たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

医療の公正さ <虚偽診断書 組長収監逃れ 組長と医大学長会食>を読んで

2017-02-18 | 医療・医薬・医師のあり方

170218 医療の公正さ <虚偽診断書 組長収監逃れ 組長と医大学長会食>を読んで

 

今日は暖かい心地よい雰囲気です。冬の縛れる凍土のような過酷な状態をじっと耐え、去年植えた花(500位の苗)のうちいくつかは枯れた状態から生きる喜びのような緑色をしていきました。生命の力強さを感じます。

 

さて今朝の北朝鮮の金 正男(キム・ジョンナム)暗殺事件や韓国のサムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長の話題で沸騰しています。もちろん相変わらずトランプ氏の独演ぶりも取り上げられていますが、浜矩子氏による安倍首相のトランプ会談での蜜月ぶりについて相変わらず辛口の批評も思わずにたりとしてしまいます。

 

ところで、今日は午後大阪に行くので、なんとか午前中にブログを書き上げたいと思っていますが、今朝の毎日には手頃なのがなく、最近話題の見出しの記事、毎日が連続でフォローしているのを、少し法的観点を交えて、医療の公正さというものについて、考えてみたいと思います。

 

事件の概要は、毎日の14日から16日の記事を整理するとおおむね次のような経過ではないかと思います。

 

136月 京都地裁は高山義友希(60)を恐喝罪などで懲役8年の実刑判決。

147月 大阪高裁が高山被告の控訴を棄却。

147月 府立医大病院で高山被告に対し腎移植手術が行われた。

15年年6月 最高裁が上告を棄却した。

この後、大阪高検に対し、京都府立医大病院長と武田病院がそれぞれ高山受刑者が収監に耐えられない趣旨の報告書を提出。

162月 大阪高検は上記報告に基づき高山受刑者の刑執行を停止し、収監を見送った。

17214日 京都府警は虚偽公文書作成容疑等で、府立医大病院等を家宅捜索

同日    高山受刑者は京都地検に出頭し、大阪高検が大阪刑務所に収監した。

15日  京都府警は、虚偽診断書作成容疑で、武田病院を家宅捜索。

 

おおざっぱな流れは以下のように思います。

 

で、関係者の情報は、警察発表が中心で、暴力団情報は確かなものと思う一方、伝聞もあり信頼性がどの程度あるか記事からは判明できませんが、おおむね以下の通りです。

 

高山義友希(よしゆき)受刑者は、指定暴力団・山口組の直系組織「淡海(おうみ)一家」総長で、京都市に本部を置く指定暴力団・会津小鉄会の会長だった登久太郎氏(故人)の子とのこと。

武田病院は、父が診察を受けていたことなどから、高山受刑者も同病院で腎臓透析を受けるなどしていたという。

「康生会 武田病院」(内藤和世院長)は地域の中核病院で、府立医大病院とは連携関係にある。

府立医大の吉川敏一学長(69)は、高山受刑者と京都市内でたびたび会食していた。この2人を引き合わせたのは京都府警のOBだった。

腎移植手術は、吉村了勇(のりお)病院長(64)ら3人が担当した。病院関係者によると、外科ではなく消化器内科が専門の吉川学長も、執刀には携わらなかったが立ち会ったとのこと(なお学長はこれを否定)。

 

以上は主立った登場人物です。で、次は家宅捜索の被疑事実です。

 

容疑対象は大阪高検に提出した報告書です。<府立医大病院側が吉村病院長名義で「(高山受刑者が)収監に耐えられない」という内容の報告書を高検に提出。治療が難しく感染率が高いとされる「BKウイルス腎炎」などのため、「(刑務所にはない)最新の医療機器がなければ病状が悪化する」などとする意見も記していた。>とのこと。

他方で、この内容について、<松原弁・回答執刀医の一人が府警の任意の事情聴取に「病院長の指示で事実と異なる内容の報告書を書いた」と認め、他の病院の複数の医師が「収監は可能」との見解を示していた。>と虚偽性を示す指摘をしています。これに対し、吉村病院長は否定し、記者会見でも明確に否定する発言をしていました。

もう一つの武田病院も、<不整脈などにより収監には耐えられないとする虚偽の報告書を作成、大阪高検に提出した疑いが持たれている。>とされていますが、作成者が誰か、どのコメントは記事になっていません。

 

上記の報告書の虚偽性を裏付ける事実として、以下の内容が指摘されています。

 

高山受刑者を知る人物によると、高山受刑者は昨年2月に大阪高検が刑執行を停止した後も、同市左京区にある自宅から頻繁に外出。組員とみられる男数人と車で買い物に出かけたり、市内の喫茶店で人と会ったりする姿を見たという。この人物は「自力で歩き、病人という印象を感じることはなかった」と話した。

 

そして高山受刑者は、先述の通り、家宅捜索が会った日、みずから出頭して収監されていますね。これら一連の流れをどう考えるかというのが今日のポイントです。

 

この事件では、すぐにいくつかの検討すべき事項といったものが浮かび上がります。まず、①当然、大阪高検に提出した各報告書が虚偽かどうかと言う点、②次に、府立医大病院が高山受刑者の診療を引受、手術したことに問題はなかったかどうかと言う点、③学長と高山受刑者との会食があったとした場合問題はないかと言う点です。

 

まず、報告書の話から取り上げたいと思います。記事では、報告書と言ったり、診断書と言ったり、どちらが本当なんだと思われるかもしれませんが、法的には医師法上は診断書とみていいのではないかと思っています。おそらくタイトルが報告書となっているので表示上の表現を取り上げたりしているのでしょう。

 

医師法は、診断書の作成について、いくつかの規定を置いていますが、その定義規定はなく、解釈に委ねられると思います。診断書について、解説書を読んでいませんが、ウィキペディアの規定、<医師が診断したものについては、社会通念上、医師が患者について証明書として書面に記すものを指す。ただし、死亡に関しては死亡診断書のように、名称は診断書のみとは限らない。>が一般的な理解ではないかと思います。その中には、運転免許能力などに係わる記述も含まれたり、文書のタイトル表現に関係なく、内容が医療行為に基づき作成された患者の健康状態等に関するものであれば、すべて含まれると考えます。

