GW以降は、すっかりグルメブログと化しておりましたが、少し内省的な内容を綴ってみようかと思っています。
先週の日曜日から、「ロルフィング」というボディワークを10回シリーズで受けています。
まぁ、私をよく知る人であれば「いろいろやってるね~」と感じるかもしれませんが、
痛みはなるべく感じない身体でありたいというのは、自然な欲求だと自分では思っています。
それでも、そんなに執着するのが良くならない理由なんじゃないかとか、
一つの方法に絞って根気づよく改善を見てはどうかとか
いろいろ吟味はしてみましたヨ。。。
で、おかげさまでこの2年半ほど取り組んできたことや止めたことでもちろん快方には向っています。
それでも、昨年の5月頃から仕事上のストレスが昂じて、激しい首の痛みに苦しみました。
その時に、このまま放置するとメンタルダウンするかもと最悪を想定し、先輩に「シン・インテグレーション」のセラピストの方を紹介していただきました。
仕事柄、言語によるカウンセリングは今の私にはあまり向いていないことを知っているため、ボディワーク系の体に働きかけるセラピーを選びました。
結果的には、この選択は正しかったと思います。
その時に、体感し、腑に落ちたのは
無意識に動く体は確実に右脳からのメッセージを体現していること。
また、体への刺激で無意識から様々な記憶や感情を掘り起こせたこと。
(自他の境界線の問題や、抑圧している怒りについて)
それによって、自分の体の痛みや葛藤の原因を比較的に把握することもできましたし、2回のセラピーで自律的に症状を緩和させることができたと思います。
その一方で、心理的葛藤と首の緊張は緩和したものの、首から腰の筋肉が錆び付いたようにギシギシしているのはずっと気になっており、これはもう受け容れる他ないのか?と半ば諦めていました。
しかーし、
諦めが悪いのは今に始まったことではない・・・
で、ちょっと今までやってきた背骨の矯正をお休みして、自分の体からの声を聞くことを熱心に行っていました。
そんな中で、自分の体で大きな影響を及ぼしてきたのが、17歳の時の腰部椎間板ヘルニアの激痛でした。
本当に立てなかったもんなぁ。
で、腰椎への注射、チョー痛かったよなぁ。
あの時、母親がすごい優しかったよなぁ。
この先、腰に爆弾抱えて生きて行くんだよ(お医者さん談)なぁ。
もーねー、何の役にも立たない記憶なんです、今となっては。
消去できたらよいのに、右脳はこんなことも几帳面に覚えていてくれて、
すごいね、アンタ、感心するわ(笑)
それから、35歳までの間に、立てなくなる腰痛5回。
体は、それらの痛みもその周辺の記憶もしつこく忘れていません。
最後の激痛からやがて10年を迎えますが、痛みはまだ鮮やかに身体は記憶しております(汗)
とは言っても8年間再発していません→最後に立てなくなったあの時
それはなぜか?
再発しないような体の動きを身につけたからです。
つまりは、体の左側の責任を右側が引き受けすぎ、それらがねじれや傾きになっているのです。
そして、あのフルマラソンの時についにキタ。。。
そんな、身体なんです。
ひずんで、ゆがんでるんです。
で、怖いのは、思考・感情・身体は切り離せない一つのシステムであること。
つ、ことはですよ
思考も感情もひずんで、ゆがんでるとも言えなくはないってこと。
考え過ぎじゃない?
って思う方もいるかもしれませんけどね、個人的にはとても自覚あるんです。
ひずみやゆがみ、自分が勝手に作った外敵(?)と戦っているアドレナリン出まくりな自分です(汗)
そんなコンディションで、仕事上、とても大切なスキルであり姿勢である傾聴なんてできる?
人の話を無垢な気持ちで聴ける?
場で起きていることを丁寧に感じ取れる?
自分自身と戦いがちな自分に対してクライアントがリラックスできる?
気にし過ぎ。。。
と言われればそれまでなんですが、これってもうこうなったら納得いくまで向き合った方がいいよな。。。
という訳です。
で、賛否両論あると思うんですけど、こういう問題を解決する方法は1つではないし、
ましてやあの人が上手くいった解決方法が自分に機能するとは限らない。
で、過去の自分を振り返ってみると、誰かの成功体験を鵜呑みにしたってダメだった。
だって、自分の今も歴史も描く未来もみな違うんだから。
ここまでに至るまでに、いろいろな本を読んでみました。
時間はかかったけど、先日、紹介したアレクサンダー・テクニークの本はかなり腑に落ちました。
詰まるところ「拙速な自分」を調整することなんやって。
軽くスピリチュアル的な本も役に立ちました。
自分に与えていないもの、禁じているものや諦めているものを再認識しながら、自然といやされて行くのを感じました。
でも、どっちかと言うと調べものとして利用しているのは断然こちら。
体育会系の自分にとってこれは見ていて飽きないんですよね(苦笑)
身体を施術者任せにしないためにも、こういう本からの気づきも必要かなと思っています。
表層の大筋群は全国平均よりまだ強いのかなと思うのですが、深層にあるインナーマッスルたちはさびさびで衰えている実感はあります。
そんなこんなで、つれづれに書きましたが、だんだん自分の中で考えがまとまってきたのが
「汝、身体を旅せよ、そして愛せよ」
うん、諦め悪いとか、執着が深いとか、粘着質と言われてもいいんです♪
自分ならではのプロセスで、自分を探求すればいいんだって。
今はそれでいいと思っています。
先週の日曜日から、「ロルフィング」というボディワークを10回シリーズで受けています。
