170213 親と子の関係性 <NHK シングルマザー・シェアハウス>を見て
最近、イザベラ・バードの「アイヌの世界」に触発されて、アイヌの歴史や世界の先住民族の書籍を4,5冊平行して読んでいます。少し整理できれば、ブログで書いてみようかと思いますが、現代的テーマと関係して着想がわけばと思っています。
その先住民とは直接関係性がない(彼らの共同生活のあり方に未来を示唆するものがあるとは思っていますが)、NHK報道を、昨夜は相対的貧困問題として、今朝はシングルマザーのシェアハウスとして、また、大阪愛隣地区で行われている子どもたちによる夜間の路上生活への支援活動を、ちらちらと見て、なにか感じるところがあり、書いてみます。
昨夜のNHKは<見えない“貧困”~未来を奪われる子どもたち~>というタイトルで、6人に1人の子どもが「相対的貧困」の状態に置かれているとの調査結果を踏まえ、それが見えにくいという点について可視化するために、自治体による全国的な調査が行われ、その一端を具体的な親子の姿を取り上げて放映しています。
その調査は、欠けているものといった問いかけで、膨大な項目について、質問・回答を求めています。そして、平均収入の半分程度200万円くらい?と平均程度の家族とを比較していました(メモもとらずおおよその記憶です)。対象の多くはシングルマザーの家庭です。
興味深いのは、ファストファッションや格安スマホなどでは、半分以上がもっていて、平均との違いがありません。ま、いえば一見、物質的な豊かさがあるように見えるわけです。ところが、食事は外食がなく、一日1000円程度で家族全員分です。衣服となると着古したお下がり、しかも姉のものを弟が着るとか、靴は一足だけとか、戦後初期のような状態ともいえるのです。本も買ってもらえず、叔父が子どもの頃に使ったという40年前の図鑑しかないといった状態です。
そういった内実は物質的な貧困が切実であるうえ、多くはシングルマザーで、しかも非正規かパートのため、二つの仕事を掛け持ちでやっていて、夜7時頃まで仕事して、一旦、帰宅しても夜9時には別の夜間の仕事に出かけるということで、子ども母親と触れあう時間すらない、それでもけなげに母親が一生懸命働いている姿を見て、我慢しているのです。親子の大切な触れあう時間もなく、当然、学校行事などへの参加も母親にはありませんから、子どもは肩身の狭い思いをすることになります。
収入の支援のために、中高生くらいになると、アルバイトをして、家計の支えになって、しかも中には2つも仕事を掛け持つ子もいます。当然、学校へ通学することが大変になり、学校を続けることを悩むことになります。もし退学でもすれば、非正規労働しか道がないかもしれず、負のスパイラルになりかねません。中には、進学に必要な費用を貯めるためにバイトをする子もいますが、安いアルバイト賃金では、最近の高額化した大学や専門学校の学費を支払うには十分ではありません。奨学金制度を利用できる場合でも、入学前に必要な入学金は対象とならず、別に借金をしないといけないことになり、ますます借金地獄に陥る恐れで、進学等を躊躇する、あきらめる実情が放映されていました。
と同時に、本人や家族が貧困を隠すために、教師や周囲の大人が気づきにくいことも指摘されています。教師としても、シングルマザーとの連絡が容易にとれず、話ができないことが多いのではないかと思います。子どもは家の実情を話したくないと思うのは自然な感情でしょう。
私自身、当地にやってきたとき、そういったシングルマザーの方々の破産や養育費問題が多いことに驚きました。実際、収入は月5万円とか、10万円とかが多いのです。それで2つくらいの仕事を掛け持つのは普通のようです。そのため連絡もなかなか取りにくいのが実態です。地方の場合、身近に両親がいることが多いので、子どもの世話を頼める環境があるのは少し救いですが、両親もそれほど余裕がないのが普通ですので、上記の調査結果は私自身も身近に感じてしまいます。
そのような相対的貧困状態にどう対処するかは重大な問題です。安倍・トランプ会談は満足な結果に終わったような笑顔で終始していますが、両者とも高級ブランドの衣服で豪華な食事、ゴルフ三昧をして、果たして、ラストベルト地帯に住む白人層や、日本のシングルマザーの困窮状態を、ほんのわずかでも頭の片隅に描くことができたか心配です。
小池都知事は、画期的な東京都改革を進めているようですし、期待したいところですが、待機児童の撲滅など保育所対策はできつつあるかもしれませんが、その対象の多くは高額の保育料を支払える相当の収入を持った正規労働者ではないかと心配します。
シングルマザーの親子が抱えている具体的な問題は、保育所や保育士の増大だけでは到底解決しません。