 

続いて、その診断者が虚偽かどうかは、簡単には判断できないと思います。たしかに高山受刑者が外出したりして元気そうな様子を目撃されていることが事実なら(おそらく本人が出頭していることからその可能性が高いと思います)、虚偽性は高まるとはいえますが、医師が診断時に患者の健康状態を客観的なデータや問診に基づき、診断したときは収監に耐えられないと判断したのであれば、それが事実と異なったとしても、虚偽の事実について認識を欠くことになり、故意犯としては成立しないと思います。過失の可能性はあり得ても、この犯罪では過失犯は問われません。

 

むろん、他の医師が病院長の指示で内容を書き換えら得たといった情報があり、それが事実なら虚偽性の認識が裏付けられる一要素と思います。ただ、取材の状況から見ると、この府立大学病院内になにか内部的に問題がありそうな印象もぬぐえず、その医師からの取材だけでは明確な判断はできないと思います。

 

しかしながら、他方で、いくつか気になる点もあります。なぜ武田病院では腎移植手術ができなかったのか、専門医がいなかったために府立医科大病院に転医したのか、そこも検討する必要があるかと思っています。

 

少し余談になりますが、覚せい剤関係の被告人などといろいろ話をしていると、覚せい剤や薬物を長く使用したり、荒れた生活をしている人が少なくなく、腎臓病を罹患していて、その情報が相当、裏情報的な形で流通していて、あそこの医師や病院が結構診断が甘いとか、といった情報は相当出回っていることが分かります。詳細情報は、弁護人にも伝えませんが、彼らは収監されることをとても嫌がりますので、なんとか治療が必要という診断を得て、医療刑務所など、少しでも待遇のいいところに入りたがります。むろん高山受刑者のような人は、そういった情報はレベルの違うものだったと思われます。

 

その高山受刑者が学長と頻繁に先斗町当たりで頻繁に会食していたといった情報が正確なものであれば、手術日が控訴棄却と同じ月であることから、上告しても棄却が予定されており、収監が想定されている中、意味があるようにも思えます。大阪高検としても、武田病院は、父親の会津小鉄会トップの治療を長年やってきていることから、その診断書の内容については、さっ引いて判断するだろうとの予測は、高山受刑者としても考えるのが自然でしょう。

 

すると、学長への接近と、府立医大への転移、手術が、関係する可能性も高まってきます。

京都府警の捜査を推測するならば、被疑事実は、刑法上の、虚偽公文書作成罪ということにとどまらず、学長、引いては院長の受託収賄罪をも視野に入れている可能性があるかと思われるのです。学長自体に、一連の行為に関連して、職務といえるものがあるかといえば、直ちには認めがたいと思います。ただ、病院長が、暴力団組長の受け入れに反対する声があったという中で(これは記事ですので事実の確認が必要でしょう)、あえて入院を認め、自ら執刀し、虚偽の疑いが高い報告書を提出したということになれば、病院長が虚偽公文書作成罪に問われる可能性は高まります。それが、学長からの指示によるものだとすると、そのような職務命令は不当と意識するのが通常ではないかと思うので、高山受刑者から請託を受けてやっているとの認識をもつことは十分ありえます。学長は教唆なりの共犯の疑いがでてくる余地もあるでしょう。

 

なお、まだ検討できていませんが、医療法上の次の違法行為もより問題になる可能性があるかもしれません。報告書自体が問題ですが、それ以前の入院・手術といった一連の行為も不正の請託を受けて、財産上の利益を収受した(茶屋での接待も含まれると考えます)という可能性も否定できません。

 

医療法

第七十一条の十一  社会医療法人の役員又は代表社会医療法人債権者若しくは決議執行者が、その職務に関し、不正の請託を受けて、財産上の利益を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。

 

だいたい暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、京都府暴力団排除条例などで、暴力団からの取引なり関与を排除するのが本来ですが、医師法上、次の規定は基本的な医師の義務を定めていますが、この規定を暴力団に巧妙に活用される危険もありうると思っています。

 

第十九条  診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

 

以上、毎日の記事をざっと読んで、ほんの一つの推論を簡単に書いてみましたが、そろそろ出かけないといけないので、中途半端ですが、この程度で今日はおしまいとします。

 

最後に、多くの医師が誠実で真摯に患者に向かって医療行為を行っており、この問題となった医師や学長もそうだと信じたいと思いますが、やはり世間の期待に応えるには、「李下に冠を正さず」との姿勢が大事ではないかと思うのです。その意味で、それぞれの病院のコンプライアンス・マニュアルの改善を求めたいと思うのです。


土地の売買と汚染の責任 <格安の謎 評価額9億円、大阪の学校法人へ1億円で売却>を読んで

2017-02-17 | 土壌汚染

170217 土地の売買と汚染の責任 <格安の謎 評価額9億円、大阪の学校法人へ1億円で売却>を読んで

 

今日は終日寒さをあまり感じない一日でした。どんより曇っていて、小雨も時折降ってきましたが、春雨じゃ、濡れていこうなんて気分にさせてくれます。

 

とはいえ午前中は病院にでかけ、午後は打ち合わせで、いつの間にか夕方になってしまい、今日のブログは何をテーマにしようかとちょっぴり悩んでしまいます。もう限られた時間なので、軽く仕上げないといけないので、ちょっと気になった見出しの記事を、過去の経験談やいま話題の豊洲土地売買をからめて料理できるか、書きながら考えてみようかと思っています。

 

この事案、少しウェブ情報を見ると、買主の学校法人が幼稚園を経営していて、教育勅語を園児に唱和させたり、理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、取得した土地で小学校を今春開校予定で、「日本初で唯一の神道の小学校」、しかも名誉校長が安倍首相の奥さんといったことが別に話題となっているようです。

 

ま、そういった話題はとりあえず脇において、土地売買そのものについて、少し言及したいと思います。土地は面積約8770㎡で、国有地。その鑑定額は9億5600万円で、地下にゴミがあり、国が見積もった撤去・処分費約8億円をそこから差し引き、買主の学校法人「森友学園」には1億3400万円で売却されたとのこと。

