170604 医師への信頼は <医療 若い医師担当、患者死亡率低く・・>などを読んで
昨夜は、女人道を歩いた影響で、筋肉痛などの痛み・疲れがでて床についたのですが、今朝目覚めると、こむら返りもなく、膝の痛みが少し残っているぐらいで、割合調子がよかったので、安心しました。年寄りの冷や水にはならなかったかなとも思ったりしています。
それで早朝から、昨日仕入れた花の苗を次々と植えていきました。宅地造成時の土のままですから、いわゆる締め固めされた状態ですし、そもそも植物が生育できるような土壌とは異なる土、建設残土などですから、とても固いですし、スコップで穴を掘るのも難儀します。土壌改良をした上で植えればいいのでしょうが、ものは試しで今年はどの程度育つかを見てみたいと思っています。それは植物にとってかわいそうではとも思いますが、なかにはすくすくと育つ、悪環境に強いのもあって、その特性をみるのもいいです。また、すぐに枯れても、この花はこういった土に弱いんだなと勉強しながら、取り除くのではなく、枯れた状態でずっとおいておきます。多くは一年草ですので、これで来年は咲くことはないのですが、それも命のあり方の一つと思ってみています。
花が咲いていること、なんども繰り返し咲くこと、それもすばらしいですが、すぐに枯れてしまうことも、また命のあり方として大事にしたいと思うのです。むろん私の無知と努力不足で、より適切な土壌や肥料で長く生かせてあげることができたかもしれないのに、そうしなかった反省は感じながらも、命とは健康とはどうあるのが望ましいかをふと考えてしまいます。
樹木の病気などに対応する樹木医が活躍していますが、花の場合も「花医」といった専門職とまでいえるかどうかわかりませんが、活躍しているのでしょうね。
さて人間の場合は医師が、古代には病気を治す役割を担っていた呪術者や僧侶などから、科学的な知見を得て生物を利用して治療効果のある薬剤を投与するなどして、独自の地位を高めてきたではないかと思うのです。それでも時代の流れは医師の評価にも影響し、医師もまた変わってきたのではないかと思うのです。
漢方が主流だった江戸時代に、独学で蘭学を学び解体新書を翻訳したのは前野良沢、杉田玄白ら若き医師であったかと思います。和歌山では若き医師、華岡青洲が母と妻の協力を得て、世界で初めての全身麻酔で、乳がん手術を成功させていますね。若い意欲・エネルギーといったものは、医療分野でも革新的な役割を担ってきたのだと思うのです。
ところで、毎日記事<医療若い医師担当、患者死亡率低く ハーバード大、年代別に解析>では、<高齢の医師よりも若い医師が担当した患者の方が入院後30日以内の死亡率が低いことが米ハーバード大の津川友介研究員らの研究で分かった。>とのこと。
そして<津川さんは「医療の知識や技術の変化は日進月歩であるため、教育を受けてから時間がたってしまうと医療の質が下がるのではないか」と話している。>
研究成果では、内科疾患の担当医師(ただしホスピタリストと表記しているので、終末期医療を主に担当している医師でしょうか?)の年代別にして、
<入院30日以内に死亡する確率(30日死亡率)は、40歳未満で10・8%、40代で11・1%、50代で11・3%と順に上昇し、60歳以上では12・1%と大幅に上昇した。>とのことですね。
この差はたしかに疫学的なエビデンスにはなるでしょうけど、さほど大きな違いともいえないようにも思うのです。しかもここでは患者側の特性がどの程度バイアスのない、公平なデータ処理をしているのか、この記事だけではよくわかりません。重い疾患で、より高齢の患者がどちらかというと、ベテランという意味、あるいは同世代の医師に信頼感を抱き、担当医になってもらっているといったことがないのか、アメリカの医療制度のことを知らないので、気になります。
とはいえ、たしかに津川氏が指摘しているように、医療分野の知見・技術の進歩は飛躍的ですから、たとえば60代、さらに70代ないし80代の医師になると、PCの検索や画像処理など、技術的な対応や新しい知見の収集には対応できないかもしれませんね。ただし、入院施設のある病院ですから一定の年齢制限があって、70代以上は開業医で医院での医業だけかもしれませんので、60代だけかもしれませんが、60代でも結構きついでしょうね。
そういえば、NHKTVで若い研修医がある症状を発症したシミュレーションビデオを見て、いろいろな検討をして診断・治療方法を指摘し、後で専門医が解説するという内容を何度か見たことがありますが、研修医の判断の鋭さとか、知識の豊富さとか、感心させられます。
津川氏が指摘するように、飛躍的に進化し続ける医療分野の知見・技術をフォローするには、できるだけ若い医師の方がよいということになるかもしれませんね。ただ、その議論を進めていくと、以前もこのブログで書きましたが、AIのさまざまな進化系の合体で、人間以上の視力をもったり、ディープランニングなどによる進化で、AIが人間の医師以上に、患者の状況を把握し、診断し、治療するということが実現することになりかねませんね。
それはやはり違うでしょうね。人を見るのはやはり全体観察も大事ですし、心のコンタクトも不可欠ですね。医師のことば一つで、気持ちが晴れ、同じ治療内容でも改善する効果が大きくなることがあるともいわれていますが、私自身は体験的にもそう感じています。
私の狭い体験ですが、いま割合若手の医師と、ベテランの高齢の医師と二人の治療をうけています。専門が異なることもありますが、ベテラン医師はコミュニケーションを通じてしっかり私の生活全般を把握して診断してもらっているように思います。他方で、若手の医師は治療経過をよく観察し、的確な薬剤投与を医学知見に基づいて行っていただいており、いずれも同じ対応ではないですが、医師として信頼しています。
ま、私の場合終末期医療といった状態ではないですし、入院しているわけではないので、私の経験などはまったく関係ないといえば関係ないでしょうね。でも、若い医師だから、当然に医学的データをしっかり収集し、把握しているかというと、そういう一般論は妥当するのかなと思います。むろん50代、60代になると、新たな知識への熱望が若い頃よりは落ちてくるのはわかりますが、事が患者の生死に関わることであれば、それは必死に追求するのではないかと思います。
ただよくわからないのは、たしかに主治医が決まっているとは思いますが、重大な疾患の場合、カンファレンスなどで共同で検討するのではないかと思うのですが、そうだとすると、年齢による差というのがほんとうに出てくるのか、ちょっと気になります。
むろん最終判断は主治医ですので、研究成果はやはり心にとめておいてよいかと思います。
とはいえ、もう一つの記事の方がわが国では重要ではないかと思っています。<新専門医制度来年度スタート目指す>です。
新制度に賛成の意見と反対の意見があり、いずれも甲乙つけがたい気がしていますが、ただ、現在の専門医と標榜するシステムが的確に機能しているかについては、疑問を感じています。少なくとも現在の制度をより改善する研修システムが必要ではないかと思っています。
こういうと、弁護士なども専門分野を標榜する方向に少しずつ向かっていますが、現在の研修システムではなかなか専門性を評価したり担保したりするには十分でなく、大いに反省しないといけないですし、一般の利用者サイドに立って、わかりやすくする必要があるでしょう。そしてしっかりその専門性を発揮できる能力を獲得した弁護士がそれぞれの専門領域で役立つようにならないと、オールラウンドプレーヤーという昔ながらの方式では、依頼者サービスとしては有効とはいえないように思います。
最後は変なところに議論が行ってしまいましたが、一時間経過したので、この辺で終わりとします。