たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

親と子の関係性 <NHK シングルマザー・シェアハウス>を見て

2017-02-13 | 家族・親子

170213 親と子の関係性 <NHK シングルマザー・シェアハウス>を見て

 

最近、イザベラ・バードの「アイヌの世界」に触発されて、アイヌの歴史や世界の先住民族の書籍を45冊平行して読んでいます。少し整理できれば、ブログで書いてみようかと思いますが、現代的テーマと関係して着想がわけばと思っています。

 

その先住民とは直接関係性がない(彼らの共同生活のあり方に未来を示唆するものがあるとは思っていますが)、NHK報道を、昨夜は相対的貧困問題として、今朝はシングルマザーのシェアハウスとして、また、大阪愛隣地区で行われている子どもたちによる夜間の路上生活への支援活動を、ちらちらと見て、なにか感じるところがあり、書いてみます。

 

昨夜のNHKは<見えない“貧困”~未来を奪われる子どもたち~>というタイトルで、6人に1人の子どもが「相対的貧困」の状態に置かれているとの調査結果を踏まえ、それが見えにくいという点について可視化するために、自治体による全国的な調査が行われ、その一端を具体的な親子の姿を取り上げて放映しています。

 

その調査は、欠けているものといった問いかけで、膨大な項目について、質問・回答を求めています。そして、平均収入の半分程度200万円くらい?と平均程度の家族とを比較していました(メモもとらずおおよその記憶です)。対象の多くはシングルマザーの家庭です。

 

興味深いのは、ファストファッションや格安スマホなどでは、半分以上がもっていて、平均との違いがありません。ま、いえば一見、物質的な豊かさがあるように見えるわけです。ところが、食事は外食がなく、一日1000円程度で家族全員分です。衣服となると着古したお下がり、しかも姉のものを弟が着るとか、靴は一足だけとか、戦後初期のような状態ともいえるのです。本も買ってもらえず、叔父が子どもの頃に使ったという40年前の図鑑しかないといった状態です。

 

そういった内実は物質的な貧困が切実であるうえ、多くはシングルマザーで、しかも非正規かパートのため、二つの仕事を掛け持ちでやっていて、夜7時頃まで仕事して、一旦、帰宅しても夜9時には別の夜間の仕事に出かけるということで、子ども母親と触れあう時間すらない、それでもけなげに母親が一生懸命働いている姿を見て、我慢しているのです。親子の大切な触れあう時間もなく、当然、学校行事などへの参加も母親にはありませんから、子どもは肩身の狭い思いをすることになります。

 

収入の支援のために、中高生くらいになると、アルバイトをして、家計の支えになって、しかも中には2つも仕事を掛け持つ子もいます。当然、学校へ通学することが大変になり、学校を続けることを悩むことになります。もし退学でもすれば、非正規労働しか道がないかもしれず、負のスパイラルになりかねません。中には、進学に必要な費用を貯めるためにバイトをする子もいますが、安いアルバイト賃金では、最近の高額化した大学や専門学校の学費を支払うには十分ではありません。奨学金制度を利用できる場合でも、入学前に必要な入学金は対象とならず、別に借金をしないといけないことになり、ますます借金地獄に陥る恐れで、進学等を躊躇する、あきらめる実情が放映されていました。

 

と同時に、本人や家族が貧困を隠すために、教師や周囲の大人が気づきにくいことも指摘されています。教師としても、シングルマザーとの連絡が容易にとれず、話ができないことが多いのではないかと思います。子どもは家の実情を話したくないと思うのは自然な感情でしょう。

 

私自身、当地にやってきたとき、そういったシングルマザーの方々の破産や養育費問題が多いことに驚きました。実際、収入は月5万円とか、10万円とかが多いのです。それで2つくらいの仕事を掛け持つのは普通のようです。そのため連絡もなかなか取りにくいのが実態です。地方の場合、身近に両親がいることが多いので、子どもの世話を頼める環境があるのは少し救いですが、両親もそれほど余裕がないのが普通ですので、上記の調査結果は私自身も身近に感じてしまいます。

 

そのような相対的貧困状態にどう対処するかは重大な問題です。安倍・トランプ会談は満足な結果に終わったような笑顔で終始していますが、両者とも高級ブランドの衣服で豪華な食事、ゴルフ三昧をして、果たして、ラストベルト地帯に住む白人層や、日本のシングルマザーの困窮状態を、ほんのわずかでも頭の片隅に描くことができたか心配です。

 

小池都知事は、画期的な東京都改革を進めているようですし、期待したいところですが、待機児童の撲滅など保育所対策はできつつあるかもしれませんが、その対象の多くは高額の保育料を支払える相当の収入を持った正規労働者ではないかと心配します。

 

シングルマザーの親子が抱えている具体的な問題は、保育所や保育士の増大だけでは到底解決しません。

 

この相対的貧困について、今朝のNHKニュース(と記憶していますがウェブ情報で見つかりませんでした)では、シングルマザー専用のシェアハウス事業が取り上げられていました。それは非正規労働者のシングルマザーの親子だけを対象とした、はっきりとしたコンセプトを持つシェアハウスです。そこにはたしか月5万円程度の家賃で、賄い付き、家事支援に加えて、就業支援のサービス提供がされています。このような社会的インフラに類する事業は、暫定的とはいえ、見事な解決手法の一つではないかと思うのです。

 

子どもにとって、親がいつもいない家庭で育つより、いつも大人(家事支援者)がいて、他の子どもも一緒にいる、リビングなどを共用利用して団らんの場があるということは、新しい共同生活の一つではないかと思うのです。親にとっても、子ども一人残して、仕事をしながらいつも心配しているより、誰か大人がいる、同じくらいの子どももいる、あるいはその親が場合によって見守りをしてくれるといった、疑似大規模家族を形成していくのかもしれません。

 

そして就業支援では、専門家がシングルマザーに対して、自分の能力・技量にあった就職支援のアドバイスや情報提供をするということで、本来の自分に合った仕事探し、自分探し、生きがいを見いだすことにつながるのではないかと期待したいです。

 

その事業の代表者は、この事業によって、正規労働などより収入のある仕事に就いて、シェアハウスをでていけば、今度は別の困っている人に提供すると企画しているようです。そこが究極の落ち着く場ではなく、一時的な、ステップアップの場としている点も、よいアイデアかなと思っています。

 

なお、上記のシェアハウスは、事業採算性の面では厳しいと思われますが、事業採算性を図って、支援する側面も両立させている、月額合計12万円のシングルマザー向けシェアハウスを行う事業は、正規労働者で年収も600万円という親にとっても、現代の多様なシングルマザーの要望に対応する一つの手法ではないかと思います。

 

いずれもシェアハウスという、行政の幼児保育や福祉的な観点からは抜け落ちているスペースを埋める新たな事業ではないかと思いますが、親子のあるべきあり方として、まだまだ検討すべき課題があるように思うのです。

 