この相対的貧困について、今朝のNHKニュース(と記憶していますがウェブ情報で見つかりませんでした)では、シングルマザー専用のシェアハウス事業が取り上げられていました。それは非正規労働者のシングルマザーの親子だけを対象とした、はっきりとしたコンセプトを持つシェアハウスです。そこにはたしか月5万円程度の家賃で、賄い付き、家事支援に加えて、就業支援のサービス提供がされています。このような社会的インフラに類する事業は、暫定的とはいえ、見事な解決手法の一つではないかと思うのです。
子どもにとって、親がいつもいない家庭で育つより、いつも大人(家事支援者)がいて、他の子どもも一緒にいる、リビングなどを共用利用して団らんの場があるということは、新しい共同生活の一つではないかと思うのです。親にとっても、子ども一人残して、仕事をしながらいつも心配しているより、誰か大人がいる、同じくらいの子どももいる、あるいはその親が場合によって見守りをしてくれるといった、疑似大規模家族を形成していくのかもしれません。
そして就業支援では、専門家がシングルマザーに対して、自分の能力・技量にあった就職支援のアドバイスや情報提供をするということで、本来の自分に合った仕事探し、自分探し、生きがいを見いだすことにつながるのではないかと期待したいです。
その事業の代表者は、この事業によって、正規労働などより収入のある仕事に就いて、シェアハウスをでていけば、今度は別の困っている人に提供すると企画しているようです。そこが究極の落ち着く場ではなく、一時的な、ステップアップの場としている点も、よいアイデアかなと思っています。
なお、上記のシェアハウスは、事業採算性の面では厳しいと思われますが、事業採算性を図って、支援する側面も両立させている、月額合計12万円のシングルマザー向けシェアハウスを行う事業は、正規労働者で年収も600万円という親にとっても、現代の多様なシングルマザーの要望に対応する一つの手法ではないかと思います。
いずれもシェアハウスという、行政の幼児保育や福祉的な観点からは抜け落ちているスペースを埋める新たな事業ではないかと思いますが、親子のあるべきあり方として、まだまだ検討すべき課題があるように思うのです。
誰が子どもの世話を見るかと言った観点から言うと、個別の親一人にのみ依拠する時代ではないかもしれません。社会的なサポートが、両親でもシングルの親でも、さまざまな形で必要とされているのではないでしょうか。その新たなあり方についてはさらに模索が必要ではないかと思われます。
そんな中、まったく異なる報道(これもどこの報道か確認できませんでした)が今朝されていて、なにかとても心温まる思いがしました。大阪愛隣地区は、ホームレスの路上生活者が多く住むところと言われています。その地区に、10数年前から、冬の間、定期的に、子どもたちが夜間、見守りに訪れ、声かけをして、暖かい味噌汁やにぎりめしなどを提供しているのです。その子どもたちは、小学1年生くらいから中学生、あるいは高校生くらいでしょうか、さまざまな年齢の子どもたちがやっています。ある中学2年生の女子学生は、しっかりした口調で、段ボールを囲って外から見えない相手に向かって、挨拶しつつ、以前は何をしていたんですかと話しかけるのです。優しいまなざしと、柔らかい口調で、路上生活者の大人も、コックをやっていましたと丁寧に答えるのです。彼らもその優しさに飢えていたのでしょう。もしかして阿弥陀如来のような声かけと感じたかもしれません。とても彼らの言葉遣いは礼儀正しく、彼らなりにいい大人として接しようとする姿勢を感じます。
初めて参加した小学1年生の男児は、最初、閉じられた戸を叩くように言われても、怖いと言って逃げ出します。でも、他の人のやるのを見て、次第にとんとんと叩いて、今度は話しかけまでするようになりました。そして離れたところから、熱い味噌汁の入ったカップを急いで運んであげていました。とても快活で、生き生きとし出したのです。そんな児童を見て、路上生活者も、あんたは将来偉い人になるよ、なんて自然な気持ちを表現していました。
この活動は、親と子の関係性を直接、示すものではありません。ただ、最初に取り上げた中学2年生の女子は、お父さんが日雇労働をして懸命に働いている姿を見て、そういう仕事をしている人が路上生活をしていることで差別や襲撃を受ける事件があったことに疑問を抱き、この活動に参加するようになったと話していました。親と子は、社会の中でさまざまな場でさまざまな大人と触れあうことにより、それぞれが理解し合い、理解する能力を高め、少しでも住みやすい社会になりうるのではないかと思うのです。
この子どもたちの活動を見て、つい聖徳太子の片岡山伝説を思い出しました。こういったさまざまな任意の活動こそ、世の中を豊かにし、それぞれの心を豊かにしてくれるように思うのです。私自身、見ているだけで、気持ちのいい朝を過ごすことができました。