 

私はこの記事を見て、まずこの撤去・処分費をどのような調査および資料で見積もったのか疑問に思ったのが気になった最初です。一体どのようなゴミが地下に埋設されていたのか、どのように調査したのか、わかりません。というか、通常土地の売買では、こういった地下埋設物というものが瑕疵に該当するかどうか、その取引内容・その後の土地利用との関係で、当事者間で詰めるわけですし、当然、その前提としてボーリング調査などをして、廃棄物の性状や汚染の有無、有害性の有無程度を調査するわけで、そういったものがまったくわかりません。

 

記事からすると、一般廃棄物、事業系のものといったイメージもありますが、実際は、地下を掘削して、性状を確認しないとわかりません。

 

私自身、以前、川崎市鷺宮のマンション建設差し止め訴訟で、驚くべき経験をしました。その土地は元学校敷地で、土壌汚染対策防止法上、その利用来歴や一定の荒いボーリング調査では、廃棄物の存在は判明していなかったのです。そして、訴訟は東京地裁で本格的に争われ、現場検証を実施する計画になっていたところ、突然、業者側からすでに5階くらいまで立ち上がっていたのを中止するので訴訟を取り下げてほしいと提案されたのです。

 

その理由は、地下掘削工事をしていて六価クロムなど有害廃棄物が大量に発見されたということで、マンション建設を断念することになったことがわかりました。その後、売主である電鉄会社は買主の著名不動産デベロッパーに百数十億円の損害賠償をしたというニュースも報じられていました。そして今度は、その大量不法投棄されたのは、川崎市が行ったものだということで、川崎市相手に、50億円近い損害賠償を求めて、公害等調停員会に責任裁定を求め、見事に請求を勝ち取りました。ところが、川崎市がその裁定を争い、東京地裁に債務不存在の確認訴訟を提起して、今度は川崎市が逆転勝訴したという報道まではわかっています。

 

なぜこんなことを書くかというと、土地売買において、地下埋設物の処理責任が誰にあるかは簡単には論じられないということを、この紛争の経緯からもいえるのではと思っています。実際、土壌汚染をめぐる訴訟は、最近増えているように思います。当然、事業者同士であれば、事前に地下埋設物の有無、調査の方法、調査結果を踏まえて、どのような責任を双方が分担するかを詳細に取り決めるのが普通です(法令や文献をもとに書いていませんので、ここは大ざっぱと思ってください)。

 

本件の売買で、地下の廃棄物がどのようなもので、それが学校敷地として、どの程度処理しないといけないものか、どのように検討されたのか明らかでありません。というか、他のウェブ情報では、一旦、当該土地は、学校法人に代金を支払う資金がないため、10年間の定期借地権契約をして、使用を開始したというのですから、すでに工事開始した後に見積もった可能性があります。つまり、工事に入り、地下掘削をしているときに、廃棄物を発見したというのではないかとも思われます。

 

しかし、地下掘削したといっても、写真で見る限り、小学校の建物は2階建てか3階建てのようですので、まさに低層建物で、地盤が軟弱でなければ、地下掘削はわずかで済みます。仮に軟弱地盤で杭基礎だとしても、さほど広範囲に掘削したとは考えにくいのです。すると、廃棄物の全体像を把握できないでしょう。また、豊洲と異なり、安全・安心対策と言っても、有害性のある廃棄物の可能性は一応低い(川崎の事例では事業系廃棄物でしたがきわめて有害廃棄物が大量に埋設されていたので、それだけではわかりません)とはいいうると思います。それでもどのようにして高額の廃棄物処理費を見積もることができたのか、それを明らかにしないと、国有財産の処理としてずさんと指摘されても仕方がないでしょう。

 

豊洲の土地の売買における土壌汚染の扱いの不可解さ、秘密裏に行うやり方は、それ以前にも、東京都はクロム鉱滓を大量に埋設していた工場敷地を買い入れた際も、適切な土壌汚染対策について検討していなかったため、後日裁判になり、不徹底な和解解決を行い、結局、その事後処理が不完全なため、長く汚染処理対策が近隣住民との間で紛争となっています。

 

むろん事業者同士であっても法的処理が不完全なことが少なく、後日裁判で争われることもありますが、公共財産の場合、とりわけ随意契約などで行われる売買では、第三者の監視が不可欠ではないかと思っています。

 

今回の土地売買でも、では学校用地として、適切な処理が行われたのか、それは一切明らかとなっていません。売買代金の多寡といった経済的価値の問題にとどまらないのです。この学校法人には資産があまりなく、定期借地権契約にしたという経緯からすると、用地の地下にどのような廃棄物が埋設されていたか、その調査は適切に行い、また、埋設されていた廃棄物はすべてとまでいいませんが、だれもが安心できる範囲で把握し、また、適切な処理が行われたという、データ資料の開示がなされないと、安心できる内容ではないと思います。

 

この学校法人は、教育勅語や神道を大事するようですが、健やかな精神を育てるためにも、安心できる学校敷地を提供することがなによりも肝心だと思います。当初、風評を心配して、売買代金の公表という国有財産の管理原則に反してまで、拒否したとも言われているわけで、その公正さや真摯さに疑問を感じています。ないよりも公明正大が大事ではないかと思うのです。臭いものに蓋をといった考えでは、子供たちに健全な精神を育むこともできないおそれすらあります。今後の対応に期待したいと思うのです。そうでないと、豊洲問題の二の舞のように、いつまでも後を引きかねません。

 

ついでながら、学校用地の取得について、より慎重な態度が求められるのではないかと思っています。中には戦時中に爆弾が投下され、不発弾として残っているような敷地だという話も関係者から聞いたことがあります。先述の川崎のマンション敷地も、元は学校用地ですが、その取得時に、きちんと調査されないまま、長年にわたって校庭、運動場などとして、児童にとって場合によっては危険にさらす事態をまねいていたのです。

 