誰が子どもの世話を見るかと言った観点から言うと、個別の親一人にのみ依拠する時代ではないかもしれません。社会的なサポートが、両親でもシングルの親でも、さまざまな形で必要とされているのではないでしょうか。その新たなあり方についてはさらに模索が必要ではないかと思われます。

 

そんな中、まったく異なる報道(これもどこの報道か確認できませんでした)が今朝されていて、なにかとても心温まる思いがしました。大阪愛隣地区は、ホームレスの路上生活者が多く住むところと言われています。その地区に、10数年前から、冬の間、定期的に、子どもたちが夜間、見守りに訪れ、声かけをして、暖かい味噌汁やにぎりめしなどを提供しているのです。その子どもたちは、小学1年生くらいから中学生、あるいは高校生くらいでしょうか、さまざまな年齢の子どもたちがやっています。ある中学2年生の女子学生は、しっかりした口調で、段ボールを囲って外から見えない相手に向かって、挨拶しつつ、以前は何をしていたんですかと話しかけるのです。優しいまなざしと、柔らかい口調で、路上生活者の大人も、コックをやっていましたと丁寧に答えるのです。彼らもその優しさに飢えていたのでしょう。もしかして阿弥陀如来のような声かけと感じたかもしれません。とても彼らの言葉遣いは礼儀正しく、彼らなりにいい大人として接しようとする姿勢を感じます。

 

初めて参加した小学1年生の男児は、最初、閉じられた戸を叩くように言われても、怖いと言って逃げ出します。でも、他の人のやるのを見て、次第にとんとんと叩いて、今度は話しかけまでするようになりました。そして離れたところから、熱い味噌汁の入ったカップを急いで運んであげていました。とても快活で、生き生きとし出したのです。そんな児童を見て、路上生活者も、あんたは将来偉い人になるよ、なんて自然な気持ちを表現していました。

 

この活動は、親と子の関係性を直接、示すものではありません。ただ、最初に取り上げた中学2年生の女子は、お父さんが日雇労働をして懸命に働いている姿を見て、そういう仕事をしている人が路上生活をしていることで差別や襲撃を受ける事件があったことに疑問を抱き、この活動に参加するようになったと話していました。親と子は、社会の中でさまざまな場でさまざまな大人と触れあうことにより、それぞれが理解し合い、理解する能力を高め、少しでも住みやすい社会になりうるのではないかと思うのです。

 

この子どもたちの活動を見て、つい聖徳太子の片岡山伝説を思い出しました。こういったさまざまな任意の活動こそ、世の中を豊かにし、それぞれの心を豊かにしてくれるように思うのです。私自身、見ているだけで、気持ちのいい朝を過ごすことができました。


生き方と場所づくり <サキどり「美しき町並みを“暮らし”で復活」>を見て

2017-02-12 | 景観の多様性と保全のあり方を問う

170212 生き方と場所づくり <サキどり「美しき町並みを“暮らし”で復活」>を見て

 

今日も銀世界で美しい。でも伐採作業をするには危険もあり寒さもあり、川を渡るのも大変などといろいろ理由をつけ、結局、断念して、見出しのテレビを見たりして、ゆっくり事務所に出かけました。

 

報道は、TVも新聞も、ウェブも、トランプ安倍会談とかゴルフ場密談で持ちきりです。長い付き合いのある両国ですから、トップのあれこれの言動に左右されず、双方の国益を考慮して進めていくこと自体は望ましいことでしょう。ただ、トランプ氏がこれまで大人げない批判や一方的な要求はどうなったんでしょう。ラストベルト地帯ではNHKリアルボイスの中で切実に仕事を求める声が多数でしたが、そのような貧困の中にいる白人層にとって、豪華絢爛な別荘地で優雅なゴルフコースで、非難の相手国首相とにこやかに笑顔を交わす様子はどう映っているのでしょうか。

 

アメリカにおいても政治は大衆の声を反映できていないと思うのは、今に始まったことではないですが、毎回の大統領選という祭りと花火の無礼講的な騒ぎでしかないのでしょうか。遠い昔から民主制度のあり方が問われてきていますが、それ自体、夢幻なのか、こうやって紆余曲折で歩むことが本質なのか、いつも考えてしまいます。

 

余談はこの程度にして、今朝のサキどり、<赤瓦の古民家が連なる島根県大田市大森町。美しい景観は石見銀山と共に世界遺産にも登録されている。>とのことで、画面に映る風景はなかなか洗練された古民家が並び、家の前に流れる排水路でしょうか街に潤いを与え、道路と家を渡す小さな石橋も情緒があります。日本には古民家が150万軒残っていて、毎年25万軒が壊されているとか(新聞を読みながらなので正確ではありません)。

 

そんな中で、私も各地というか多少、あちこちの古い町並みを訪問してきましたが、いずれも人気のあるところは、ここ大田市大森町のようなところですね。もっと道路構造や家々のファサードをきれいに整備しているところもありますが、大森町はなにか素朴な印象がまだ残っている感じです。

 

それはここの「復古創新」(この言葉は松場さんの知り合いが名付けた造語とのこと)を手がけた石見銀山生活文化研究所会長…松場大吉,石見銀山生活文化研究所所長…松場登美、ご夫婦が、30数年前に故郷に戻って、二人を中心に細々と古民家再生を行ってきたからかもしれません。

 

彼らが帰郷したときは、もう街並みは廃れる一方で、廃墟となる運命のようだったと当時の写真を見ると同感です。それは多くの地域でも見られる現象でしょう。空き家問題などと最近では取り上げられてきていますが、それは30年以上前から、首都圏や大阪などへの一極集中の反映の反面、着実に現れていて、ただ、行政を含め多くが見ようとしてこなかったのですね。

 

松崎ご夫婦が行ったことは、多くの古民家再生事業を行う人たちとさほど変わらない印象を持ちつつ、廃校を利用して、古民家が壊されるようなとき、そこでいらなくなった廃材や備品などあらゆるものを収拾保管する、倉庫、展示して、将来の古民家再生に利用したり、ネットで提供しているシステムには興味を抱きました。

 

実は、江戸時代まで、というか、戦前までは、そういう建築のあり方が普通だったのではないかと思うのです。それは地震など自然災害が多いわが国で生き残る遺伝子情報として日本人が培ってきたノウハウではなかったかと思うのです。

 

維新前後にやってきた異邦人が残した日記などでは、火事で焼失した家屋が並ぶ中、あるいは地震で倒壊する家々ががれきで一杯になる中、そこに住む日本人たちが快活に動き、翌日にはとんちんかんちんと元気よく廃材利用して簡易な建物を作り上げていく姿に驚いた様子を描いています。

 

廃材はがれきではなく、新たに利用可能な再生可能製品であったのです。江戸時代のクローズな物質・エネルギーの循環社会については、多くの研究文献が報告されていますが、それは日本人のアイデンティティでもあるように思うのです。

 