まぁ、私をよく知る人であれば「いろいろやってるね~」と感じるかもしれませんが、
痛みはなるべく感じない身体でありたいというのは、自然な欲求だと自分では思っています。
それでも、そんなに執着するのが良くならない理由なんじゃないかとか、
一つの方法に絞って根気づよく改善を見てはどうかとか
いろいろ吟味はしてみましたヨ。。。
で、おかげさまでこの2年半ほど取り組んできたことや止めたことでもちろん快方には向っています。
それでも、昨年の5月頃から仕事上のストレスが昂じて、激しい首の痛みに苦しみました。
その時に、このまま放置するとメンタルダウンするかもと最悪を想定し、先輩に「シン・インテグレーション」のセラピストの方を紹介していただきました。
仕事柄、言語によるカウンセリングは今の私にはあまり向いていないことを知っているため、ボディワーク系の体に働きかけるセラピーを選びました。
結果的には、この選択は正しかったと思います。
その時に、体感し、腑に落ちたのは
無意識に動く体は確実に右脳からのメッセージを体現していること。
また、体への刺激で無意識から様々な記憶や感情を掘り起こせたこと。
(自他の境界線の問題や、抑圧している怒りについて)
それによって、自分の体の痛みや葛藤の原因を比較的に把握することもできましたし、2回のセラピーで自律的に症状を緩和させることができたと思います。
その一方で、心理的葛藤と首の緊張は緩和したものの、首から腰の筋肉が錆び付いたようにギシギシしているのはずっと気になっており、これはもう受け容れる他ないのか?と半ば諦めていました。
しかーし、
諦めが悪いのは今に始まったことではない・・・
で、ちょっと今までやってきた背骨の矯正をお休みして、自分の体からの声を聞くことを熱心に行っていました。
そんな中で、自分の体で大きな影響を及ぼしてきたのが、17歳の時の腰部椎間板ヘルニアの激痛でした。
本当に立てなかったもんなぁ。
で、腰椎への注射、チョー痛かったよなぁ。
あの時、母親がすごい優しかったよなぁ。
この先、腰に爆弾抱えて生きて行くんだよ(お医者さん談)なぁ。
もーねー、何の役にも立たない記憶なんです、今となっては。
消去できたらよいのに、右脳はこんなことも几帳面に覚えていてくれて、
すごいね、アンタ、感心するわ(笑)
それから、35歳までの間に、立てなくなる腰痛5回。
体は、それらの痛みもその周辺の記憶もしつこく忘れていません。
最後の激痛からやがて10年を迎えますが、痛みはまだ鮮やかに身体は記憶しております(汗)
とは言っても8年間再発していません→最後に立てなくなったあの時
それはなぜか?
再発しないような体の動きを身につけたからです。
つまりは、体の左側の責任を右側が引き受けすぎ、それらがねじれや傾きになっているのです。
そして、あのフルマラソンの時についにキタ。。。
そんな、身体なんです。
ひずんで、ゆがんでるんです。
で、怖いのは、思考・感情・身体は切り離せない一つのシステムであること。
つ、ことはですよ
思考も感情もひずんで、ゆがんでるとも言えなくはないってこと。
考え過ぎじゃない?
って思う方もいるかもしれませんけどね、個人的にはとても自覚あるんです。
ひずみやゆがみ、自分が勝手に作った外敵(?)と戦っているアドレナリン出まくりな自分です(汗)
そんなコンディションで、仕事上、とても大切なスキルであり姿勢である傾聴なんてできる?
人の話を無垢な気持ちで聴ける?
場で起きていることを丁寧に感じ取れる?
自分自身と戦いがちな自分に対してクライアントがリラックスできる?
気にし過ぎ。。。
と言われればそれまでなんですが、これってもうこうなったら納得いくまで向き合った方がいいよな。。。
という訳です。
で、賛否両論あると思うんですけど、こういう問題を解決する方法は1つではないし、
ましてやあの人が上手くいった解決方法が自分に機能するとは限らない。
で、過去の自分を振り返ってみると、誰かの成功体験を鵜呑みにしたってダメだった。
だって、自分の今も歴史も描く未来もみな違うんだから。
ここまでに至るまでに、いろいろな本を読んでみました。
時間はかかったけど、先日、紹介したアレクサンダー・テクニークの本はかなり腑に落ちました。
詰まるところ「拙速な自分」を調整することなんやって。
軽くスピリチュアル的な本も役に立ちました。
【増補改訂版】〈からだ〉の声を聞きなさい―あなたの中のスピリチュアルな友人 | |
クリエーター情報なし | |
ハート出版 |
自分に与えていないもの、禁じているものや諦めているものを再認識しながら、自然といやされて行くのを感じました。
でも、どっちかと言うと調べものとして利用しているのは断然こちら。
プロが教える 筋肉のしくみ・はたらきパーフェクト事典 | |
クリエーター情報なし | |
ナツメ社 |
体育会系の自分にとってこれは見ていて飽きないんですよね(苦笑)
身体を施術者任せにしないためにも、こういう本からの気づきも必要かなと思っています。
表層の大筋群は全国平均よりまだ強いのかなと思うのですが、深層にあるインナーマッスルたちはさびさびで衰えている実感はあります。
そんなこんなで、つれづれに書きましたが、だんだん自分の中で考えがまとまってきたのが
「汝、身体を旅せよ、そして愛せよ」
うん、諦め悪いとか、執着が深いとか、粘着質と言われてもいいんです♪
自分ならではのプロセスで、自分を探求すればいいんだって。
今はそれでいいと思っています。
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