久しぶりの更新です。
更新はできていないものの、あいかわらずの調子で、活動量はやや多めで推移しております。
特に8月のドイツ以来、長距離の移動が多く、東京に戻っては身体を休めてまた出かけていくという日々です。
災害ボランティアも継続しております。
7月の陸前高田に続いて、
8月18日~20日,9月16日~17日の2回に渡り、宮城県東松島市にある宮戸島を訪れ、復興のお手伝いをさせていただきました。
宮戸島は、日本三景:松島の中でも奥松島と言われる地区で、大変、風光明媚な景勝地です。
詳しくは→コチラ
島の一部は壊滅的な被害を受けました。
そして、まるで「楯」になったかのように、たくさんの方が訪れる観光地:松島海岸周辺を守りました。
震災直後、橋が崩落したため、自衛隊が道路を復旧させるまでは、内陸からの物的・人的支援も乏しく、復旧が遅れた地域の1つでした。
ボランティアバスツアーの主催者である、杉並区にある医療法人浴風会のケアスクールの服部安子校長(宮城県出身)が、被災地を数多く回る中で、この地区の支援が足りないのではと気づき、アプローチし、6月から継続して支援にあたっています。
服部校長の人柄、熱意、誠意によって、住民の方の心の距離も縮まり、あくまで地元の方にニーズに応えるというスタイルで、瓦礫撤去、海岸や家屋の清掃、名産の海苔工場稼働のお手伝い、除草作業などにあたってきました。
8月は、縄文村というコミュニティセンターの中庭の汚泥の掻き出しと水に浸かった民宿の室内や周辺のお掃除をさせていただきました。
幸い曇りの日となり、熱中症の心配はなかったものの、震度5の地震に見舞われ、住民の方と避難場所に避難しました。
9月は、日中は、強烈な日差しと高温で、熱中症を思わせる天気でした。私は、室浜・月浜地区の海岸付近の清掃を行いました。
他のチームは、海苔工場のお手伝い、支援物資のお届け、仮設住宅の皆さんと花壇づくりなどを行っていらっしゃいました。
そして、最後は、服部校長の働きかけに動いてくださったユニクロさんからの秋冬衣料2トントラック2台分の荷物のコミュニティーセンターへの搬入。
8月と比べると、宮戸島下水道が復旧していましたし、海に出て行く船も見かけました。
海苔工場が復旧したり、新しく海苔の菌を植え付けたりとうれしくなるような新しい動きにも出会えました。
8月にお手伝いした民宿の女将さんに会いに行ったらすごくお元気になっていましたし、1ヵ月前に蒔いた菜の花の種が芽を出していました。
そして、えびすさんが、多数、拾い出されていました。
さすが漁業の神様ですね。
その一方で、月浜地区の民宿が1件残して、相当なダメージを受け、フォークリフトで片付けられて行くのを間近で見て、こんな風にして名前のあったものが、簡単に瓦礫と化して行くのかと、しみじみとはかなさに耽ったり。
どんな思いで被災者の方は毎日この光景を見ているのか、半年経っても、自分が同じ立場なら、虚しさはぬぐいされるか多いに疑問。
また「国の方針が決まるまでは、この土地は何に使うかわからんから、大きいものだけ取り除いておいてくれたらいいからね」と、笑顔で言う区長さんでしたが、国政のもたつきが復興の遅れにつながっていることを確実に感じます。
しかし、大変うれしかったのは、月浜地区の民宿に泊めていただいたこと。
そして、仮設住宅にお住まいの女性の皆さんにカレーライスを作っていただいたことです。
このことは多分忘れられない記憶になると思います。
島の惨状から見れば、本当に十分すぎるほどのおもてなしだったと、メンバー一同、1品1品、感謝・感動しながら味わいました。
どれも美味しかったのですが、特に「サンマの塩焼き」、最高でした!
とれたてに近いものからは「強い気」を感じますね。
残った民宿あり、打撃を受けた民宿あり・・・
何が明暗を分けたか、科学的根拠を追及するなんて無意味と感じるほど、被害は一様ではありません。
今回、忘れられなかったのは、カレーライスを作ってくださった女性たちのイキイキとした姿。
様々な事情を乗り越え、民宿の女将さんたちが協力して作って下さったことと察します。
カレーの美味しさも忘れられませんが、挨拶をして別れ際の女将さんたちのすがすがしい笑顔に名残惜しさを感じてしょうがなかったです。
もっと一緒にいて、いろんな話がしたかった。
彼女たちの仕事は、女将としてもてなすことであったはず。
初めに、カレーを作っていただくことなど申し訳ないと思ったけど、「仕事」としてもてなしていただき、我々が「対価」を支払う機会はむしろもっとあった方がいい。
そんな時期になったのです。
最寄りの市場は復活しており、食材を仕入れることは問題なくなっているようです。
もしも負担でなければ、またカレーライスいただけないでしょうか?