たしかに新しいもの好きであったり、海外の異質なものに異常なほど関心が強いという日本人の性格も一方であることは確かです。たとえば朝鮮通信使の毎回の訪問では江戸までの大勢の行列には、無数の庶民が近づいて異国の文明に触れようと大変だったようです。むろん維新の際の異邦人は、とりわけ注目されたでしょう。

 

そういった異国文化を受け入れ、自国文化と融合させることは、大勢の渡来人が移民?してきた古代においても同様だったというか、本来は、わが国はアメリカ・カナダのように、移民大国だった、あるいは独立国家としてはそれまで成立していなかった先住民と同様であったのではないかとさえ思うこともあります。

 

とまたまた脱線しましたが、そろそろ元に戻って、大森町の古民家再生を事業として行っている松崎ご夫婦の手法の一端をもう少し紹介しておきたいと思います。

 

一つは、古い武家屋敷を生かして、歴史的文化を味わってもらうため、生活体験できるような宿として提供しています。そして竈を生かして、薪で火をおこし、地元の食材をふんだんに使って提供します。興味深いのは、ご夫婦が宿泊客と一緒に食事をともにする、そして語り合うということです。私自身、昔ペンションによく泊まったことがありますが、中にそんなところがあり、より打ち解けたことを記憶しています。むろんこれにも功罪があると思いますが、小規模であれば一つの選択肢ではないかと思います。

 

この宿泊施設との関連で、中学生などの体験型の宿泊としても提供している点です。これも最近は、農家民泊など、海外で行われている方式がさまざまな形で導入されていますが、いかにその体験内容を充実させ、しかも安全を確保するか、これも試行錯誤が必要でしょうが、貴重な試みでしょう。たとえば、薪を割るという簡単な作業一つとっても、初めての人にとっては、結構大変です。だいたい、斧を使ったことがないというか、見たこともないかもしれないわけで、そのような人が斧を使うのは避けるのは当然でしょう。

 

ここでは女子中学生がナタで割っていました。これも実際は当たり所が悪ければ、割れた先がどこに飛ぶか分かりません。でも安全か危険かは、実際に体験して、少しずつ危険のないように心身をなじませる、鍛えさせることは、人間の成長にとって大事なことではないでしょうか。

 

もう一つ、青年が東京で記者を目指したものの、面接で受け入れられず、見知らぬ当地にやってきて、松崎さんの事業の職員として働くようになった話です。彼は、記者になりたかった希望を、事業の広報マンとして、広報誌づくりを手がけ、街並みの四季の変化など気に入った風景を写真で撮り、記事の目玉にしたり、町中を歩いて、土壁の中に使われて廃材となり捨てられる運命だった竹についている土を取り除き、きれに磨いて、製品として売っている一人の高齢者に取材し、それを記事にしたりしていました。

 

古民家再生は、古民家自体がもつ長い歴史の見えない豊かな文化があります。その再生事業の中では、いろいろな人々がそれぞれの技能を発揮して、生きる知恵を具現化しています。それらを連携し想像する松崎さんご夫婦のようなリーダーも必要です。そしてでき上がった古民家を違った視点で利用する多様な人々がいます。そしてそれは古民家という拠点だけでなく、周囲も、地域も、新たな現代的文化を創っていく仲間となって、新しいコミュニティの連携や共同活動が可能になっていくのではないかと期待したいです。

 

そういえば、鞆の浦にも長く古民家再生を手がけ御舟宿「いろは」などまちづくりを行っている頼もしい人たちがいます。私もたびたび訪れましたが、鞆の浦の歴史と景観の良さと人情を味合うには素晴らしいところです。最後に紹介して今回は終わりにします。


付け足し

 

書いた後NHKの囲碁を観戦して、伊田八段がこれまで華麗に勝ち進んできた寺山怜四段の強力な一手をどっしりとして構えで大石の息の根を止めて序盤でほぼ体勢を制した感じになり、それでも最後までがんばる寺山四段の冷めたような中にある情熱を感じました。最近はみなさん20代の若い棋士ばかりで、私が囲碁をやり始めた頃に活躍した各棋士の姿を見ることがなくなり、少し残念と思いながら、なにか書き忘れたように思い、そういえば今日のテーマを書こうとしたのは橋本市のことを触れるためと思いだし、補足したいと思います。

 

橋本市も観光施策をいろいろ検討しているようです。一般的な観光案内所をリフレッシュしてみたり、NHKあさドラに前畑がんばれを取り上げるよう働きかけたり、各地の取り組みを参考にしながらがんばっているように思います。

 

ただ、歴史的価値の見直し、地域の由来とか地域資源の掘り起こしという面では、以前、応其上人400年忌でしたかやったことがありますが、持続的な事業としてはあまりみかけない印象です。

 

とりわけ、江戸時代以前は宿場町として、あるいは近隣の産物を集荷し、若山からの塩など海産物との中継場所として商家が賑わった、往時の面影はどんどん消え去るばかりです。再開発事業の一環でしょうか、紀ノ川北岸の事業区域一帯の古民家の状況を綿密に調査した資料『橋本の町と町屋』は、紙ベースの資料遺産として残されたものの、現在の活動に生かされていないように思うのです。

 

紀ノ川南岸にも、渡し船の渡し場を拠点として、三軒茶屋灯籠を含め、宿場町の面影が色濃く残る清水町や、私がテーマにしている大畑才蔵の拠点、学文路にもわずかに忍ばれる情緒があります。

 

再開発事業では、一部、町屋が古民家再生として残されましたが、本来、現在の活動としての生業をどのように営むかというノウハウこそ重要で、ハードだけ残してもなかなか人の関心を呼ぶものではないと思うのです。

 

大阪から近いから泊まる人がいないとか、高野山の宿坊に泊まるから必要ないとか、いろいろ理由は考えられるでしょうが、大田市大森町の松崎ご夫婦のように、風前の灯火の中で、一から始められるというチャンスでもあると思うのです。

 

宿泊という形態は、その滞在する時間・空間の中で、地域の産物を工夫して提供できるでしょうし、歴史自体の掘り起こしも自然に湧いてくるのではないかと思うのです。いまはやりの「おもてなし」という点で言えば、高野詣での際、さまざまなおもてなしを提供したからこそ、この界隈は賑わったのではないかと思うのです。元祖とまでは言いませんが、そういったおもてなしの文化の再興もあるでしょう。

 

そして紀ノ川の風景です。この河川敷や河岸道路は観光資源としてはほとんど魅力あるものとして利用されていません。河岸段丘の地形的特徴や、長い歴史の中でつくられた氾濫原の変化も地理的・歴史的な資源になりうるように思います。ビューポイントをいくつか選択し、提供することも一つでしょう。

 

大規模農道や林道もまた、利用しうる資源ではないでしょうか。奥深い林道もいいですが、場所によっては当地の林道や農道からは、紀ノ川や対岸の背景の連山を眺望することは素晴らしい生き抜きになりうると思います。

 

最近増えつつある、ウォーキングやハイキングイベントも、滞在型の宿泊施設と連携すると、より効果的になるように思うのです。

 

