たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

産廃処理の語り部 <NHK豊島の産業廃棄物 約14年かかって処理完了>を参考にして

2017-06-13 | 自然生態系との関わり方

170613 産廃処理の語り部 <NHK豊島の産業廃棄物約14年かかって処理完了>を参考にして

 

今朝はまだ4時前というのに結構明るく感じたのか、目が覚めてしまいました。そして一時間あまり中島紀一著「有機農業の技術とは何か 土に学び、実践者とともに」を読みました。いろいろと興味のある小見出しがあり、その中の一つ、耕作放棄地を取り上げていたのですが、共感するところがありましたので、紹介したいと思います。

 

農地で言えば耕作放棄地、林地でいえば荒廃した森林、宅地建物でいえば空き家・空き地といった問題が何十年か前から問題提起され、最近次第にその対策強化がクローズアップされていると思います。とりわけ空き家問題は条例を作るなどして地域的取り組みが進んでいるかと思います。私も何度かこのブログかfbで取り上げてきました。

 

この3つの問題のうち、耕作放棄地については土地利用のあり方として私の中にも微妙な評価を抱いてきました。すでに耕作放棄地が近世以前から耕作する農地に有益な機能をもつということで許容されてきたといった識者の見解を紹介したこともあります。また、私が学び習おうと実践したことがある川口式自然農法は、耕作放棄地が化学肥料や農薬が加わっていないため肥沃な土地だとして、不耕起で作物を作っていく舞台にしていることも紹介したことがあります。

 

中島氏は、有機農業を自然農法を含む包括的な概念としてとらえた立場で、耕作放棄地を悪のように取り扱う農水省の対応を問題視しています。農水省は、農地法や農業委員会法等の平成の大改正で、農業委員を中心に、農地視察を強化させ、耕作放棄地を増加を止め減少させるため、あの手この手の手法を制度化してきました。

 

しかし中島氏は、化学肥料や農薬を継続的に投与することにより、農地が劣化するし、生物が生息・生育できない環境となっていくことも懸念しています。この点、耕作放棄地は土地が自然の状態に回復することになり、生物の生息環境としても有益であるというのです。たしかに当地の里山を歩いていると、ウグイスの谷渡りのさえずりがいつまでも続きます。ウグイスは薮を好みます。つまり耕作放棄地がもたらす状態です。ウグイスの縄張りは直径数100mくらいでしょうか。だから現在の里山は耕作放棄地が薮状態に点在しており、散策していると次々と別のウグイスが鳴いてくれ、まるで一緒に歩いてくれているように感じます。化学物質や農薬の有害物質は、GAPルールを守るようになってそれほど使わなくなっていると思いますが、それでも農地や周辺の自然環境には決して望ましいとはいえません。

 

農業とはなにかという中島氏の問いかけもあります。作物だけを生産することが目的とされていますが、そうだろうかというのです。自然生態系の健全な中で私たち人も活かされており、当然、作物もそうだと思うのです。すでに有機農法によって作られた作物は付加価値が高く、多くの支持を獲得してきています。耕作放棄地は、農家が耕作することができなくなった、その意欲がない場合、作業を担う人がいない場合いろいろと思いますが、中島氏は農家だけが農地に携わることへも疑問を投げかけています。耕作放棄地の担い手は多様であってよいでしょうし、利用の仕方も農地法に拘束されるべきかどうか再検討されるじきではないかと思うのです。中島見解と私見とがごっちゃになってきました。

 

余談はこの程度にして、もう夕方5時をすぎていますので、本題に入ります。産廃それ自体が必ずしも問題を起こすわけではありませんが、廃棄する産廃には多様な有害・有毒物質が含まれていることが少なくありません。それは山奥だったり、離れ島だったり、人目につかない場所もあれば、堂々と住宅街のど真ん中に投棄されることもあります。

 

豊島の産廃事件は、瀬戸内海の美しい小島に大量に不法投棄されたものです。今朝の毎日朝刊大阪版に「豊島の産廃 処理完了」との見出しで掲載されていました。また、「139ヶ月91万トンを無害化」ともうたっていました。豊島問題は過去にもなんどか取り上げてきましたので、この処理完了を多くのマスコミが取り上げたからといって私自身はさほどの感慨を抱きませんでした。