むろんクロム鉱滓やその他有害物質も、地中にある限り、あるいは地下水や他の化学物質などと触れ合うようなことがなければ、安定した状態で、危険性はさほど心配することがない場合が多いでしょう。しかし、地下をいったん掘削等で開けたりすると、大気にさらされたり、地下水脈の変動などにより、有害性が顕在化するおそれがあるわけです。

 

土壌汚染対策防止法では来歴調査で、過去に有害物質等を製造加工するといった工場など一定の危険性のある土地利用がされていないと、徹底した調査も行われないのが通常でしょう。しかし、実際のところは、不法投棄が各地で行われてきたのは事実であり、長年経過すると、その不法投棄の痕跡が見えなくなり、日本中、どこに爆弾というか危険物が潜んでいるかわかりません。その意味で、土地の売買は、価格や土地利用規制、土地の外観などを元に、安易に考えるべきではないと思います。

 

そろそろ時間となりました。文献資料をまったくチェックする余裕がなかったので、今日も大目に見ていただこうかと思っています。


衣食住とお金 <60代親世代が「住宅ローンは超怖い」と言う理由>を読んで

2017-02-16 | 人の生と死、生き方

170216 衣食住とお金 <60代親世代が「住宅ローンは超怖い」と言う理由>を読んで

 

今朝も霜が凍てつき、マイナス3度も納得する寒さです。そんな早朝、隣家のおばさんがやってこられ、私が伐った竹木をブドウ畑で使わせてもらえないかと、丁寧にご挨拶がありました。この竹木、枯れているやつは燃えやすいので、どんどん燃やしてしまうのですが、青々しているのは、一部は垣根とか適当に使うつもりで、あちこちに積んでいます。とはいえ実際は、ずっと放置することになり、いつの間にか土に埋もれる状態になります。

 

そんなわけで、どうぞどうぞ使ってください、どうせ燃やすつもりですから、それにあちこちに数十本、いや合計すると百本近くはあると思いますと、遠慮なく使ってくださいと話しました。すると、おばさんは袋を差出し、なにか買ってこようと思ったんですがといいながら、お金が入ってそうな袋をどうしても渡そうとするのです。私はとんでもないと、お断りしました。寒風の中、しばらく押し問答しましたが、田舎では一旦、出したものはなかなか引っ込めないことを分かっているのと、双方寒くてかないませんので、これはお年寄りの申し出を受けるしかないと思った次第です。

 

むろん中には、黙って持って行く人、一言言って持って行く人、いろいろいますが、結構、今日のおばさんのように、お金とか、あるいは農産物をもってきてくれる人がいます。それは竹木にかぎらず、なにかしたら、その代わりみたいなものでしょうか。

 

ちょうどいま先住民の世界をいろいろな本を読みながら、学んでいますが、やはりあのイザベラ・バードの『アイヌの世界』を思い出しました。バード女史は、アイヌの人と一緒に共同生活を少しの間しますが、その中で、アイヌの人からいろいろなものをいただくのです。その多くは経済的な価値のあるもので、バード女史はお金を提供しようとします。しかし、アイヌ人はだれも受け取ろうとしません。金銭的価値をアイヌ人が知らないわけではないのです。

 

この状況について、瀬川拓郎著『アイヌと縄文』では、(実はなかなか読む時間がとれず中途半端で終わっているのですが)アイヌ人は長く縄文人の末裔として生活を送ってきて、ようやく弥生期後半?から鎌倉期にかけて(後者がただしいかもしれません)弥生人や倭人(その後の日本人)と交易をするようになり、ある種の物々交換により、日本全土にとどまらず東アジアを市場とする、豊かな交易文化を形成していったとされています。他方で、アイヌ人の同族の間では物々交換が行われず、あくまで贈与、受領、返礼という決まった儀礼が慣行として続いていたというのです。ですから、バード女史もある種仲間のごとくあつかわれたのではないでしょうか。

 

で、なぜアイヌ人、縄文人の末裔として、その慣行の一部をとりあげたかというと、弥生時代は米作と集団による共同作業、それによる支配的関係、さらに支配関係を争う紛争といった歴史認識がありますが、交易の視点が十分には解明されていないようにも思います。さらに言えば、貨幣による流通です。すでに中国ではある程度の貨幣経済が普及しつつあったのではないかと思っています。

 

で、少し飛躍しますが、近畿圏の農業においては、相当早い時期から貨幣経済が浸透していたように思うのです。江戸時代には、田畑作業などの請負作業者に対する賃金協定なども認められますから、なにか作業をするということは、経済的対価が当然のように成立していたのではないかと思います。で、最初のちょっとした近所同士の会話は、その意識がいまなお強く残っている現れの一つかなと思った次第です。

 

その金銭ですが、かなり早い時期から、金貸しも成立していましたが、これはどのような宗教思想でしょうか。ユダヤ教はベニスの商人で誇張されるように当然視されていますが、儒教も、キリスト教も微妙に変動してはいるものの、結局は排斥してこなかったのではと思っています。武士政権では徳政令など、強引な支払免除を行っていますが、それだけの合理性があったのかもしれません。

 

と前置きがどこまで続くか分かりませんでしたが、この辺で終わりにして、見出しの住宅ローンに移ります。いつ頃から、金貸しの一つ、住宅ローンが始まり、定着したのかは、調べていませんが、宅地分譲は、1920年代頃から、田園都市構想が世界中を駆け巡る中で、わが国でもたとえば、田園調布、鎌倉、国立、芦屋など、各地で高級住宅地として森林に囲まれた整然とした区画の分譲地が相次いでつくられましたが、この頃、もしかして住宅ローンも普及しだしたのではなんて思ったりしますが、広告資料を見たことがあるものの、そこまでは気づきませんでした。

 

またまた脱線しましたが、私人もバブルの前に住宅ローンで住宅を購入しましたが、その後のバブルで見事な泡で消失しています。当時は金利も高くて、見出しの記事の中でも指摘されているように、その世代の多くは借りた金額の倍返しというのが意識として強く残っているでしょう。

 

しかし、その後の超金融緩和施策で、金利がないに等しいというと誤解を招きますが、あまり意識しなくてもよい時代になったことは確かでしょう。とはいえ、この筆者が言うように、いまがチャンスで、巨額の住宅ローンで、高い物件を購入することがお勧めとまでいえるかは、それぞれの条件によって当然異なると思います。