また和泉山系という役行者の行者道が見事に連なっています。この風情もまた見事な景観です。

 

むろん柿をはじめとしてフルーツ多種も、そういう栽培方法の作業自体も観光資源だとは思わないでしょうか。これらは各地の観光手法としていろいろ行われていますが、当地は当地なりの特有のものが十分成り立つのではないかと思います。

 

改めて空き家対策、遊休農地対策、森林荒廃対策、駅前を拠点とする活性化対策、紀ノ川を蘇らせる(たとえば川上船や渡し船が往来した往時のごとく)施策など、さまざまな知恵や工夫を、都会で仕事や人間関係に悩む受け皿として、提供できる場になるよう、地域は、当地だけでなく、配慮することが求められているのではないかと思います。

 

兼行法師や鴨長明、西行や良寛、などなど、人生を達観したような領域には到底なれそうもなく、とはいえ世捨て人?にもなれそうもない状況で、一つの私を表現してみることにしました。これが私かどうかは、もう少し書きながら、また振り返ってみたいと思います。



元禄高野騒乱と裁許 FM橋本の放送を聞いてふと考える

2017-02-11 | 日記

170711 元禄高野騒乱と裁許 FM橋本の放送を聞いてふと考える

 

今朝は周りの雪景色にほれぼれしつつ、雪上で伐採作業をする元気もなく、のんびり新聞を読み、事務所に出かけました。途中、NHKCDを聞いているのですが、もう一つチャンネルがありFMはしもとが偶然、耳に入りました。普段は飛ばしてしまいますが、高野弾圧と言った言葉が漏れてきて、ふと耳をそばだてて、聞くことにしました。

 

すると、私がずっと関心をもっている大畑才蔵のことも少し取り上げられたりしたので、事務所に入っても、何年ぶりかでラジオにスイッチを入れて、聞き続けました。ラジオが事務所の中にあるのも忘れていて、使えるかな、なんて思いながら、最後まで聞きました。ほんのさわりだけですが、大畑才蔵が書いた古文書、「高野山品々頭書」(仮題)をネタにして、これを朗読して、少し解説していました。途中から聞き出したので、解説者のお名前も知りませんが、才蔵ファンの一人として、楽しい一時でした。

 

それでこの高野山内紛争とその幕府が下した大規模処分の概要について、なかなか資料がない中、才蔵の上記古文書などを踏まえながら、書いてみようかと思います。

 

これは一つは、江戸時代の裁判および執行手続きの、過渡的段階での画期的な事案であること、幕府側からその前後関係について背景などを踏まえる必要があるのではないかと思うこと、他方で、高野山側から長年にわたる相克の歴史の一環であり、最近発生した事案ともなんらかの脈略をも感じていること、その記録の一部を残した才蔵のその後の百姓としての生き方や農業土木者としての活躍とも関係する可能性があること、などを愚考しながら、少し言及しようかと思っています。

 

その前に一言、今朝の毎日記事に掲載された現代の裁判のあり方に係わるニュース<知的障者 「シャバが怖い」 窃盗累犯、福祉の谷間>は、昨日のブログでも触れた一面の問題です。刑事弁護の役割の一つとして、えん罪をなくすための弁護が重要であることは当然です。また有罪であるとしても、その犯罪の中身や量刑を適切に判断され、処断されることのために、しっかり活動することも同様だと思います。他方で、処断された後の処遇や服役して社会復帰した後の更生については、少なくない弁護士が心を痛め悩んでいるものの、より積極的な活動ができているかというと、私を含め、それほど多くないと思っています。

 

そんな中、記事で取り上げられた奈良の弁護士は、知的障害者の弁護活動の一環として、彼の過去の履歴から支援してくれる可能性のある施設に連絡して、法廷に出てもらい、事後の対応を約束してもらっています。裁判は、ある罪を犯した人に対して妥当な量刑を下すことですむ時代ではないでしょう。法曹三者だけでなく、周辺の支援体制の構築やネットワークづくりと言った社会的なインフラ整備をも考えて、その人にあった個別適切な処遇のあり方を模索していく時代ではないかと思います。それは機械的に量刑基準に当てはめて行うことでも、あるいは全部ないし一部執行猶予といった措置だけでなく、知的障害の程度や高齢者の特性、成人でもその年齢や背景などを考慮して、更生に向けた処遇のあり方を新たに制度設計する必要を感じています。

 

もう一つ、昨日取り上げたアメリカ連邦控訴審は、電話による口頭弁論(日本流に言えば審尋でしょうか)を経て、入国停止の大統領令対する即時停止仮処分について、宗教的差別などを理由に、全土的に適用される決定を下しました。刑事司法の先達として、ある種見本的な姿を見せてくれたようにも思います。むろん、本当の議論は本案訴訟でよりしっかりとした議論が行われるのだと思いますが、ただ、私のわずかな情報で見る限り、大統領側がこの大統領令が意図する危険性の立証は容易でなく、逆に、この命令により大規模で不可逆的な人権差別が合理的根拠もなくなされる危険の立証は容易でしょうから、行事差し違えといった判断は、今後も可能性が低いように思います。

 

さて、本題に戻ります。この高野山紛争は、高野山に平安期から存在する、学侶(密教に関する学問の研究・祈祷を行った集団)、行人(ぎょうにん、寺院の管理・法会といった実務を行った集団、武装した僧兵も含む)、聖(全国を行脚して高野山に対する信仰・勧進を行った集団)がいて、主に学侶と行人の間で対立を繰り返していました。

 

私の狭い知見では、12世紀の覚鑁上人が、空海入滅後に腐敗衰退した高野山を、新たな浄土思想を加味して復興させたものの、旧勢力による暴力により追い出され、両者の間で激しい対立が生じたのが最初かなと思っています。その後宝徳2年(1450年)に学侶・行人間で1,000人もの死傷者を出す衝突を起こしたのが第2段。そして今日紹介するのが第3段目です。

 

これには伏線というか、背景があるように思うのです。戦国時代、高野山は17万石、覚鑁をついだ根来寺が70万石、その間の根来寺も10万石くらい?、さらに雑賀衆も何万石というか、交易や戦争請負人として巨万の富を得ていたでしょう。それが信長・秀吉により壊滅され、高野山も、壊滅寸前のところで、武士出身の応其上人が秀吉と和議して、結局、21000石を安堵されました。しかし、17万石あったとされ、各地から浪人など多数が跋扈していたと思われる高野山ですから、簡単に、企業解体のようにうまく整理解雇?できたか、まして自然の要塞ですから、相当数が残っていてもおかしくありません。

 

それでも応其上人が目を光らして、秀吉が力を持っているときは平穏だったと思われますが、秀吉没後の関ヶ原の戦いで、応其上人が西軍に味方する活動をしたことから、高野山を出た後は、応其上人が行人のトップに後を託したものの、学侶、行人との対立は先鋭化したと思われます。

 

