9月17日~20日と、岩手県大槌町で仕事をするために、隣接する釜石市に滞在をしていました。
到着したのは、深夜であったためその日はわかりませんでしたが、朝、ホテルで窓を開けると、そこはやはり津波で傷つきながら、少しづつよくなりつつある釜石そのものでした。
連日、午後からの仕事だったので、午前中、2時間ほど街中を歩いては、鉄の街:釜石の歴史や、自然、そしてまだまだ爪跡の残る津波被害の跡から感じる時間にしたいと思っていました。
もくもくと蒸気がたちこめる製鉄所の雄々しさ、おだやかな流れと抜群の透明度の甲子川。
おぉー、鹿がいる!
しばし「ぼーっ」と眺めたり、街中で市民の方に声をかけられてお話を聴く時間があったり、復興途中の住民の方々の様々な心の変化を感じたりもしました。
駅前には複数のモニュメントがありますが、その1つに釜石に縁のある「井上ひさし」さんが作詞をした歌碑が2つあります。
釜石小学校の校歌です。子供たちの合唱は⇒コチラ
そこには、よくあるその地域に広がるような景色は全く表されていません。
響いてくるのは、ただただ「生きる」ということ。
三陸という津波に襲われやすい土地であることや、東日本大震災を経たこと。
そんな背景から歌詞がいっそう力強く迫ってきます。
そして、ハッとしたのが、
この詩を読み、年を重ね生きづらさを感じることが多くなった今、生きることが身体から遠ざかり頭でっかちになっていやしないかと。
息を大事にする、収集した情報から真理を見極め、よく考え、自分で決める、はっきり話す、手と手を取り合う。
自分の考えや思いを人に率直に伝え、つながりあって生きていく。
それが生きることなんだ。
そうやって子供たちが津波被害を逃れ生き延びた釜石の軌跡についての対談⇒コチラ
改めてその徹底された防災教育は、命の教育であり、生き方・キャリア教育であると感じました。
短い時間でしたが感じること・思うこと・考えることが多い時間となりました。
様々な復興上の難題が早くクリアされますように。
あらためて心より復興をお祈りします。
到着したのは、深夜であったためその日はわかりませんでしたが、朝、ホテルで窓を開けると、そこはやはり津波で傷つきながら、少しづつよくなりつつある釜石そのものでした。
連日、午後からの仕事だったので、午前中、2時間ほど街中を歩いては、鉄の街:釜石の歴史や、自然、そしてまだまだ爪跡の残る津波被害の跡から感じる時間にしたいと思っていました。
もくもくと蒸気がたちこめる製鉄所の雄々しさ、おだやかな流れと抜群の透明度の甲子川。
おぉー、鹿がいる!
しばし「ぼーっ」と眺めたり、街中で市民の方に声をかけられてお話を聴く時間があったり、復興途中の住民の方々の様々な心の変化を感じたりもしました。
駅前には複数のモニュメントがありますが、その1つに釜石に縁のある「井上ひさし」さんが作詞をした歌碑が2つあります。
釜石小学校の校歌です。子供たちの合唱は⇒コチラ
そこには、よくあるその地域に広がるような景色は全く表されていません。
響いてくるのは、ただただ「生きる」ということ。
三陸という津波に襲われやすい土地であることや、東日本大震災を経たこと。
そんな背景から歌詞がいっそう力強く迫ってきます。
そして、ハッとしたのが、
この詩を読み、年を重ね生きづらさを感じることが多くなった今、生きることが身体から遠ざかり頭でっかちになっていやしないかと。
息を大事にする、収集した情報から真理を見極め、よく考え、自分で決める、はっきり話す、手と手を取り合う。
自分の考えや思いを人に率直に伝え、つながりあって生きていく。
それが生きることなんだ。
そうやって子供たちが津波被害を逃れ生き延びた釜石の軌跡についての対談⇒コチラ
改めてその徹底された防災教育は、命の教育であり、生き方・キャリア教育であると感じました。
短い時間でしたが感じること・思うこと・考えることが多い時間となりました。
様々な復興上の難題が早くクリアされますように。
あらためて心より復興をお祈りします。
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