 

たしかにわが国の地価は、バブルの猛反省で、一部を除き、現在もほとんどの地域で安定しているか、わずかに低減している状況が続いていると思います。その意味で、土地の地価もお値頃ですよといえるかもしれません。しかし、私にはそう簡単にいえないと思っています。

 

縄文人による高度の知見と高い意識の下で成立していたと思われる共同生活の平穏や安定は、いまではほとんど跡形もありません。とりわけ民主主義制、自由と平等、そして資本主義とそのグローバル化の旗頭である、アメリカは、見事にその主義を徹底してきました。

 

その結果、リーマンショックが起こったのは2008年です。その前にはブッシュJr政権による金融緩和で銀行による投資が進められ、返済能力を問わずに住宅ローンや車ローンなどを組み合わせてサブプライムローンという新商品を生み出し、さらにその価値の下落を見越してデリバティブ取引を行うこと放任した結果、天井知らずの住宅バブルと株式投資バブルが起こり、そして破裂したのですが、まだそれから10年も経過していないのに、忘れたかのような状態になっています。

 

09年に就任したオバマ大統領は、果敢に、金融規制を進め、金融規制改革法(ドッド・フランク法)や「ボルカー・ルール」を施行しました。

 

しかし、他方で、金融機関を救済するために、巨額の資金をウォール街に投じたのです。そのため、デニス・K・バーマン著「金融規制改革法見直し、危機時代の終幕告げる」によれば、<。新しい政策では、数百万人の国民が自宅を失っていた時に、銀行を直接救済するために使った7000億ドルのことがほぼ忘れられている。「ウォール街を占拠せよ」運動が定着し、ニューヨークのパークアベニューをデモ隊が行進したのはわずか6年前のことだ。あの怒りがその後のバーニー・サンダース上院議員の民主党予備選挙での大健闘を後押しし、いろいろな意味でトランプ大統領の誕生にもつながった。>というのです。

 

つまり、住宅ローンが借りやすいといって、飛びつくと、現在の金融機関(投資という名の投機をもくろむ事業体が支配しているグローバル経済の主軸)の格好の餌になるおそれは十分わきまえておく必要があると思うのです。

 

なぜバーニー・サンダース氏があれだけ熱狂的な支持を得られたのでしょうか。ウォール街の暗躍を明確に攻撃し、克服できないほどの格差をもたらした金融政策にノーいい、教育格差の象徴である大学無料化を訴えたからでしょう。

 

わが国は違うというかもしれません。しかし、巨大資本をもつアメリカに対抗できる状況にはないと思います。ウォール街の意向を反映したトランプ政権首脳は、トランプ氏が批判してきたはずのウォール街に対して、明らかに優遇策を実施しようとしています。株式バブルの再熱ではなく、すでにリーマンショック前を凌駕しています。では格差是正は見込みがあるのでしょうか。住宅バブルは回復するのでしょうか。否と言わざるを得ません。

 

でわが国に同じような住宅バブルが訪れるとは私も思いません。しかし、上記の見出し記事で指摘している、父親世代は確実な終身雇用と昇級が約束され、老後は豊かな年金生活がっかくほされていました。その子ども世代はどうでしょう。自らが自分が置かれた状況を的確に判断して、ローン管理をしっかりしていかないといけない状況です。個人個人が自立していく、その意味では一面妥当性のある部分です。逆に言えば、金利が安いから長期の住宅ローンを借り入れてもよいとはいえないわけです。東芝、シャープといった一流企業といわれた大会社ですら、将来は見通せません。その他の企業も、アメリカ流グローバル化という過剰強を押しつける状況では、雇用環境も含め、大きく変容するわけで、資金管理を含めライスサイクルは、それぞれがしっかり検討していく時代かと思います。

 


アスベストと放射性物質 <石綿規制日英比較と東芝解体の危機>を読んで

2017-02-15 | 企業運営のあり方

170215 アスベストと放射性物質 <石綿規制日英比較と東芝解体の危機>を読んで

 

今朝は少し寒さが緩んだようで、周りは凍てついた氷が光り輝く姿はなく、田んぼにはもう緑の絨毯が薄く敷き詰めたように、初春の佇まいを見せてくれています。

 

今朝の毎日は、東芝問題が大きく取り上げられていました。この問題を検討するだけでもかなり骨の折れる話です。以前も取り上げたウェスチングハウス(WH)の誰も手をださい中で東芝が6000億円でなぜ買収したか、また実価格の2倍以上の破格の値段で購入した結果、多額ののれん代を計上するという不可解な問題が出発点です。

 

買収後も企業統治がほとんど行われた形跡がみられず、福島原発事故前も後も、虚構の事業成績の発表、そしてようやく昨年4月に2000億円の減損計上した後、WHの不可解な紛争相手会社の買収を経て、昨年暮れに初めて7000億円以上の損失発覚という事態は、昨日のてんやわんやの騒動劇を引き出し、一時は日本を引っ張るトップ企業であった面影の一端も見えない悲惨な状況を感じます。

 

この数年間、多くの専門家、ジャーナリストがこの東芝問題を詳細に論じており、私自身もその一部を読みながら、この問題の深さを感じています。と同時に、別の側面について、毎日記事からアプローチしてみたいと思い、見出しのテーマとしました。

 

アスベスト問題については、被害の拡散や深刻さが明らかにされるたび、また、各種の訴訟事件の進展などに応じて、多くが報道してきたと思います。私は、ちょっと異なる視点で考えたいと思っています。アスベスト問題と東芝問題、まったく関係のない事柄ですが、細い糸でなにか脈略を感じているのです。うまく説明できるかはまだ頭の中のもやもや状態なので、書きながら考えてみます。

 

今朝の毎日記事は、<石綿扱う資格、徹底養成 英国の対策/下 講習機関設け除去の質保つ>と題して、石綿規制の日英比較をしつつ、わが国の規制が十分でないこと、イギリスでは、建物からアスベストを除去する作業について、厳格な能力・資格や監督システムを設け、しかも放散を防止する遮断囲いを設けるなど、作業者および周囲の環境保全をはかる制度を徹底する状況を視察報告しています。