この紛争の最初の処断は、寛文6年(1666年)に、行人をまとめる興山寺(応其上人開基)座主の曇堂を奥州白川藩預かりにし、行人の下山を命じています。それに高野山領を監督する立場だったのでしょうか、伊都郡奉行ほか1名を改易(免職)、1名を閉門としています。

 

それでも紛争は収まらなかったのでしょう。ついに3年後には、かむろ村才蔵と伏原村才右衛門に密偵を命じて、それから、江戸時代を代表するような(これは私の勝手な見立て)大裁判執行事件となる元禄5年(1692年)までの23年間は少なくとも調査を行っていたものと思われます。

 

才蔵と才右衛門の調査内容は、記録がないのでわかりませんが、彼ら2人が抜擢された理由として指摘されている、才蔵が高野山への道筋の入り口に住んでいることや、才右衛門の村には大工が多いと言う点は、手がかりの一つとはなっても、むしろその裏があると思われます。

 

世の中は江戸時代の初期の不安定な状態から、大坂城陥落、さらに寛永14年、15年(1638年)の島原の乱で、ようやく落ち着きつつある時代でしたが、今なお宗教戦争、宗教の権益をバックに強い武力勢力が勃発するおそれが、世情不安を駆り立てる危険はありました。

 

その意味で、江戸幕府も、御三家の紀伊藩も、高野山紛争を穏便に収める必要性はあったと思われます。

 

で、当時の法律・裁判制度がどうであったかは、今のところはっきり分かりません。難波氏の「江戸時代の刑事裁判」を参考にして私見を述べます。近代刑法の大原則、罪刑法定主義としては、ある程度確立したのは吉宗が命じてつくらせた、享保5年(1720年)の「享保度法律類寄」、その後本格的なものとして完成したのが寬保2年(1742年)の「公事方御定書」です。後者は有名ですが、長い間確立した法制度がない中で、処断が行われていたのです。

 

さて、高野山紛争での処断は、基本的には遠島とか、追放が中心ではないかと思われます。預かりの場合武士であれば切腹かもしれませんが、僧侶なり行人ですので、それはなかったのでしょう。

 

で、この御定書ではどうなっているかを確認したかったのですが、はっきりしません。

主殺し、親殺しなどは、引き回しの上、磔となっていますが、他方で、単に人を殺したときは死罪としつつ、遠島になるような場合は人以外に車でひいた場合しか触れていないようなのです。

 

では、高野山紛争で、行人たちに下された、下山(追放)ないし遠島と思われる処断は、いかなる根拠かは、いまのところ分かりません。

 

そしてこの法律に当たる公事方御定書も、裁判である裁許も秘密とされていましたので、内容がわからないのも当然かもしれません。アメリカの大統領令の意思決定過程が曖昧模糊としているわけですが、それは現在の立法過程や行政過程として問題であっても、江戸時代であれば、トランプ氏も問題にされることはなかったでしょう。

 

と長々と前置きになりましたが、その江戸時代屈指の大裁判執行とは何かですが、おおよそ以下のような経過をたどっています。

 

元禄5721日から816日まで、寺社奉行の本田紀伊守以下約500人が現橋本市東家に滞在し、審理および執行を行ったのです。なお、本田は、正しくは本多正永が正しく、元禄元年に寺社奉行に抜擢されています。この人そのものも興味深い方です。というのは本多氏は、元は7000石の旗本で、寺社奉行となって1万石に加増され、その後、次々と加増され、元禄16年(1703年)には沼田藩4万石の城主となって出世しています。つまり、九度山に蟄居し大坂城で活躍した真田幸村の兄信之が上田城とともに領主となった沼田城は、真田家内紛で、この本多氏が勝ち取るという不思議な?縁です。

 

ともかく本多裁判長ならぬ寺社奉行が、500人もの役人を連れて江戸から裁判をする、しかも26日もかけるというわけですから、並々ならぬ大裁判です。そして高野山からは721日から24日にかけて行人を呼び出し、伊都郡奉行所にて25日から審理を開始しています。審理中、行人たちは拘置所などないので、近くの民家に仮の囲い場所を用意して拘束していたようです。

 

730日に評定を行い、その際、紀州藩士などが数千人が警備のために来ています。

この日に行ったのかは判然としませんが、行人寺にある武具、金、米、衣類を開封(これは差押え?)して、門戸は大工が釘で打ち付けて開かないようにしています。

 

明暦元年の高野山寺は、寺数が1853軒です。このうち行人坊が1517坊で、学侶坊が194坊、聖方が118坊、客僧坊が35坊ですから、行人坊が断然多く、力が強かったと思われます。上記の次第で、元禄4年に行人坊の1237坊が閉門(前年に裁許があり、翌年に執行となったのかと推測していますがわかりません)となっています。

 

それにしても、現在は117寺ですので、いかに多かったか、当時の図面を見ると小規模な区画で密集しています。

 

で、僧侶数は3768人で、行人が2665人、学侶が548人、聖が317人などですので、数の上でも他を凌駕していますね。

 

このような高野山実態を踏まえ、この審理の結果一部は裁許で、高野山の山腹、天野に45人を追放したり、30人が学侶にて出家・転向させたりしています。

 

で、興味深いのは、87日には本多寺社奉行ら3名の上使が高野山に登り、翌日には帰ってきていますが、寺の取りつぶしなどの執行がきちんと行われているかを検分したのでしょうか。

 

87日から8日にかけて囚人?となった行人を乗せる板囲いした大船と警備船を用意して、伊豆大島、薩摩、壱岐、肥後天草などへの遠島処分となった合計627人を乗せて、橋本から若山、さらに堺、大坂に出て、そこからそれぞれの島流し先に送られています。

 

詳細は正確に記述できたか、遠近両用のめがねを見ながらも、文献の文字を読みづらくなり、少々、間違いはあると思います。

 

いずれにしても江戸の最高裁長官的な寺社奉行が500人の職員を連れ、しかも地元も数千人を警備に当たらせて、裁許、断行したわけですから、これだけ大きな裁判執行は江戸時代でも希有ではないかと思うのです。

 

で、尾張藩畳奉行朝日文左衛門の日記「鸚鵡籠中記」に、面白い記述があります。

 

才蔵の811日の記述で、627人の行人が、遠島処断が下された後、けさ衣を脱がされ、奉行所下の紀ノ川の河原で、焼き捨てられたとされていますが、これがこの日記で事実確認されただけでなく、新たな騒動が起こったことが記述されています。

 

この日記には、袈裟衣を焼いた、その煙りを戦火と勘違いした周辺の藩士が慌て駆けつける騒ぎになり、紀州藩がこれら諸藩の藩士たちに半日かけて説明するといった、今から思えばユーモラスな光景も記録されています。

 

これだけの裁判執行ですから、周辺でも大変な騒ぎがあって、緊張していたことがわかりますが、ユーモラスでもあり、富士川の鳥の羽ばたきに驚いた平家武者のように平和を感じさせます。

