なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

就職編⑥

1980年01月20日 | 膠原病とともに
★★★2007年1月 焦る気持ち★★★

私は毎日、ネットでハローワークの求人を
チェックするのが日課となってしまいました。

どんな時期にどんな職種の募集が多いのか。
この仕事に就くにはどんな資格が必要なのか。
この仕事の待遇は?この資格があれば???

沖縄の失業率の高さは有名です。
ハローワークでまさに現在の県内就職事情がわかります。

やってみたい仕事、私にできそうな仕事が目に入ってきます。

福祉嫌いな私でも、やってみたい福祉職がありました。

「MSW」メディカルソーシャルワーカー
病院で働くソーシャルワーカー(社会福祉士)です。

家の近くの総合病院。
通勤での身体の負担は少ないはず。
「働きたい」思いが一層強くなり
面接を受けてみることにしました。

面接では院長も同席。
「SLEを抱えて、こんなに資格も取って勉強してきて。
 今まで苦労してきたでしょ?大変だったでしょ?
 苦労してきた方が他人の気持ちはわかるから上等だよ。」

その院長の言葉に涙が出そうになるのを
必至でこらえていました。

でもフルタイムでの勤務はやはり不安です。 
すべてを正直に話しました。

すると「パートでもかまわないし、
返事は次の診察日に主治医と相談してからでいい」
と。

福祉相談職は強い精神力が必要です。
他者の悩みを聞くわけですから。聞くだけではなく、
良い方向へも支援していかなければなりません。

私はSLE精神症状が出やすい状況にあります。
にも陥りやすいし、ストレスでSLEが悪化する恐れもあります。
「福祉職に就いても大丈夫だろうか?」と
そう思う理由のひとつにソレもあるのです。

他人を支えることなんて、
SLEを抱えたままの私にできるのだろうか?と。

でもCNSで唐黷ト自宅療養しながら、
精神的に不安定な時があっても、
頑張って頑張って、やっと取った国家資格です。
勉強してきたことは無駄にしたくない。
不安に打ち勝つほど働く意欲は満々でした。
「働く」という決意は決まっていました。
主治医のOKさえもらえれば働くつもりだったのです。

・・・・・・・・・・・でも主治医の返事はNOでした。
「今の状態で働くのはまだ早い」と。


辞退の電話を入れた後、悔しさよりも、
なによりも虚しさでいっぱいになりました。
「私はいつまでこんなことを繰り返すのかな。。。」と。

私は、また少し生き急いでいたのかもしれません。
CNSのあの苦しみで失った時間を埋めようと焦るだけで、
せっかく助かった命の重みを忘れかけていたのかもしれません。