 

実際、私自身、アスベストを使用していた時代のマンション取り壊しに際し、近隣住民からの依頼で行政にいろいろ指導監督を求めたことがありますが、法的規制が徹底されておらず、安全な方法で除去しているか確認できる制度にはいなかったことを記憶しています。10年位前の話ですが。

 

他方で、アスベスト被害の救済を求める訴訟は、日本各地で提起され、アスベスト訴訟としては、法務省の分類としては、<石綿(アスベスト)工場の元労働者等や近隣住民,建設業等の元労働者等及びその遺族の方々が,石綿による健康被害を被ったのは,国が規制権限を適切に行使しなかったためであるとして,健康被害又は死亡による損害賠償を求めている事案です。現在係属中のアスベスト訴訟の訴訟類型には,工場労働者型(屋内型)及び建設労働者型(屋外型)があります。>と2つの類型に分類しています。

 

国の作為義務違反は多くの訴訟で認められる傾向にありますが、実際は、国と建材メーカーを相手にした訴訟が提起されており、メーカーの責任を否定する傾向にあります。ただ、毎日新聞報道によると、昨年2月には京都地裁が<メーカーが石綿建材の危険性の警告表示なしに販売、流通させたこと自体を「加害行為」とした。その上で、おおむね10%以上のシェアを持つメーカーの石綿建材であれば、労働者が年に1度は接していた確率が高いと判断>して、加害企業を特定しない手法で、過去の公害訴訟理論をさらに一歩前進させるような、共同不法行為責任を認めています。

 

しかし、今朝の毎日は、札幌地裁が、国の責任を認めつつ、メーカーについては発症原因の企業を特定できないとして、否定したと報じています。

 

私がアスベスト訴訟の概要を取り上げたのは、あくまでプロローグです。これら訴訟は2005年にアスベスト被害がわが国で大きく取り上げられた以降に提起されたものです。

 

アスベスト訴訟は、19887月、住友重機械の退職者8人が、住友重機械(元の浦賀ドック)を相手に「横須賀石綿じん肺訴訟」を横浜地裁横須賀支部に提訴したのが最初ではないかと思います。この訴訟は、企業側の医師が不当な意見を述べて長期化し、97年に一部賠償を認めるなどの和解が成立しています。

 

で、この訴訟の発端は、82年に横須賀共済病院の三浦医師を中心とした研究チームが、過去5年年間のうちに同病院で肺癌により死亡した113名を調査した結果、石綿肺癌が多発していることが判明し、その職場が基地と造船関係だったのです。

 

そして私が取り上げたいのは、次に訴訟となった、第一次米海軍横須賀基地石綿じん肺訴訟です。米海軍の艦船修理等の作業を行って石綿肺などを発症した患者が原告となり、日米地位協定と民事特別法で、米軍への責任追及では被告となる国を相手に、997月に提訴しました。0210月横浜地裁横須賀支部が、米軍の安全配慮義務、国の監督等の義務違反を認め、画期的な勝訴判決を得ました。その後025月に二次、037月に三次の各訴訟を提起し、いずれも第一次訴訟の高い賠償額に匹敵する和解で解決したのです。

 

この訴訟を中心になって手がけた古川さんは、普段穏やかな雰囲気の弁護士ですが、しっかりした識見と強い意志で、国相手にアスベスト訴訟の高い壁を打ち破ったのだと思います。

 

で、横須賀という町、まさに米海軍基地の町であり、自衛隊の基地でもあります。横須賀港に面するターミナル駅・JR横須賀駅を出ると、別世界の感がします。そこには海上自衛隊の艦船が並び、潜水艦が目の前に飛び込んできます。そして遠くには寄港している米原子力空母の巨大な姿も見えるかもしれません。

 

この原子力空母の寄港に当たり、横須賀市民や各地から駆けつけた多くの人々がいかに核の脅威を畏怖し、反対したか、それは単なる不安では止まらない問題を抱えています。

 

むろん原子力発電所に類似する危険な原子力空母が東京湾に長期間、継続して寄港することの危険です。広瀬隆氏は、原発の危険性を訴えたとき、東京に原発をと唱えたのは80年代でしたか、それと同じような事態が現在、継続しているのです。

 

で、なぜアスベスト問題を取り上げたかというと、米軍は、基地労働者に対して、アメリカでは昭和30年代から危険性が指摘され、適切な対策を講じることが義務づけられていたのに、まったく防護措置を講じず、アスベスト被害を発症させたという体質をもっているということです。上記の横須賀支部判決は確定しており、米軍の杜撰な管理を明確に指摘しています。

 

それは基地労働者に対するだけではないのです。空母からアスベスト廃棄物を不法投棄した事実も報道されていました。これはたまたま発見された氷山の一角です。米軍が世界の各地に基地を保有していますが、その撤去後に有害危険物が不法投棄されていたことが問題になることは少ないのです。90年代半ばだったと思いますが、カナダでも撤去した基地敷地内に埋設された大量の有害廃棄物の処理をめぐってカナダ政府と紛糾していることが取り上げられていました。

 

現在横須賀基地に寄港する原子力空母は、二代目のロナルド・レーガンですが、その放射性廃棄物の処理が適切に行われているのか、知る機会はないのに等しい状況です。と同時に、北朝鮮の危うい挑発は、いつ米国、一番正確に狙えるのはまさにこの空母ではないかと愚考しますが、横須賀が標的とされるおそれが決して低いとはいえないと思うのです。仮に、万が一にも核攻撃は別にしても、ミサイル攻撃で命中したとき、核爆発が起こらない保障はあるのでしょうか。可能性がほとんどないとしても、万が一にも起こったとき、東京湾は閉鎖的水域に近い状態で一挙に、東京湾一帯、首都圏は放射性物質に汚染され、それはわが国にとって未曾有の再生困難なほどの被害となるおそれがあります。むろんそのような可能性はないと信じていますが。

 