 

この高野山紛争、現代版は、以前、fbに長文で書いた記憶がありますが、まだ続いているので、いつか触れてみたいと思います。空海さんに合掌。


子ども・児童・少年 <どこへいくPTA>など諸々を読んで

2017-02-10 | 家族・親子

170210 子ども・児童・少年 <どこへいくPTA>など諸々を読んで

 

今朝というか午前中は雪やこんこんの世界でした。用があって和泉山脈のかなり高いところまで上がっていったのですが、途中からは雪国のような景色が広がり、気持ちのいい時を過ごしました。運転してもらっているので、スリップの危険も緊張もなく、のんびり風景を楽しめました。

 

それはそうと、帰ってきてウェブサイトを見ると、例の連邦控訴裁の決定が下されていました。全文28頁ですが、読むほど元気がないので、最後の結論部分だけさらっと見ました。西海岸にある第9巡回連邦控訴裁という、リベラルで、80年代や90年代に、次々と環境保護団体に画期的な勝訴判決をもたらしただけあって、今回も憲法に忠実な、仮処分上訴審らしい判断をしていると思います。これは司法権の独立、法の支配を支持する立場なら、当然の結論ではないかと思います。

 

報道では、裁判所が電話で、双方の意見を聞いた上で、判断したと言うことですが、これは少しおどろきました。といっても、わが国でも遠隔地なら本案訴訟でやっていますし、仮処分審尋でもやっているのでしょうかね(私が仮処分事件をやっていたのは15年以上前でしたので電話会議なんて考えられませんでした)。

 

裁判所の判断は、当事者双方が大量の証拠を収集してそれぞれもっともな主張をしていることを踏まえつつ、州側の主張には大統領令の差別的権利放棄条項によって発生する被害が具体的現実的であり、その証拠も十分であるのに対し、政権側はその国家的利益がどのように決定されるのか、誰が決定するのか、またいつ決定するのかといった実務内容についての説明がなされていないとかなどを指摘しています。

 

そして双方主張する公共利益について、一方に国家的安全に係わる強力な公共利益と民主的に選任された大統領が制定した命令があるが、他方に渡航の自由や家族離別の回避、差別からの自由があるとしたうえ、さまざまな困難な状態を考慮したとき、前者の利益は仮処分の停止を正当化しないとしています。これは最後の文章なので、それまでに20数頁も双方の主張を引用しながら、結論していますので、私の仮訳は相当雑となっています。決定文はダウンロードできますので、関心のある方は確認ください。

 

前置きはいつもの調子でちょっと気になったら適当に書いていますので、関心なければ読み飛ばしてください。

 

で、タイトルの子ども、児童、少年ですが、これらもなにをどうとりあげようか迷いつつ、うまく整理できる時間も能力もないですが、いずれもどこかに脈略が隠れているのではないかなどと勝手に思い、書いているうちになんとかなるかなと思い、書き始めています。

 

順番も整理していないので、とりあえず子どもというものから初めて見たいと思います。これは毎日記事で、<どこへいくPTA>として、3人の方が現在のPTAの問題を取り上げていたのですが、これは子どもの問題というよりその両親の問題という側面で光りを当てています。しかし、子どもが成長する中で、両親、あるいは一人の親として、学校との関係でPTAという存在が大きな問題になっていることはよく知られたことだと思います。

 

で、その問題の多くは、PTAの役員とか、なんらかの担当に、ならされる、あるいはそれから外れるために理由の説明を強制させられるといった状態が、毎年繰り返されていることでしょうか。派生する問題は限りないと思いますが、出発点はその当たりかと思います。

 

PTAの役員になればなったで、民主的な議論による決定とはかけ離れた形で、さまざまな行事参加や役割が回ってくる。ならなければ、学校のことはできるだけ遠ざかろうとする。そんな状態では、教師、子ども、親、そして地域や社会との相互交流がうまくいくことはますます困難になるように思えます。

 

そんな中、ここではPTAの役員を長くつとめ、全国組織の長になった方や、親としてジャーナリストとして全国のPTAの意欲的な活動を取材した方、アメリカに滞在してそのPTAと類似の組織に係わった方の意見が採り上げられています。

 

いずれも現在の役員選任方式やPTA活動の改善を訴えており、自主的な参加のみで活動を行うことが大事という点では共通の認識であるように思います。親がいやいやPTA活動をしていたら、子どもも学校や教師に対して、任意の共同活動による充実感といった社会参加で重要な意味を成長期に体験することが困難になるおそれすらあると思うのです。

 

むろん、その記事でも指摘されているように、共働きや一人親で育てている人にとって、働いて職場を確保することだけでも大変ということや、夫が長時間の残業をして妻だけがPTA活動を担うという実態は、自由で快活なPTA活動を困難にしている外的要因の一つでしょう。そのような阻害要因を少しずつ減らしていく施策が必要なことは確かです。

 

とはいえ、ネットで参加希望者を募り、参加できる事項や、やりたい事柄に応募してもらうというやり方など、新しい参加形態により、より親が子どもの環境作りに積極的に参加できるといった、それぞれのPTAという組織で考えていくことこそ、これから必要とされているように思います。

 

さらにいえば、PTAという学校から養成されたような組織でなく、より任意の活動団体をつくり、また子どもも、隔離された学校という中に閉じこもるのではなく、自ら学校活動をつくっていく組織作りをするようなことが、次第に求められているように思うのです。

 

今の中学生や小学生では無理という声が聞こえそうですが、そうでしょうか。やらせればできるのではと期待したいです。たしか津田梅子が西欧使節団と一緒に海外に渡ったのは7才でしたか。それは別としても、北米の小学生高学年くらいだとしっかりとしてディベートとか、みんなの前に立って自己の意見をのべることくらい平気でやるのが普通ではないかと思います。

 

戦後長い間、戦前の教育の反省にたって、個人の自由尊重という観念が普及しつつ、学校内では無用な規律がまかり通り、PTAでは親も必要性の議論もないまま各種会議などに参加させられ、職場では終年雇用としてその企業特有の慣習が個人の自由を押し殺していたように思います。いま子どもの自主的な活動、本当の意味での個人の確立を目指す環境作りが必要ではないかと思うのです。SNSなどによる集団的いじめなどがはびこる要因の一つは、そのような個性の尊重や異なる価値を大事に共有する環境を子どもたちが享受できていないところに問題があるように思うのです。かなり雑ぱくで表面的な見方をしたようにおもうところもあるので、いつかこの問題を具体的に検討してみたいと思います。

 

さて次は、少年法改正です。毎日は特集記事で、<18歳未満、諮問 懲役・禁錮一本化検討>と銘打って、この改正の概要を取り上げています。私自身、少年を何歳までとするかについて、特別考えてきたわけではありませんし、日弁連の意見を見てきたわけではありません。少年事件も、30年以上前に1件、最近1件、取り扱った程度で知見もほとんどないに等しいです。

 

