年のせいだけではないと思いますが、最近、めっきり頑張れなくなりました・・・。
というか、厳密に言うと、何でも全てにおいて一生懸命に頑張るということがなくなったのだと思います。
若い時は、取り組むこと全てに「燃焼する実感」がなければ、一生懸命に頑張っていないという評価を自分に下していたように思います。
しかし、最近は「一生懸命頑張っているか」という評価項目が自分から消えました。
最近は、メンタルの調子の良くない方が増えていますが、私なんて、すんごい長い間、ウツウツ状態でしたからね・・・
最近、読み始めた下さった方はご存知でないかもしれませんけど、マジで。
4年ぐらい前まで、2~3年ぐらいの間。
というか、30過ぎてから半ばまでずっとダメだったですね・・・
(どうやら、大殺界だったようです)
会社では普通に仕事もできました。その他の付き合いも、普通にできていました。
外では、ガソリン切れで平気で走れる人だったんですよね。
でも、1人になると何とも言えない、嫌な気分に支配され、朝出社するまで断ち切ることができないみたいな日がずーっと続いていました。
原因は、仕事で、もっと頑張りたいのに頑張れなかったことと、婚姻関係の整理の問題を抱えていたから。
明らかに、快適に暮らすために必要な脳内物質が出ていなかったと思います。
表情も冴えず、眉間にうっすらと縦の筋と、頬にホウレイ線らしきものができてきたのを見た時、このまま年齢を重ねたくないと思ったのが脱出のきっかけでした。
この状態から抜け出せたのは、自己理解を本気で行ったことから。
知らない自分や気づかなかった自分に出会い、経験した混乱や衝撃。
何よりも大きかった、どこかに置き忘れてきた自分に再会したこと。
逃げたくなかったので、傷口に塩を塗りこんだような痛みや、自分の膿を出すような痛みもありました。
4年前ぐらいのブログ記事はそんなこと良く書いてましたね~
今でもよく知らない自分はいますが、自分とはまだまだ長いおつき合いです。
だから、今だって、フツーに落ち込んだり、迷ったり、時に自分を責めたりすることもあるし、人を責めたりすることだってあります。
そういう気持ちを認めて、ゆっくり味わうようになった時から、誰かがカバーしてくれることで1人で頑張らなくてもいいこと判断したことは捨てる選択ができるようになりました。
最初の頃は、そんな自分がだらしなく感じられて仕方なく、ホント居心地悪かったです。
今は、どうなんだろ?
もっと頑張った方がいいのかもしれない・・・ちょっと催促される仕事も増えてきました(汗)
でも、個人的には、こうしてブログ記事を書きながら自分を整理する時間の方を持つことで保っている自分がいるもの確かで、自分への影響度で判断すべしと思っています。
もう、自分をあの時みたいに可哀想な目に遭わせないと決めています。
自分を一番近くで支えるのも、癒すのも自分だし。
(もう一人ぐらいそういう人がいてもよい・・・)
今は、周囲と調和しない自己満足な頑張りよりも、客観的に現実に対応しうる頑張りでよい。
一緒にいる人が気持ちよく過ごせるように笑顔で、頑張るから「顔晴る」でありたいです。
今日は、会うこともない同じ囚われに苦しんでいる方に届くように書いています。
忘れた笑顔を取り戻すことができますように。
たまによろしくお願いします。
↓
というか、厳密に言うと、何でも全てにおいて一生懸命に頑張るということがなくなったのだと思います。
若い時は、取り組むこと全てに「燃焼する実感」がなければ、一生懸命に頑張っていないという評価を自分に下していたように思います。
しかし、最近は「一生懸命頑張っているか」という評価項目が自分から消えました。
最近は、メンタルの調子の良くない方が増えていますが、私なんて、すんごい長い間、ウツウツ状態でしたからね・・・
最近、読み始めた下さった方はご存知でないかもしれませんけど、マジで。
4年ぐらい前まで、2~3年ぐらいの間。
というか、30過ぎてから半ばまでずっとダメだったですね・・・
(どうやら、大殺界だったようです)
会社では普通に仕事もできました。その他の付き合いも、普通にできていました。
外では、ガソリン切れで平気で走れる人だったんですよね。
でも、1人になると何とも言えない、嫌な気分に支配され、朝出社するまで断ち切ることができないみたいな日がずーっと続いていました。