他方、WHが行っていた原子力事業の問題です。いまもって実態が不透明です。WHは原子炉の設計を行う会社で、建設は別会社が行っていたようですが、スリーマイル事故以後、アメリカでは原子力事業は長く停止していたのであり、WHがアメリカにおいて実際の原子力事業の事業化可能性をどの程度有していたか、検証する必要があると思います。少なくとも東芝は、自ら原子力事業を行っていたのにもかかわらず、その原子炉の形態がまったく異なるとしても、購入時、WHの能力をまったく評価できておらず、また、購入後の受注や事業遂行の状況をまったく統御していなかったことが、今回歴然となりました。

 

そのような東芝が、WHを含む原子力事業から基本的に撤退することは当然としても、問題は、福島第一原発の廃炉作業を担っている事業についても、ほんとうに委ねてよいのか、改めて検証が必要ではないかと思うのです。

 

アスベストというとても便利で汎用性がある物質は、静かな時限爆弾と言われるように、半世紀後も経過して発症することもある、極めて有毒な物質であるのに、その廃棄処理は簡単ではありません。とはいえしっかり徹底すれば、イギリスの制度のごとく整備すれば、相当程度危険性を確実に除去できるわけです。ところが、わが国も、アメリカも、それを怠ってきたのです。

 

そのような安全への配慮が十分でない政府の下で、東芝は土光時代の高度な遺産を食いつぶして、組織自体がずたずたな状態になっているおそれすらあります。不正会計発覚後、一体何人のトップが代わったのでしょうか。第三者委員会という組織も型どおりの調査だけで、組織の本質的な膿を避けてしまいました。

 

そして原発、その廃炉が抱える放射性物質の危険性、その処理は、アスベストの比ではないことはあきらかです。政府や関係者は、東芝が廃炉を今後も担当する主力としているようですが、すでに医療機器や白物家電というまっとうな事業体で収益事業を売り払い、今度は稼ぎ頭でしっかりした事業体である半導体も売らざるを得ない状況です。そうなると、一体、東芝には何が残るのでしょうか。

 

四半世紀前、東芝を先進的な有力企業と思い、その活動を勉強したいと思っていた私ですが、いまは残念な気持ちを抱きながら、福島復興再生のために金字塔となるべき、廃炉作業を担える組織といえるか、その不安を払拭するだけの検証を行わないと、廃炉事業事態が底なし沼に入り込む危険性すらあると思うのです。廃炉事業を担う三菱重工業についても、たとえば仏アレバ(沈みゆく船とも批評される)への出資の計画は、大きなリスクをかかえたばかりか、東芝の二の舞にならないとの不安を払拭する説明が必要ではないかと思うのです。

 

 


「先占」と「防衛」 『新・先住民族の「近代史」』を読んで

2017-02-14 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170214 「先占」と「防衛」 『新・先住民族の「近代史」』を読んで

 

今朝も結構なしびれる冷え込みでした。寒さを感じながら、やりかけの仕事をしたり、来客者との面談をしたりして、いつの間にか夕方になっています。

 

さて今日は毎日朝刊で取り上げられていた、シャープの黒字化とそれを導いた新しいいつくかの施策、労務管理や資材調達などとともに、ソフトバンクの新たな働き方改革施策をとりあげようと思って、毎日のウェブ情報を探したのですが、見つかりません。事実確認に手間がかかりそうなので、また別の機会にして、昨日読み終えた見出しの本について、書くことにしました。

 

先住民族の本はいま5冊くらい平行して読んでいますが、通読することはほとんどありません。パラパラとみて、興味があるところだけ適当に読んでいます。ただ、この見出しの本は、私にいろいろと刺激的な情報をもたらしてくれたので、ほぼ通読しました。

 

それは現在話題になっている、アメリカの民主主義、自由と平等といった基本原理について、私自身が以前から疑念を抱いていたことに少なからず応えてくれるものであったからです。151月出版ですが、資料自体は20年以上前のものです。著者の上村英明氏は長く先住民族問題に関わってきた方で、01年にほぼ同名の書籍を出版されており、これをわかりやすい表現で復刻したもののようです。その意味で、内容自体は少し資料を基にしていますが、現在の状況にも当てはまる、現代的問題に当てはまるものと思います。

 

すべてを取り上げることができませんが、アメリカ建国の理念が先住民の知恵に基づいてること、先占と実効的支配という「国際法」が先住民族の権利、国を奪ったこと、大規模水銀中毒の最初の被害者が先住民族であったこと、原爆・原発の被害は先住民族で常に発生したことを主に取り上げてみたいと思います。

 

アメリカ映画というと、子ども時代は西部劇が人気の的でした。保安官やガンマンなど名前が次々と浮かんでくるのは団塊の世代であれば普通でしょう。インディアンはいつも悪役を演じていました。それを倒すことが正義であり、その攻撃に対して、先制攻撃も含め防衛のために当然のように許されるというのが、映画を見ながら自然に受け入れていました。

 

あるときは競争して先にその場所にたどり着けば、そこが自分の所有地になるとかといったことが当然視されていました。油田も、鉱山も、先に「発見」すれば自分の利権となっていました。

 

こういった、「先占」「防衛」という基本的な概念は、現在もアメリカの法制に生きているように思えます。ある時点以降、勝手に移民してきたアイルランドやイングランド、ヨーロッパの人々は、先住民族の権利・テリトリーを無視して、自分たちの誰かが先に支配すれば、その土地や水、地下資源すべて自分のものとしてきたのだと思います。簡単に述べることはできませんが、先住民族には居留地を与え、それ以外は移民者である彼が自由に使える状況にしたのだと思うのです。

 

そして防衛の観念は、私には潜在的に人の権利を奪って獲得したという意識があるために、襲撃されるおそれを常に抱いているのではないか、常に襲われる不安を抱くため、防衛本能が鋭く、ちょっとした不穏を感じたら、いつでも先に攻撃できるという、特異な「正当防衛」の思想が刑事法という一般法にも、また、軍事上はより明確に、確立しているように思うのです。

 