そんな私ですが、現在はともかく、いずれは成人が18歳となることに異議がなく、また少年法が18歳未満に適用されることも、この記事で引用されているような審議内容であれば、一定程度の限度で、現時点よりはいい方向かもしれないと思っています。

 

少年は、成長期にあり、悪いこと、違法なことをまったく経験しないで過ごせる人は少ないと思うのです。それは少年が軽はずみで行うこともあるでしょう。万引きや、ミカン泥棒などもその一つかもしれません。違法なことと適法なことの区別はできても、その社会的規範を破ることの意味をしっかり理解し、自己をコントロールすることは、大人になっても容易ではないですが、子ども時代は極めて困難かもしれません。一度やってしまって、その重大性に初めて気づき、おそれおののくといったことは、成長期に必要なことかもしれません。

 

他方で、上記記事にあるように、これまで少年事件では、少年の可塑性を考慮し、その生まれた環境や成長期の状況など十分調査し、少年の立ち直りのため、専門技量をもったさまざまな支援を得て、仮に少年院に行っても、その更生に向かって配慮されています。

 

ただ、それは本来、少年だけに必要なのではなく、高齢者はもちろん、多くの成人にとっても、必要な処遇ではないかと思うのです。その意味で、少年法で扱われる処遇のうち更生にかかわる部分は、相当程度、成人・少年を問わず、適用される必要を感じています。

 

ところで、匿名性の問題、量刑の問題をどうするかは、まだ結論はでていませんが、一定の重大な犯罪被害を与えた事例では、成人なら特定してよい、未成年なら匿名という仕切りははたして合理性があるか疑問を感じています。むろん現行の報道のあり方に問題があるので、直ちに一定の場合匿名性を外してもよいとまではいえません。そういった過剰報道のあり方を猛省してもらい、適正な報道ルールが確立した場合に匿名性についても、一定の場合例外を設けてもよいのでないかと、現時点では検討しています。

 

むろん無罪の推定との関係で、どの段階から匿名性を外すことが適切かは、まだまだ検討すべきことが多いかと思っています。

 

この議論は、少年法による処遇は、少年による犯罪被害者の視点、模倣犯や同種犯罪の増加を減らす効果をも視野に入れて、慎重に議論される必要を感じています。このような意見は弁護士では少数かもしれませんが、現時点で導入すべきということではなく、匿名性は絶対の前提とされているように思われることについて、異なる利益の考慮や、その前提や一定の環境が整えば、例外はありうるといった議論も成立してよいと愚考するからです。

 

ここでの議論もまたあまりにも練っていないものですので、もう少し慎重な議論が必要であることを指摘して、トランプ氏的議論にならないようにしたいと思います。

 

最後に、<男児ポルノ 168人被害か 禁止法違反容疑>はショッキングな報道でした。しかも逮捕されたのは、幼い児童が最も楽しみにしている野外キャンプなどに関係する、子どもが慕うような人たちです。多くの親は、子どもが野外活動をすることを望み、自然と親しみながら多くの友人と交流することで心と体の成長に役立つだろうと期待していると思うのです。

 

そのような信頼を裏切る、極めて破廉恥な人たちではないでしょうか。学校の教師もいましたね。児童ポルノがどれだけ世界中に広がっているか分かりませんが、今回の事件では、最も信頼できるような人たちの行為ですから、予想されるような犯罪グループや変質者によるものでない点で、親たちにとって、誰を信頼していいのか不安になるでしょう。

 

しかし、他方で、児童ポルノの流行や、わが国では盗撮行為やわいせつ行為も相当程度氾濫しているように思えます。そういう意味では、オレオレ詐欺から還付詐欺までさまざまな悪行が残念ながら、疑惑を抱かない人を平気で裏切る形で横行している現状を真剣に考える時代かもしれません。子どもを守るためには、どのようなグループが、どのようなスタッフで行っているか、子どもにも、そのような危険な大人の存在や場所を知らせること、子どもからは不審な点があれば、親に知らせることなども、早い段階から必要なのかもしれません。

 

行きにくい社会と言えばおしまいですが、他方で、地域の大人に楽しい連帯の活動や組織があれば、子どもたちは危険な目に遭うおそれが少なくなるでしょうし、ましてや少年事件をおかすようなことにはならないように思うのです。少年事件を犯す多くの少年は、一人で何かをするというより、親に隠れて悪い仲間と連れだって、ちょっとした悪いことから悪質な犯罪を犯す坂道を降りていくように思うのです。

 

江戸時代の村社会の話を時折しますが、そういう悪行を行う子どもを縛る規律が地域の大人の目が割合行き届いていたのではないかと思うのです。ムラは、その中で司法・行政・立法という小さな自治組織として成立していたからこそ、通常は平穏な生活を送れていたのではないかと思うのです。現代的な意味での新たなコミュニティをつくっていく必要があるように思うのです。

 

 

 


個人的楽しみとその限界 <AV出演強要と受動喫煙対策>を読んで

2017-02-09 | 健康に生きるとは

170209 個人的楽しみとその限界 <AV出演強要と受動喫煙対策>を読んで

 

今朝は小雪舞い散る寒さと思いきや、しばらくして細雪ならぬ粉糠雨のようなじょうたいになり、ま、これも風情を感じさせてくれます。

 

子規の俳句もfb投稿の際は活用させてもらってきましたが、このブログでも使わせてもらおうかとふと思って取り上げました。

 

初雪やかくれおほせぬ馬の糞

 

なんとも愉快な気分にさせてくれる俳句の一つのように思います。これは明治18年の作ということですから、東大受験のため故郷松山から意気揚々と上京して、東京の街を闊歩していたころでしょうか。漱石、熊楠、秋山真之らとも交流していた頃でしょうか。なにかほのぼのとしつつ、馬糞の新鮮さと強い存在感を浮きだたせていて、田舎の素朴さの中に将来の日本を背負って行こうという初々しい情熱を感じるというのは、彼の人生を読み込みすぎかもしれません。

 

馬糞が仮に文明開化が進む東京の路上に落ちていたということはありうるかですが、当時はせいぜい銀座や霞が関、皇居周辺くらいで都市化が進んでいた程度で、一歩外に出ると、下町などは馬による運搬がふつうだったのではないかと思うのですが、確認できていません。というか、新都建設中のレンガ街はもちろん、どこでも交通手段としては、有力政治家も閣僚も、豊かな企業家なども、馬車を利用していたでしょうから、馬糞は意外とあちらこちらに落ちていたのではないかと思うのです。

 

その意味では、同じ馬糞でも田舎とは様相が違うかもしれませんし、初雪も故郷松山ではあまり経験がないでしょうから、いずれ新しい前途洋々の人生にうれしい景色だったのではと思ってしまいます。

 

と前置きはその程度にして、見出しの毎日記事、二つが社会面に掲載されていましたが、いずれも日本の長い歴史の中で、その楽しみを奨励されたり、あるいは制限されたり、そして最近ではその制限強化が強まる一方のようにも思えます。

