なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

B’zとともに

1981年01月01日 | B’zとともに
←「FAN CLUB会報」第1号の『No.000』
堂々と「B’zファン」を名乗るわたし。
「デビュー当時からファンなのよ!」
って大きな口をたたいてはいるけど、
正確に言うとそうじゃない(^^;)

B’zがデビューしたのは1988年。
当時、私は小学生。音楽といえば、
TVのベストテンを時々見ていたくらい。

どこで見たのか覚えてはいないけど
(まぁ~沖縄では某有名書店なんだけどw)
「B’z」という文字を見た。
その時はなんて読むのかわからなかった。

「B」「Z」はわかっても
「‘」はなんだ?なんて読むの?って感じで(笑)

もちろん歌なんて聞いたこともない。
学校で友達に紙に書いて
「なんて読むか知ってる?」
と聞いても「??」

小学4年生の頃、友達にTHE ALFEEの大ファンという子がいた。
コンサートにも行くらしい。
ALFEE?コンサートってどんな感じなんだろう??
ちゃくちゃくと音楽への興味が強まり始めた。

地方局のラジオ番組でALFEEの曲を聞いた。
すごく「大人」な感じがした(笑)

そして、ラジオのリクエスト番組で初めて
「だからその手を離して」を聞いた。

ラジオから「ビーズの・・・」と紹介された時にピンッときた。
「わかった!あの『B’z』って「ビーズ」って読むんだ!」と。

「だからその手を離して」は、
そのとき特に「いい曲だ~」なんて思わなかったけど^^;

学校でALFEEのファンの子に
「ビーズって知ってる~~~?」
って聞くと、
またもや「は?ビーズ??」の「?」だらけの返事。

あれ?間違ってる???と思って恥ずかしくなって、
それからしばらく私の中でB’zは姿を消すこととなる・・・・。

兄が中学生になって、学校のテストで
「負けないこと~♪投げ出さないこと~♪
逃げ出さないとこ~♪信じぬくこと~♪は誰が歌ってますか?」

という問題がでたそう。

当時大ヒット中だった
大事MANブラザース「それが大事」。

もちろん誰もが知っていると思って
先生はサービス問題として出したのだろうけど・・・
兄はそれまでサッカーに夢中で全く音楽への興味なし。
我が家で公認(?)されている歌手といえば、
光ゲンジとチェッカーズ、そして母の好きな美空ひばり。

問題の答えがわからなかったのは兄だけだったらしい。
(音楽嫌いな子とかテレビ見ない子もいるかもしれないのに・・・
 先生、そういうとこ配慮しなきゃダメだよねぇ)

それが恥ずかしかったのか、
兄はカセットのウォークマン(懐かしい:笑)を買ってもらい、
いろいろな歌手の曲を聞き始めた。

我が家に遊びのルーツを持ち込むのは兄の役目。
ファミコンもマンガもそうだし(^^)

それから我が家にはいろいろなジャンルの曲が流れ始めた。
兄が特に目をつけたのがB’zだった。

「ビーズ」ってあの『B’z』?
読み方、間違ってなかったんじゃん!」って。
あの時はただならぬ運命を感じた(笑)

家族で車で出かけるときには
必ずウォークマンを持ち歩き音楽を聴いていた。
父の車にはオーディオもついていなかったものだから、
ウォークマンのイヤホンを兄と片方ずつ。

「太陽のKomachi Angel」は特に覚えている。

「あの娘は太陽のKomachi~♪えんじぇ~る♪」
「エンジェ~ル♪」
のフレーズが面白くて。

ただこの時点でまだ松本さんと稲葉さんの顔は知らない(^^;)

そして同じ頃に大ヒットした
「LADY NAVIGATION」がTVのCMで流れ始めた。
雑誌でやっと「B’z」の2人を見た。
ませた幼心にも素直にカッコいいと思った。
たぶん初めて「B'z」という文字を見たときにも、
姿を目にしているはずだけど、
誰が誰だかわかってなかったと思う(^^;

やっとB'zの2人に出会った。

それからよくB’zの曲を聴くようになった。
「音楽」自体に興味を持ったので器楽部にも入部した。

そして SLE が発症した。
 
病気への不安、検査の浮ウ、入院中の寂しさから逃げるように、
病室で1人でいる時も寝る時もウォークマンでB’zばかり聴いていた。
いつもB’zの曲が側にあった。

「この勉強が終わったら思いっきりCDを聞こう~」
「あと1ヶ月頑張ったら・・・あと1週間頑張ったら・・・
 LIVEに行けるんだから頑張ろう!」

・・・と自分へのご褒美となった。

そしてどんなに辛いことがあっても
「B’z聞けば元気なるじゃん!」と
自分に暗示をかけることでココロの平静を保ってきた。
病気になって辛い日々、悲しい日々、
ただ耐えるだけの日々も頑張ってくることができた。
 
他人からすれば、大げさで
馬鹿らしいコトかもしれないけど。

どんな時もB’zの曲が私の側にあった。

私を支えてくれた。

そして今もずっと私を支え続けている。



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