だからこそ、アメリカのアフガニスタンやイラク攻撃が多くの国民から支持されたのだと思うのです。最近、北朝鮮の挑発的なミサイル発射や核実験などについて、東アジアの戦略的問題の専門家が話し合っている中で、アメリカ人の意見は、北朝鮮にわが国への発射の兆候が見られれば、先制攻撃することができるし、やるべきだと当然のように述べていました。これこそ、アメリカ人の「防衛」思想だと思います。

 

さて前置きが長くなりましたが、では上村氏はどんなことを言っているのか、まず先住民族の伝統的知恵を披露しています。ときとしてアメリカの西部劇などにかぶれた人の中には先住民族が遅れた知識・知恵しかないと考えがちではないかと思います。

 

しかし、彼が指摘したのは、合州国(和訳としてはこれが正しいという、本多勝一氏の意見によっており、私も同意見です)という連邦制は、先住民族が長い間採用し実施していた制度を、ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンなど建国の父が採用したのだというのです。アメリカが独立宣言したとき、先進国と言われたヨーロッパにもない(スイスのみ採用)制度で、独立をうたったものの、どのような政治制度にするか、それぞれ意見が異なり、具体的なものがきまっておらず、独立宣言後、政治体制が固まらなかったというのです。

 

この事実は、米国連邦憲法の施行200周年にあたる1988年、連邦議会が、上下両院の合同決議で、先住民族が採用していた『「イロクォイ連邦」とインディアン国家―合州国への貢献を認める』と題する決議をして、裏付けられています。

 

先住民族がもつ伝統的知見の数々は、時代を経て、さまざまな形で評価されてきていますが、国家制度といった、政治制度について、しかも民主主義の旗頭ともいうべきアメリカ合州国の政体の基礎となった制度をすでに確立していたという点は、高く評価されてよいとお蒙のです。

 

ちょっと余談になりますが、イザベラ・バードの『日本奥地紀行・アイヌの世界』は1878年当時の、アイヌの生活を見事に活写しており、当時のアイヌ人の世界を知る数少ない資料として評価されてよいと思うのです。で、その中で、イザベラは、彼らがよそ者を排除せず、だれもが快く受け入れてくれ、食事もなにもかも平等に分配する、そこには一切の差別もない社会を続けていること、必要以上にものを求めず、なければないで満足することで、幸せな心持ちを共有している様子を取り上げています。

 

おそらく先住民族のインディアンの多くの種族も、同様の生活形態ではなかっただろうかと思うのです。現在、トランプ氏やそれを支持する人は、すべて移民してきた人々の末裔の一人ですが、新たな移民の一部を「テロ」とレッテル張りをして排除しようとしています。それは、アメリカという国が、後述するように、原爆や原発の開発・実験、その廃棄処分にあたって、先住民族の利益をほとんど無視してきたこととも関係するように思います。

 

次に、国民国家という、民主的で近代的な国家という像は、明治維新の理想像ではないかと思いますが、それは同時に、当時の近代国家とされる西欧列強が帝国主義・植民地主義を繰り広げていた競争に、日本も参画することになったに一面をぬぐい去れないように思うのです。

 

上村氏は、『「国民国家」形成という名の植民地化』というタイトルで、北海道と沖縄を取り上げています。日本の歴史教科書では、台湾や大韓民国などが植民地化の対象となりそうですが、この南北2つの先住民族の世界こそ、明治政府が最初に行った植民地化というのです。わが国はいわゆる鎖国から開国に向かって各国と条約締結をしていきますが、日本が最初に領土境界を定めた条約を締結したのはロシアでした。その長い交渉の中で、先占と実効支配という国際ルールを知り、千島列島や樺太の境界線を確立したのです。しかし、それは法的な意味で、先占といえるか、実効的支配といえるか、本来疑問がでておかしくないのですが、わが国はアイヌ人を属人として、彼らが拠点とする領域を全部わが国の領土として認めさせたのです。

 

さてアイヌ人は先住民族ですが、それまで日本国民として取り扱われていたかというと、江戸幕府は異なる味方をしていたと思います。北海道という国土の20%を超える領土さえ、アイヌ人が実効的支配や先占していたといえるかも、問題になるところですし、属人といったとらえ方も疑問があります。しかし、ロシア側はその主張を受け入れ、まして北海道についてはまったく異議なく認めています。その後アイヌ人がその固有の生活利益や権利を尊重されたのならまだしも、土人として扱われ、自分たちの慣習や言語を捨て去るように強制されたうえ、本土からは開拓農民などという形で一方的にそのテリトリーを侵奪されたのですから、その問題の本質は深いと思います。

 

もう一方の沖縄県となった諸島は、長い歴史をもつ琉球王国の領土でした。わが国の領土の一部ではなかったのです。上村氏の著作を参考にして、概要を述べます。琉球王国は、薩摩から1609年侵攻を受け、薩摩に「附庸」という形で朝貢していたようですが、元々、中国の冊封を受けていたので、いずれにも属さない形で、平和的な均衡外交を続けていたのでしょう。だから琉球王国は、日本とは別個に、1850年代に米国、、フランス、オランダとの間で条約を結んでいます。それを明治政府から一方的に、王国を廃して琉球藩にするとか、いわれても応じるわけにはいかないでしょう。それで1878年まで、明治政府の一方的な併合策に抵抗して国際世論を味方にしようとしましたが、結局、翌年79年に大量の日本軍を動員して、強制的に琉球王国の廃止と沖縄県の創設という琉球処分を行ったのです。

 

尖閣問題は、琉球民族の生活圏を考えれば、当然その領土でしょうが、それを奪ってしまった日本国が領土権を主張することが、はたして公正なものか、疑念を抱かざるを得ないのです。むろん琉球民族、沖縄県民の意見は、さまざまでしょうし、日本から独立するといった意見は少数派でしょう。ただ、先住民族の権利・利益を無視してきたわが国あり方は、司馬遼太郎氏の高い見識ではどのように評価するのか、知りたいところです。

 

続いて、水俣病を含水銀中毒や原爆・原発問題について言及しようと思ったら、時間切れになりました。関心のある方は、上村氏の著作をぜひ購読してもらえばと思います。賛否両論あると思いますが、より詳細で的確な分析をされていますので、非常に参考になると思います。