 

いずれも楽しみというか、欲望というか、そういった類のものですが、その性質や社会的背景、その楽しみを成立させている構造は大きく異なります。一緒に扱うことは不適切ともいえるでしょう。が、あえて一つずつ取り上げつつも、なにか共通するものがありはしないかを少し考えてみたいと思っています。

 

AV出演強要という記事自体は、内閣府によるモデルやアイドルの勧誘を装った性的被害の実態調査ということで、その勧誘方法として、契約時に説明がないとか、契約も同意もしていない性的行為の撮影がされたなどの問題がクローズアップされています。

 

この問題は、毎日の動画ニュースで配信されている<AV問題:「“女優”は搾取されるだけ」上下で、取材に応じている支援団体が話す深刻な実態に繋がっている点に、感化されてはならなない内容だと思うのです。

 

そこで指摘されている言葉は強烈です。<演技者を作っているわけではなく、女性の世紀の使用権をただ使い捨てにしているだけの話>という点です。そこには使い捨てにされる女性がいます。しかも少なくない数の人が自ら高い給料を目当てにウェブ検索で簡単に探し当てたところに、自ら進んで申し込みしています。むろんその実態を知っている人はほとんどいないのです。一旦、プロダクションなどの事務所に入れば、使い捨てにされ、逃げるに逃げられない状態となるようです。むろん監禁とかではないでしょうから、逃げようと思えば逃げられるかもしれません。しかし、経済的に困窮した生活から這い上がるために入って、その収入だけが頼りであれば、容易に抜け出せなくなる構造になっているのだと思います。

 

それは次の段階には性行為に発展することも少なくないでしょう。売春防止法や風俗営業法のほか、各種条例による規制で、一定の歯止めがかかっていますが、AV産業が隠れた形でその橋渡しをしている面もあるでしょう。

 

そこには、制作を指示する事務所やスタッフの組織が目前にいるばかりか、その背後には二重、三重に、管理するシステムがあり、販売組織があり、大きなAV産業が成立しているわけです。ではなぜ肥大化するのでしょうか。AV女優がいるからでしょうか、男優がいるからでしょうか、映画を製作・配給する業者がいるからでしょうか、資金を出し金儲けをたくらむ人がいるからでしょうか。それだけではないですね。当然、膨大な数の消費者が世界中に、次々と再生産されています。

 

AV映画の鑑賞それ自体は、個人の楽しみであったり、欲望の追及でしょうか。それぞれの自由の領域とされているように取り扱われていると思います。他方で、売春を許容していた時代のように、このようなAV映画によって性的欲求が満たされ、その結果、女性への強要的な性的行為が抑えられるといった意見がいまなおあるかもしれません。

 

私自身は、後者の考え方については知りませんが、合理的な根拠があるとは思えません。実際、性犯罪の事件を扱ったわずかな経験では、その加害者の家には膨大な数のAV映画のDVDが積み上げらえていて、よくこれだけ見るものかと驚くばかりです。DVDだけでなく、現在ではウェブ上のAV映画が氾濫しているわけですから、これらもどれだけ見られているのでしょう。

 

これらの鑑賞によって、性的欲求がコントロールできる場合もあるかもしれません。しかし、このような映画がない時代、性的犯罪が多かったでしょうか。統計的データがないので正確なことは言えませんが、これらの映画によって、性的犯罪が減ったり、性行為の強要などが減ったりしているというデータがあるとは思えません。むしろ増えているのではないかと思うのです。

 

いろいろ書いてきましたが、AV映画は、意に反する性的行為や露出行為をさせられる女性、場合によっては男性だけの問題ではないと思います。その映画を購入するなど消費する人たちの問題性をしっかり取り上げていく必要を感じています。

 

とりわけ公開の場での広告表示、ウェブ上での掲載は、きわめて有害性が強く、多くの人に嫌悪感を与えるばかりか、潜在的な消費者の欲望を生み出し、新たな性のとりこにさせてしまう恐れもあります。

 

まだ、きちんと喫煙問題(受動喫煙対策)との関係を整理できていませんが、ここまで書いてきて、少し共通点らしきものを、感覚的に感じています。

 

一つは、喫煙を楽しむ人は、それこそ個人の自由な行為であり、その健康への害は自分の責任で受け入れるのだから、誰からも文句を言われる筋合いはないといった意見も一つ有力かもしれません。それ自体は、私自身、一定の合理的な理由と考えます。

 

しかし、すでにたばこ病とまで言わなくとも、たばこのがんリスクを含む健康被害との因果関係は証明尽くされています。そしてそれは喫煙だけでなく、副流煙など間接喫煙の害も大きいとされています。

 

たばこは、わが国に持ち込まれて以来、身分の上下関係なく、多くの人に愛され、農民の間では、その一服を楽しみに、つらい農作業をしていた記録がすくなくありません。そして長くたばこ税として、国家の財政を担う重要な税負担の役割を続けています。それを突然、方向転換するような、最近の、急激な制限施策には、たばこ愛好者にとっては酷かもしれないと思うこともあります。

 

しかし、戦前の、のどかなたばこを楽しみで吸う様子とは、戦後の急激な喫煙量は異常ではないかと思うのです。戦後の進駐軍時代から、また、その後もさまざまな段階で、アメリカたばこ産業の施策の影響もあったとおもわれます。その一つは、アメリカの医療費増大に多大な影響を与え、何十兆円だったか、費用負担を命じられたたばこ産業が今度は日本をはじめ海外輸出を強力に推し進めました。

 

その過程の中で、たばこの宣伝は一時、巨大な費用をかけ、どこでもどのような媒体にでも、また、終日、たばこを吸うことを奨励するような広報が、映画の内容も含め、健在的、潜在的にも、行われて、多くの人が無意識の中で喫煙が望ましいものとして、しかも大量に消費されたように思うのです。

 

喫煙しながら、飲食するのは当たり前、それも、わが国特有の小さな居酒屋やスナックで、なじみの人たちと楽しむことは、仕事や社会関係につかれた人々にとって、ゴルフやテニス、海外旅行といった高額な費用をかけないで済む、数少ない楽しみかもしれません。それをも奪ってしまう、今回の喫煙制限は、相当厳しいものと映るでしょう。自民党の、一部例外を認める対応は、一定の限度でやむを得ないかもしれません。

 

ただ、なぜたばこが抑制されないといけないのか、誰もが利用できる場所で禁止されるのか、それについて、基本的な理解を得ることが、まだ道半ばかもしれないという意味であって、そういう意識が普及すれば、次の段階に移ることを期待したいと思うのです。

 

こう書いてきて、個人の楽しみには、自分自身にも一定の有害な要素があること、そしてそれが関係のない第三者にもより強い有害な結果を及ぼすおそれがあること、という抽象的な意味で、共通する問題と感じました。その楽しみと抑制のバランスをどの程度にするかは、不断に現実の状況を検証して、見直していく必要がある問題かと思うのです。