現地に行けば、何かが「わかる」、何かが「かわる」。
応援しています。
岩手、宮城とうかがいました。
大好きな福島のこともずっと気になっています。
情報を集めながら、スケジュールを調整し、自分の持てるリソースの1部をムリなく末長く使っていけたらと思っています。
たくさんのことを感じ、学ばせていただいているような昨今です。
更新はできていないものの、あいかわらずの調子で、活動量はやや多めで推移しております。
特に8月のドイツ以来、長距離の移動が多く、東京に戻っては身体を休めてまた出かけていくという日々です。
災害ボランティアも継続しております。
7月の陸前高田に続いて、
8月18日~20日,9月16日~17日の2回に渡り、宮城県東松島市にある宮戸島を訪れ、復興のお手伝いをさせていただきました。
宮戸島は、日本三景:松島の中でも奥松島と言われる地区で、大変、風光明媚な景勝地です。
詳しくは→コチラ
島の一部は壊滅的な被害を受けました。
そして、まるで「楯」になったかのように、たくさんの方が訪れる観光地:松島海岸周辺を守りました。
震災直後、橋が崩落したため、自衛隊が道路を復旧させるまでは、内陸からの物的・人的支援も乏しく、復旧が遅れた地域の1つでした。
ボランティアバスツアーの主催者である、杉並区にある医療法人浴風会のケアスクールの服部安子校長(宮城県出身)が、被災地を数多く回る中で、この地区の支援が足りないのではと気づき、アプローチし、6月から継続して支援にあたっています。
服部校長の人柄、熱意、誠意によって、住民の方の心の距離も縮まり、あくまで地元の方にニーズに応えるというスタイルで、瓦礫撤去、海岸や家屋の清掃、名産の海苔工場稼働のお手伝い、除草作業などにあたってきました。
8月は、縄文村というコミュニティセンターの中庭の汚泥の掻き出しと水に浸かった民宿の室内や周辺のお掃除をさせていただきました。
幸い曇りの日となり、熱中症の心配はなかったものの、震度5の地震に見舞われ、住民の方と避難場所に避難しました。
9月は、日中は、強烈な日差しと高温で、熱中症を思わせる天気でした。私は、室浜・月浜地区の海岸付近の清掃を行いました。
他のチームは、海苔工場のお手伝い、支援物資のお届け、仮設住宅の皆さんと花壇づくりなどを行っていらっしゃいました。
そして、最後は、服部校長の働きかけに動いてくださったユニクロさんからの秋冬衣料2トントラック2台分の荷物のコミュニティーセンターへの搬入。
8月と比べると、宮戸島下水道が復旧していましたし、海に出て行く船も見かけました。
海苔工場が復旧したり、新しく海苔の菌を植え付けたりとうれしくなるような新しい動きにも出会えました。
8月にお手伝いした民宿の女将さんに会いに行ったらすごくお元気になっていましたし、1ヵ月前に蒔いた菜の花の種が芽を出していました。
そして、えびすさんが、多数、拾い出されていました。
さすが漁業の神様ですね。
その一方で、月浜地区の民宿が1件残して、相当なダメージを受け、フォークリフトで片付けられて行くのを間近で見て、こんな風にして名前のあったものが、簡単に瓦礫と化して行くのかと、しみじみとはかなさに耽ったり。
どんな思いで被災者の方は毎日この光景を見ているのか、半年経っても、自分が同じ立場なら、虚しさはぬぐいされるか多いに疑問。
また「国の方針が決まるまでは、この土地は何に使うかわからんから、大きいものだけ取り除いておいてくれたらいいからね」と、笑顔で言う区長さんでしたが、国政のもたつきが復興の遅れにつながっていることを確実に感じます。
しかし、大変うれしかったのは、月浜地区の民宿に泊めていただいたこと。
そして、仮設住宅にお住まいの女性の皆さんにカレーライスを作っていただいたことです。
このことは多分忘れられない記憶になると思います。
島の惨状から見れば、本当に十分すぎるほどのおもてなしだったと、メンバー一同、1品1品、感謝・感動しながら味わいました。
どれも美味しかったのですが、特に「サンマの塩焼き」、最高でした!
とれたてに近いものからは「強い気」を感じますね。
残った民宿あり、打撃を受けた民宿あり・・・
何が明暗を分けたか、科学的根拠を追及するなんて無意味と感じるほど、被害は一様ではありません。
今回、忘れられなかったのは、カレーライスを作ってくださった女性たちのイキイキとした姿。
様々な事情を乗り越え、民宿の女将さんたちが協力して作って下さったことと察します。
カレーの美味しさも忘れられませんが、挨拶をして別れ際の女将さんたちのすがすがしい笑顔に名残惜しさを感じてしょうがなかったです。
もっと一緒にいて、いろんな話がしたかった。
彼女たちの仕事は、女将としてもてなすことであったはず。
初めに、カレーを作っていただくことなど申し訳ないと思ったけど、「仕事」としてもてなしていただき、我々が「対価」を支払う機会はむしろもっとあった方がいい。
そんな時期になったのです。
最寄りの市場は復活しており、食材を仕入れることは問題なくなっているようです。
もしも負担でなければ、またカレーライスいただけないでしょうか?
現地に行けば、何かが「わかる」、何かが「かわる」。
応援しています。
岩手、宮城とうかがいました。
大好きな福島のこともずっと気になっています。
情報を集めながら、スケジュールを調整し、自分の持てるリソースの1部をムリなく末長く使っていけたらと思っています。
たくさんのことを感じ、学ばせていただいているような昨今です。
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