原因は、仕事で、もっと頑張りたいのに頑張れなかったことと、婚姻関係の整理の問題を抱えていたから。
明らかに、快適に暮らすために必要な脳内物質が出ていなかったと思います。
表情も冴えず、眉間にうっすらと縦の筋と、頬にホウレイ線らしきものができてきたのを見た時、このまま年齢を重ねたくないと思ったのが脱出のきっかけでした。
この状態から抜け出せたのは、自己理解を本気で行ったことから。
知らない自分や気づかなかった自分に出会い、経験した混乱や衝撃。
何よりも大きかった、どこかに置き忘れてきた自分に再会したこと。
逃げたくなかったので、傷口に塩を塗りこんだような痛みや、自分の膿を出すような痛みもありました。
4年前ぐらいのブログ記事はそんなこと良く書いてましたね~
今でもよく知らない自分はいますが、自分とはまだまだ長いおつき合いです。
だから、今だって、フツーに落ち込んだり、迷ったり、時に自分を責めたりすることもあるし、人を責めたりすることだってあります。
そういう気持ちを認めて、ゆっくり味わうようになった時から、誰かがカバーしてくれることで1人で頑張らなくてもいいこと判断したことは捨てる選択ができるようになりました。
最初の頃は、そんな自分がだらしなく感じられて仕方なく、ホント居心地悪かったです。
今は、どうなんだろ?
もっと頑張った方がいいのかもしれない・・・ちょっと催促される仕事も増えてきました(汗)
でも、個人的には、こうしてブログ記事を書きながら自分を整理する時間の方を持つことで保っている自分がいるもの確かで、自分への影響度で判断すべしと思っています。
もう、自分をあの時みたいに可哀想な目に遭わせないと決めています。
自分を一番近くで支えるのも、癒すのも自分だし。
(もう一人ぐらいそういう人がいてもよい・・・)
今は、周囲と調和しない自己満足な頑張りよりも、客観的に現実に対応しうる頑張りでよい。
一緒にいる人が気持ちよく過ごせるように笑顔で、頑張るから「顔晴る」でありたいです。
今日は、会うこともない同じ囚われに苦しんでいる方に届くように書いています。
忘れた笑顔を取り戻すことができますように。
たまによろしくお願いします。
↓
なかなか実行できずにいます。
己を知ること=己の限界を知ること
に臆病になっているからかもしれません。
私は、にっちもさっちもいかなくなってようやく「自己理解活動」をはじめたのでした。
限界を知ったと思っていません。
これからの自分に何ができるか、何を開放して、何に責任を持つかみたいなことを知ったと思います。
己を知ること=己の着地点を知ること
かもしれません。
己の着地点は、自分が何に命を使うかを教えてくれます。
人は、幸せになるために生まれてきました。
今、ツライことが自分の幸せのために必要な時間であると考えることができれば、それもよし。
「限界を作るのはいつも自分」と私は思っています。
そう考えられる時期とそう考えにくい時期が確かにありますよね・・・
どんなに疲れても眠れなくなる時がありました。
それに、自分の培ってきたわずかな経験
でプライドばかり高くなり、
周りにもうまく出来ない自分にもイライラする時も・・・。
でも、29歳の時「自分ってまだまだ未熟で
出来ないことが多くて当たり前なんだ。」
と気付いた時から楽になりました。
これが本当の意味で己を知った瞬間だったと思います。
自分をいろんな角度から理解するって、
とても大事なことですね。
5年前私にもはるさんと同じよう
「『がんばる』は『顔晴る』と書くんだよ。」と
教えてくださった方がいます。
いい言葉ですよね。
こんにちは。
29歳にして、楽になれたなんて、うらやましい!
私は、ちょうどFPの勉強を終えた後、キャリアコンサルタントの勉強をしたのですが、自分の仕事面(キャリア)での適性について自己理解を深めることができました。
どう頑張っても向かない仕事があるということ(笑)
仰るとおり、いろんな角度から理解するって大事ですよね。
しかも、理解しても理解は尽きないです。
死ぬまで、知らない自分を発見しつづけることができれば、自分に対して退屈しないのではないかと気長に自分と付き合うことにしています。
当面は、「有りのまま」「無いがまま」、「在るがまま」の自分を受け容れながらも自分を開発していきたいと思います。