ラーメンを食べて、さて会津若松へ向かおうと思って喜多方駅に向かったのですが、駅の旅行パンフレット
を手にし、ビビッときた「瓜生岩子記念館」。
タクシーで再び町の中へ戻る。
瓜生岩子という名前は、
昨年末、有楽町で開催された福島の特産品、観光地の紹介「ふくしま大交流フェスタ」に出向いた時に、
福島の偉人『日本のナイチンゲール』として紹介されていました。
今年は、大河ドラマ『八重の桜』で山本八重(新島八重)のハンサムっぷりが描かれていますが、
その他にも中野竹子、瓜生岩子と会津はハンサムウーマンぞろいです。
日本の社会慈善家の草分けとして、生活困窮者を救った女史は、日本で初めて藍綬褒章を受章した方とのことです。詳しくは→コチラ
館内を出ると、ふと気づいた。
ここは、5年前に出張した際の研修会場と同じ敷地・・・。
「蔵の里」
そこは蔵を改装したギャラリーで、薄暗さも、そしてスリッパもあの時と変わらず。
まだ新米講師だったあの頃が、独特の空気感とともに蘇って、「あぁ、ここに来るのは仕組まれていたんだ、呼ばれてたんだな」と直感しました。
そして、受付の女性が「もう一つ見るところがありますのでどうぞ」と声をかけてくださり、期待もせず行ったら、そこは
蓮沼門三大先生の資料館?記念館?
同年代またはそれ以下の読者の方におかれましては蓮沼門三って誰っ?って方が多いかと思いますが、詳しくは→コチラ
私のお世話になっているNPOヒューレック研究会では、2004年に蓮沼門三の人生をミュージカルにしていたので、
何をされた方なのかはぼんやりとは知っていたのですが、
まさか喜多方の出身とは・・・
蓮沼門三氏とは、社会教育団体「修養団」を設立した日本の社会教育の先駆者です。
友人が修養団に勤務していることもあり、まさかここで改めて功績に触れるとは・・・
当時の財界の大御所:渋沢栄一のバックアップにより、健全な青少年・社会人教育を推し進めた功労者です。
錚々たる企業の研修なども手掛けられた、まさに研修講師・研修会社のパイオニアなのであります。
「あぁ、ここに来るのも仕組まれていたのか・・・」
と直感したのは、最近の自分を振り返った時に、どうも人財育成の支援の在り方が「手法」先行になっているということ。
自分の使命や情熱は大事だけど、それで感化しようという考えは最近薄れてきていて、どこか「理屈・理論」が先に立っているのが気になっていたのでした。
そんな矢先に、これを見た。
踏み絵のように踏めと言われたら間違いなく踏めない。
汗することが少なくなった時代ですが、汗するほど何かに打ちこめてない最近の自分・・・
いろいろ思うことがあった。
最近の自分を振り返り、西洋からやって来た人材開発や組織開発手法を学ぶ近年ではあるものの、こうして大和魂に震えるのはなぜか?
仕事でもそう。
福島の会津で、東京と同じクレーム対応方法がしっくりくるとは限らないんだって前日ふと思った。
方法じゃないんだ。
何から、どこから発しているのかなんだ。
「愛」なき「手法」は「凶器」にだってなるんだ。
蓮沼先生もおっしゃっている
『愛なき人生は暗黒なり』
思いもよらぬ蓮沼先生との出会いにより撃沈し、とぼとぼと建物を出た。
あのパンフレットに出会わなければ、この内省の時間はなかったはず。
ありがとなし(会津弁)。
※この記事は、5月に入って2月を振り返って書きました。
を手にし、ビビッときた「瓜生岩子記念館」。
タクシーで再び町の中へ戻る。
瓜生岩子という名前は、
昨年末、有楽町で開催された福島の特産品、観光地の紹介「ふくしま大交流フェスタ」に出向いた時に、
福島の偉人『日本のナイチンゲール』として紹介されていました。
今年は、大河ドラマ『八重の桜』で山本八重(新島八重)のハンサムっぷりが描かれていますが、
その他にも中野竹子、瓜生岩子と会津はハンサムウーマンぞろいです。
日本の社会慈善家の草分けとして、生活困窮者を救った女史は、日本で初めて藍綬褒章を受章した方とのことです。詳しくは→コチラ
館内を出ると、ふと気づいた。
ここは、5年前に出張した際の研修会場と同じ敷地・・・。
「蔵の里」
そこは蔵を改装したギャラリーで、薄暗さも、そしてスリッパもあの時と変わらず。
まだ新米講師だったあの頃が、独特の空気感とともに蘇って、「あぁ、ここに来るのは仕組まれていたんだ、呼ばれてたんだな」と直感しました。
そして、受付の女性が「もう一つ見るところがありますのでどうぞ」と声をかけてくださり、期待もせず行ったら、そこは
蓮沼門三大先生の資料館?記念館?
同年代またはそれ以下の読者の方におかれましては蓮沼門三って誰っ?って方が多いかと思いますが、詳しくは→コチラ
私のお世話になっているNPOヒューレック研究会では、2004年に蓮沼門三の人生をミュージカルにしていたので、
何をされた方なのかはぼんやりとは知っていたのですが、
まさか喜多方の出身とは・・・
蓮沼門三氏とは、社会教育団体「修養団」を設立した日本の社会教育の先駆者です。
友人が修養団に勤務していることもあり、まさかここで改めて功績に触れるとは・・・
当時の財界の大御所:渋沢栄一のバックアップにより、健全な青少年・社会人教育を推し進めた功労者です。
錚々たる企業の研修なども手掛けられた、まさに研修講師・研修会社のパイオニアなのであります。
「あぁ、ここに来るのも仕組まれていたのか・・・」
と直感したのは、最近の自分を振り返った時に、どうも人財育成の支援の在り方が「手法」先行になっているということ。
自分の使命や情熱は大事だけど、それで感化しようという考えは最近薄れてきていて、どこか「理屈・理論」が先に立っているのが気になっていたのでした。
そんな矢先に、これを見た。
踏み絵のように踏めと言われたら間違いなく踏めない。
汗することが少なくなった時代ですが、汗するほど何かに打ちこめてない最近の自分・・・
いろいろ思うことがあった。
最近の自分を振り返り、西洋からやって来た人材開発や組織開発手法を学ぶ近年ではあるものの、こうして大和魂に震えるのはなぜか?
仕事でもそう。
福島の会津で、東京と同じクレーム対応方法がしっくりくるとは限らないんだって前日ふと思った。
方法じゃないんだ。
何から、どこから発しているのかなんだ。
「愛」なき「手法」は「凶器」にだってなるんだ。
蓮沼先生もおっしゃっている
『愛なき人生は暗黒なり』
思いもよらぬ蓮沼先生との出会いにより撃沈し、とぼとぼと建物を出た。
あのパンフレットに出会わなければ、この内省の時間はなかったはず。
ありがとなし(会津弁)。
※この記事は、5月に入って2月を振り返って書きました。
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