりました。いつかこれが実になるような具体の話になるといいのですが。今日はこの辺でおしまいです。