たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

岩盤規制の見方 <「相続人一覧」証明 手続き簡略化>を読みながら

2017-06-05 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170605 岩盤規制の見方 <「相続人一覧」証明 手続き簡略化>を読みながら

 

小さな庭ですが、花がその狭い一区画に200以上の花が咲いているので、多少は花壇風になってきたかと思っています。といってもそれぞれの花は4月半ばくらいから植えた程度で、まだまだ大きくなっていません。中には枯れてしまったのもあります。でも株分けしたり、上空にどんどん伸びていこうという元気なのもあって、これから夏にかけて変化を楽しみたいと思っています。また夏になれば夏花が一段と輝くのを楽しみにしています。

 

今朝はある不動産占拠ケースで、堆積した多種多様の物件を撤去し引き渡す約束をした相手方がやってきて、撤去工事の進行表の通り進捗しているか報告を受けたのですが、ついでにその場所の過去の使用履歴とかの話になりました。私は米軍が撮影した戦後直後の航空写真を入手していましたので、ほとんどが紀ノ川の氾濫原で、いまは堤防ができて湿原のようになっている河原も当時は田んぼとして利用されていたことを話しました。

 

当時の土地利用を見ますと、ほんとに隅々まで利用尽くしていた印象です。川があれば河川敷まで、山であれば木々は燃料、肥料、用材など次々に切り倒され裸山に近い状態で、その後はいろいろな作物栽培に利用されていて、それは明治維新当時の風土の豊かさとはまったく異なる状況でした。

 

物事の移り変わりは激しいですので、戦後直後の風景・土地利用を知っている人も、今ではわずかでしょうし、認知症状になっている人もいるため、なかなか土地利用の変遷も理解することが容易でありませんね。

 

現代の土地利用といえば、空き家とか、空き地、耕作放棄地、荒廃森林が話題になりますね。よく問題になる所有者は誰かといった、不動産の所有者捜しは結構やっかいです。相続登記というと、普通の人は簡単に思うかもしれません。そう簡単なのです。だれでもできるのです。普通の家庭であれば。なにをもって普通の家庭というか問題ですが、ま、夫婦子どもがいるそういう家庭でしょうか。仮に父が亡くなっても、その後母が亡くなっても、相続手続きは、もめなければ簡単です。登記手続きも。銀行手続きも。

 

ところが、子どもがいない、親が亡くなっている、しかも大正生まれとかになると、大変です。こういう場合兄弟姉妹が代襲相続しますが、たいていその何人かは亡くなられ、その子が代襲相続することが少なくないのです。そうなると大変です。除籍謄本、原戸籍、戸籍謄本を関係者の分取り寄せしないといけませんが、全国各地、いや外国に居住している場合もありますから、簡単ではありません。そして最近の傾向ですから、甥や姪も結婚・離婚・再婚といったことも当然です。そのすべてを入手するのは一苦労となります。

 

それがたとえば金融資産のある金融機関や、不動産のある法務局が一カ所ならまだいいのですが、何カ所にも分かれていると、それぞれの手続きで原本の返還を受けることができますが、大量の戸籍謄本等をあちこちに提出しないといけないというのも不便きわまりないですね。同じ内容ですからね。

 

これこそ岩盤規制というか、硬直な審査手続きではないかと思っていました。それと比較して、最近話題の戦略特区で獣医学部新設というのが岩盤規制を打ち破るという政府の考え方は、前川氏が合理的に説明している内容と比較して、妥当性を疑いたくなります。

 

で、この相続手続きの「」付き岩盤規制がなんと緩和するのですね。今朝の毎日記事<「相続人一覧」証明手続き簡略化>は驚きました。一番関係する司法書士会あたりから要望したのでしょうか。ともかくこれは便利ではないかと思います。

 

記事は、<新制度は、書類一式と相続関係の一覧図を提出すれば、法務局がその内容を確認したうえで証明書として保管。無料で必要な分の写しを発行する。以後はこの写しを各種の手続きに使うことができる。>とのこと。この証明書は、法務局だけでなく、相続に関係する金融機関、生命保険会社などにも使えるとのこと。

 

で、法務局で確認しました。<「法定相続情報証明制度」について>というタイトルでウェブ上に掲載しています。

 

わかりやすいのが、その中の<法定相続情報証明制度の手続の流れ>です。何を用意して、証明書をどう入手し、どこに使えるかを図式で書かれています。

 

これが裁判手続きではどの程度の証明力をもつかですが、相続登記していれば、相続人の住所・氏名や相続放棄の有無も含め、相続したすべての相続人が特定されているのですから、相当の信憑性をもつでしょうね。というか戸籍代替機能をもつといってもよいのではと思ったりしています。

 

とはいえ、毎日記事や法務局もいっていますが、一度はすべての相続人の戸籍謄本等を入手しないといけないのですから、その苦労は免れませんね。その意味では、死の作法の些末な話かもしれませんが、とりわけ子どもがいない人、両親も亡くなっている人(ご健在でも認知症になっている人も含め)、公正証書遺言くらいは残しておきたいものです。これで死後に残された親族、関係者の苦労を財産の面ではかなり軽減してあげることができると思います。

 

公正証書遺言、あるいは私文書遺言の必要性は、かなり以前から指摘されていますが、おそらく西欧の人と比べて、日本人はこの準備をする割合がいまも相当低いのではないでしょうか。

 

私は財産がないから必要がないといっても、まったく無一文でしたら暮らしていくも大変ですね。小さい自宅一軒あっても、この相続手続きは子がいないと、そして兄弟姉妹が大勢いたりすると、大変です。金融資産もわずかといってもやはり大事ですから、同じ問題が生じます。もめ事を少なくするためにも、公正証書遺言は死に当たってのたしなみの一つではないでしょうか。ま、最低限、私文書遺言でもいいですね。

 

こういう遺言をすると、死を意識するんではと不安がある人とかがいるのでしょうか。私はなんども私文書遺言を書き換えていますが、死の覚悟的な意味合いは多少あっても、書いたからといって死の恐怖なんて襲ってくるはずもないですね。そのときの心の整理にはなるかと思います。心の安らぎなり、整理として活用するのも精神衛生上いいかもしれません。

 

公正証書遺言は、子を含め大勢の相続人がいる場合でも、やはり有効ですね。といっても中には、黙っておられないというか、子どもが尋ねるのでつい漏らすと、今度は不平が出て、何度も書き換えた例もあるので、心優しいというか、多くの財産があって、子どもが多いと悩むかもしれません。

 

こういった遺言書は、最後の後始末の一つですが、より重大な事柄がそれぞれにあると思います。そこが個々人にとって最も大事な最後の決断であり生き方かもしれません。

 

これでだいたい一時間くらいかかりました。今日も頭がぼっとしていて、書いていると少しクリアになるのですが、疲れてきましたのと、夕方の会議までに少しやることがあり、この辺で終わりとします。