 

ただ、その横の記事に見覚えのある懐かしい顔が写っていたので、その人を紹介する中で取り上げようかと思ったのです。ところが、毎日ウェブ情報にはその記事が一切ありませんでした。仕方がないので、NHKの記事を一応(失礼)、引用したのです。

 

このタイトルを没にしようかと思いつつ、懐かしさの方が勝り、やはり取り上げることにしました。その人は六車明慶大院教授です。毎日記事に一応の略歴も書いてあるので、秘密の個人情報とはいえないかと思いますから、その一端を引用すると、984月、東京高裁裁判官から公害等調整委員会に出向され、審査官として豊島問題を一年間担当され、公害調停の成立に努めた後、慶応大の助教授に転身され、研究者の道を現在も続けておられるのです。

 

で六車さんとは、私は裁判官の時、公調委の審査官のとき、そして慶大教授のとき、それぞれの時代に事件などで法廷で、あるいは公調委で、そして研究会など、お会いしたというか、懐かしい方です。そういう柔らかな雰囲気をお持ちの方ですね。

 

とりわけ記憶に残っているいくつかがあります。個人情報になりそうなので、ここはかっとしまして、その後、いろいろありましたが、法科大学院ができるということで、日弁連としてもロースクールの学生向けに「環境法」の教科書を作ろうと勉強会を立ち上げ、原稿が完成しました。こういう出版物でも日弁連の委員だけで編集・校正するのが普通ですが、やはり法科大学院向けということで、研究者に監修を依頼することになり、勉強会でお世話になっていた六車さんにお願いしたのです。その監修というのがすごいのです。一字一句、見事なほど丁寧に読み込み、赤ペンがたくさん書き込まれました。おかげで売れ行きもよかったと思います。

 

六車さんは柔らかな対応ですが、文章に対する厳しさを見ると、やはり中心軸がしっかりしていて、ぶれない強さを感じさせていただき、執筆者全員感謝でした。

 

その六車さんが、豊島問題を「高度経済成長を象徴する紛争」として講義の題材にし、「豊島住民を追い込んだ人の責任は今、どうなっているのかを考えるべきだ」と指摘して、経済成長著しい中国やタイなどの留学生にも熱心に教えているとのことです。東京にいたら三田のキャンパスで拝聴したなと思ってしまいます。

 

ところで、最後に、毎日記事は「無害化」といっていますが、なにをもって無害化といえるかは議論のあるところです。いま豊洲や築地で問題になっている安全のレベル・定義とも関係します。たとえば、Love Canal事件はナイアガラの滝の少し上流で発生した大事件です。ラブさんという方がナイアガラ滝に流れ込むナイアガラ川の脇に運河を作ったのですが、使われなくなった後有害廃棄物(当時は違法とはされなかった・トリクロロエチレンなど多種多様な有毒物質を含むもの)を大量に投棄し埋め立てた後、売却しそこに住宅や学校が作られたのですが、有毒物質が漏出し、大勢の健康被害が発生したのです。あのきれいなナイアガラの滝のほんの数キロ先です。時の大統領カーターが緊急事態宣言を出し、大領の基金をつぎ込み、浄化し、封じ込めたとして、EPAが安全宣言をしたと思います。私がその事務所で封じ込めの断面模型を見せてもらったり、ラブキャナルの現場を訪れたのは93年頃でした。きれいに浄化し封じ込めた、新たな住宅も建てられた、しかしまるで閑散としていました。乗せてもらったタクシードライバーの話だと、政府の言葉は信用できない、誰もここに住みたいと思う人はいないといったことでした。それから20年以上経過していますが、どうなったのでしょうかね。

 

豊島の住民にとって、本当の無害化・安全な島に戻るには、まだ長い道のりが待っているかもしれません。他方で、ラブキャナルでは責任追及は長く訴訟で解決されていませんでしたが、その後どうなったか気になります。豊島の場合もそうですね。最も悪い人は法の穴をよく知っているのでしょう。

 

法には穴がある、からといってそれを利用して大金持ちになったり有力者になっても、どこかの大統領になっても、心の中は悲しいものではないでしょうか。どんどん脱線してきました。そろそろ一時間です。この辺で終わりとします。